パパ活狩りされた僕のパパ

Jack Torrance

男って馬鹿な生き物

まただ。

ママの怒声が階下から聞こえる。


パパを強く叱責する時の、あのキーキー声だ。


パパとママは僕の教育方針やら学校行事やらで、いつも喧嘩ばかりしているのは僕も知っている。


だけど、今回の喧嘩は何だか様相が違うようだ。


僕は恐る恐る階下に降りてキッチンの扉から中の様子を覗いた。


2時間くらい前に警察の制服を着たおじさんが僕の家に訪ねて来てからパパとママの口論が始まった。


僕がキッチンの扉から見た光景は悲惨と呼ぶに値する凄まじい光景だった。


夜叉の鬼面のような形相で仁王立ちしパパを捲し立てるママ。


人参を二本おでこに縛り付けて安物葉巻を斜に銜えていたらママには鬼軍曹というアバターが授けられていただろう。


ママの足下でキッチンの木板の床の上で正座しているパパ。


パパの表情は、こちらからは見えないが猫背で折り曲がった背中がパパの哀愁を表していた。


背中が泣いているとでも形容しようか…


僕が見た限りパパの背中はしょんぼりしていた。


顔で笑って心で泣くという格言があるがパパは正しく顔で泣いて背中も泣いていた。


パパは僕によく言っていた。


「義生、男ってのは、どんなに辛い事があっても顔で笑って背中に全部覆い隠すんだ。言ってみれば、顔で笑って背中で泣くんだよ。それでこそ男ってもんだ。分かったな、義生」


だが、この時のパパは言ってる事とやってる事が違った。


パパの上ずった謝罪の声が、それを物語っていた。


「す、済みません。こ、今回だけは赦してください。この通りです。お願いします。勘弁してください」


ママが夜叉の鬼面でパパに罵声を浴びせる。。


「はぁ~、お ま え は バ カ かー!お前、先週の月曜、何された?」


パパが恐怖に戦き上ずった口調で答える。


「パ、パ、パパ活狩りです」


「で、お前、そん時、何持って行かれた?」


「3ヶ月前に新車で買ったプリウスです」


「はぁ~~~」


ママがヤクザが恐喝する時の様に語尾を甲高く張り上げてパパを恫喝した。


「お前、確か、あたしにこう言ったよな『御免、ちょっとバンパーを擦っちゃって今ディーラーに修理に出してるんだ』ってね。あたしは、そん時めっちゃイラっと来てたんだよ。買ったばかりの新車を擦りやがってと思って。でも、義生が『パパを赦してあげて』って泣きついて来たもんだから、あたしは顔で笑って心で泣いたんだよ。で、お前、持って行かれたのはプリウスだけか?」


パパがおどおどした口調で答える。


きっと、僕が想像するにパパの目は世界記録を樹立する勢いで泳いでいるだろう。


「キャ、キャッシュで130万です」


「はっ、はぁ~~~」


ママが仁侠映画さながらの迫真の恫喝をパパに再度お見舞いする。


「そうだよな、お前。50万、50万、30万って2日置きにお前ATMから引き出してるな。あたしは、あのバカ、株とかFXとかで下手こいたんじゃないかって心配したんだよ。それか競馬とかパチンコでやらかしてサラ金に借金してたとか。それがどうだ。蓋を開けてみればパパ活狩りされて新車と130万持って行かれたってかぁ~~~」


「だ、だって、SNSで知り合った17歳の女の子とお酒飲んでラブホで一回ヤっただけでロンゲで茶髪で耳にダイヤのピアス入れたヤンキーそうな兄ちゃんが出てきて『よくも、俺の女に手ェー出してくれたよな。てめえ、この落とし前どうつけてくれんだよ』って鉄パイプ持ってやって来たんだから。こっちも命守んなきゃいけないから、そりゃー新車と130万差し出すでしょ」


ママの鬼畜の形相はパパのこの発言で更に火が点き導火線がダイナマイトに着火したように爆発した。


「お前、ほんとのバカか?お前のやってる事は買春と同じで未成年と酒飲んでラブホで一回ヤっただって。それだけで、お前も犯罪者だ。それが、どの面下げて警察に被害届出してんだ。それに、車の件といい130万の件といい、あたしにバレないと思った訳。このバカがッ!義生の学校行事も全部あたしが行ってキャッチボールやサッカーの相手をしてやってるのも全部あたし。お前は義生のパパとしての活動は怠けていて未成年の女の子のパパとしては一生懸命活動してんだね」


