(6)ひとつの決断

 1993年6月28日、月曜日。


 今日は鮫沢さめざわとの会食の日だ。


 これまでは毎月28日のこの会食に特別な思いなどは無かったのだが、今日の俺はどうにも憂鬱ゆううつだった。


 何故ならシーナがタニアを産んでくれた5月22日の夜から、1週間ほどシーナと共にタニアを眺めて過ごしていたのだが、今日は鮫沢と会食する為に外出するので、その間、タニアと過ごす事が出来ないからだ。


 先月の5月28日の会食の時は、シーナの付き添いで病室にいた俺を、ベッドに横になったシーナが、


「今日は大切な会食の日なのです。私は大丈夫なので、ショーエンは行って欲しいのです」


 と促すもんだから、しぶしぶ鮫沢との会食に向かった訳だが、今月に入ってシーナが退院し、タニアと共に自宅に帰って来てからは、ティアもシーナも、そして勿論俺も、タニアの一挙手一投足が可愛らしくて、他の事が全然手につかなかったんだよな。


 生まれて1か月目の赤ん坊というのは、本当に色々な成長をする。


 まずは何よりも目だ。


 俺も赤ん坊の時の記憶がおぼろげに残っているが、俺が転生者だったからか、その日のうちに色々な物を視覚で認識できるようになった。


 しかし、そんなのは普通じゃない。


 タニアの目は、最初は「明暗」を認識する事から始め、今は色の違いを認識し始めている。


 母乳を与えるシーナの事は、何となく「青い感じ」と認識している様で、俺の方は金髪が災いしているのか、「大きな白い円形」程度の認識の様だ。


 逆に、ティアの茶色い髪の事はよく見えている様で、ティアがタニアを構っている間、タニアはティアの揺れる長い髪を掴もうと一生懸命に手足をジタバタと動かすのだ。


 ティアは髪を引っ張られて痛そうに顔を歪めるのだが、それをシーナと共に見ている俺達は、タニアの動きがあまりに可愛らしくて、クスクスと笑いながらティアの困り顔とタニアの成長を喜んでいるという親バカっぷりだ。


 タニアはまだ首がすわっていないので寝返りをうつ事も這う事も出来ないが、ジタバタと手足を動かす様は見ていて全然飽きない。


 それに、最近はほっぺがふっくらしてきた気がする。


 生まれたばかりの時は、まだタニアの顔は赤くてしわくちゃだったのだが、今は色白でスベスベの肌になっている。


 シーナの母乳を飲む度に肉付きが良くなっている気さえするほどに、プニプニとした肌は剥き身の玉子の様に白くふっくらとしてきたし、それに合わせてほっぺもぷにぷにすべすべとしてきた気がするのだ。


