最終話 相棒ができた日

「……は?」

「相談料と解決料だ。うちは慈善事業じゃないんでね、仕事に見合った相応の料金を頂いている」

「そんなこと聞いてねえ!」


 まるで知らない話をされて秋生は吠えた。これじゃ詐欺だ。最初この部屋に入った時の自分の直観は間違いではなかったと、秋生は確信した。ああ、きっとこの後身ぐるみはがされる。


「言わなくてもわかるだろう、普通。入口に書いてあるの見ただろ? ここは相談所だ。ただの僕の家じゃない」


 対して男はやれやれとため息を吐いて腕を組んだ。聞き分けのないクレーマーのように思われているかも知れないが、入り口には生憎何も書かれてはいなかった。それに一体なんの相談所だと言うのか。秋生は首を傾げる。


「……相談所? 法律とかか?」


 今度はこの言葉に首を傾げたのは男の方だった。だがややあって訳知り顔でため息を吐く。


「まさかまた看板が倒れたのか。いい加減固定しないとな」

「看板って……」


 そういえば、ドアの外に木の板が置かれていたことを思い出す。秋生は慌てて部屋の外に飛び出た。やはりそこには木の板があって、秋生はそれをゆっくりと起こす。現れた文字に秋生は眩暈がした。


「なん、なんだ、これ……」

「何って、ここの看板だ」


 いつの間に来たのか、男が秋生の後ろから看板を覗いた。書いてある文字が見えはしないが、何が書いてあるのかは知っている。

 そこにはわかりやすい達筆でこう書いてあった。“三日月心霊相談所”と――。


「心霊相談所……⁉」

「そうだ。君の心霊相談を解決してやっただろう」


 素っ頓狂な声を上げる秋生に、男は頷いて答える。

 男は心霊相談だと言うが、秋生はほとんどだまし討ちのような形で連れてこられたような気がしなくもなかった。

 だがしかし、男に悩みを解決してもらったのは事実。

 秋生は頭を抱えて悩み、ほどなくして顔を上げた。


「……わかった。料金はいくらだ」

「そうだな、今回は出張費とバトル費と服の貸し出しもプラスされるから……」

「バトル費⁉ バトル費ってなんだよ!」

「ざっと見積もってこんな感じか」


 男はうるさい秋生を無視しながら器用に電卓をぽちぽち叩く。そして電卓をずいと秋生の眼前に押し出した。秋生はそれを見て目を丸くする。


「にひゃくまんっ⁉」


 男の打ち間違いかと期待した。だがしかし、男はうんと頷くだけで何も言わない。打ち間違いなどではない。秋生はとうとう男の胸倉を掴んだ。随分我慢した方だった。


「こんな法外な値段払えるわけがないだろ!」

「だから体で払えと言ってるんだ。見えないようだが雑用ならできるだろう。勿論給料は払う。その中から少しずつ今回の料金を天引きさせてもらうが」


 胸倉を掴まれているというのに、男はまるで気にした様子も見せずにのたまう。男が言う“見えない”とはつまり、霊が見えないということである。

 破格の条件だろう、という男に、秋生は怒りが芽生える。だが大きく深呼吸をすることで、なんとか冷静さを取り戻そうと頑張る。

 秋生が男から手を離すと、男は迷惑そうに襟元を直した。


「……とりあえず、俺が別の場所に就職してそこから払うって手も――」

「君が転職に成功しなかったのは、何も生霊のせいだけじゃない。君自身の能力のせいもあると思うが?」

「そんなこと、」


 ない、とは言い切れない。秋生は特に資格もなければ、社会人としても三年目で即戦力とも言い難い。男の悲しい言葉をきっぱりと否定できるほど、秋生は自分に自信はなかった。 

 何も言えず半泣きで肩を落とす秋生。その肩を、男はぽん、と軽快に叩いた。


「自己紹介がまだだったな。君、名前は?」

「……小野、秋生……」

「まさか秋生まれで秋生か? 君らしいな。僕は三日月みかづきあきらだ。三日月で良い」


 君らしい、とは、初対面一日目でかけてほしくない言葉である。

 俺の何がわかる、と吠えたいが、言うなれば単純と言われているのだろう。否定できない。しかも三日月明、なんてかっこいい名前を前にしては、余計に何も言えなかった。顔と同じで随分かっこいい名前だ、とぼんやり思う。


