第7話 別れと金とおにぎりと

「はあ、終わった終わった」


 あの雑居ビルの部屋に戻ってくるなり、男は椅子に座ると深く息を吐いた。


「それにしても、ストーカーと生霊を飛ばす女か。随分似たもの同士のカップルじゃないか」

「言い方……まあ、きっとこれからは大丈夫だろ。お互いで支え合ってくれるはずだ」

「……殺されかけたってのに、全く君ってやつは」


 ふっ、と男が笑う。夕焼けがその姿を包み、酷く綺麗に見えた。随分絵になる。


「まあ、これでもうあのユキとかいう女の生霊が君に憑くこともないだろう。君に構ってる暇なんてないだろうしな。二人の女に一遍にフラれた気分はどうだ?」

「勘弁してくれ……」


 口角を上げて楽し気に茶化してくる男。秋生は脱力してふらふらとソファに倒れこんだ。


 ここに帰ってくるまでに、秋生はどういうことなのかを男に聞いた。生霊の正体は長岡の友人だろうということは聞いていたが、それ以上の説明は受けていなかったのだ。

 男が言うにはこうだ。


 生霊の正体は長岡の友人のユキ。彼女は長岡に強い好意を持っており、長岡を追い詰め、傷つけた秋生を怨んでいたのだ。

 結果その念が生霊となり、秋生にとり憑いていた。

 今回長岡を呼び出したのは、連絡先を知らないユキを呼び出すためである。

 長岡が飛び降りるまでの経緯を事細かにユキの生霊が知っていたことを考え、長岡はきっとこれから秋生に会うこともユキに伝えるだろうと男は考えたのだ。そしてそれを聞いたユキはどのような行動にでるのか。


 きっと、秋生に害を加えようとするだろう。そう、男は考えた。


「でもまあ、ヤマが当たって良かったな。ユキが来なければ解決していないし、僕の予想通りに刺してこないで別の方法をとられていたら、君は死んでたかもな」

「まさかそんな賭けに俺の命が使われていたとは……」


 せめて事前に言っておいてほしかったと思うが、そんな話を先にされていたらちゃんと長岡と向き合って話を出来ていなかったかも知れない。もしかしたら、男なりに気を使ってくれたのかもな、と秋生は思った。


「それで、ユキの凶行を止めた後はどうするつもりだったんだ?」


 純粋な疑問だった。起き上がって男を見れば、男はバツが悪そうに腕を組んだ。


「あー……」

「……まさか、考えてなかった……?」

「ははは、いや、君に直接会って怨み言をぶつけてくれればすっきりするかと思ってな。まさかあんな展開で解決するとは思わなかった」

「なっ……! 二人とも死ぬとこだったんだぞっ!」

「そういうこともあるんだな」

「そんな軽く……はああああ」


 まだまだ言いたいことはあったが、どうせこの男には響かないだろう。秋生は深く息を吐いて言葉を飲み込んだ。

 危ないこともあったが、それでもすべては男のおかげだった。長岡と話が出来たのも、生霊の件が解決したのも。

 秋生は立ち上がり、男の机の前まで行くと頭を下げた。


「……色々、ありがとうございました。俺、あんたに会わなかったらどうなってたか……」


 出会いは最悪だった。トラウマを抉られ、道端で嘔吐したのだから。

 でも、彼に出会ったおかげで秋生は救われた。これでやっと、前に進める。長岡の笑顔を思い出して、秋生はほっと息を吐いた。

 男は秋生のお礼に少々面食らった顔をして、でもすぐにふっと笑った。


「……こちらこそ。あんな風に庇われるとは思わなかった。君の優しさは命取りだな」


 刺されそうになった男を庇った時のことを言っているのだろう。確かに、運よく空ぶったが、秋生は男の代わりに刺されていたかも知れない。

 それに、そもそも今回の原因は秋生が長岡に向けた優しさでもあった。

 男の言葉が妙に的を得ていて、秋生も笑った。


「次からは優しくするのも考えてやるとするよ」

「それが良い」


 お互い笑いあって、秋生は男に背を向けた。


「それじゃあ」


 これで終わりだ。一抹の寂しさを感じながらも、非日常に対する感情だと秋生は結論付ける。


 今日一日で、色々なことが起こった。盲目の、怪しくも美しい男に会った。その男にトラウマを抉られた挙句、生霊が憑いてるなんて言われて、でも背を向けていたことと向き合えた。

 挙句殺されかけたけど、終わってみればこんな非日常も悪くなかった、なんて思える。

 まあそれは、日常に戻れるが故の感情なのだろうけど。


 入口のドアに手をかけて、そういえば男の名前も知らず、自分の名前も告げていないことに気づく。だが、秋生は思い直してドアノブに力を入れた。名乗らないままのことがあってもいいだろう。

 秋生は口角を上げて、ドアノブを回して――。


「そうだ、明日は十時には来てくれ。ああ、ついでにおにぎりでも買ってきてほしい。朝食にする」

「…………は?」


 背中に投げかけられた男の声に、秋生はたっぷり間をおいて答えた。答えた、なんてものではない、ただの音のような返事に、男も首を傾げる。


「ん?」


 その男の様子に、秋生はややあって笑い出した。


「……あ、冗談か。ははは、面白い」

「何か冗談を言ったか?」


 だがしかし、男はくすりともせずに不思議そうにしている。


「……え?」


 尚も事態が把握できていない秋生に、男はああ、と手を打った。


「混乱するのも無理はないか。すまない、言葉が足りなかったな。コンビニのおにぎりで良い。味は適当でいいが、梅は止めてくれ。それ以外ならなんでも――」

「そこじゃねぇ! 十時に来いの方だよ!」


 マイペースにおにぎりの具まで注文する男に、秋生は大股で近づくと食って掛かった。だが言われた本人はあくまでマイペースを崩さず笑う。


「ああ、そうかそうか。そっちがまだだったか」

「それ以外に何がある! 一体どういうことで――」

「君を雇ってやろう。どうせ職がないだろ?」


 怒鳴る秋生の言葉を遮って、男は尊大に足を組んだ。


「なんっでそうなる!」


 怒りと混乱が収まらないのは秋生の方だ。変な男だとは思っていたが、ここまで話が通じない男だとは思っていなかった。

 机を乗り越えんばかりの秋生の様子に、男はふむと顎に手を添える。


「そうだな、君、貯金はいくらある」

「……なんでそんなこと言わなきゃいけないんだよ」


 少々秋生の迫力が弱まったのは、心もとない貯金額を思い出したからだ。貯金額が全てでないのは勿論だが、社会人としての戦闘力になることは間違いない。


「察するに、大した貯金はないだろう。ストーカー被害を一蹴するような会社だしな、高い給料ではなかったはずだ。それに一人暮らしは何かと金がかかる」


 秋生はつい唸った。男の言う通りだったからだ。だがしかし、それと男に何の関係があるというのか。秋生は反論しようとして――男が手のひらをひらりと差し出したことで中断された。男の手を見て、顔を見る。作り物のような顔がさらに作り物のような笑顔を見せ――。


「解決料」


 と言った。

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