パパは無言でプルプル震えていた。


それを見兼ねて僕はキッチンに飛び込んだ。


「ねぇー、もう、喧嘩は止めてー。ママとパパはいっつも喧嘩ばかりしてるじゃないかー。僕、悲しくなっちゃうよー。ウェーン」



僕は泣き叫んだ。


パパが僕の援護射撃に今だといわんばかりに攻勢に出た。


「み、美奈子、義生もこう言ってるんだ。済まない、この通りだ。こ、今回だけは多めにみてくれ。頼む、この通りだ」


パパはコメツキバッタのようにおでこを床に擦り付け土下座していた。

僕は、こんな情けないパパを見たくなかったが僕の援護射撃のお陰でママはパパに一先ず恩赦を与える事にしたようである。


パパ活狩りされたパパは一応、被害者扱いで未成年との飲酒と買う春の罪はパパ活狩りの女の子の年齢を知らなかったという事で多めに見てもらい罪には問われず事無きを得た。


それからのパパは僕の学校行事や遊び相手も熟してくれて一応パパとしての活動に専念してくれた。


だけど、一度失った信頼は、そう易易と容易く取り戻せる物ではなかった。


パパとママは、いつも余所余所しくて関係はぎこちなかった。


俗に言う仮面夫婦って奴だ。


パパがパパ活狩りされてママに土下座した日から8年。


僕は17歳になっていた。


僕は都内の進学校に通っていて学校ではクラブには属さず俗に言う帰宅部。


僕は学校が終わると家から自転車で30分の場所にある塾に通っていた。


学校が終わると空腹を凌ぐ為にスーパーで調理パンを一個だけ買って僕は腹を満たす。


本当はコーヒーも買いたいけど家計の事も考えてよしておく。


コンビニは高いので僕は滅多に利用しない。


食べ盛りの僕には調理パン一個くらいじゃ足りないが僕を私立の進学校に通わせ塾の費用までも捻出する為に専業主婦だった母さんはスーパーの商品陳列のパートに行ってくれている。


9時に塾が終わり僕はお腹を空かせて帰路に就いた。


いつもなら僕の帰りに合せて点けてくれている玄関のライトが灯っていない。


僕は母さんも疲れていて忘れる事もあるだろうと然程気にも留めなかった。


「ただいま」


僕は玄関のノブを引いて家に入った。


えっ!


最近は聞く事のなかった母さんの耳を劈くようなキーキーと喚く声が聞こえて来た。


僕は恐る恐る足音を忍ばせながらキッチンに向かった。


そして、扉の隙間から中を覗いて見た。


あ、あの時の光景と一緒だ。


僕は、これはデジャヴュなんだと言い聞かせた。


僕は勉強のし過ぎで疲れているんだ。


だから、脳が誤作動して昔見た記憶を幻影としてフラッシュバックさせているんだ。


僕は一度目を瞑ってもう一度隙間からキッチンの中を覗いた。


あ、あの夜叉の鬼面のような母さんは紛う事無きあの鬼軍曹だ。


俺は、この地に返って来たぜ。


怪我で一度、祖国に帰還させられ傷が癒え戦線に復帰する為に輸送機に乗り込んだ鬼軍曹。


輸送機の窓からナムに広大に広がるジャングルを目を細めて一望する鬼軍曹。


鬼軍曹は視線を太腿の上に移しジャングルでの相棒M-60の手入れに取り掛かる。


そう、あの鬼軍曹が戦場に帰って来ていた。


父さんはというと、あの8年前の光景同様、キッチンの木板の床の上で猫背で折れ曲がった背中をこちらに向け星座させられていた。


パパは無言で正座していたが何も語らずとも背中が物語っていた。


泣いている。


ウィルスン ピケットの“ヘイ ジュード”で天高く舞い上がるドゥウェイン オールマンの泣きのボトルネックのように泣いている。


日本しょんぼりアカデミー賞なるアウォードが存在するならば父さんは家庭不和部門で最優秀主演男優賞を受賞するだろう。


それぐらい背中がしょんぼりしていた。


僕は、もう高校二年生だったので、粗方の事を察した。


また、父さんはやらかしたんだ。


母さんは仕事のストレスからか、それとも最近めっきり冷え切った夫婦関係からなのだろうか。


二か月程前くらいから煙草を吸い出していた。


後、週末くらいにしか飲まなかった缶チューハイも平日も飲むようになり空き缶の数も前より多くなっていた。


母さんが父さんをその場に正座させたまま冷蔵庫に行きストロングゼロのグレープフルーーツ味の500缶を取り出してプルタブを引いてゴクゴクゴクと一気に半分くらいまで呷った。



