ジャクジャキジャッキジャケット③
戸惑いが無かったと言えば嘘になる。『女神』がジャクジャキジャッキジャケットに持ちかけてきた作戦は、彼、ないし彼女、ないしそれが、もしかしたら『女神』になれるのではないか、という可能性を秘めていたが、同時に、何が起こるのか全く予想出来ないという危険性も示唆していた。ジャクジャキジャッキジャケットは、自らの好奇心を満たす為だけに危険な橋を渡るのは愚かなことだと考えるタイプだった。それが面白味のない性格であるとかないとか、そういう話は別としても、エターナル・ギミックは概して日和見主義的なところがあり、彼、ないし彼女、ないしそれもその例に漏れないのだ。
『女神』の抜け殻にエターナル・ギミックの本質を移入させる。
発想は実に『女神』らしいものだと思う。独創性に富み、無茶を承知でそれでもひたすらに邁進する姿勢は、『女神』の典型的な特徴である。エターナル・ギミックであるジャクジャキジャッキジャケットは、それを認めつつ、だが決して見習いたいと思えないのも事実だった。これは、『女神』とエターナル・ギミックの種間における生存戦略の違いだろうか。もっと落ち着けば良いのに、と老婆心のようなものを働かせてしまう。
つまり本音を吐露するならば、ジャクジャキジャッキジャケットは、その計画に対して実に否定的であったと言わざるを得ない。断れるものなら断りたかった、というのが正直なところで、事実、見苦しいほど遠回しに難色を示していたつもりだったのだが、
「ほら、早く。お願い」
という言葉にせっつかれて、動き出してしまったのが運の尽きであった。その『女神』に対し、自分の意図が正確に伝わっていたとは到底思えない。どうやら『女神』の好奇心は、言外に漂わせたニュアンスを拾うという作業には向いていないらしい。
エターナル・ギミックにとって、本質を他の物体内に移すという行為は、その存在の維持のために必須である。例えばジャクジャキジャッキジャケットの場合、衣服の一生などたかが知れている。時代の流行に合わせてファッションが変化するというレベルでも、さらには単純に繊維の劣化の問題を考えても、同じ服が何百年、何千年と受け継がれていくケースは、まず無い。何を隠そう、ジャクジャキジャッキジャケットも、この駱駝色の渋い代物になる前は、アメリカ西海岸に大きな邸宅を構える大富豪のお気に入り、実に高級感漂う一着として暮らしていたのだ。蛇足ながら、そのギミック性能がたたってか、富豪は八方に恨みを買っており、最終的にはメッタ刺しになって殺害されてしまったのだが、ジャクジャキジャッキジャケットがその煽りを受けて穴だらけになったのは、まさしく因果応報というしかない。さらにその前は子供服で、子供の成長に合わせて不要となり、袖を落とされて、ペットのお洋服と化した時点で見限った。「シンディーちゃん、このお洋服を着るとご機嫌斜めでちゅねー」……知ったことではない。そんな彼、ないし彼女、ないしそれが、次の依代を選ばねばならなくなった際、一体どんな基準でそれを決めてきたのかと言えば、実に単純明快。「適当」。その一言に尽きる。平和大国と名高い島国で製造され、メーカーも微妙、柄も微妙、売れるかどうかすら微妙なら、まさか持ち主が刺されたりするような憂き目に合うことはあるまい、という計算が働いたこともなければ、今度は大金持ちの家で悠悠自適に暮らしたいなあ、と切に願ったこともない。神のお導きに従った、という壮大な舞台裏があるわけですらない。本当に、適当なのだった。ジャクジャキジャッキジャケットはその性質上、衣服か、それに近い構造を持つ物品でなければギミックを活かすことが出来ない(必ずしもジャケットである必要はない)。この広い世界においてそんな条件では、ほぼ無限の選択肢があるに等しい。その中から、明確な意図を持って次の依代を選択するなど、ジャクジャキジャッキジャケットにしてみれば、愚の骨頂もいいところだ。自分が人類の未来を左右するような重大な効力を持つギミックであるならまだしも、どれだけ頭を捻ったところで、結局は誰かさんの邪気を弱く引き出すことしか出来ないわけだから、まさに労多くして功少なしである。最初から無駄とわかっている努力なら、しない方が良い。そこで彼、ないし彼女、ないしそれは、本質を乗り換える際、対象までの距離が適度であって、比較的容易に乗り換えられそうな物の内、真っ先に目に付いたものに入ることに決めている。