 赤ん坊というのは食道と胃袋の間にある弁がまだ未発達の為、ミルクを飲んでもすぐに口からミルクを吐き出す。


 俺達はタニアが口からミルクをダラダラと溢れさせている姿を見る度に、


「お、タニアがチーズを作ったな」


 と冗談めかして笑いながら、タニアの口元を拭きとる毎日だ。


 おむつはミリカが作った純綿のものを使っているので、取り換える度におむつを洗わなければならない。おかげで毎日の洗濯は大変だ。


 しかし、俺達はそれさえもが楽しくて仕方が無く、タニアが元気に生きている姿を見るのが心の癒しにもなっていた。


 プレデス星人の血筋のせいかどうかは分からないが、タニアはあまり夜泣きをしない。


 とはいえ、たまには夜泣きをする事もあって、そんな時は俺かシーナがタニアを抱いて家の周囲を散歩する事にしている。


 夜泣きをした時に外を散歩するのには理由がある。


 俺達プレデス星人は、プレデス星の綺麗な空気と共に成長してきた為、地球の空気に馴染む為にデバイスの健康管理機能で色々気を付ける必要があった。


 しかし、地球で生まれたタニアはデバイスが装備されていない為、出来るだけ地球の空気の中で過ごさせ、早く環境に慣れる様にと考えている訳だ。


 そういえば、最近タニアは声を出す様になった。


 まだ言葉は話せないが、俺達がタニアに話しかけるのを聞くと、


「マンマンマンマン・・・」


 と、意味の無い言葉を発する様になった。


 欧米ではこれを「ママ」と呼んでいる様に解釈するらしいのだが、日本では赤ちゃんがお腹を空かせているものと解釈して「マンマ」と言っている様に受け取るらしい。


 シーナがタニアの発する言葉をどう解釈するのかと訊いてみたところ、


「マンマンマンマン・・・と言ってるだけで、特に意味は無いのです」


 だそうで、母親になってもシーナの現実主義なところは相変わらずの様だ。


 イクスとミリカの間に一昨年の12月に生まれたアキトは、今では日本語とプレデス語を少しずつ話せる様になっているらしいので、タニアもきっと来年には言葉を話せる様になるだろう。


 そういえば、ミリカもシーナと入れ替わる様に病院に入院したらしいので、間もなく二人目の子供が産まれる事だろう。


 どうやら二人目は女の子らしく、名前はメイヤと名付けるそうだ。


 他にも、ライドとテラの間にも子供が出来るという話があった。


 今年の夏頃に出産予定という事だが、定期健診の結果、男の子が産まれる予定だ。


 俺達の中で唯一日本人の優子と結婚したメルスのところも今年の1月に二人目が産まれていたので、ガイア以外はみんなが子持ちの夫婦という事になるな。


 メルスの報告によると、メルス夫婦はもう3人目を作る為に頑張っているらしいので、来年あたりは3人目が産まれるのかも知れない。


 メルスは「星の記憶」によって、この星で子孫を増やす使命を帯びている。つまるところ、メルス達が子沢山になるのは、もはや運命な訳だ。


 最近はティアも子供を欲しそうにする事が増えて来たので、今度は俺も頑張ってティアとの子供を作らないといけないな。


 シーナとの子供は女の子だったので、ティアには男の子を産んで欲しいところだ。


 一姫二太郎って言葉もあるくらいだし、比較的育てやすいと言われる女の子が最初に産まれてくれたので、タニアで子育ての経験を積んで、次は男の子を育てる事にも挑戦したいと思っている。


 そんな事を考えていると、余計に今日の鮫沢との会食に行くのが億劫おっくうになって来るのだが、子供達の未来の為にとティアは既に準備を整えている様だし、俺も準備しないといけないよな。


「あら、ショーエンはまだ準備をしてなかったんだね。手伝おうか?」


 とティアがグズグズしている俺を見てそう言ったが、


「いや、大丈夫だ。すぐに準備をするよ」


 と俺は立ち上がって急いで着替えを始めた。


 実のところ、今日の鮫沢との会食は、少し特別なものになる。


 今日の会食を最後に、鮫沢が政界を引退するからだ。


 4月の会食の時に鮫沢に聞いた話では、今、アメリカの諜報員が鮫沢の後釜になるであろう議員に接触しているという話だった。


 その目的が、遺伝子組み換え種子の輸入解禁を日本に求める事が主眼としてあり、更に日本の金融市場を欧米が狙っているという話だった。


 事実、この数か月で日本の都市部における地価は上昇を続けており、いわゆる不動産バブルが発生しつつあるのだ。


 おそらく、次の政権はアメリカの要望を受け入れてしまう事だろう。


 今年の1月にアメリカの大統領に就任したクリントンの背後には、戦争に関わる軍需産業が付いている。


 それらの企業がスポンサーとなって、クリントンを大統領へと押し上げた訳だ。


 そんな企業が農業や金融とどう関わるのかと思われがちだが、実際には経済界を通して密接に関わっている。


 俺の前世の記憶では、遺伝子組み換え種子が日本で解禁されたのは1996年だったが、当時は民自党政権ではなく、社会党政権だった。


 なので、当時の俺はてっきり社会党がそうした思想の政党なのだと勘違いしていたのだが、事実は社会党が政権を取るもっと以前から、こうした話は水面下で進んでいたという事だ。


