第17話

 ううん、とガレスは手のひらに握りこんだ砂に目を落とした。正面の椅子に座って様子を見守っていたオリフィニアが「どうでしたか」と訊ねてくる。

「感じたことのない神力イラ……いや、魔力マナかな……どっちだろ。とりあえずエアスト家うち系統の力じゃないのは確かだよ」

 自分の神力探知技術もまだまだだと実感したところで、机の上に広げてあった手巾で砂を包み込んだ。もともとハウトの額にあった雫型の〈核〉、そして魔獣の角に変化した砂だ。

 サラスヴァティーが崩れた欠片のように目玉だとか指だとか、ある程度形が残っていればもう少ししっかり探れただろうが、ここまで原形を留めていないとやはり難しい。元の〈核〉に宿されていた力とハウトから生じた魔力が合わさって余計に気配が混じっている。

「殿下は外遊先で買ったって言ってたけど」

「売っていた方は〈核〉だと分かっていたのでしょうか、それとも……」

「分からないな。その辺りは殿下自身も知らないみたいだったし」

「外遊先は聞いていないのですか? そこと一緒にどの店で買ったのか訊ねれば、私たちで確認できます」

「どこって言ってたかな。叔母さんと会ったくらいなんだから、レンフナ周辺じゃないかと思うけど」

「聞きに行ってみますか?」

「……聞ける状態になってるかな」

 二人そろってハウトの部屋に向かうが、彼はそこに居なかった。となると考えられる場所は――見当はついている。

 魔獣化騒動から早くも一週間が経った。王宮の修復も進み、滞在している身としてガレスたちも手伝った。どちらかと言うとそちらに時間を割いていたものだから、ハウトの〈核〉の気配を探る暇が今までなかったのだが。

 騒動の影響は、被害こそ王宮内に留まったものの、物音や噂は城下に広がっている。得体の知れない化け物が現れたとか、嵐が起きたのだとか、誰もが好き勝手に語り合い、尾ひれがついてさらに別の者が噂を話す。その繰り返しだ。

「……アニックさん、落ち込んでたな」

 回廊を歩きながらガレスがぽつりと呟けば、オリフィニアが「仕方ありません」と力の入らない声で言った。

 アニック老に借りていた本は二日ほど前に返しに行った。ドゥルーヴが騒動の中で死んだことも、その時に伝えている。彼を連れてくる旨を約束したのはガレスなので、守れなくて申し訳なかったと何度も謝った。アニック老は皺だらけの顔に悲しみを浮かべて「お前は何も悪くないんだろう」とだけ言い、返された本の表紙を懐かしそうに撫でていた。

 彼にドゥルーヴの死の真相を話すべきか悩んだが、結局ガレスは話さなかった。アニック老自身が望まなかったからだ。

「会いたかったでしょうね、ドゥルーヴさんに」

「ドゥルーヴくんも会いたかったと思うよ」

 もっと早く駆けつけていれば傷を治して助けられたかもしれないのに。いや、傷を治したところで失血していたのだからどのみち危なかったかも、とガレスはこの先も悔いるだろう。良いことなのか悪いことなのか、今はまだ分からない。

 回廊を出て王宮の裏に広がる庭に向かう。一つの村ほどの広さがある庭の自慢は花園だというが、それを横目に見ながら通り過ぎて外れの方にある鬱蒼と生い茂る木々の下を目指した。

 木の柵で区切られた一帯はやや薄暗く、木漏れ日だけが届く。そこにハウトはいた。しゃがみこんだ背中はいくぶん小さくなったように見え、ガレスたちが殿下と声をかけてもしばらく反応はない。ようやく振り向いたのは、ガレスが肩を叩いてからだった。

