法廷にカモミール

山形在住郎有朋

法廷にカモミール

 たい焼き屋店主の藤崎は見た。女が男に腕をつかまれ,抵抗している場面の目撃者になってしまった。




 店じまいを始めた6時頃,ちょうど日が沈んだ時間帯だった。男と女の言い争う声が聞こえる。藤崎は暖簾をつかんで様子を見に行く。隣の空き家に面した裏路地を覗くと,何かを急かすように叫ぶ金髪の男と,男の腕を振りほどこうとする若い女がいる。


 周りには誰もいない。藤崎は警察を呼ぼうとしてスマートフォンを取り出すも,焦って取り落とす。その時,金髪男の腕が女に向けて振り上げられた。藤崎はとっさに暖簾を槍のように構えて,「何をしているんだ!」と叫び,駆け寄る。


 くんずほぐれつの乱闘の末,藤崎は,唇の端を切って血を流す金髪男に組み敷かれていた。無傷で。


 藤崎の視線の先には,女がいた。彼女を見た瞬間,彼は悟った。この場面における加害者は自分なのだと。女は,笑っていたのだから。女は,金髪男と同じ,紫を基調とする装いをしていたのだから。藤崎は,泣いた。




 女は,わらっていた。


 潮の中へ,ふらふらと,笑いながら沈んでゆく姿を見つめて,嘲笑わらっていた。


                 ***


 28歳,たい焼き屋店主の男性,藤崎は逮捕された。金髪男を暖簾でぶん殴ってしまった藤崎は,厳しい立場に置かれていた。金髪男に都合の良い目撃証言があったのか,はたまた仏頂面の藤崎が,よく見ると人当たりの良さそうな顔立ちの金髪男よりも怪しまれたのか,藤崎の主張は通らなかった。藤崎は起訴された。


 数日後,保釈された藤崎は,街灯のない路地裏を選んで自宅兼店舗のたい焼き屋に向かった。家に近づくと,彼は手提げ鞄をまさぐり,たい焼きのキーホルダーをひっつかむ。しかしその先についている鍵が引っかかって取り出せない。手提げ鞄から鍵を強引にひっぱり出して顔を上げたところで,彼は足を止めた。


 店舗正面の電信柱に,見覚えのある女がもたれかかっていた。事件当日とは異なり,黄色いネクタイが特徴的な,近隣の高校の制服を着ていた。との接触を禁じられている彼は,彼女をしばらく呆然と見つめた後,立ち去った。




 女は,無表情だった。


 虚ろな目で,暗闇に消えた海を追っていた。


                 ***


 藤崎の刑事裁判が始まった。罪状は,傷害罪。提示された証拠は,藤崎にとって非常に都合の悪いものだった。


 藤崎が先に金髪男に武器,もとい暖簾を向け,殴りかかったという証言は,否定しえなかった。目撃者の一人が撮影していた動画は,藤崎が女を守るように立ちはだかる金髪男を殴りつける,藤崎が止めに入ったあとの部分経過を記録していた。


 そこから浮かび上がる当時の状況は,実際とは真逆であった。すべての証拠は,閉店間際に来店した女性客に藤崎が言い寄り,女性客を守ろうとした金髪男に襲い掛かったという状況を示していた。藤崎は,ただ鈍色の天井を見上げた。




 藤崎は正義感の強い男だった。子供のころは仮面ライダーにあこがれた。学校ではいじめを嫌い,自らがいじめの対象になることを顧みずに,いじめられるクラスメイトを仲間に引き入れた。祖父が営むたい焼き屋の周辺で地価が上昇し,近隣の店が悪質な不動産業者から狙われた時には,仕事を辞めて自らたい焼き屋の店主になり,業者と戦った。




 だから,検察側の席にの女が座っているのを見つけた彼は,最終意見陳述の場で,弁護士と打ち合わせしたことと違うことを,口走った。制服に身を包み,ぎこちなくほほ笑む彼女に向けて,涙を流しながら告げた。


「怪我がなくてよかった,怖い思いをしていなくてよかった。」




女は,泣いた。




「ごめんなさい。」

たい焼き屋さんは,悪くないんです。全部,自分たちが悪いんです。

「…ごめんなさい。」


 少女は,泣いていた。海面の向こうに人影を見つけて泣いた。その人影は泣いていて,安堵していた。


                 ***


 たい焼き屋店主の藤崎に日常が戻った。彼の無罪放免を祝うかのように,看板メニューの『めでたい焼き』は飛ぶように売れた。たい焼き屋二代目店主の逮捕は近隣住民の間で大きな話題となり,藤崎も一時は暖簾をおろすことさえ考えた。ところが,金髪男をぶん殴って曲がったくだんの暖簾は彼の雄姿を伝えるものとして耳目を集め,ますます売り上げに貢献した。そのうちに廃業の事などすっかり忘れてしまった。


 営業を再開してから数日後の夕方,閉店20分前というときに,の女,もといの少女が,菓子折りと白くて愛らしい花を大切そうに抱えて来店した。


「本当に,申し訳,ありませんでした。」


 少しやつれた様子の彼女は,謝罪の印として菓子折りとカモミールの花束を藤崎に渡した。気に病む必要はない,と気づかわしげに告げたあと,藤崎は彼女に名を尋ねた。彼女は鯛瀬だと名乗った。


 「おあつらえ向きじゃないか。うちでアルバイトをしてみないか。」


 藤崎は笑いかけた。


 鯛瀬という名の少女は驚いたような顔で藤崎の瞳を覗き込んだ。そのあと,カモミールのように,ひかえめに,微笑んだ。

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法廷にカモミール 山形在住郎有朋 @aritomo_yamagata

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