 呆ける秋生を残し、三日月は部屋に入ろうと背を向けようとして、ああ、と思い付いて振り返った。


「明日のおにぎりだが、この近くにコンビニはないから大通りの方で買ってきてくれ」


 聞いて、秋生は三日月と出会った時のことを思い出した。

 三日月に傘を差し出した時、彼は、君が濡れてしまうと秋生を気遣った。だが秋生は気を遣わせまいとすぐそこにコンビニがあるから大丈夫だと嘘を吐いた。

 それは三日月のことを想っての嘘だったが、彼が見えないことを利用した嘘ともいえる。見えないのだからコンビニの有無などわからないと思っていた。だが三日月は既に知っていたのだ。すぐそこにコンビニなどないということを。


「知って……」


 気恥ずかしさ、失礼をしてしまったという申し訳なさ、後悔、反省、だが善意の嘘であるという気持ち。ないまぜになった感情はただただ秋生の顔を赤くさせた。これ以上何も言えずにいる秋生に、三日月はそっと手を伸ばす。


「言っただろう?」


 伸ばされた手は秋生の目の前に来て、彼の視界を塞いだ。


「君の優しさは命取りだと」


 暗闇の中、三日月の声が秋生の耳を震わす。もしかしたら、これが三日月の世界なのかも知れないと秋生は思った。そして同時に、あの時、初めて会って傘を差し出したあの時に、自分の運命は決まっていたのかも知れない、と。


『君は優しいな』


 そう言って笑った三日月を思い出す。そして、初めて秋生を見た黒い瞳を。あの底知れない、夜の海のような黒い瞳。俺は捕まったのかもしれない。あの、闇に。

 だけど。


「……三日月」

「うん? ――わっ」


 秋生は三日月の顔がある位置に手を伸ばし、その目を塞いだ。流石の三日月も驚いたのか、小さな声を上げる。

 お互いが目隠しをした不思議な状態のまま、秋生は続けた。


「俺はお前の世界が見えないし、お前は俺の世界が見えないけど――この暗闇は一緒だ。だから、この中間地点。しばらくはこの中間にいるだけだ!」


 秋生なりの精一杯の虚勢だった。なんなら今でも三日月のことを気味が悪いと思っているし、関わらずに生きていけるならそうしたい。非日常というのは日常があるからこそ楽しめるのだ。

 でもこうして道が交差してしまった以上、妥協点を見つけるしかない。対話が大事であるということは、秋生は今回よく学んだ。


 そっちの世界に漬かるつもりはない――だけど、歩み寄りはする。その意味を込めてのことだが、三日月に正確に伝わったかどうか。

 彼は一瞬呆けて、でもすぐに大笑いをした。


「ははっ、はははははっ!」

「おい……?」


 三日月が笑った拍子に、お互いの手が離れる。暗闇から戻った視界に映る三日月は腰を曲げてひーひー言いながら笑っていて、何がツボにはまったのかわからない秋生は困惑する。

 三日月は目じりに溜まった涙を指で拭い、悪い悪いと謝った。


「くくく……いや、悪い。ああ、秋生、君はやっぱり優しいな」

「一体何がどうなってその結論に……」

「いやいや、言いたいことはわかった。僕も十分に気を付けよう」

「……給料をもらうからには、俺も頑張るよ」


 これでお互いの交渉は成立である。秋生は一抹の不安を感じないでもないが、決まったことはしょうがない。精一杯やるしかないのだ。

 覚悟を決めた秋生に三日月の手が差し出される。


「じゃあ改めて。これからよろしく頼むよ、秋生」

「……よろしく、三日月」


 握った三日月の手はやはり冷たい。顔も作り物のように綺麗で現実感が薄い。何なら性格も良くなさそうだし目も怖い。

 でも、と秋生は思う。

 でも、握った三日月の手は徐々に秋生の体温がうつってあったかくなる。それがわかれば、何とかやっていける。秋生はそう思った。



〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三日月心霊相談所 新みのり @minori626

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