 恐ろしいのは、当時の民自党がアメリカと遺伝子組み換え種子と除草剤の輸入解禁を約束していたものを、1994年になって政権を取った社会党が、約束を覆して輸入を禁じようとした事によって、アメリカから手痛い報復を受けた事だ。


 その報復とは、1995年の1月に起こった「神戸大震災」の事だ。


 あの大地震がアメリカの軍事技術によって起こされた「人工地震」だったという事は、前世の日本国民は一切知らされなかった。


 更に、その機を狙ったのか、1995年の夏には北朝鮮が裏で糸を引くカルト宗教が、東京の地下鉄で毒ガスを散布するというテロ事件までが発生した。


 当時の社会党政権は、度重なる日本への攻撃に対処しきれず、結果、国民の信頼を得られなくなった社会党は政権を追われ、災害復興の途中で行われた選挙によって、再び民自党に政権を奪われる結果になった訳だ。


 前世ではそうした歴史があった訳だが、この世界ではそれを放置するつもりは無い。


 俺達が統治を目指すこの地球で、欧米の好きにさせる訳にはいかないからな。


 前世で日本がそうした欧米の支配を受けていた事を知っている俺は、もう外国の支配を受ける事には懲りてるんだ。


 だから今度は、俺達が介入して歴史を変えてやる。


 俺はそう心に誓い、着替えを終えてネクタイの位置を直し、ティアの手を取った。


「よし、行こうか」


 俺がそう言うと、ティアは頷いて俺の手を握り返し、


「シーナ、タニア。行ってくるわね」

 と言って、俺の手を引く様に玄関の方へと向かうのだった。


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 いつもの料亭の席で、鮫沢がビールのグラスを空けてひと息つくと、


「いやはや、それにしても国会というのは、魑魅魍魎ちみもうりょうが巣食う魔境の様な場所でしたな!」


 と大きな声でガハハと笑いながらそう言った。


「魔境?」

 と反応したのはティアで、「では、どこかに魔王が居るのでしょうね?」

 と続けて鮫沢を見た。


 鮫沢は、ティアの言葉に頷き、


「ティア様のおっしゃる通りですな。私の退陣後には、魔王が誕生すると言っても過言では無いでしょうな」


 と言って腕を組んだ。


 俺の知る前世の歴史では、鮫沢などという首相は存在しなかった。


 前世のこの時代は海富かいふという首相がバブル経済を創り上げる政治を行い、その後は宮沢政権によって欧米追従型の政治が始まってバブル経済が崩壊し、日本を食い散らかされる仕組みが出来上がった。


 しかしこの世界では、海富かいふ政権は存在しなかった。


 昭和61年の中曽路政権から、竹上、宇乃、海富、宮沢という前世の歴史上の首相を誕生させずに鮫沢が首相を務めたからだ。


 300人委員会が本来首相にしたかった政治家がこの中には居るのだろう。


 そして、鮫沢が退陣するのを待って、そこに300人委員会による傀儡政権かいらいせいけんを作ろうとしているに違いない。


 アメリカの意図に沿わない首相というのは、アメリカから何らかの圧力を受けるのが当たり前の様に行われてきた歴史がある。


 鮫沢は俺達の加護を受けているという事で直接的な被害は無かった様だが、鮫沢の退陣は、日本の市場を狙うアメリカ政府にとっては待ちに待った機会だったと言えよう。


 それに、裏で糸を引いているであろう300人委員会も、俺達の出現によって力を半減させてしまったものを、この1年で随分と回復させているという。


 つまり、エリア51でレプティリアンを倒した事など、ほんの一時しのぎでしか無かったという事だ。


 シーナは地球人が私利私欲による戦争の歴史を繰り返してきた事を「愚か」だと評価していたが、本当に愚かなのは、せっかく俺達が解決した問題を、再び膨らませようとする連中を放置している事なのかも知れない。