対象までの距離と言っても、これは当然、物質的なものでない。ジャクジャキジャッキジャケットがアメリカ西海岸からはるばる日本に来たことを考えても、それは明らかであろう。エターナル・ギミックの候補となりうる地球上の物体には全て、固有の「核」という概念が定義され、彼らはそれを利用して自らのギミックを駆動させるのである。それは物理的に捉えることは決して出来ず、形而上的に距離を置いて虚無の中に散在しているように把握されるのだ。ここではその距離のことを指す。現実の物質と一対一対応で存在しており、如何なる塵芥にも「核」を見つけることは出来る。ただし、それは先の『女神』がしきりに訴えていた「銃弾で持っていかれた何か」のように、現世の物体に内在するものでは決してなく、エターナル・ギミックが主体となり観察を行うことで初めて成り立つ概念である。わかりやすく言えば、エターナル・ギミックが、「ある」と認めて、初めて存在を許されるのが「核」なのである。
そんな自分勝手に創られた概念であるからこそ、「核」は実に便利に出来ている。「核」はそれぞれ、エターナル・ギミックとの親和性に応じて異なった見え方をするのだ。地球上の全ての物質が、エターナル・ギミックの本質を寛容に受け入れてくれるかというとそんなわけではなく、生体で言う拒絶反応の様な状況を呈する場合が多々ある。エターナル・ギミックによって相性は異なるが、例えばジャクジャキジャッキジャケットの場合、材料に金属が含まれているものや、巨大なものが苦手であり、繊維製品一般と和合しやすい。その親和性は、必ずしも自己のギミック性能と一致しないので、エターナル・ギミックによっては苦しめられている者もある。「核」は、そういった、物体と自分との親和性、つまりは安全性を表すパラメーターでもあり、わかりやすく色に例えれば、緑なら「安全」、黄色は「注意」、赤は「危険」などのように、一目瞭然になっている。
さて。そんなこんなで、実に名残惜しいが、ジャクジャキジャッキジャケットは、『女神』直々の実験に付き合わされて、現世における仮宿を出ることになった。実際、銃弾で持っていかれた何か、という概念に関して気になるところが多いのも確かだ。エターナル・ギミックの「核」の考え方を当てはめるに、現世における肉体に、『女神』の本質を揺るがすような何かが帰属しているとは到底思えない。かといって、『女神』の空となった体にエターナル・ギミックの本質を入れると完全な『女神』となれる、と言われると、その論旨にはどこか瑕疵があるように思えてならない。実際やって確かめるしかない、というわけだ。
気負うことなく、ジャケットの中から抜け出す。慣れ親しんだ「核」が虚無の中で観察され、これ以上ないほど見事に緑色に輝いて見えた。ジャクジャキジャッキジャケットは、少し驚いた。アメリカ西海岸で穴だらけ血だらけになり、彼、ないし彼女、ないしそれが新しくこのジャケットを選択した時は、もう少し黄色に近かったように記憶している。やはり、長年エターナル・ギミックとして機能し続けると、その分親和性が増すのであろうか。だとすれば、最初の抵抗さえ抑え付ければ、真っ赤な「核」でもエターナル・ギミック化させることが可能かもしれない。労多くして功が少ないことに変わりはないが。
次に、指定された『女神』の抜け殻の「核」を探す。現実世界における座標、形態を把握しているので、その発見自体は容易かった。が、
「ええと、何だかやけに核まで遠いんだけど」
思わず愚痴が零れた。遠い。あまりにも遠すぎて、親和性が確認出来ない。何色かわからないのだ。エターナル・ギミックの常識と照らし合わせても、あまりにも非常識な距離だと言えた。渋々ながら、近付いて行く。虚無の中を駆け抜ける。微小点以外の何物でもないそれが、言われて初めてわかるくらいのスピードで、僅かずつ大きさを増していった。星間飛行を想像してもらえばその感覚は掴みやすいかもしれないが、実際は、形而上における距離は物理的な距離とは全く異なるため、そもそも移動という概念からしてその場の状態を理解出来るよう換言したものであって、本質的には似ても似つかないものであることをここに断っておく。目的の「核」の全貌が明らかとなるまで、しばらくかかった。色が観察できる程度の大きさになって来ると、その様子にどこか違和感を覚える。意外なことに、「核」は緑色だった。毒々しいまでの輝きは、これまで見たものの中で最も親和性が高そうにも思える。しかし、何かがおかしいのだ。歪な印象を受ける。他の「核」全てを正円に例えるとすれば、この「核」はそれに似せて作った正七角形であるというような、どこか割り切れない不可解さだった。さらに驚くべきことに、近付いていくにつれ、その色がどんどん変化しているではないか。輝きも薄れ、だんだんと濁って行く。緑から黄緑、そして黄色へ、射程圏内に入った今は、くすんだ橙色である。
