少年と少女の密室③
ドアが開いた。
その部屋のドアを開けたのは背の低い少女だ。何故か躊躇うように足を止め、不安そうに背後を振り返ってから、歩を進めた。
「どうぞ」
おずおずと脇に避けて、部屋へもう一人の連れを招き入れる。一五、六歳くらいの少年だ。彼は迷うことなく部屋に足を踏み入れ、すぐさま後ろ手でドアを閉めた。身長差があるため、少女を見下ろし、その顎に右手を伸ばす。
「待っ――」
制止の声は届かない。少女の唇は、少年のそれに塞がれ、少女は力強く抱きすくめられる。少女は頬を上気させ、目を閉じてうっとりと相手の唇を味わった。口づけは長い間続き、やがてゆっくりと粘つくような音を立て、少年の方から離れた。ほう、と大きく息をついて、少女が彼の胸に顔を埋める。
「待ってって言ったのに」
「最後まで言ってない」
「……意地悪」
再び、唇が重なった。二人は抱き合ったまま、お互いの体に触れ、徐々にベッドの方へとその立ち位置を変えた。そして少年が、相手を気遣うように、優しくベッドへ倒れ込む。押し倒すというほどの激しさもなく、少年は少女の真上に腕を立てて覆い被さった。
「本当に良いの?」
「嫌だって言ったら、やめる? やめられる?」
「お望みとあらば」
「絶対嘘だ」
少女が破顔する。恥ずかしがっているのを隠すように、そのまま続けた。
「今日、浅葱ずっと変だよ。いや、別に、嫌だって言ってるわけじゃなくて。あ、まあ、ちょっとは嫌だったけどさ。でも、普通嫌がるよ。びっくりするし。僕ら、昨日まで全然、そういう関係じゃなかったわけでしょ。なのに、路地裏で、まさかあんなことまでするなんて」
「俺自身、正直あれはやり過ぎたかな、と思ってる。今は反省している」
「だって、外だよ。誰か来るんじゃないかと思ってずっと怖かったよ」
「絶対誰も来ないという自信だけはあったが」
「どういう根拠で、あ、ちょ、馬鹿、話は終わってない、あ」
「でも、今日はそっちが悪いんだぜ。誘ってきたのは和己の方だし」
「ん……あ、誘ってなんかないよ。あ、まあ、ん、それは、確かに、遊びに行こうって、言ったのは、あ、僕だけど」
「学校サボったなあ。俺、優等生で通ってるのに」
「あ、ん、五月蝿い。なんか、今日、浅葱、意地悪」
「こんな俺は嫌い?」
「……そういうとこが意地悪だって言ってん、ちょ、あ、こら、そこはまだ駄目だって」
少年の右手が、少女のワンピースを捲くり上げ、その内側に侵攻をかけようとしたまさにその時、携帯電話の着信音が鳴り響いた。少年と少女は顔を見合わせ、しばし無言。そして隙を突くように、少女がするりと少年の下から抜け出して、ドアの辺りに落ちていたトートバッグから携帯電話を取り出す。少年は、ぼすっと顔面からベッドに倒れ込み、
「コンナトキニカギッテ、か」
にやにやしながら、しかし悔しそうに、やけに棒読みで呟いた。
少女は電話で誰かと喋っている。と、突然、その声音が高まって、
「本当? ……嘘! 嘘! 凄い!」
狂喜乱舞しながら少年を手招きする。少年が近付いていくと、電話口を押さえながら、興奮を抑え切れない口調で言った。
「お母さんから。お父さんが見つかったって」
「え! 嘘、まじ。おじさんが? 生きてたの?」
「なんか、一〇年前と格好が全然変わってないんだって。本人も、予定通り二ヶ月の調査を終えて街まで戻って来た、みたいなこと言ってきょとんとしてるらしくて。変な話だね」
「……あー、とにかく良かったじゃないか、無事で。浦島太郎みたいで格好良いよ」
少年は、やけに複雑そうな表情で顔を強張らせた。頬が引き攣っている。
「お父さん、いるの、そこに? ……あ、そうなんだ。じゃ、戻って来たらまた電話して。……そりゃ、話したいよ。……えー、そんなこと言ったっけ?」
なおも電話を続ける少女の胸に手を伸ばして、本気で引っ叩かれたりしながらも、少年は真剣な顔を崩さなかった。少女は実に楽しそうに喋っており、そんな少年を意に介す様子はない。
「はーい。……うん、わかった。じゃね」
電話を切った。少女は、少年に抱きつき、唇に触れるだけのキスをする。
「なんか、すごいテンション上がってきた」
「うん。見てりゃわかる」
「向こうは今、大騒ぎになってるんだって。現地の警察とか、軍隊みたいのとかNGOとか、とにかく色んな人が、お父さんの調査隊が消えた場所に向かってるらしいよ。どんな調査するのかな。お父さん、テレビとか出たらどうしよう。日本でも絶対話題になるよね。僕にも取材来たりして」
「……いやー、それは、どうかな……」
曖昧な笑みを浮かべる少年。少女は、何かを思いついたように、顔を輝かせた。
「よし、今からお祝いしよう。何か食べて、ぱーっとやろう」
「えー、さっきの続きは?」
「……夜。シャワー浴びてから」
「妙に生々しいな。キャラ変わった?」
「五月蝿い。とにかくこれは一旦中断!」
少女は、きっぱりと言い切ると、とん、と軽く少年の体を両手で押した。そしてトートバッグの中身を机の上に空け、その本体を折りたたんでクローゼットの中の衣装棚に仕舞う。扉を開ける時に一瞬だけ躊躇したのを見てか、少年は、苦笑した。黒い薄手のジャケットを脱いで、腕にかける。
「仕方ない。おじさんが見つかった記念だしな。腕によりをかけて何か作ってやろう」
「おー。……さっきハンバーガー食べなきゃ良かったね」
「ま、いっぱい食って精力つけようや」
「そうだ。お酒飲も、お酒」
「羽目外してんなあ、今日は。……私は和己をそんな子に育てた覚えはないよ!」
突然声の高さを変え、女口調になった少年を見て、少女が吹き出した。その口調は、不思議なほど板に付いていた。
「で、何食べたい? カレーライス以外で」
「何で? カレーは駄目なの?」
「いや、明日、うちの両親が……社員旅行?から帰ってくるじゃん?」
「うん」
「たぶん、そこから連日連夜カレーライスになるんだ」
「ふーん……? なんで? そんなにカレー好きだったっけ、あの二人? まあ、そんなに言うなら、カレーライスじゃなくていいけどさ」
「うん。軽く見積もっても、三種類のカレーは食うことになりそうだしさ」
少女は、不思議そうに首を傾げる。少年はそれを見て皮肉げに笑う。
「ま、とにかくあと六〇時間くらいは、世界で一番幸福な日常を謳歌していようぜ」
少年の腕に掛けてあったジャケットが、するりと解けて床に落ちて行った。
ジャクジャキジャッキジャケットジャック 今迫直弥 @hatohatoyama
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