「……なんだ、そなたたちか」

「お邪魔をしてしまって申し訳ありません」

「いや、構わぬ」

 ハウトの目の前には縦に長い石がある。粗く削られて不恰好なそれは下半分が地面に埋まり、しんと静かに来訪者を待ち構えていた。

 周りには似たような石があちこちに突き刺さっている。だが数は多くなく、そのほとんどが落ち葉にまみれ風雨にさらされ、長年放置された形跡があった。

 どれも王宮に仕えた者たちのための墓だ。小間使いのための墓が王宮の敷地内に作られることはほとんどないというが、この辺りに眠るのは王族のために命を落とした者たちだ、とガレスは数日前に聞いている。

 三人の前にひっそり佇んでいるのは、他ならぬドゥルーヴの墓だ。

 とはいえ石に名前は刻まれておらず、周囲との区別のしかたなど石が新しいか古いかくらいしかない。

「俺の罪は罪として裁かれなかった。だがドゥルーヴが自死を選んだのは……選ばせたのは俺の罪でなくてなんだというのか」

 墓の手前には花が供えられている。ガレスが供えたものもあるが、大半はハウトが手折ってきたものだ。彼は毎日、時間の許すかぎり墓に訪れ、ドゥルーヴと声なき会話を交わしているのだろう。

「俺はまた友を失った。俺のせいでだ。俺は何度同じ過ちを繰り返せば済むのだろうな」

「ええ、そう思います」

 坊ちゃん、とオリフィニアに制されたが、ハウトの言葉を上辺だけでも否定は出来なかった。

「恐れながら、殿下は何事にも執着しすぎるきらいがあると思います。悪いことと断じることは私には出来ませんが、正直に言いますと、見ていて鬱陶しいです」

「坊ちゃん!」

「……いや、ガレスの言う通りだ。鬱陶しいと思われても致し方ない」

「殿下。過ちに気付くことなくのうのうと生きるより、間違いだったと気付くのは素晴らしいことです。ですが間違いを後悔するばかりではなく、次からは間違えないと学ぶのも大事ではないでしょうか」

「だが、また同じ間違いを犯してしまったらどうすればいい」

「その時はまた反省すればいい。過ちに囚われてばかりではなく、前を向く努力もしなくては」

「……ドゥルーヴも、そう望んでいるだろうか」

「死者の考えは分かりませんが、恐らくは」

「そうか」

 ハウトはそっと石の表面を撫で、もう一度「そうか」と呟いてうな垂れた。肩が震えているのは泣いているからだろうか。ガレスもオリフィニアも、黙って様子を見つめていた。

 結局ハウトから話は聞けないまま、二人は王宮の部屋に戻った。ハウトが完全に立ち直るにはもう少し時間がかかるかも知れない。

 失礼します、と女中がガレスを訪ねてきて、手紙を置いていった。差出人を見てみると「シェダル・エアスト」とある。父だ。

「なんて書いてあるんですか?」

「待って、俺もまだ読んでる途中だから」

 手紙にはサラスヴァティーが幻獣であったと突き止めたことの労いと、帰国はいつ頃になるかとの心配が書かれていた。お土産もよろしくと下の方に記したのは母だろう。

 幻獣調査は済み、女神を蘇らせない代替案も提案した。魔力も浄化したし、もうファラウラに滞在する理由はない。明日か明後日にでも出発するのが良さそうだ。その旨を国王に知らせると、労いの宴を開かれかけたので丁重に断った。

「せっかくのお誘いだったのに、どうして断ったりしたんです?」

「だって宴って三日三晩続くんだろ? これからまた砂漠を歩いて行かなきゃいけないのに疲れるよ、そんなの……ただでさえここ数日体を動かしっぱなしだったから休みたいのに。体力温存のために寝たいんだよ、俺は」

「国王陛下からのお誘いを断るなんて、シェダルさんなら絶対にしないのに」

「父さんの場合は断ないんじゃなくて断ないんだろ」

 国王が「宴の代わりに」と大量の品を用意したと知ったのは、翌々日、出発当日の朝だった。

 国王の病の快癒に、魔獣の浄化と修復の手伝いなど、様々な功績を考慮して考えたという品々は百以上あった。とても二人で持ち帰れる量ではない。あまりの多さにガレスは言葉を失くし、オリフィニアも目を丸くしていた。

 故郷に到着するまで荷物を運ばせようかとも言われ、さすがにお願いしようと思ったところで、庭の方から驚きと歓声が聞こえてきた。何ごとかと誰もが慌てる中、走ってきた女中の一人が「巨大な青い鳥が!」と訴えたことで、騒ぎの原因が何なのか、ガレスとオリフィニアにはある程度の予想がついた。

「あ、いたいた、ガレス! フィニ!」

 国王と共に庭に向かうと、聞きなれた声が二人を呼んだ。

 金髪のお下げ頭と丸い眼鏡、顔や腕にくっきり刻まれた数多の傷跡。それを気にさせない溌剌とした笑みを浮かべているのは、間違いなく叔母のリリトだった。彼女の後ろには太陽を隠してしまうほどの大きな鳥がいる。叔母の相棒を務めている幻獣・不死鳥フェニックスである。

「叔母さん、なんでここに」

「私の用事が終わったし、ガレスの方も終わったみたいってお兄ちゃんから連絡があったから寄ってみたの! あら、少し見ない間に顔つきが変わったわね。大人になったって感じ! フィニも元気だった? 女神は蘇らせずに済んだ? 誰が作ったのかとか分かった?」

「あとで順番に教えるから一気に聞かないでよ!」

 叔母には国王との挨拶を促し、ガレスとオリフィニアは周囲の騒ぎをうるさそうに眺めている不死鳥に近づいた。「セロン」と呼びかけると、彼はゆったり首をもたげる。面倒ごとを頼まれると察知したのか、わずかに体を引かれた。

「あのさ、お礼にってすっごくたくさんお土産を用意されたんだけど……、俺たち二人じゃ持ち帰れないんだよ。だから、さ」

「僕に運ばせようって言うの?」

 まさか巨大な鳥が人の言葉を話すと思わなかったのか、集まっていた人々が一斉に悲鳴のような声を上げた。国王もリリトと言葉を交わしていたのに固まっている。セロンと呼ばれた不死鳥が「僕が喋るといつもこうなる」と大きくため息をついた。

「別に僕に頼まなくたっていいでしょ。町に出たら荷運びとか商売にしてる人くらい捜せるんじゃないの」

「でも知らない誰かに頼むよりセロンに頼んだ方が確実だろ。背中に乗せるか、脚で掴むかしたら持っていけない?」

「持っていけるわよね、セロン!」挨拶が済んだ叔母が戻ってくる。「ついでに私たちも家に帰って報告できるし、二人も送っていきましょう。ちょうどいいじゃない!」

「ちょうどいいと思ってるのは君だけだよ。僕の意見は最初から聞く気ないんだな……ああ、もう。分かったよ」

「ガレス! オリフィニア!」

 王宮から焦ったように誰かが駆けてくる。ハウトだった。数日前に比べると顔色が良くなり、表情も和らいでいる。彼は鳥の巨体に慄きながらガレスに近寄ってくると、「帰るのか」と寂しげに言った。

「ええ。調査は終わりましたので」

「そうか……もう少し滞在していっても構わないのだが」

「だらだら居座ってお世話になるのも申し訳ありませんし、ちょうど迎えも来たものですから」

 迎えに来たつもりなんてないんだけど、とセロンがぼやいたのは無視した。

 ハウトはガレスを引き止めるための言葉をあれこれ探していたようだったが、最適な台詞はないと悟ったのだろう。諦めたように目を伏せ、そっとガレスの手を握ってきた。

「そなたには迷惑をかけっぱなしだった。すまなかった」

「謝らないでください、殿下」

「だが……」

「謝られるより、俺は感謝される方が嬉しいです」

 ハウトはきょとんと首を傾げたが、すぐに「なるほど」と頷いた。

「……ありがとう。そなたのおかげで、俺は前を向けた。後悔が消えたわけではないが、俯いてばかりもいられぬと教えられた。感謝する。……それと」

「はい」

「俺の、友になってはくれないだろうか」

 今度はガレスがきょとんとする番だった。ハウトは自信のない子どものようにじっと返事を待っている。

「――俺でよろしければ、よろこんで」

 はっと顔を上げたハウトの目には、もし断られたらという不安がありありと浮かんでいた。ガレスの返事に今にも泣きそうに顔を歪めていたが、涙を堪えて毅然と前を向いた時、瞳には力強い光が宿っていた。

 そうだ、彼にはまだ聞かねばならないことがある。ハウトが〈核〉を購入した外遊先とその店のことだ。店の名前までは覚えていなかったが、位置は記憶していたようなので教えてもらい、しっかり紙に書きこんだ。

「またいつでも来るといい。ファラウラはそなたたちを歓迎する。客として、かけがいのない友として」

「ありがとうございます」

 ハウトと固く握手を交わしたところで、ガレスの体がぐんっと宙に浮いた。セロンのくちばしが服を掴んだらしい。間もなくふかふかした羽毛に足がつき、先に背中に乗せられていたオリフィニアと叔母がガレスの驚いた顔を見ておかしそうに笑っていた。

 落ちないように気を付けながら下を覗き見れば、国王からの品が箱に詰めて置かれていた。セロンはそれを足で器用に掴み、勢いよく羽ばたいた。何人かは風の勢いに吹き飛ばされてしまったが、国王とハウトはなんとか支えられている。

 どんどん遠ざかっていく王宮の人々に手を振り、最後に大きく「お世話になりました!」と叫んだ。それを合図にしたように、セロンが悠々と進路をレンフナに向けた。ちらりと見えたドゥルーヴの墓にも手を振り、あっという間に城下を飛びぬけていく。空を見上げた人々が巨大な鳥に気付いて仰天する声が聞こえてきた。

「殿下となにを話されていたんですか?」

「〈核〉を売ってたお店のこととか、あとは……友だちになってくれないか、とか」

 まあ、とオリフィニアは意外そうに目を丸くした。

「なんとお答えしたんです?」

「俺でよろしければって。言ってたろ、『互いが互いを大切に、目に見えない糸でつながっているような』『俺の言葉に賛成するだけでなく、反対もしてくれるような』って。殿下はそういう友だちが欲しかったんだと思う」

「その点、坊ちゃんは素直でしたもんね」

 女神を蘇らせるのは無理だと言ったり、いい加減にしろと怒鳴ったり。ハウトにもたらしたのは苛立ちばかりではなく、きっと新鮮さもあったのだろう。

 一仕事終えた気分で大きく伸びをすると、「お疲れさまでした、坊ちゃん」とオリフィニアに肩を撫でられた。

「フィニもね。ありがとう、浄化する時とか助かった」

「ねえねえ、ファラウラはどうだった? 楽しかった? 浄化ってことは魔力があったのね」

「うん。でもあまり強力じゃなかったよ」

「強力だろうとなんだろうと、私が行かなくて正解だったわ。だって私やセロンじゃ浄化なんて出来ないもの! ねえ、他にはなにかあった?」

 きゃっきゃと少女のように話を聞きたがる叔母を「帰ってから全部話すから」と諌めて、ガレスはもふっとセロンの背中に倒れ込んだ。

 ――大変だったけど、楽しいこともあったよなあ。

 ――最初は調査なんて面倒くさくて嫌だったけど、案外悪くないかも。

「フィニ」

「なんでしょう?」

「次にどこか調査行く時もさ、一緒に行こうよ」

「ええ、ぜひ。私も坊ちゃんと行きたいです」

 オリフィニアに微笑まれ、ガレスも同じように口許を緩めて右手の小指を差し出した。オリフィニアも倣って指を伸ばしたところで、約束を確かなものとするようにしっかり絡め合わせた。叔母は「若いわねえ」と羨ましそうに眺めていた。

 眼下にはファラウラに到着早々目にした岩の防壁が続いている。あっという間に通りすぎるそれを振り返った時、誰かが壁の前で手を振っていたような気がした。


                      終

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女神に捧ぐ頌歌―彼方に集う獣たち― 小野寺かける @kake_hika

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