意地でも世界は救わない
待居 折
銃口からは煙が上がっている
「どうですか?お分かりになりました?」
にこやかにこっちの顔を覗き込む、線の細いショートカットの女。
その期待に満ちた目に、俺は苛立った。―いや、正確には、苛立ちながらも、それより遥かに焦っていた。
足元には、知らない男が事切れている。さっき見かけたばかりで、どこの誰かも分からない。
たった今、俺が殺した男だ。
たまたま目に付いたヤツを、適当に銃で撃った。
無差別な人殺し。充分過ぎる悪のはずだ。
そのはずなのに。
『ありがとうございます。
今、貴方によって殺された男の名はバル・スナイダーズ。
今から三百八十五年後に裏世界で暗躍し、世界の軍事バランスを変えてしまう悪名高き武器商人、フォリオ・スナイダーズの先祖にあたる人物です。
スナイダーズ商会について詳細な説明が必要ですか?』
頭に直接響く音声案内と、ポップな色使いで視界の隅に表示される『POINT GET!』の文字は消えない。
「…何やってもダメかよ」
「先ほどから、ずっとそうお話させていただいてますけど?」
独り言にまで反応しないでくれないか。
そう返したかったが、そもそもオープンテラスでコーヒーを楽しんでいた俺の向かいに勝手に座り、開口一番、
「この時を待っておりました、救世主様。私、貴方を担当させていただく天使です」
などと言い出す相手だ。反論する気も失せる。
いつだ?いつ、こんなおかしな流れになった?
自問自答するまでもなかった。
今朝だ。
普段通り、廃ビルの一室で目覚めた俺は、ひとつ欠伸をした。
ベルトロが返済期日だったが、何も音沙汰がないらしい。それどころか、最近は入り浸ってる飲み屋街でも噂を聞かないとボスがこぼしていた。
「そこそこの大金だ、黙ってトバれちゃ大損こいちまう。昼のうちに引っ張って来い。喋れる口が無事なら多少ケガさせたって構わねぇ」
忙しくなるな。散らかったテーブルの上に放っておいた銃を眺めながら、そう思っていた矢先だった。
おかしなファンファーレが、いきなり部屋中に鳴り響いた。
『大封印より本日で三千年が経過しました。覚醒は成功。本日この時より、貴方は救世主です』
続けて頭に鳴り響いた言葉に面食らって、バカみたいに部屋中を見回した。当たり前だが、誰もいない。
酒が抜けてないのか…そこまで飲んだ覚えもないが。
ひび割れた鏡の前で、歯を磨いた。うがいをして、水を吐き出す。
『ありがとうございます。
貴方が吐き捨てた水に含まれていた雑菌から、難病セルベスタ症候群に有効な成分が発見され、百十九年後、それを元に治療可能な新薬が発明されます。
セルベスタ症候群について詳細な説明が必要ですか?』
また聞こえた。音だけならまだしも、視界の右隅に派手な色で数字が見える。
一体…なんなんだ?まさかクスリでも盛られたのか?
気味が悪くなって黙々と着替えると、ジャケットの懐に銃を入れて部屋を出た。
薄暗い階段を降りながら煙草に火を点け、外に出ると足早に路地を歩く。
「おい、あんた…煙草を恵んじゃくれないか」
薄汚い身なりの物乞いが、細い両手を俺に向かって差し出す。この路地には、この手の輩がいつでも掃いて捨てるほどいる。
俺はマフィアの末端構成員だ。慈善事業家じゃないし、弱者にかまけているほど暇でもない。いつもの様に無視して歩いた。
『ありがとうございます。
先程の老人はエルゴ・リウィン。
もし貴方が煙草を渡していた場合、物乞いでの物品収集に味を占め、自分と同様の物乞いを金で雇う手法で財を成し、それを元手に傭兵稼業を立ち上げます。
結果、五百三十年後、彼の子孫ロルディーニ・リウィンが起こす革命戦争で世界の三割の人口が失われます。
エルゴ・リウィンの一族について詳細な説明が必要ですか?』
…やっぱりおかしい。クスリか…やってくれたな、どこのどいつだ?
淡々と語りかけてくる音声と、どこに視線を動かしても見えてしまうカラフルな表示にまいった俺は、少しでも冷静を保とうと急いだ。
いつも仕事の前に立ち寄るカフェ。そこで普段通り、コーヒーを飲もう。そうすれば、きっと少しは落ち着く。
からの、これだ。
「この騒ぎはどうなるんだよ?」
朝という事もあって、往来を歩く人影は多い。出勤前にカフェで一息つく客も少なくない。
その日常の中、いきなり人が撃たれた。
当然、辺りは騒然としている。
オープンテラスの他の客は悲鳴を上げ、通りを歩くヤツらも恐怖に顔を引きつらせ、慌てて逃げ惑う。
自称天使の女は、俺の問いかけに口を開かなかった。ただにこやかに、こっちを見ている。
『ありがとうございます。
十六分二十三秒後、制御不能によりパイロットが離脱した空軍の戦闘機が、この地区に墜落します。
先程の発砲からなる逃亡により、この地区の人口は墜落時間までに八十七%減少、死者はゼロ、負傷者は二人にまで抑制されます。
生存した人間のうち八人の子孫に、歴史的発見や研究成果を収め、世界の平和に寄与する者が確認されています。
一人ずつ詳細な説明が必要ですか?』
「…これが答えってわけか」
「私が答えるまでもなかったでしょう?」
そう微笑んだ自称天使が、カフェオレを口にする。
思わず女を睨んではみたが、視界の表示は更に光り輝いて『DOUBLE UP!』に変わっている。
なるほど…死の商人の先祖を葬って、世界に有益な人間の先祖を救ったからダブルアップか。
「…いやいやいやいや!慣れてきてる場合じゃねぇ!」
声を荒らげた俺は立ち上がり、テーブルの向かいの自称天使に詰め寄った。
「おい、ふざけんなよ?なんで俺が世界を救わなきゃならねぇんだ?」
「なんでと言われましても、貴方が『そう』だから、としか…」
「冗談じゃねぇ!」
人を食ったように微笑み続ける天使の女の態度に、ぷちん、と何かがはじけ飛んだ。
「俺は…俺はな、こんなくそったれの世界、一度だって好きになったこたねぇんだよ!
物心ついてから今日まで、どれだけさんざんな目に遭わされてきたと思ってんだ!持ってるヤツが持ってないヤツから奪って、奪われたヤツはもっと持ってないヤツから奪って、それでも表向きはキレイに回ってる…、
こんな世界、なくなっちまえば良いとさえ思ってんだ、毎日毎日な!」
「では…貴方は今、何の為に生きているのですか?」
「復讐だよ!
俺から全てを奪ったボスをぶっ殺して、マフィアのトップに成り代わってやるんだ!他人から見たら薄っぺらいかもしれねぇけど、俺にはそれしかねぇんだよ!」
決意を口にしたのは、これが初めてだった。この街に生まれついてからずっと日陰を歩いてきた俺は、この生き方しか知らないでいる。
「貴方の決意は分かりました」
いつの間にか、天使の薄ら笑いは消えていた。小さなバッグからハンカチを取り出し、静かにテーブルに置くとこっちに差し出してくる。
は?泣いてねぇよ。どこまでも腹が立つが、お陰で少し冷静にはなれた。
「ですが、貴方がどこでどう生きようと、その全てが、結果的に世界を救います。
三千年もの封印がようやく解かれたという事は、そういう事なのです」
「上等だよ」
売り言葉に買い言葉でそう返したわけじゃなかった。誰に何を言われても、俺の腹はとうの昔に決まってる。
「何があろうと、俺はボスに復讐する。その為ならなんだってする。
その復讐に、おまけで勝手に世界の平和がくっついてくるんなら、答えは簡単だ。
復讐しながら、世界も救わねぇ」
「差し出がましいようですが、そのような方法は確立されていませんし、過去にも前例がありません」
「うるせぇなぁ…今はそういう事じゃねぇだろ?心意気だよ、心意気」
…言葉にするってのは、案外大事なのかもしれない。
ずっとひた隠してきた本心も、これからどうしていくかの決意も、話してみただけで不思議と気が楽になっている。
すっかり冷めたコーヒーを一口すすると、ひとつ疑問が浮かんできた。
「なぁ…あと少しで戦闘機落ちてくるんだよな。それで俺が死んだらどうなるんだ?」
「貴方が寿命以外で死を迎えた場合、魂から放たれる霊子の粒が全生物に作用し、闘争本能を低下させます。
多少の誤差は生じますが、試算では、逝去後およそ一週間で世界は救われます」
「おいおい、早く言えよ」
こうしちゃいられない。俺は席を立つと、人気のない通りを小走りに駆けだした。
まずはベルトロの野郎をとっ捕まえるところからだ。
ゴールまでの道のりは、きっとまだまだ先が長い。だが、これまでだって、その為だけに生きてきた。必ず、やり遂げてみせる。
そして復讐を終えた日、ボスご愛用の立派な椅子に深々と座って、
終わりゆく世界を眺めながら、俺は高笑いしてやるんだ。
意地でも世界は救わない 待居 折 @mazzan
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