「魔王ね・・・」

 俺はそう呟くと、「で、次の首相は誰になる予定なんだ?」

 と鮫沢に訊いた。


 鮫沢はため息を付きながらひとつ頷くと、

「小泉・・・、小泉龍一郎という男です」

 と言った。


 俺は眉間にしわを寄せて鮫沢の顔を見た。


 ティアは興味無さそうにその名を聞いていたが、俺の表情を見て何かを感じ取ったらしい。すぐに張りつめた表情になって鮫沢と俺の顔を交互に見ているのが分かった。


「小泉か・・・、最悪の人選だな」

 と俺はそう言いながら鮫沢を見返す。


「ショーエン様、小泉の裏には300人委員会が居る事は間違いありませんぞ」

 と鮫沢はそう言うと、「私の力では抑えきる事が出来ず、申し訳ありません」

 と言って、テーブルに両手を付いて頭を垂れた。


 小泉龍一郎。


 前世でも首相を務めた男だ。


 郵便局を民営化する「郵政民営化」を掲げて選挙に挑み、民自党を大勝させた男だ。


 当時はテレビメディアが国民に流れる情報を統制していた時代だった。


 特に選挙に興味を持っていなかった若者にも訴求する政治戦略で、有名なロックバンドのBGMを流しながらテレビCMに出て、郵政民営化の必要性を語っているのを見た事がある。


 俺が知っている歴史では、小泉が首相になるのはまだ6年後の筈だ。


 なのに、この世界ではもう表舞台に現れるというのか。


 当時、郵便局は日本政府による国営企業だった。


 郵便貯金は政府によって運用され、主に国内インフラへの投資に使われて来た。


 しかし、郵政民営化によって外資系企業が日本国内に流入し、郵便局の株式を買い漁りだした。


 その後の郵便貯金は国内運用などほとんどされず、外国人投資家に利益が流出する仕組みへと変わってしまった。


 おかげで日本のデフレは加速し、国民はどんどん貧しくなってゆく事になったのだ。


 更に小泉は、非正規雇用制度を拡大した。


 これにより、正規雇用のサラリーマンが減少してゆき、就労人口の半分が非正規雇用になるという社会を作った男でもある。


 国民が貧しくなる事を知りながら、アメリカに利益を差し出す政策を、CIAに提示された個人的な利益を得る為にその火ぶたを切った首相が小泉だ。


 俺はビールグラスの中味を飲み干して、テーブルに叩きつける様にグラスを置き、

「なるほど。300人委員会は本気で俺を敵にするつもりの様だな」

 と言って鮫沢を見た。


 ショーエンが怒っていると思った鮫沢は肩をすくめる様にしながら頭をテーブルに押し付け、

「私の力が及ばず、申し訳御座いません!」

 と言いながら身体を震わせている。


 ティアは真剣な表情で俺の次の言葉を待っている。


 俺は目を瞑って、仲間のみんなやタニアの顔を思い浮かべた。


 俺達は地球の技術をはるかに超える技術力を持っているので、経済的に貧しくなる事は無いだろう。


 つまりは、これから日本がデフレ経済に陥ってもなら貧しい思いをする事は無いし、今後経済格差が開いた時にも「勝ち組」に居られる筈だ。


 しかし、タニアや他の子供達が成長して大人になった時はどうなる?


 俺達が年老いて死んだ後はどうなる?


 西欧諸国に経済的に食い荒らされて、人々が皆貧しく、まるで奴隷の様な人生を送っている社会で、我が子達を生かせたいのか?


 俺は強く頭を振り、その考えを振り払った。


 ダメだ!


 そんな社会にする訳にはいかない。


 やはり、俺達が最大限に介入し、根っこの部分を変えなくちゃならない。そうしなくては、子供達が300人委員会の子孫達に食い物にされる可能性だってあるのだ。


 そんな事、許せる筈が無い!


 俺は目を開けて一つ深い息をついた。


 そして、顔を上げた鮫沢を見据え、少し低い声で、


「300人委員会に、宣戦布告をする」


 と言ったのだった・・・。

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