絶望のロンギヌス

 一年なんてあっという間だった。

 その高速に過ぎ去る時の中で、私は十七歳になった。

 夏休みが終わり、ちょうど学校の二学期の始業式が始まる辺りで、MEGにロンギヌスへと案内された。

 内部は、私たちがMEGに連れられて通った道だけでは全体像を把握できそうになかった。だが、かなり歩かされたので恐ろしく広いスペースであろうことは容易に想像がついた。

「基礎疾患がある人とかは免除されるっていってたけど、誰も脱落者はいないようね」

 翔ちゃんが周囲を見回していう。

「たぶん、何本かエレベーターが走っているんじゃないかな? 私たちが搭乗するのはその何本かのうちのひとつだと思う」

 美羽ちゃんがどうしてそう思ったのかは不明だが、推察を述べる。

「美羽は勘が鋭いから、合っている可能性は高いねー。まあ、MARの予測には負けるけれど」

 翔ちゃんが嫌味を返した。

「いくら私でもAIの計算に勝てるわけないでしょ。ね、優」

 と、すかさずツッコミの声。

 美羽ちゃんに賛同を促された私は、笑い声で相槌を打った。

 美羽ちゃんの地層エレベーターの話を聞いたせいか、次の瞬間、MEGと初めて出会ったあの日のことが私の脳裏にフラッシュバックされた。

「きみたちには、地層側のエレベーターで、反対側に行ってもらおうと思っているんだ」

 MEGがいった。

「何年かかるんだよ、もうそんなんものは過去のものだろ」

 そういって、ため息をつく正樹くん。いつものおちゃらけた様子は微塵も感じられない。

「裏側? 背面? そんなところまで到達した人なんてひとりもいないのではないのかしら?」

 翔ちゃんもいつになく真剣な面持ちで尋ねる。

 叶先生の方を見たが、落ち着き払っていた。事前に説明を受けていたのかもしれない。

「到達は可能だ。きみたちがもっとも信頼するであろうMARの予測だ。でも、正確にはわからない。大幅なブレ幅があるんだ。最大で百年のね」

 と、MEG。

 この言葉に教室はざわついた。私の心中も穏やかではなかった。いくら寿命が延びるといっても百年などという途方もない年月をエレベーターの中で過ごすことなんて……

「大丈夫。到達予測の最短は一年だよ。だから、最悪でもきみたちの寿命半分くらいには到達すると僕はみている」

 MEGが諭すようにいう。

 MARの一部であるMEGの言葉であるから、信憑性は高いのだろう。だからといって、鵜呑みにできない。科学に反論しているようで、それがおこがましいのはわかってはいるのだけれど、こればかりは……

「革新的な何かが起こることを予測に入れているんだ。それは必ず未来に発生するよ。問題はマックスまでかかった場合だ。現在の兵士たちに新薬を投薬しても未知数でね。その時に歳をとって予想外に体力が衰えていたら、コアが破壊できるか不明なんだ。だが、きみたちの年代であればその点は問題ない。いいかい、人類の願いを叶えるためにはきみたちの世代の力が必要なんだ」

「プロセッサーが待ち構えていたらどうするんだ?」

「彼らはそこから私たちが来るとは思っていない。僕の予測ではそう出ている」

 そういってから、どんぐり眼は私たちを見つめる。

 MEGは嘘はいわない。さらに1%しか外さない予測……よほど運が悪くないと悲惨な目に遭うことはないはず……なの?

「地下のある程度まで潜るとそこから先は……過去の遺物よ」

 翔ちゃんが珍しく不安を漏らす。

「本当に反対側なんてあるのか?」

 と、航平くんも。

「もちろん。存在はMARのデータで確認されているし、観測もされている。きみたちが誰も帰ってきていないことで不安になることは仕方がない。しかし、それは寿命の制限があったからだよ」

