優のパラドックス
「非常灯が……」
乃々ちゃんが呟いた。
赤くなっただけで周囲は不明瞭だが、彼女の顔は、はっきりと見えた。
それはそれで良かった。けれど、異様な形態の化け物の姿も目に入った。植え付けられる恐怖。もう少し早ければ翔ちゃんは……と心が青ざめながらも思う。
つんざめくような奇声が鳴り響いた。
「もう、いや……」
一度勇気を振り絞ったがすぐに心が折れ、私はその場に座り込んだ。
翔ちゃんの仇なんてとれそうにもない。
「優、問題ないよ」
乃々ちゃんがいう。
「落ち着け。落ち着くんだ」
私は乃々ちゃんの言葉に後押しされ、足を震わせながらも立ち上がった。
そこであることに気がついた。
あれ? 美羽ちゃんは?
どこにもあの巻き髪の可愛らしい眼鏡っ子の姿がない。
まさか……壁の先にある通りの床に制服の切れ端が見える。
でもあれが美羽ちゃんのものとは限らない。
私はそう思うことにして、無理矢理胸を撫で下ろした。
感覚が麻痺している、とその次にその台詞が頭を過る。あれが美羽ちゃんのでなくても、クラスメートの誰かのものだ。
乃々ちゃんが走り始めたので、銃を構えながら私は後に続いた。
化け物は食事をしているのか、ぺちゃぺちゃと遠くで音を立てるだけで、まだこちらに向かってくる気配を見せない。
やがて、Aブロックとの境を仕切るドアにたどり着いた。
「おい、開けてくれ」
航平くんが懇願する。
「ダメだ。こちらにまで侵入してくる」
男の人の声がした。
「このままでは……」
「開けて、開けてよ……」
私は乃々ちゃんの台詞を遮るようにドアの向こう側へと懇願した。
食事を終えたのか、化け物がこちらに向かってくる足音をさせる。
おにいちゃん、お願い。優たちを助けて。
そして、奇声があがった瞬間だった。乃々ちゃんが絶望の淵へと追いやられた私の身体をギュッと抱きしめた。
「優、良かった。また会えたよー」
気がついた瞬間、乃々ちゃんが背後から抱きついてきた。
え……死んでない……助かったの?
あれほど酷かった身体の痛みがすべて消えていた。
急いで翔ちゃんの姿を探す。
「死んだかと思ったよ」
隣でその翔ちゃんがにこりと笑う。
その向こう側には美羽ちゃんの姿もあった。
良かった、と何はともあれ大きな息を私は吐いた。
「君たちは戻ったんだよ。良かった、間に合って」
操舵室の前に立っていたMEGが穏やかな口調で、私たちに声をかけてきた。
「戻った……?」
MEG曰く二週間前に戻ったという。
「時計を見てみなよ」
確かに壁に取り付けられたカレンダー付きの時計は、二週間前の時を刻んでいた。
「ねえ、翔ちゃん。本当に戻ったのかな?」
私のこの質問に翔ちゃんは静かに頷いた。以前とまったく同じだと返してくる。
確かに見える範囲の状況は変わっていない。けれど、それはおかしい。私の体内時計の針は進行方向にちゃんと進んでいる。確実に今日は先ほどまでの日付のはずだ。戻った時にズレが生じたということなのだろうか?
「ここからまた対策を進めよう。そのためにこの時間遡行プログラムはあるんだ」
MEGは私の困惑に関係なく話を進める。
「死ななかったんだったら、なんでもいいや」
航平くんがいう。
「そうだね」MEGが相槌を打つ。「画期的な開発といっていただろう? 出発直前に僕にインストールされたんだ。そうだね、きみたちはそういう意味では死なない。後、気がついたと思うけど、能力の説明もしておくよ」MEGがいう。「知っての通りちょっと感覚的なものが多分に含まれているからね。体験してもらうまで混乱を招くだけだから、時間遡行と能力についての説明はしなかったんだ。頭脳や身体的な理由で固有能力は真似できないものがあるけど、共有でできるものは浸透していくよ」
彼の説明は論理的にはおかしいものではない。
けれど、なんだろうこのどうしようもない違和感。でも、翔ちゃんたちを含め、私のような違和感を抱いている者は誰もいないようだ。
結局、また私の方が間違っているのかな……
「私くらいにはいってくれても良かったんじゃないか? 実際驚いたわ」
叶先生が珍しく表情を崩している。
でも、決して何かを疑っている感じには見えない。誰も何も思わないのだろうか。でも、こんな時に正樹くんが先生に何か冗談めいたことをいうはず。それがヒントになるかも、そう、正樹く……あれ、正樹くん?
「ねえ、翔ちゃん。正樹くんがいない……」
いつも最前列でおちゃらけている正樹くんの姿が見えないことを不審に思った私は翔ちゃんに確認した。
「正樹? 誰?」
「覚えていないの?」
翔ちゃんの返答に困惑した私は不安に心を苛まれそうになった。
「え……ああ、正樹」
良かった。覚えていたんだ。
何はなくともほっとする。
けれど、すぐに背後からそれを否定するような言葉が聞こえてきた。
「正樹くん、久しぶりだね。乗ってないからねー」
と、私の背筋を凍らせる乃々ちゃんのあっけらかんとした声。
正樹くんが乗っていない……
「だって、何かしら理由があったら免除されるっていってたじゃん。忘れたの? 優」
……そんなはずはない。
私たちは毎日のように会っていた。そう、いつだって……
どうしよう、手の震えが止まらない。
「どうしたの? 優?」
翔ちゃんの隣にいる美羽ちゃんまで心配そうにこちらを見つめてきた。
気を遣わせたらだめ……なんだけど、なのだけれど……
でも、戻るって? 戻ったりしたら、並行世界みたいなのができるんじゃないの? 偉い科学者さんたちでそれは立証されているって聞いたことがある。それに、物理法則を無視して時間が逆行するなんてことはないはず。
そうは思いはするけれど……
「おい、優」
今度は翔ちゃんが、私の肩を持って強く声をかけてきた。
「いや、何も……ううん、そうだよね。ダメだね、私って」
ヘラヘラと笑って、その場を濁した。
怪訝そうな顔で私の親友たちが私を見つめてくる。
「ちょっと顔を洗ってくるね」
いたたまれなくなった私はそういって、席を立った。
どうなっているんだろう。
部屋から出るタイミングで、MEGの方をちらりと見やる。表情は不変なのでわからないが、何事もないようにMEGは周囲に語りかけている。
彼も何も気がついていないようだ。
だから、私がきっとおかしいんだ。
ふらふらと手洗いの方角へと向かう。
通路を折れ曲がったところにある路地へと入った。
そこで突然背後から肩を掴まれた。
大きな手、男の人?
私は恐怖に怯えながらもゆっくりと振り返った。
誰、この背の高い大人の人? ツーブロックで凛々しい顔をしていた。でも、ここの制服を着ている。ということは、ここの生徒……?
いや、違う。ううん、違うことはないのだが、私にはその顔に見覚えがあった。
「おにいちゃん……?」
私は恐る恐る尋ねた。
「優、気がついたんだな。どうやってわかった?」
おにいちゃんがよくわからない質問を返してきた。
「どうした?」
キョトンとした顔をしながら、尋ねてきた。
「どうしたじゃないよ。行方不明だったのに……なんでこんなに急に現れるの?」
胸の鼓動が止まらなくなった。
少年時代の彼しか知らない。涙が勝手に目から溢れてくる。
「ああ、悪かった。でも、こうするしかなかったんだ」
おにいちゃんがいう。
「何をいっているの? 何を……」
声がか細くなっていく。
思考が状況についていかない。でも、嬉しいことには間違いない。でも、何がなんだか……
すぐに、ドン、と音がした。
おにいちゃんが壁に片手をついて私を見下ろしたのだ。
「……優雅、落ち着いてよく聞け。俺はすぐにここを立ち去らなければならない。深く説明をしている時間はないんだ」
おにいちゃんはそういうと、これからしなければならないことを淡々と私に説明し始めた。
終焉のロンギヌス 零 @bjc
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