Epilogue

10-1

 モリソンさんは年が変わる前に家に帰ってきた。お腹に入っていた荷物をおろしたっていうのに、全然軽くなったように見えない。

 白いタオル生地に包まれた赤ん坊は画面で見たときよりもっとずっとちっちゃくて、口元なんかまるで子ウサギだった。

 このふしぎな生き物を、上のふたりの兄弟は、見てもいいけど触っちゃだめと言われた高価たっかい鉄道模型みたいに、ベビーベッドの柵の外から興味津々で眺めた――俺も一緒に。

「しばらくのあいだは私もお手伝いできると思いますよ」クリスが言った。「ディーンの学校も休みですし」

「ねえ、じゃあさ、毎日来ていいの?」俺は聞いた。

「やった、じゃあディーンとまいにちあそべる」

 トムが脚にタックルしてきたので、俺は彼を受け止めてリビングの絨毯の上をゴロゴロ転がった。

 そのうち俺はテーブルの脚にしたたかに頭をぶつけて止まり、最終的にトムは俺の腹の上で勝利のガッツポーズを決めた。

 ジミーも途中参加してくるかと思ったら、モリソンさんが生まれたばっかの妹を抱っこしているからか、やつはちゃっかりクリスの膝によじのぼり、その腕の中にすっぽりおさまっていた。スータンの胸に頭をこすりつけたりして、クリスから撫でてもらったりもしている。なんだよ七歳にもなって――ああ、チクショウ、俺もそんぐらいのガキか、せめてトイ・プードルぐらいのサイズと愛嬌があったら堂々と――

「お前もだけどさ、俺は赤ん坊のめんどうを――って、ところで名前はなんていうの? まだ決まってないんなら俺が」

「それがね、ディーン」モリソンさんはちょっと申し訳なさそうに微笑んだ。「この子の父親にも連絡して、もう決めてあるんだよ」

「……そっか」

 まあ、ほんとのところ俺のタネじゃないし、それはしかたない。そういや父親がいるんだっけか。すっかり忘れてたけど。

 いるんなら顔ぐらい見せろよな、まったく。自分の蒔いた種に対する愛情とか責任感てものがカケラもねえ野郎だ。帰りたくても帰れないやつもいるっていうのに。

「それでなんて?」

「ノエル」

「なんか男みたいだけど」

 それに臆病者ビビリみたいに聞こえる。

「生まれてくるまでどっちかわからなかったんだよ。ちょっとみたいでさ。クリスマスの時期に生まれるならそうつけようってずっと考えていたもんでね。それであわてて神父さまに相談したら、女の子でもいけますよっていうから」

「ふうん」

 俺はその名前を飴玉キャンディみたいに口の中で転がした。

 それでカドがとれて丸くなったわけじゃないけど、悪くない名前に思えてきた。おてんばに育ちそうじゃないか。男装のヒロイン――ジャンヌ・ダルクとか、いやあいつはダメだ、悲惨すぎる、テルマ&ルイーズ、は犯罪者か、そんなら妥当なとこでムーランかなあ。

「ノエル」今度は声に出して言ってみる。

 自分のことだってわかっているのかいないのか、やつはふにゃふにゃ返事をした。

 ひと目見たときから、俺はこの不機嫌な天使にやられっぱなしだった。

 笑いもしないで顔をしかめてばっかだし、歯の抜けたジジイみたいにしょっちゅう口をもぐもぐさせている。髪の毛なんかトウモロコシのヒゲくらいしか生えてねえし、生活スタイルは昼夜逆転したヤク中みたいだ。

 でも五本ぜんぶ揃ったミニチュアサイズの手足の指の先にはちゃんと立派な透きとおった爪をもっているし、俺の指をぎゅって握る力は痛いくらい強い。

 この、カボチャくらいの重さしかなくて、泣くしか能のない、ぐんにゃりした存在エイリアンが、宇宙一かわいく見える。こいつは俺が守ってやらなきゃ生きていけない――ほかに誰がいるっていうんだ?

 将来こいつがどんなろくでなしビッチになったとしても――もちろん、人間的な意味でだけど――たぶん俺は許せると思う。なんか理屈抜きにそう思える。

 申し訳程度についてる鼻が、チャリのタイヤの空気漏れそっくりの音を発した。おそらく人生初くしゃみだ。

 そんな音がまさか自分の顔の真ん中から出るとは思ってなかったのか、ちびは一瞬寄り目で音源を確認し、それから、どうやら気に入らなかったらしく、くしゃくしゃの顔をさらにくしゃくしゃにして、子猫みたいに弱々しい声で泣き出した。

お大事にゴッド・ブレス・ユー

 俺は心からそう言った。



 Fin.

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神の慈悲なくばⅣ ~UNLEASHED~ 吉村杏 @a-yoshimura

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