「ようやく届いた。でもこれは、駄目だ、いや、おかしい」
不気味な「核」の模様に、計画の中止を訴えようとしたその刹那、ジャクジャキジャッキジャケットの本質は突然、猛烈な負荷を受けた。本質が吸い寄せられるように「核」に衝突し、そのまま暗転。意識が現世に引きずりおろされ、強引に『女神』の肉体に宿らされた。何が起こったのかわからなかった。架空の底無し沼を描画していたら、中から伸びてきた白い腕に足首を掴まれてキャンバスの中に引きずり込まれた、でも言ったところか。まるでおかしなことに客体である「核」そのものに主体であるジャクジャキジャッキジャケットの本質が巻き込まれる形で、同化させられてしまったようだ。
何なんだこれは。
とにかく来てしまったものは仕方ない。拒絶反応は無いようだし、「核」を核にギミックを駆動させよう。ジャクジャキジャッキジャケットの本質はそれを試み、一瞬の後に絶叫、悶絶してのた打ち回った。この感覚は激痛と表現して良い。その上、制御が一切利かないのである。拒絶されているわけではないのに、動かない。『女神』になれないどころか、エターナル・ギミックとしても働けない。「核」があるのに何かが足りない。何かが欠けている。正常なエターナル・ギミックとしての駆動が、明らかに異常であるというように。壮絶な苦痛を受ける。何かがおかしい。
あ。
そうか、これが、持っていかれた何か、のせいか。
あまりにも歪な状態にあるためか、現世における肉体も暴走を始めている。ぐねぐねと好き放題に変形するのを認識し、これの延長にあるのが『女神』の変身なのだと、それだけはわかるのだが、ジャクジャキジャッキジャケットの制御を一切受け付けないのだから仕方がない。自身の外界の状況を把握出来ただけでも奇跡的だった。
駄目だ。根本的に相容れない。このままここにいると本質を削り取られてしまいそうだ。
ジャクジャキジャッキジャケットは咄嗟に、その『女神』の体から脱出しようとした。どんなに拒絶反応の激しい物体に対しても、それは絶対無敵の逃避行動であるはずだった。メタレベルで存在している本質に積極的に干渉出来る物理物体などあるはずもない。
が。
いかなる作用によるものか、本質が、内側から「核」に絡め取られて全く身動きが取れない。「核」に吸い寄せられ、張り付いてしまったかのようだ。客体による観察者への造反。馬鹿な。そんなことがありうるわけが無い。何かを持っていかれた、ということがここまで常軌を逸した状況を生むというのか。対処のしようもない。最悪の事態である。
ジャクジャキジャッキジャケットは驚愕。事ここに及んで、ようやく絶体絶命の窮地にあることを認識した。
「核」を毟り取るべく自分の本質に切り込んで絶叫、ギミックを再度強制起動させようとして絶叫、さらには『女神』になったつもりで変身を試みて発狂した。
おかしい。逃げられない。待て。これは、ここをこうやって。駄目か。離せ。助けて。誰か。何だ、これは。どうすれば良い。無理か。だが、ありえない。こんなことは。助けてくれ。これは何だ。何かおかしい。出られない。戻れない。誰か。ねえ、手を伸ばして。『女神』。助けてくれ。持っていかれた何かのせい。いや、相性か。わからない、だが。まずい。助けて。僕を救え。誰か。誰か。誰か。
ジャクジャキジャッキジャケットの本質が自壊の憂き目に合っているのと時を同じくして、洋間の中心でのた打ち回っていた元『女神』の肉体であった塊も、それに習うように大きく変化を始めた。うねりの山と谷が交差する部分が硬化し、ひび割れ、ぼろぼろと真っ黒い塊となって崩れ始めたのである。紙粘土の水分が抜け、表面から乾燥していくように。内側では依然収縮と弛緩を繰り返し、大きく形を変えながら蠢き、歪みの最大化した表面部分から、朽ち果てるように零れ落ちていく。それは、灰のようにも炭のようにも見えたが、実体は何しろ元『女神』の肉体である。それまでの幾度にも渡る、変身という名の超越事象によって、この次元においての有効な説明を自ら拒絶した物理物体である。その実質を正確に把握することは不可能に思われた。で、あるが、その塊が形而下において崩壊を続けていることだけは確かだった。エターナル・ギミックの本質を内に鎖し、原形を一切留めぬほどまで、割れ、裂け、千切れ、砕け、崩れ、滅び果てた。