チューハイの缶をドンとテーブルに置いてテーブルの上のバージニアスリムの箱を引っ掴むと一本銜えて忙しなく火を点けた。


大きく煙を吸い込んで深呼吸するように吐き出した。


テーブルの上の灰皿は母さんの吸った煙草の吸殻でこんもりと盛り上がっていた。


母さんの苛立ち具合がそれを見れば一目瞭然だ。


母さんが苛立ちを抑えるように言葉を切った。


「さっき来た刑事さん、8年前には制服警察官の巡査だったのに今は4課の刑事さんだって言ってたじゃないの。で、あんた、1ヶ月前に何された?」


「つ、つ、美人局です」


母さんが「はぁ~」と溜息を吐いた。


「ふーん、それで組織犯罪対策部のマル暴が動いてるって訳ね」


父さんの溜飲の下がる音がここまで聞こえてくる。


「SNSで一晩だけのワンナイトラヴのつもりで知り合った女だったんだ。その女の部屋で事に及んで次の日にスマフォに電話があったんだ。『よくも、おめえ、俺のスケをコマしてくれたな。俺は浜田組の轟ってもんだ。おめえ、明日までに200万用意しろや。かみさんにバラされたくなけりゃ素直に俺の言う事に従った方が無難だぜ』って言われたんだ」


母さんは短くなった煙草を灰皿で揉み消し、すぐさま次の煙草を銜えて火を点けた。


また大きく煙を吸い込み吐き出すと残りのストロングゼロを一気に飲み干した。


空になった缶缶をグシャっと握り潰してテーブルの上に放った。


「ふーん、で、あんた、その200万どうした訳?」


父さんが吃りながら答えた。


「サ、サ、サラ金で工面しました」



「ふーん、で、被害額は、その200万だけなんだね」


父さんの挙動がおかしい。


「い、いえ、じ、実は、セックスの最中を隠しカメラで撮られていまして。200万払った時にスマフォでそのセックスの動画を見せられて『おめえ、この動画、かみさんや会社に持って来られたら、さぞ困んだろう。インターネットで流すってのもあっからよ。後、300で手ェー打ってやる。この動画のメモリーカードと引き換えで、もう300用意しろや。期限は一週間くれてやる』って言われて。そ、そ、それでー…」


母さんは黙って父さんの言っている事を聞いていた。


母さんは冷蔵庫に歩み寄り中から二本目のストロングゼロを取り出してプルタブを引いた。


父さんの前まで戻って来ると今度は一気にストロングゼロを飲み干した。


そして、空き缶をグシャっと握り潰してまたテーブルに放った。


素面じゃいられなかったのだろう。


「そのコピーされたメモリーカードが轟っていうヤクザの家から見つかって、さっきのマル暴の刑事さんがうちに来たって訳ね。で、その300万はどうした?」


「サ、サ、サラ金で工面しました。


その瞬間だった。


父さんの前で仁王立ちしていた母さんのローキックが父さんの鼻頭目掛けて炸裂したのである。


鈍い打撃音がキッチンに響いた。


そうだ、母さんは昔、空手をやっていて三段の有段者だったんだ。


間違いなく父さんの鼻は折れているだろう。


父さんが顔を押さえて悶絶している。


鼻から鮮血がポタポタと床に垂れている。


僕は何も見なかった振りをして二階に行った。


その晩は何も食べずに一階に下りる事も無く風呂にも入らずにベッドに入った。


母さんが僕の部屋に来る事はなかった。


翌朝。


父さんは家にいなかった。


母さんは酔い潰れていてキッチンのテーブルに頭を伏せて寝ていた。


僕はテーブルの上の空き缶やてんこ盛りになった灰皿を片した。


すると、母さんが物音で目を覚ました。


僕は言った。


「母さん、何も言わなくてもいいよ」


母さんは、まだ呂律が回らない口調でぽつりと言った。


「男ってのはバカな生き物だよ」


「母さん、解っているよ」


僕はそう言って学校に行った。


その日を最後に母さんに蹴りを顔面に喰らった父さんを見てから父さんの姿は見ていない。


その後の消息も僕は知らない。


あれから20年。


母さんは、その後の深酒が祟って3年前に肝硬変で逝ってしまった。


僕は母さんが酒に酔い潰れてあの日の朝に言った言葉を思い出す。


「男ってのはバカな生き物だよ」


そして昨日。


僕はパパ活狩りに遭った…

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