第10話 脱出と旅立ち、勅命と欲望

 リベルトを先導していたゴーレムの気配が、消えた。オルフレードはそのことを、書斎で察知した。

 それがリベルトの敗北を意味するのかまではわからない。だが、それはしばらくの間、ゴーレム達が到着しては破壊され続けた場所での出来事だった。やはりアリエキシアスはずっとその場で待ち構え、リベルトを迎え撃ったのであろう。

 いずれにせよ、既に周囲にゴーレムを配置してある。閉所で押し寄せられれば、一溜りもあるまい。

 後はゆっくりと、死体を検分するだけでよいのだ。


「馬車の準備は出来ていますね?」


 いよいよもって、アリエキシアスを略取するために、自分も下水路へと行かねばなるまい。使用人に声をかけると、館を出る。

 空が明るい。既に朝日は昇りきっている。澄んだ晴天を見上げ、これからのことに胸が弾む。

 “無窮の”ターグディムスが持つ叡智の片鱗が、自分の手に入るやもしれぬ。それも、もしもターグディムスの根城であった塔に立ち入る手段が手に入ったならば、きっと自分は帝国最高の魔法使いとなれるだろう。

 そうなれば、もしもリベルトを喪っていたとしても、十分に元は取れる。もはや帝都での権威、権勢は思いのままだ。不可能などありはしない。

 ────

 人の好さそうな笑みを保ったまま、二頭立ての馬車に乗り込む。その中で下水路の地図を広げ、ゴーレム達の動きを確認する。


「ふむ、三体が交戦を開始……やはり移動していない。全て迎撃するつもりか?」


 ならば、そのまま物量で圧し潰すのみだ。残るゴーレムの数は十二。その場に集結させたゴーレム全てに攻撃を命じ、一点に殺到するのを知覚する。


「“魔力”は」「“逆流”する」


 何かが、聞こえた気がした。

 声だ。麗しい、女の声。だが、音ではない。耳で聞いた声ではない。

 なら、何で聞いた?


「“使い魔”が」「“四体”あらば」「“逆流”する」


 今度は、もっとはっきりと聞こえた。それは耳ではなく、脳が、精神が、魂が聞いているのだと、オルフレードは直感した。

 


「“”に」「“魔法”を宿せば」「“逆流”する」

「────いかん!!」


 この声は、アリエキシアスの声だ。彼女が、ゴーレム達に語り掛けている声だ。

 今、アリエキシアスはゴーレムを通じて、オルフレードに魔法をかけようとしている!


(解かねば!一刻も早く!!)


 既に唱えられた“逆流”は三つ。この三つの数を無害な数に分解せねばならない。

 オルフレードは素早く脳裏に数字を巡らせ、解を導き出そうとする。だが、それよりも先に、歌うような女の声が結末を紡いだ。


「“逆流”の先に」「“術者”あるならば」「“破壊”せよ」

「“逆流”の先に」「“魔法使い”あるならば」「“燃え上がれ”」

「“逆流”の先に」「“敵意11”あるならば」「“”に沈め」


 馬車の中で、轟音が響く。

 驚き、御者が中を見ると、そこには引き裂かれ燃え盛る、当主の無惨な姿があった。












 いくつかある下水路の出口。川へと通じるそこから、一人の男が出てきた。

 黒髪に太刀を佩いた男、トゥーラである。

 周囲を見ると、そこは帝都からやや離れた場所だとわかる。空は晴れ渡り、広い平原と森、そして遠くに城壁が見えた。

 人影がないことを確認すると、下水路の奥に呼びかけた。


「おい、出てきていいぞ」


 その言葉に、まずアイナが短いスカートを揺らしながら小走りで出てきた。もう、下水路からは一刻も早く出たいといった様子だ。

 次いで出てきたのは、アリエキシアス。彼女は彼女で「いやぁ、勉強になった」などと笑っている。


「やっと出れたぁ……もうすっかり昼じゃん」


 心底うんざりしたように、アイナが呻く。記憶を失くして異世界に来たと思えば、謎の兵士に追われ下水に身を潜めるという経験は、あんまりにも過酷であった。

 汚水でぐっしょりと濡れたシャツが肌に張り付いて気持ちが悪い。実際には汚水は全て浄化されているそうなのだが、どうあれ濡れた衣服というのは不快だ。

 ふと、同じく水に潜っていたアリエキシアスを見る。彼女はと言えば、随分と爽やかな表情だ。陽光の下で見れば、むしろ濡れ髪も艶やかに、色っぽくすら見えてしまう。出会ってからずっとドタバタとしていたが、改めて見るとこの小柄な魔導師は、驚くほどの美人なのだと思い知らされた。


「水も滴るいい女ってなぁ、このことだ」


 ケラケラと笑うトゥーラの視線は、どこかいやらしい。アイナはそっと胸元を隠しつつ、アリエキシアスに話を振った。


「それで、これからどうすんの?」


 あれだけの騒ぎになって、帝都に戻ることなど出来はするまい。しかも下水路では騎士をころし、ゴーレムを送り込んでいた魔術師も────


「呪い殺したとも。会心の出来だった……今頃は砕けて燃えて、絶命していることだろうよ」


 豊かな胸を張って、アリエキシアスが自慢する。

 実際、呪いというのがどういうものだったのかはアイナにもトゥーラにもわからない。ただ、ゴーレムとその主の間にある魔法的な繋がりを逆流したのだ、とは聞かされていた。

 いずれにせよ、騎士も宮廷魔術師も、国家において重要な存在だ。そういった人々を殺害した以上、言い逃れのしようもなく指名手配犯になったことだろう。

 ならば、これからどうするのか。その問いに、アリエキシアスはあっけらかんと答える。


「どうせ旅に出るつもりだったし、このまま逃げてしまおう。もう少し帝都を見たかったけど、剣闘も下水路も見れたし、良しとしておこう」


 彼女は、まるで気にも留めていない様子で、呑気に伸びをする。

 理由もわからず殺されかけたこと。身を守るために殺したこと。そのどちらもが、取るに足らぬことであるかのような言い種だ。

 果たして、これはアリエキシアスが異常なのか。この世界では、これが普通なのか。異邦人であるアイナには、判断の出来ないことであった。











 帝城は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

 “無窮”の弟子、アリエキシアス・カリフィアによる殺人。オルフレード・アドルアルディ魔術伯爵とリベルト・ラストール卿の。当然のように、この二つの事件は結びつけて考えられた。

 すなわち、アリエキシアスは夜の帝都に潜んだ後、オルフレードとリベルトを暗殺せしめたのだと、宮廷の者達はそのように考えていた。

 しかし、皇帝ヴィルフレドの胸中には、疑念が渦巻いていた。

 アリエキシアス・カリフィア。あの美しい女魔導師が、このような凶行に及ぶ理由が、皆目わからぬのだ。彼女は真理の探究に生きる者。知的好奇心の権化とも言うべき女が、このような事件を起こすとは考え難かった。


「あるいは、好奇心故に……かもしれませんな」


 そう口にしたのは、厳めしい顔つきの、初老の男だ。

 コスタリオ・サルヴェルガス魔術侯爵。オルフレードと同じく、爵位を預かる魔術師である。


「元より帝国に臣従せず、ただ学ぶためにのみ魔法を学ぶ者。その才覚の一切を酔狂に投じる者であれば、如何な理由で狂を発しても不思議は御座いませぬ」


 俗世より離れた者であるが故に、計り知れぬ理由でもって凶行に及ぶこともあろう。コスタリオの言葉に、ヴィルフレドは低く唸った。

 ヴィルフレドは“無窮の”ターグディムスにも、アリエキシアスにも好感を抱いている。ターグディムスは、リヴォグリフ帝国を幾度も救った英雄だ。十年前の魔王との大戦も、三十年前の大地震も、彼のお陰で乗り越えることが出来たのだ。それ以前の活躍も、父である先帝からよく聞かされていた。ターグディムスは、ヴィルフレドにとっても英雄なのだ。

 だから、その弟子がそのような愚行に及ぶとは、考え難い。考えたくはない。


「……だが、疑いは強いか」


 呟いてから、深く、深く溜息を吐く。

 少なくとも、真偽は確かめねばなるまい。その為には、アリエキシアス本人の身柄が必要となる。いずれにせよ、彼女を追うことは不可欠だ。


「アリエキシアスを捕らえよ。話を聞かねばならぬ……必ずや生け捕りにするのだ」

「────御意に」


 神妙な顔つきで、コスタリオが頭を垂れた。

 これは皇帝からの命令、すなわち勅命である。この帝国において、万事に優先するべきものだ。

 斯くして、魔導師アリエキシアス・カリフィア……貴族殺しの容疑でもって、指名手配と相成った。これがアリエキシアスの旅路にとってどれほどの障害になるかは、未だ誰にも知りえぬことであった。

 その上で、それ以上の問題がある。


「“無窮”の塔……他の者に渡すものかよ」


 独り、コスタリオが呟いた。

 “無窮の”ターグディムスが修めた叡智、蒐集した秘宝。それが魔法を修める者にとってどれだけの価値があるのか。それが、どれほどの魔術師、魔導師を狂わせるのか。それをおそらく、アリエキシアスは気づいてすらいないだろう。

 数奇なる冒険者達、その旅路はまだまだ、これからなのである。

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彷徨のアドベンチャラー 悟 小吾 @5satusouya

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