だが、それで全てが終わったのではなかった。
むしろ、この事件最大の山場はここから訪れた。
『女神』の肉体の自壊とともに、その「核」は甚大な灰の数の分だけ分裂した。結果、ジャクジャキジャッキジャケットの本質を束縛する力も分散し、物理物体の崩壊のおかげで逆に、本質は本来のありように復帰することが出来たのである。彼、ないし彼女、ないしそれは、狂乱の時を経て我に返り、一粒の灰の中でエターナル・ギミックとしての本懐を取り戻した。現世においてギミックを起動出来ないことを確認するや、すぐさまその体を放棄。粘るような不快な抵抗を振り切って、ジャクジャキジャッキジャケットの本質はどうにか虚無の中に駆け戻った。振り向くと、今まさに逃げて来た「核」は、これ以上ないほど真っ赤に輝いている。
おぞましいものから一刻も早く離れたくて、ジャクジャキジャッキジャケットの本質は、一番近くにあった緑色の「核」を捕まえた。あの『女神』とは金輪際、口を利きたくなかった。いや、あの『女神』に限ったことでなく、もう、『女神』全般と関わり合いになることすら御免である。ジャクジャキジャッキジャケットは珍しく、腹を立てていた。『女神』とエターナル・ギミックの本質的な差異であるとか、銃弾によって持っていかれた何かであるとか、そんなことは今やどうでも良かった。散々な目にあった。懲りたと言って良い。「自身」を喪失する最大限のリスクに変えてまで追求することではない。むしろ、自身の維持を上回る至上命題などこの世に存在しえないのではないか。エターナル・ギミックは、相応の存在意義をもって、いつものように現実世界でただ転がっていれば良いのだ。それ以上、何を望むことがある。
今度の依代は、卒なく彼、ないし彼女、ないしそれを受け入れてくれた。「核」を軸にして歯車を回す。ゆっくりと確かな手応えがあって、本質が物体内に上手く溶け込んでいく。現実を認識していく。お馴染みの、ハンガーに吊るされた感覚がジャクジャキジャッキジャケットを落ち着かせる。『いつも』の感触。あるべき居場所を強く意識し、ジャクジャキジャッキジャケットは言い知れぬ安堵に包まれた。
そして不意に、己の中で感情が爆発するのを感じた。自らが実在出来ることへの幸福感が、外の世界にまで溢れ出しそうになる。ジャクジャキジャッキジャケットにとって、全く初めての経験であった。それは、人間で言う、生に対する神への感謝に酷似していたが、そんなことは、生きてもいないジャケットの本来、知る由も無いことだ。ただ、突然降って湧いた様な意識に背を押され、エターナル・ギミックの本質に大きな変化が生じていた。まるでこれまで曇っていた表面の一枚がつるりと剥がれ落ちたように、傷一つ無い何かが中から転び出た。世界が痛いほどにその表面を照り付ける。ジャクジャキジャッキジャケットは悦びに埋もれて我を忘れそうになる。
存在すること自体の幸福を、知覚したこと。それが引き鉄となったのだ。
転生。
ジャクジャキジャッキジャケットは、「生まれ」変わった。今や、彼を支えている本質の、根幹を成す論理は、エターナル・ギミックのそれとは似て非なる物だ。裏社会のあらゆる組織が追いかけているエターナル・ギミックは、その数を一つ減らし、『女神』とも異なる何かが、世界を見据える鋭い目を開く。
内から湧き上がる思いに衝き動かされ、ギアを入れ変えるように、現世での立ち位置を変え、その階梯を駆け上る。存在証明を求める。そこに在るだけで良い、と自覚したが故に、だからこそ生きる意味を探す。完全で無矛盾な公理系を欲するのにも似ていた。根源を揺さぶる衝動に身を委ね、吠える。今はまだ、音波として形成されず、誰にも届かなかったとしても、それは確かにここに在る。これが、始まりだ。響き渡る。反響を繰り返し世界に浸透する。力強く、現世に降臨する。
暗いクローゼットの中で今、一つの擬似生命が産声をあげたのだ。
彼はただ、光が差し込むその時を待つ。
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