第十九章 光について
東海地方の梅雨明けが発表された翌日、早朝の豊橋駅。僕は十一番線のホームのベンチに座り、新幹線を待っていた。
未完成フェスティバルの予選ライブは、僕らストレンジ・カメレオンが全国大会進出を決めて幕を下ろした。技術的には建山さんたちのほうが上だが、最終的に会場のお客さんとオンライン配信の視聴者の心を掴んだのは君たちだった、と、審査員の人が言っていたのをおぼろげに覚えている。結果発表の直後は思った以上に嬉しく、興奮しすぎてしまったので、記憶が少し曖昧になっているのが心惜しい。
建山さんからの攻撃に耐える陽介、自分自身のあり方に悩んだ理沙、ソングライターとしての殻を破ろうともがいた時雨、全てのフラストレーションがこの結果によって報われたことになる。とにもかくにも、僕は安心していた。
全国大会では仕事で海外にいる時雨のお父さんが都合をつけて現地に観に来てくれるらしく、彼女はすごく喜んでいた。一周目では叶わなかったことであるので、時雨の喜ぶ姿を見られるだけで、なんだか僕も嬉しくなってしまう。
もちろんその他にもたくさんのリスナーに僕らの音楽が届くことになる。一周目で一斉を風靡した時雨のことなので、これから一気に評判が広まるだろう。楽しいこともあれば、嫌なことだって増えるかもしれない。でもそうなったとき、一周目と違って時雨には助けてくれる仲間がたくさんいる。出会うはずのなかったバンドメンバー、仲違いのままだった親友、ファンになってくれた友達などなど。それにもしかしたら、これからさらにそういう人が増えるかもしれない。だからきっと時雨は大丈夫。もっと楽しくてきらびやかで、生きていて良かったと思える青春を、僕がこれから導いていけばいい。
ちなみになぜ僕が今新幹線のホームでぼーっとしているかというと、これから東京に行く用事があるからだ。未完成フェスティバルの全国大会進出が決まったことで、このコンテストを主催するラジオ番組でのインタビューをバンドメンバー全員で受けることになったのだ。もちろんそれ以外にも色々と用事ができたので、仕事というよりは旅行気分であるのは間違いない。
僕は柄にもなくうずうずしてしまって、予定よりもだいぶ早くホームに来てしまったのは内緒だ。夏の朝の少しだけひんやりした空気を吸い込みながらぼーっと新幹線待つのも、これはこれで悪くない。
僕にとって久しぶりの東京だ。一周目であの街に置き忘れてきた物も、多分たくさんある。忘れ物を取りに行くと言うとなんだかニュアンスが違う気がするので、ここは「忘れ物をしないように気をつける」と言い換えておこう。全く確証はないけれど、あの時より良い経験ができるような気がしてワクワクしていた。
ふと考え込んでいると、突然不意をつくように声をかけられた。
「おはよう、融。ずいぶん早いね」
「し、時雨!? お、おはよう」
まさかの登場に僕はびっくりしてしまった。目の前にはすっかり夏のファッションに身を包んだ時雨の姿。あまりにも透明感がありすぎて、本当に現実なのかどうか戸惑ってしまうくらい綺麗だった。寝ぼけているのかと思わず目をこすってしまったのがなんとも恥ずかしい。
「なんだかそわそわしちゃって、ちょっと早いけど来ちゃったんだ」
「そ、そうなんだ。……ま、まあ、僕も似たようなもんだよ」
動揺した気持ちを収めようと取り繕うけれども、どうもうまくいかなかった。いつもならもっと冷静なはずなのだ。けれども、人かげの少ない朝の新幹線のホームで、いつもよりキラキラした時雨とほぼ二人っきりということもあって、僕は心臓の音を制御できなくなってしまっていた。
「ふふふ、融って大人びてるなあって思うけど、意外とそういうところあるよね」
「そ、そうかな?」
「遠足の前の日なんて、眠れないタイプでしょ?」
「さ、さあ、どうでしょう?」
僕はすっとぼけて時雨の質問をはぐらかす。このドキドキを時雨に感づかれるのがなんだか恥ずかしくて、まともに受け答えをする余裕が僕にはなかった。
「やっぱり、図星だね」
「……まあ、確かにあんまり眠れなかったよ」
「だよね。だって、楽しみだもん。東京って、あんまり行ったことないし」
「そう……なの? もしかして、初めて?」
すると時雨はこの質問に対して少し悩む。
「うーん、『東京』って名前のつく遊園地には行ったことあるけど、あれって千葉県だし……」
「そこはもう東京みたいなものだよ」
「そうかな?」
「そうそう。だから初めてじゃないよ」
時雨はさらに考え込む。たまに彼女はよくわからないところで熟考することがあるけれども、今がまさにそれだ。
「……でも、みんなと行くのは初めてだし」
「それは僕もそうだよ。理沙も陽介も多分同じ」
「じゃあ、初体験だね。なんだか嬉しいかも」
ほんのり笑みを見せながら時雨がこちらを向く。完全に彼女は無自覚だと思うけれど、男子高校生にそのワードとその表情は反則級の破壊力だ。