 穏やかな声は、何か私たちを導くような説得力を感じさせた。

「いずれにしても、問題ないよ。不完全だけれど、感覚や知識を共有できるようになるんだ」

 そして、その日から私たちの訓練は始まった。

 記憶を遡り終えた私が我に返った時には、既に広々としたロビーに引率されていた。

「この区画はBブロック。つまりきみたちがこれから下まで暮らす居住スペースだ……」

 MEGが訥々と語り始める。

 その説明は私の頭には入ってこなかった。

 実はロンギヌスのある区画の風景が、ずっと私の胸を締め付けていたのだ。

「おにいちゃん……」

 あの付近で行方不明になった統和おにいちゃんのことを思い出す。

 私はあの時から、彼が家に帰ってくる日まで時間を数えようと思った。それが理由で、時間を正確にカウントできるという現代に不必要な能力を身につけることになったのだ。そう、おにいちゃんが帰ってくるまでの時間を正確に数えるために。毎日、毎日、毎日……でも、おにいちゃんはまだ帰ってきていない。だから、私の知るおにいちゃんはまだ少年のままだ。

「私も引率として新薬の使用が認められたんだ」

 この叶先生の声でようやく私は我に返った。

「でも、先生結婚とかは諦めたのかよ?」

 正樹くんが調子の良い口調で茶々を入れる。

「……そんなことは貴様が心配することではない」

 叶先生がごつりと頭を殴りつけた。

 いつものほっこりとするやりとり。

 これを見てようやく私の胸のつっかえがとれた。

 

 そして、それからはや三ヶ月が過ぎ、地層エレベーターは私たちを乗せたまま地層五階で止まった。

「地中生物? なんだよ、この音……」

 正樹くんが怯えた声でいう。

 これは仕方がないことだ。いきなりこのようなところでつまづくとは誰も思わなかった。

 またぼこりとした音が鳴る。ここに来るまで、鋼鉄の壁の至るところに大きなへこみがあることを私たちは観測していた。

「プロセッサー? まさか、こんなところに来るはずは……だったら、とっくの昔に上に来ているはずじゃない」

 不安からか、乃々ちゃんが声を震わせる。

(Bブロックは隔離されます)

 突然、アナウンスが天井から聞こえてきた。

「な、何だよ隔離って……だが、そうはいっても……」

「ああ、正樹、行くしかない」

 航平くんが力強くいう。

 その後、航平くんの提案により、最寄りのAブロックの方へと向かうことになった。

 そして、私たちが動き始めようとしたその時、一気に照明が落ちた。

「MEG、どうなっているの?」

 美羽ちゃんがMEGを睨みつける。

「そうだね。すまない。僕としては全て予測の範囲外。計算外だったよ。なぜなのか検討もつかないよ」

 無表情なので焦っているのか不明だが、言葉からするとMEGにしても想定外のことだったようだ。

 けれど、ここはそのような謝罪や言葉が欲しい場面ではない。

 全員がヘッドライトで前方を照らし、銃を構える。誰の知識なのかはわからないが、みんなの銃の扱いが手慣れているように見えた。かくいう私も同じだ。

 MEGがいう知識と感覚の共有とはこのようなことなのだろうか?

「姿が同化して見えないということ?」

 翔ちゃんが叫んだ。

 すぐに音だけが聞こえたかと思うと、壁に穴が空く。

「な、何……」

 それを見た私は、図らずも絶叫してしまった。

 不安だ、ヘッドライトの先は暗闇。何も見えない。

 その見えない何かは、先ほどからずっとぺちゃぺちゃと有機的で嫌悪感しか抱かせない音を前方で小さく発している。

 ダメ、怖い。すぐそこにある暗闇から襲われそうな気がする。脚がすくんで一歩も動けない。

「大丈夫だよ、優。私が守ってやる」

 ふっと優しい声が私の身を包んだ。

「翔ちゃん……」

 銃身を前にし、スラリとした足を肩幅に広げ、私の憧れの翔ちゃんが未だ姿も見えない敵へと相対する。

 弾が放たれる。怒号にも似た奇声があがった。ずどん、とその場に大きな何かが倒れる音がした。

 倒した……やったね、翔ちゃん。

 と祝福の言葉を述べようとした私だが、すぐに口を閉じた。

 あれ? この足音、この歩幅。一体じゃない。それに時間にして約五ミリ秒速い。

 翔ちゃんはそのまま前進しようと歩を進める。

「翔ちゃん、ダメ!」

 見惚れるような美しいその歩みを私は制止した。

 あ……

 次の瞬間、そのスレンダーな胴体が捩じ切れた。

 この世のものとは思えない断末魔の悲鳴。それが半分になった翔ちゃんによるものか、その化け物が叫んだことによるものか、突進の際に跳ね飛ばされた叶先生のものかはまったくわからなかった。

 いずれにしても、私はそれから一瞬で目を背けた。

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