隠し姫

真堂 美木 (しんどう みき)

隠し姫

 夏だというのに冷たい汗が額から筋となって流れ落ち足元からは湿った土の感触が伝わってくる。木立の隙間から空を見上げると切り取られた絵のように見え、その澄み切った青色は周囲から切り離されたような孤独感と不安を増強させる。何故こんなことになってしまったのか。

 私といつきは職場の親睦会でキャンプ場を訪れた。キャンプとは言ってもテントを張るわけでもなくコテージを数棟借り、清々しい空気の下でバーベキューを楽しむ程度のものだった。

 だから、時間を持て余し気味の仲間たちで周辺を散策しようということになった。整備された林道はそれほど歩きにくいとは感じなかったが、歩き始めて間もなくその中の一人が足を捻ってしまったようだった。近くにいた樹はその同僚をコテージまで送っていくことになった。ただそれだけ。そう、怒ることじゃあないと頭の中では理解している。でも、樹に背負われた彼女が振り返り私に向けた顔が勝ち誇ったように見えた。ただの勘違いなのだろうか。ただの嫉妬心なのか。悶々としながら歩いていると、少し奥に夏椿が小さな白い花を咲かせているのが目に入った。気が付けばその花に引き寄せられるように道から外れていたのだった。

 沙羅の木、沙羅双樹は仏教では生命の木とされているが日本には自生しておらず、古から夏椿を沙羅の木としていたそうだ。小学生のころだったか今は亡き祖母と訪れた寺で夏椿を見つめていた私に、住職さんが教えてくれたこと。

 だが、直ぐそこにあると思った夏椿は見当たらず仲間たちも見失ってしまった。歩けば歩くほどに迷い込む。こういう時は動かないのが正解だと解ってはいるけれど不安からなのか自然に足が動いてしまう。彼女を送り届けた樹は私が迷ったことに気が付いてくれるだろうか。心配して探しに来てくれるだろうか。もしかして樹の中で私はただの同僚以下になってしまっているのだろうか。歩みを止めないままにポケットからスマホを取り出し画面に目をやった。その瞬間、何かが足に引っ掛かり体が前のめりになる。必死で耐えようとするがドンッと鈍い音が響き痛みを感じた。誰も居なくて良かったと思う。迷子中だとは言ってもこのような転び方は恥ずかしい。立ち上がりジンジンとした痛みの残る掌と膝についた土を払う。幸いなことに湿気た地面は柔らかく血は出ていない。落ち着きを取り戻そうと深呼吸をしてから前を向くと例の夏椿が目に入った。

 その夏椿に寄り添うように女性が見えた。良かった。自分以外の人がいた。

 「あ、あのう。すみません」

 全く反応がない。大きな声を出したつもりだけど声が届かなかったのか。それほど離れてはいないけどもう少し近づいてみよう。あれ、何なのだろう前へ進めない。まるで液晶画面に映し出された世界のように眼前に見えているのにその場所に立ち入ることが出来ない。そういえばこちら側はたくさんの木々に囲まれているのにあちら側には樹木は少なくその代わりに胸までありそうな草が生い茂っている。女性の身なりも変だ。このような場所で着物姿だなんておかしいし、その着物も古めかしい気がする。遠い昔の此の地、武蔵野の夢を見ているのだろうか。本当に映画か何かを見ているように画面が切り替わっていく感覚。不思議な感覚に包まれている。


 白髪混じりの女性が息を切らしながら近づいて来る。「姫様、沙羅姫様、やはりこちらでございましたか。大変です。都から使者の方たちが、」

 「やはりまた、来てしまいましたか」

 「はい、帝の勅命で此度は確実に姫様を召し上げるべく多勢で来られました」

 「なんということを。たかが女人一人のために」と、血の気の引いた顔で怒気を含ませ言う。そして、大きな息を吐くとその表情は覚悟を決めたものとなった。

 「私は、たとえこの命が無くなろうとも此の地から離れはしない。」

 「そんな、私は姫様を赤子のころから慈しみお世話をさせていただきました。それなのにそのような悲しいことをおっしゃらないでくださいませ。帝の寵愛を受けるのがそれほどお嫌なのでしたら、どうかお逃げください。命を無くすなど言葉にしないでくださいませ。」

 「幼いころに父様から疎まれ都から遠く離れたこの地にやられた私の今があるのは、乳母であるあなたがいてくれたからです。母のように慕っています。でも、私はこの地におられる双樹の君から離れたくはない。いえ、離れることはできないのです。」

 「双樹の君ですか。姫様はそのお方を愛しく思われているのですね。姫様にそのような方がおいででしたとは。ですが、父君様も姫様のことを大切に思われているのです。だからこそ此の地に姫様を隠されたのでございます。」

 「人の死を言い当てるなど、先読みの力を持つ私を気味悪く思われたからでは。」

 「いいえ、違います。姫様の力が他の者に知られることになれば、帝によって宮の奥深くに閉じ込められるか、若しくは悪い輩によって力を利用され姫様が傷つけられてしまう恐れがあったのです。此度は姫様の美しさが都まで知れ渡ったためですが、力は知られておりません。ですから父君様は姫様が帝の寵愛をお受けになるのであればとお考えになったのでしょう」

 「そうなのかしら。私は母様の顔を知らない。だから、此の地に私を隠したままで顔をお見せにもならない父様を恨みながらも、本当は父様に愛されたいとずっと思っていたのかもしれないわ。でも、私は帝の寵愛を受けることは決してない。双樹の君とは魂の奥深くで繋がっているのだから」

ざっざっざっと不穏な音が響いた。いつの間にか武装した帝の使者たちが周囲を囲んで、将らしき人物が大きな声を張り上げた。

 「沙羅姫様、此度こそは私共と帝のもとへ、都へ上っていただきますぞ」

 「わざわざ女人一人のために多勢でお越しなのですね」

 「はっはっは、この前のように図られてはなりませぬでな。」

 「沙羅姫を渡しはしない」と、いつの間にどこから現れたのか淡い光に包まれた美しい青年が姫をかばうように立ちはだかった。すると地鳴りとともに地面から這い出た無数の木の根が使者たちに襲いかかる。

 「またもや現れたな、物の怪が。速やかに火矢を放て、けっして姫には当たらぬようにな。」

 無数の火矢がヒュンヒュンと音を立てながら一斉に放たれた。這い出た根は兵たちをなぎ倒すものの火には成すすべなく次から次へと燃え上がっていく。夏椿のその小さな花も枝葉も、美しい幹そのものも炎に包まれていく。そして、遂には姫の前に立ちはだかっていった青年の胸を火矢が貫いた。

 「夏椿の君、」沙羅姫の叫び声が響いたが直ぐに次の矢が襲いかかった。夏椿の君と共に地面に倒れこんだ沙羅姫の左頬が血で赤く染まっていく。

乳母の悲鳴が響いた後に一瞬静まり返ったが、その静寂を破るように慌てふためいた怒鳴り声が響いた。

 「な、なんということだ。帝の思し召しの沙羅姫の顔に傷をつけてしまうとは。その矢を射ったのは誰だ」

 姫を傷つけたのは自分ではないと兵たちの間に動揺が広がっていく。

 沙羅姫は血を流しながらも顔を上げ、狼狽えている将を睨みつけながら言った。

 「このことが帝に知れてお困りになるのはあなた達でしょう。だから、私は病で亡くなったことにして早くこの場を立ち去りなさい。さあ、早く」

 あの日からどれほどの月日が経ったのだろうか。夏椿は焼けて黒く無残な姿を残しているが、焦げた地面からは緑色の草が生え始めている。そこに腰を下ろしている沙羅姫の左頬には大きく斜めに入った傷跡が見える。

 「これは、もしかして」と、沙羅姫が焼けてしまった夏椿の根本あたりを見つめ呟く。そこには小さいけれど新たな芽が出ていた。

 「夏椿の君は全く消えてしまったわけではなかったのですね」穏やかな口調でそう言うと沙羅姫は、寄り添うように静かに目を閉じ永い眠りについた。


 「おーい、沙羅」

 樹の声に我に返った。私は立ったまま夢を見ていたのだろうか。振り返ると樹が心配顔で近づいてきた。

 「沙羅、姿が見えなくて慌てたよ。どうして泣いているの。それほど怖くて不安だったのか」

 「えっ、」頬に手をやると濡れている。泣いていたんだ。でも、この気持ちは何なんだろう。単純に悲恋の物語を見たからとはいえない。もっと、心の奥深いところに何かを感じたような気がする。

 「この辺りの伝説の隠し姫にでもなったんじゃあないかと心底心配したよ」

 「隠し姫伝説って、何なの」

 「遠い昔、都から美しい姫がこの地に隠されていたんだが、その姫は可哀想に本当に神隠しにあって姿を消してしまったという話さ。でも、沙羅が見つかって本当に良かった。」

 「なるほどね。そんなふうに伝わってたんだ」

 「えっ」

 「ううん、何でもないの。それより本当に心配かけてごめんなさい。樹、私を見つけてくれてありがとう」 

 樹の胸に飛び込み恥ずかしいのを我慢して言った。

 「愛しているわ、いつき。」

 「うん、僕も愛してるよ。」

 耳まで赤く染め照れながら樹は私の左の頬にそっとくちづけをした。

 沙羅双樹は復活を意味する樹とされている。私たちはもしかしたら遠い昔からの縁で繋がっていて再会したのかもなんて想像してしまう。でも、大切なのは今この時なんだ。今のこの気持ちを大切に大切な人を見失わないように向き合っていこうと、夏椿を見ながら心の中で誓った。

 

 

 



 

 

 


 



 


 

 

 

 

 

 

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