魔法使いの愛玩動物

白里りこ

魔法使いの愛玩動物


「げっ、姉さん。またそんなもの拾って」

 私を出迎えた妹のダリアが、あからさまに嫌そうな顔をした。私は澄まし顔をしていた。

「町の外れで見つけたのよ。別に構わないでしょ? 人間の一匹くらいうちにいたって」

「いいけどさぁ……わざわざ人間を飼いたがる魔法使いって変だよ」

「可愛いのに」

「そんなこと言って姉さんったらまた……。趣味悪いよね、本当に」


 私は知らんぷりをして、人間の青年を家に招き入れた。

「ここがうちよ、アディ」

 手を繋いで自分の部屋まで連れてゆく。

 アディというのは私がつけた名だ。人間には魔法使いの言葉が分からないので、名前を聞き出せなかったのだ。

 そもそも元の名前などアディには必要無い。アディは死ぬまでここで暮らすことになるのだから。アディには、昔のことなど忘れ、私に従順であるようにと、魔法をかけてある。後はちょっと躾けるだけで、問題無く飼えるだろう。


 私は棚を開けて、前に飼っていた人間が使っていたものを、次々と取り出した。毛布、椅子、食器、シャツやズボン、玩具など。アディは振ると音の鳴る木製の玩具を持って不思議そうな顔をしていたが、すぐに私の方に返してきた。どうやらお気に召さなかったらしい。


「新しい玩具が必要かしら。今度一緒に森を出て町の方に行く?」

「……?」

「まあいいわ、それはいつだって。今お茶を淹れてくる。ここに座ってちょっと待っていなさい」

 私はアディを椅子に座らせると、一旦部屋を出た。


 ダリアは台所で昼食の準備をしていた。森の中の庭で育てた薬草に触れると、薬草たちはひとりでに食べやすい大きさに切断された。昨秋に獲れた鹿の燻製肉も、ダリアの指先一本で、薄く切られていく。それらはふわふわと浮かんで、三枚の皿の上に収まった。何だかんだ言うが、ダリアは人間を飼うことを認めてくれてはいるようだ。


「何? 姉さん」

「お茶を淹れようかと思ったけれど、もうお昼ね。手伝うわ」

「なら暖炉から鍋を下ろしてきて。麦粥が温まった頃だから」

「はぁい」


 私は魔法で鍋を浮かせて机に置くと、これまた魔法で三つのお椀に粥を分けた。そこに三枚のお皿がゆっくりと飛んでくる。


「私、アディを連れて来るわ」

「はいはい」


 アディは私の部屋の中で、おとなしく椅子に座ったままじっとしていた。


「アディ、ご飯よ。こっちへいらっしゃい」

「……」


 私はまたアディの手を引いて食卓まで導いた。椅子は既にダリアが出してくれたらしいので、ありがたくそこにアディを座らせる。私とダリアも座って、匙を手に取った。

 楽しい昼餐が始まる。


「三人で食卓を囲むのって久しぶりね」

 私は感慨深く言った。

「そうかな? 前の人間の時からそんなに経ってないと思うけど」

「三十年は経ってると思うわ」

「そんなの一瞬だって。全くもう……」


 私たちが麦粥を食べているのを見て、アディも自分が何をすべきか察したらしい。目の前のものを食べ始めた。

「そうよアディ、お利口ね」

「……うう」

「美味しい? 良かったわ。ダリアが作ってくれたのよ」


 やがてお椀もお皿も空になった。ダリアが食器をまとめて浮かせて台所まで運んでいく。急にアディがそわそわと落ち着かなくなったので、私は思い出した。厠の説明がまだだった。

「アディ、こっちよ」

 私はアディの手を掴んで立たせると、裏口に回って森の中に出た。少し歩いたところに丸太で造った小さな小屋がある。私は扉を大きく開いて見せた。

「ここが厠。ここ以外で粗相はしないでね」

 アディはすぐに私の意図を察して、小屋に入り、扉を閉じ、やがて落ち着いた様子で出てきた。良かった、アディは本当にお利口さんのようだ。


 私たちは連れ立って部屋に戻った。私は改めて薬草のお茶を淹れて、アディの前に茶碗を置いた。


「熱いから気をつけて飲むのよ」

「……」

「それにしてもアディは良い子ね。綺麗だから見ていて飽きないし。今日から楽しく暮らせそうだわ」

「……」


 私は黙って、お茶を飲むアディを観察した。

 緑の瞳に暗い茶色の髪。端正な顔立ち。程よく引き締まった体。何から何までとても可愛い。

 こんなに可愛いのだから、他の魔法使いも人間を飼えばいいのに。確かに彼らからはひどい仕打ちを受けたものだが、それも昔の話だ。

 私は束の間目を閉じて、五百年ほど前の事件を思い起こした。


 あの頃の人間は自分たちこそが至上の生物だと信じ込んでいた。そして、自分たちと似た姿をしていながら異なる生物である魔法使いのことを、蛇蝎の如く憎んでいた。だから、森から出た魔法使いたちが、人間の町で何か売り買いするのも一苦労だった。何も売れなければ何も買えないという日もざらにあった。


 ある日、森の中の家に、二人の人間がやってきた。扉を叩かれたので応対に出た母に、彼らは銃弾を一発食らわせた。慌てて私たちを守ろうと立ち上がった父も銃で撃たれた。

 突然の不幸な出来事に、まだ幼かったダリアは硬直していた。ダリアより百歳ほど歳が上の私は、銃の装填か何かをしている男たちに向かって、突進して行った。

 どんっとぶつかるようにして二人に手のひらを当てる。途端に二人の人間は頭から十枚ほどに輪切りにされて、ベショッと家の床に落ちて死んだ。


「あ……」

 どうしてだろう、罠にかかった動物をばらす時は、こんな気持ちになどならないのに。自分たちと似た姿をした生き物を殺したせいだろうか。

「あはっ」

 体の芯から湧き起こってくるようなぞくぞくとした背徳感がある。こんな感覚は生まれて初めてだった。

「あはっあはっあはははははは」

 私は笑いが止まらなくなっていた。笑いながら床を見回すと、自分が殺した肉塊の隣に、両親の遺体も転がっていた。

 私は泣きながら笑っていた。ダリアが火のついたように泣き出した。


 後から分かったことだが、人間たちは協力し合って、森の中の家々を回っては魔法使いを殺していたようだった。この奇襲でかなりの数の魔法使いが死んだ。

 森の中で緊急の集会が開かれて、魔法使いたちは森に魔法をかけることを決めた。そして森は迷いの森となり、人間が踏み入ると必ず道が分からなくなるような仕掛けが施された。これにより人間たちは魔法使いの家を探し当てることができなくなった。


 私はダリアと協力して両親を土に埋め、墓を作った。殺した人間はもったいないので、家の外の燻製室に入れて火を焚き、食糧にした。二人で食べてみたが、なかなかに美味だった。


 それからというもの、私はたまに人間をさらっては飼育し、屠殺して食べるようになった。

 最初は、両親や仲間の命を奪った人間という生き物に対する、復讐の念が強かった。憎い相手を殺す時の快感を追い求めていた。

 だが時が経つにつれて、復讐心も薄れ行き、逆に人間の可愛さが分かるようになってきた。今となっては、人間を飼う目的の半分は、愛玩のためである。十分に愛情を注いだものを殺すのもまた、快感だった。


 私は目を開けて、アディを見つめた。

 相変わらず可愛い姿をしている。ふうふう言いながら薬草茶を飲んでいる。

 人間に、魔法使いの秘伝の薬草を摂取させておけば、食べる時に臭みがなくなる。あとは目一杯可愛がること。愛情が深ければ深いほど、屠殺する時の快感が高まる。

 人間が若く美しいのは一瞬だ。今日出会ったばかりのアディだけれど、近いうちにお別れを言うことになるだろう。燻製室はいつでも使えるように整備してある。

 しばらくアディを見ていた私は、ゆっくりと立ち上がった。

「ダリアと一緒に家の仕事をしなくっちゃ。アディ、ここでおとなしくしているのよ」


 それからの日々は本当に楽しかった。私は事あるごとにアディの頭を撫でたり、アディを抱擁したりして、彼のことを可愛がった。一方のダリアは全くアディに関心を示さなかった。情が移ったら嫌だからだそうだ。

「情が移るからこそ美味しいんじゃないの」

「ううん、私は間違ってない。姉さんがおかしい」

「そう?」

「そうだよ」


 アディはというと、私の部屋の椅子に座ってぼんやりしていることが多かった。新しく買った積み木の玩具にも、興味を示したのは最初のうちだけだった。

「退屈しないの?」

「……?」

「いいわ、その分私が構ってあげるから。よしよし」

 私が頭を撫でると、アディは目を細めて喜ぶ。懐いてくれているようでとても嬉しい。


 だが、転機は突然訪れた。


 アディがうちに来てから一ヶ月ほどが経過した頃だ。私とアディは手を繋いで、迷いの森の中を散歩していた。人間には適度な運動が必要なので、晴れた日には必ず散歩をするようにしているのだ。

 木漏れ日の中を気持ち良く歩いていると、そばにある茂みがガサガサッと揺れた。何かの動物かしらと思って目をやると、そこから人間の女が顔を出した。

「えっ?」

 私は状況が飲み込めず、声を上げていた。この森で人間を見かけることなんて滅多に無い。この人間は、どうしてわざわざ迷いの森に踏み込んだのか。


 人間は何か言ってアディの方に近づいてきた。彼女はがりがりに痩せ細っており、服はぼろぼろで汚れ切っていた。腕には怪我も負っているようだ。

 彼女は両手でアディの顔に触れようとした。私は咄嗟にその手を払い除け、アディを守るようにして彼女の前に立った。

 すると驚いたことに、彼女は私の横腹に突然、強烈な蹴りをかました。予想だにしなかった攻撃で、私は地面に倒れ込んだ。

「何……?」

 人間はアディに抱きついて、何かを必死に喋っていた。いつものぼんやりとしたアディの目つきが、だんだんとシャキッとしたものに変わり始めた。


 私は驚愕して二人のことを見ていた。……まずい、忘却と幻惑の魔法が解け始めている。そんな離れ業をできる人間はこの世にそう多くはない。

 アディの家族か、恋人か。

 ……まさかこの人間は、アディと私を追って迷いの森に入り、今まで生き延びてきたというのか。

 アディは何かを叫んだかと思うと、その人間に抱きついた。二人は涙を流しながら何かを語り合った。そして同時に私の方を見た。その眼差しには敵対心が漲っていた。魔法は完全に解けてしまったようだ。

 私は立ち上がって、服についた土や落ち葉を払った。

 こういうことは過去に一度も無かったし、全くの想定外だ。さて、どうするか。

 二人が強く思い合っている以上、もう一度忘却と幻惑の魔法をかけるのは困難だ。ならばこの場で二人をばらして、家まで持って帰ろうか。でもそれではあまりにもつまらない。何が一番面白いだろうか。そして何が一番……アディのためになる?


「ふっ」

 私は自嘲した。アディのことを一方的に惑わせて、一方的に可愛がって、あと数年後には殺して食べるつもりだった魔法使いが、アディの本当の幸せを願うなんて、滑稽だと思ったのだ。

 でも……。

 私はつかつかと二人の元に歩いて行った。二人はひしと抱き合って私のことを警戒していたが、私は気にせずにぽんと二人の肩に触れた。

 二人はふわりと宙に浮いた。

「特別に森の出口まで連れてってあげる」

 私は、ふわふわと浮かぶ二人の人間を引き連れて、歩き出した。


 ***


「そういうわけで、逃がしてきたわ」

 一人で丸太の家に帰ってきた私は、さらりとダリアに報告した。ダリアは驚いた様子で、皿を洗う手を止めて私のことを見ていた。

「……珍しいね、姉さん」

「自分でもそう思うわ」

「じゃあもう、人間を拾ってきたりはしないわけ?」

「それとこれとは違う話よ。今回は特別なの」

「ふうん……」

 ダリアはまた皿を洗い出した。私は洗い上がった皿を拭くために、布巾を持ってきた。

「その布巾も古くなってきたね」

 ダリアは言った。

「そうね。服も幾つか古びてきたし、人間の町に出て布を買って来ようかしら」

「……また姉さんが変な気を起こして、新しく人間を拾ってこないといいけれど」

「それはどうなるかしらね。可愛い人間に出会えるかどうか、まだ分からないもの。……ああ、でも」

 私は薄く笑った。

「アディを探しに行くのも悪くないわね」

「……どういうこと?」

「大したことじゃないわ。逃がしてやった後、どんな暮らしをしているか、ちょっと気になるでしょう?」

「別に、気にならないというか、どうでもいいけど。人間のことなんて」

「そう」

 私はアディが使っていた皿を、棚の奥の方に仕舞った。



 おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔法使いの愛玩動物 白里りこ @Tomaten

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