自分の心の中にある殻を破って、一回りも二回りも成長した時雨。初めて出会ったときよりもかなり大人っぽくなっていたのだなと、やっと僕は気付かされた。
推しの圧倒的な供給量にのけぞりそうになりながら、なんとか耐えきった僕はすっと深呼吸をする。
「あれ? 融、クマができてない?」
「えっ? 本当? 朝起きたときは全然気が付かなかったよ」
寝不足もさすがに顔に出るようでは恥ずかしい。推しの前だから余計に。
「もう、睡眠不足は身体に毒だよ? ああー、結構目立つかもこのクマ」
そう言って時雨は僕に顔を近づけてくる。今までにないくらいの近さだ。うっかりしたら肌と肌、いや、唇と唇が触れてしまいそうな距離に時雨がいる。
もうこのまま、事故だと言うことにして軽くキスをしても怒られないのではないかと思うくらい、僕はドキドキと誘惑に襲われていた。
するとその瞬間、遠くの方から声がしてきた。
「おーい、融、時雨ー!」
ホームの遥か向こう、現れたのは理沙と陽介だった。
あの二人は名古屋駅から新幹線に乗ったほうが早く東京につくのだが、理沙が皆と一緒がいいと言ってここ豊橋駅にやってきたのだ。
僕と時雨は急に我に返った。すぐに視線をそらした時雨だったけれども、普段は透明感のある彼女の表情がわずかに赤くなっていたのを僕は見逃さなかった。
後ろを向いてしまった彼女の耳が腫れたように熱を帯びていたことに、僕のドキドキは勢いを増していた。彼女もまた、同じようにドキドキしていたのだ。
しばらくして、理沙と陽介が僕らのもとへやってくる。
「二人とも早いなー、遠足の前日は眠れないタイプかー? ……ん? どうした? なんか変な雰囲気じゃないか?」
理沙が柄にもなく鋭いことを言うので、僕と時雨は閉口してしまった。
呆れた陽介が理沙に皮肉めいたツッコミを入れる。
「お前のそういう図太いところ、やっぱ見習わねえといけないかもな」
「ん? なんのことだ? 全然意味わかんないんだけど?」
「……わかんなくていいよ。そのほうが助かる」
「そう言われると腹立つな……」
少し滑稽なやり取りだったので、思わず僕も時雨も笑ってしまった。
陽介は一人好き。先程も言ったけど、わざわざ豊橋まで彼が来る必要はない。それに、理沙と同じタイミングで来ることだって必要性はない。
それがつまりどういうことかというのはちょっと考えればわかるのだけれども、この中で一番インテリである理沙が気が付かないという状況が、なんだか面白かった。
「……まあ、なんでもいいだろ。ほら、そろそろ新幹線が入線するから並ばねえと」
陽介はそう誤魔化して乗車の列に皆を呼び寄せる。
まあ、これがおそらく、今の僕らにとってちょうどいいバランスなのかもしれない。
真夏日、高気圧、逃げ水と陽炎。
焼け焦げてしまいそうな熱量のなか、東海道新幹線ひかり六三八号は十一番線のホームへと入ってくる。
この夏が一生忘れられない夏になるのはもう間違いない。だからこそ僕らは、この一瞬を全力で生きて、最高出力で駆け抜けていく。
二度目の青い春は、着実に
だからこそ、時雨がなぜ一周目で自死を選ぶことになったのか、その理由を僕は知りたい。確認できる手段が、あるのかはわからないけれど。
〈第二部 了〉
※サブタイトルはGRAPEVINE『光について』
あとがき
ここまで読んでいただきありがとうございます。第二部は陽介と融の友情再確認をテーマに書きました。ストレスのある展開が長かったぶん、それを発散できるように書いてみましたが上手く伝わって貰えれば嬉しいです。
書籍の続編についてはなんとも言えない状況なのですが、何かのきっかけでバズらないかなーなんて呑気なことを作者は考えているのでメンタル的には問題なく過ごしています(笑)
しかしながらこのままでは締まりが悪いので、なんとか時間をかけてでも最後まで書ききりたいなと思ってます。
元々3部構成で考えていた物語で、次の部で時雨の一周目での真相を明かしていこうという構想があります。
執筆活動時間を割くのがなかなか難しい生活をしているのですが、なんとか完結にこぎつけられるよう頑張るので、気長に待ってもらえると嬉しいです。
また何かお知らせ事やSS、続編を投稿することがあると思うので、作品のフォローはそのままにしていただけるととても嬉しいです。
長くなりましたが、今後も青春リライトをよろしくお願いします。
追伸
新作も投稿しています
同じくバンドもの、転生青春やり直しものです
今度は女の子が主人公なので、こちらもよろしくお願いします🙏
https://kakuyomu.jp/works/16817330659288210606/episodes/16818023212188351699
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます