第6話 恋は盲目

「あ、それで、先輩の話って……?」

「あー……そうだな、話な……」


 長岡に振られて秋生はしどろもどろで言葉を探した。秋生が長岡にしたかった謝罪はもうしてしまった。これ以外の話ってなんなんだ、と男の座っていたベンチを見る。


「え、」


 だがそこに、男の姿はなかった。


「先輩?」


 長岡がきょろきょろする秋生を見て不思議そうに首を傾げる。

 どこにいったんだ、と秋生は男を探して後ろを振り返った。


「許さない」


 目の前に女がいた。

 見たこともない彼女はその瞳を憎悪に燃やし、何かを秋生に振りかぶった。太陽に反射してキラキラと光るそれは、包丁。


「きゃあああ!」


 後ろで、長岡が叫んだ。秋生はどうすることも出来ず、咄嗟に目を閉じた。それと、カンッと高い音が響いたのは、ほぼ同時だった。


「お、当たったか」


 場違いな楽し気な声。予想した衝撃がこないことに気づき、秋生はそろそろと目を開ける。


 そこにいたのはやはり、作り物のような美しい顔をした男だった。

 手に持つ白杖を剣にように握って、その切っ先は空を見ている。足元には包丁。それを持っていたはずの女は、手を押さえて男を睨みつけていた。

 何が起こったのかは見れば明らかだった。男が女の包丁を下から叩き落としたのだ。


 何を言えばいいか分からず口を開ける秋生に、男は笑う。


「見えなくても案外いけるものだな」

「……何、すんのよ……」


 瞬間、秋生は咄嗟に包丁を取ろうとしたが、女の方が一瞬早かった。女は素早く包丁を拾い上げると、今度は男の方に照準を定めたらしかった。


「私の邪魔しないでっ!」


 振り上げられた包丁の先、男を秋生は咄嗟に庇った。抱きしめ、押し倒すように地面に転がる。男の瞳は驚きで大きく見開かれ、黒い瞳に少しばかりの光が差す。

 だが秋生によって空振りに終わった女の包丁は、尚も彼らの血を求めて振り上げられた。


「やめてっ!」


 その時、ピタリと女の動きが止まった。叫んだのは長岡だ。長岡は怒ったような顔で車いすを動かし女に近づいた。


「あぶなっ!」


 秋生が止めようと声を上げて立ち上がる。が、それよりも早く、長岡の平手が女の頬を打った。


「えっ⁉」


 パンッと響く音に、秋生のみならず男も目を丸くした。音で何が起こったのか分かったのだろう。呆ける二人の男を置いて、長岡は目に涙を溜めながら女から包丁を取り上げた。


「なんでこんなことするの、ユキ」

「……梓」

「え、知り合い……?」


 秋生が困惑した様子で二人を見る。長岡は涙を拭いながら、でも目線は女――ユキから逸らさずに秋生に答えた。


「私の、親友です」

「な、なんでこんな……」


 秋生の言葉を聞いた途端、ユキはするどい目つきで秋生を睨んだ。


「なんで? そんなこともわからないんだ」

「え、」

「全部あんたのせいでしょ⁉ ユキがおかしくなったのも、飛び降りたのも! それなのに、なんで、って……やっぱり殺す」

「ひっ!」


 秋生を怒鳴りつけると、ユキは秋生の元に行こうとする。だが、長岡がその腕を掴んで止めた。


「ユキっ!」

「でも、梓……!」

「もういいの、私も悪かったの。この間も話したでしょ? この歳での初恋で、舞い上がって、わけわかんなくなって、ストーカーみたいなことして……挙句わざわざ先輩の前に飛び降りた。全部勝手に私がやったことなの」

「でも! 梓をその気にさせたのはこいつでしょ! それに酷いことまで言って!」


 またもや秋生を睨みつけ、秋生はびくりと体を震わせる。長岡はユキの手を強く握ると、首を振った。


「先輩はただ優しかっただけ。それを私が私だけのものだと思い込んだだけだよ。喫茶店でのことだって、今さっきちゃんと謝ってもらった」

「でもっ……!」


 尚も納得しきれないユキに、長岡は彼女の目をしっかりと見て言った。


「ね、聞いて。私わかったの。私がほんとに好きなのは誰なのかって」

「ほんとに好き……?」

「その人はね、昔から私の隣にいてくれて、私のことよく助けてくれてた。私がおかしくなった時も、一緒に居てくれて、私のために怒ったり泣いたりしてくれた。今だって、私のために包丁まで持ち出してる」

「梓、それって」


 もうユキの目には長岡しか映っていなかった。憎き秋生のことなど忘れ、長岡だけをその瞳に映す。長岡はにこりと笑った。


「私が好きなのはユキだよ。ね、だからもうこんなことしなくていいの。ユキが捕まっちゃったら嫌だよ、ずっと一緒に居てほしい」

「梓……! 私も、私も梓と一緒に居たい、梓がずっと好きだった!」


 わあっと抱き合う二人。そんな二人を秋生は呆然と見つめ、脱力したように呟く。


「……なん、なんだこれ……」


 怒涛の展開だった。もう何が何やらついていけず、呆然と座り込む秋生。

 いつの間に立ち上がったのか、男は彼女達の方を向いて呆れたようにため息を吐いた。


「恋は盲目とは、良く言ったものだ」

「え、ええええ……」


 いまいち納得がいかないでいる秋生を、男が白杖でこんこんとつつく。


「ほら、警察が来る前にさっさと行くぞ。見物人も増えてきた」


 確かに周りに人が集まってきて、そこかしこでざわざわと騒がしい。二人は面倒に巻き込まれる前に、さっさとその場を後にしたのだった。

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