終焉のロンギヌス
零
ドラッグ・オブ・MAR
私はよく周囲からおっとりした性格だといわれる。
自分ではそんなつもりはない。年齢相応に周囲に合わせた反応を返しているし、痛いことをされたらちゃんと痛いという。だが、みんながそう思っているのだったらきっとそれはそういうことなのだろうと思う私も心の中にはいる。
「ねえ、聞いた。今日の朝方第二防衛線が破られたんだって」
背後から乃々ちゃんが第一と第二を間違って伝えてきた。
指摘した方がいいのかな? とは思うのだけれど、五秒後にはもしかしたら私のテロップの見間違いかもしれないと思い直した。
「でも、まだ有効な防衛層もある。防衛圏は私たちが生きている間は持つから、私たちの世代では問題ないよ。MARの予測、プロセッサーが到達する頃には誰も生きてはいない、ギリギリではあるけれど」
左から翔ちゃんがそう声を私たちにかけてきたが、乃々ちゃんの間違いを指摘しない。
ということであれば、私の方が間違っているという可能性の方が高い。
「そんなこといっていて前線に送られたらどうするの?」
心配性の美羽ちゃんが、翔ちゃんの向こう側から少し諌め気味の声をあげる。
「それはまずい! 私の優にそんなことさせられないぞ!」
私に覆いかぶさりながら、乃々ちゃんがいう。
甘くいい匂いがした。
「そうね。優が前線に行ったら、一瞬で終わりだもの」
翔ちゃんが冷静な意見を述べる。
みんな私のことを優と呼ぶ。けれど、私の本当の名前は優雅。全然優雅でもなんでもないけれど、優雅。どうしようもなくドンクサイのに。
だから、みんな私がこの名前を気にいっていないことを察してか優と名前の一部のみ切り取って呼びかけてくれる。そんなことは一回も頼んでいないのに。
気持ちが通じ合える本当に優しい仲間だ。大好きだよ、みんな。
いつも彼女たちと会話しているとそう思う。
迫りくるプロセッサーと関係しない人生をみんなと送りたいと心から願う。
「ん? どうした? 優」
美羽ちゃんが目を少し細めて声をかけてきた。
「あ、ぼーとしてた。ごめんね、美羽ちゃん。なんだかみんなでずっと一緒に入れたらなーって考えていたの」
本心をそのまま告げる。
美羽ちゃんの言葉が終わってから、時間にして11・5秒後のことだった。
「もう、相変わらずだね。もうちょっと頑張らないと」
翔ちゃんが呆れた声を出した。
彼女のいう通りだった。
運動音痴。勉強も中途半端。何事にも自信がない。頑張れない。
でも、そんな私にもひとつだけ誰にも負けない能力があった。それは、あることをきっかけに洗練された絶対的な時間感覚だ。一ミリ秒のズレもない。
けれど、すべて電子制御されたこの世界では無駄な能力だといえる。どの時計にも、時間のズレを観測したことはない。
それはそうと……
翔ちゃんの返しの後、みんなが固まったように私の方を見ているのに気がついた。注目を集めるのは苦手なんだけど……なんか、またまずいこといっちゃったかな、私。
手の指を絡ませて、私はうつむいた。薄茶色のスカートが目に入る。
「もう、馬鹿だねえ、優は。みんな一緒だよ、ずっとね」
と、美羽ちゃん。
その後、みんながにこりと笑う。
ああ、私はなんて幸せなんだろう。
彼女たちの笑顔に、私がほっこりとしていたのも束の間、
「おーい、うるさいぞ。早く座れ」
と凛々しい女の人の声がした。
叶先生だ。
教室に入ってくるなりいう着席を促すいつもの台詞。誰も抗うこともなく机を離れていたクラスメートたちは、皆そそくさと自らの机と向かった。
「今日はきみたちに朗報がある」
教壇につくなりそう告げた。
「朗報? いつも通り何か嫌な予感しかしないんだけど」
背もたれにふんぞり返りながら、正樹くんがいう。
これは……口元を隠す準備を始めないと。
いつもこんな時は、先生がウィットに飛んだ台詞を返し、正樹くんがやり込められる。事前準備を怠っていると口を手で押さえたくらいでは笑い声がとめられない。私はこのやりとりが大好きだった。
……?
私は少し困惑した。叶先生の表情はそのいつもとは違い真剣そのものだったからだ。
「君たちの世代が選抜された」
と、彼女はいう。
「……先生、まさか前線に送られる年齢層が変わったとか?」
航平くんが尋ねた。着込んでいる男女共用の焦茶色のブレザーがいつもブカブカに見えるほど痩せているので、少し神経質な印象がある。けれど、話してみると明るく、そんなことは全くない。
「いや、前線に送られるわけではない」
緩やかな声で航平くんの質問を否定する。
「なら、本当に朗報かもな。航平」
正樹くんがいう。
「その説明は、これから……」
と叶先生が声を教室のドアの方へとかけた。
ガラっという音がしたかと思うと、間口から妙な物体が現れた。小動物? ひと目見てそう思った。犬のようにも見えるが猫のようにも……小さなパンダのようにも見える。けれど、瞳が動かないどんぐり眼。図体のどこをとってもフカフカのモフモフのように見える。人間ではないのは明白、すなわちアンドロイドであることは間違いない。
「僕はアンドロイドMEG。いつもきみたちの生活を支えている高性能AI・MARから機能を一部与えられた存在……その方がきみたちにはわかりやすいと思う」
MEGと名乗ったそのアンドロイドはいった。
初見は奇妙に思えたが、見慣れてくるといくらか可愛らしい……かな? いつかはそう感じるのかもしれない。
「ところで、ロンギヌスは知っているかい? 優雅」
突然、流れるような穏やかな声が私にかけられた。ジリジリと無表情の中にある眼が私というひとりの臆病な少女を見つめ続ける。
え……?
呆気にとられた私は、図らずも言葉を失ってしまった。
ロンギヌスのことはこの世に住む者であれば誰でも知っている。それは地上を突き抜いた一本の槍。高軌道天・地層共用自立駆動型エレベーター通称ロンギヌス、宇宙と地層を貫くエレベーターのことだ。それを中心に円として私たちの街があり、よほどの理由がない限りにその中に私たちが入ることはない。内部にいるのは政府上層部や富裕層、彼らは宇宙側に。つまり宇宙エレベーターの何処かに住んでいるということだ。階級が高いほど上層階に居住しているといわれているが、一般の私たちがその実情を知ることはない。
ちなみに地層側は既に使われていない、過去の遺物となっている。
「そうだよ、あのロンギヌスのことだね。みんな知っての通り……」
MEGは私の返答を待たず、言葉を続けた。
こういうところがダメなのかな、私……
その後、52秒間私は自虐の世界へと入った。
「説明した通りだよ。今回の新薬は人類史上でもっとも画期的な発明といえるだろう」
「……でも、平気寿命が二倍以上に延長されるのはいいけど、皺々になるのはごめんだね」
心の深淵にいた私を置いて、いつの間にかクラスメートたちとMEGとの話は進んでいた。
「私たちにそれの治験の……被験者になれってこと?」
席から立ち上がって、翔ちゃんがいう。
「ねえ、優。そんなのやだよね。辞退一択だよ」
乃々ちゃんが私の背後から小さく声をかけてくる。
「正樹、その点は大丈夫だよ。老化現象も緩和される。それときみは……翔子だね。そう質問すると思っていたよ」
と、MEG。
「そう、それは良かった。とにかく、それはただの予測だよね?」
「僕たちの予測が外れる確率は1%もない。きみもそれは知っているだろう?」
私が聞いてなかった部分とその後のMEGの話を想像で補った上で要約すると、今後一年以内にその新薬が開発され、一般で運用に回されるタイミングはMARの予測では約一年後のことであるらしい。
MEGがいっている僕たちとは、MARの機能を持たされているMEGが僕にあたるので、その僕たちにはMARも含まれている。つまり、彼の予測イコールMARの予測である。そして、MARの予測が1%未満の確率でしか外れないのは、周知の事実だ。つまり、この予測はほぼ外れることはないと思われる。
「本当かしら?」
翔ちゃんが疑いの眼差しをMEGに向ける。
「翔子、心配ない。治験はその頃には終わっているよ。だから、君たちが治験の被験者になることはありえない。知っているだろ、翔子。僕たちは知らないことがあったとしても嘘をつかない」
どんぐり眼がじっとこちらを見つめる。
MARは長年運用されている全世界を統べているといっても良いシステムで、一度として人類に対して計算されたことに対し、間違いはあれど、嘘の情報を伝えたことはない。つまり私たちが実験台などの役割で、その新薬を投薬されるわけではないということだ。
「確かに……」
私は小さくだが、納得の声をあげた。
「でも、それとロンギヌスがどう関係するの?」
「翔子、その質問はもっともだ、それを最初に説明するべきだったかもしれないね。だから、それはつまり……きみたちの出発は今から一年後になる、ということさ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます