9-2

 不安定なウェディングケーキを運ぶみたいに、ふたり分のプレゼントの箱を重ねて持って戻ってきたとき、ドアの内側に、プロペラみたいな葉と小さな白っぽい実がいくつもついたブーケが赤いリボンで吊るされているのが目に入った。

「ヤドリギだ」クリスも俺の視線の先を見上げた。「来たときには気づかなかったな。モリソンさんが飾っていったんだろうね」

「どっかで嗅いだことのあるにおいだと思ったら、メルんで出たお茶だよ」

「食べるんじゃないぞ、毒があるからね」

 俺がヤドリギに鼻を近づけていたのをカン違いしたのかクリスが言った。

「食わねーよ!」

 散歩の途中で拾い食いする犬じゃあるまいし!

 けど、ヤドリギといえば……。

 俺はクリスを横目で見た。

「なあ……キスしていい?」

「――はぁ?!」頭のてっぺんから出ているみたいな高い声だった。

「な、なんだってそんなことを言うんだ?!」

「だって、ヤドリギの下にいるだろ」

 そう言われてはじめて、クリスはその事実それに気づいた様子だった。

「そ、それはそうだけど、でもなにもだからって……第一、ええとあれだ、つまり、私、たちは……」

「つべこべ言うなよ。一応その……兄貴のことがあったから、どうしても嫌だっていうんなら、いいけど……」

「……」

 クリスは床と、壁と、天井と、また自分の靴と、とにかく俺の顔以外にあちこち視線をさまよわせた。

「ジェレミーのやつにも聞いたんだよね、聖書的な意味で誰かと知り合いになるってどこまでのことをいうのかって。そしたらさ、」

「――どうして彼に聞くんだ?!」

 クリスはこの世の終わりみたいな声をあげた。

「なんでって……だってあいつの基準が一番厳しいと思ったからさ。あいつがそれは罪じゃないって言ったら、クリスにはザンゲする必要すらないってことだろ」

「お前ってやつは……」

「それでやつが言うには、」

「いい、それ以上説明しなくていい」クリスはハエでも追い払うみたいに手をふった。

「気色悪くて吐きそうだとかいうんじゃなけりゃ、チャーチ・グリムに対するご褒美だとでも思ってくれればいいよ。こんなのはただのじゃれあいなんだし――ヤドリギの下なんだからさ、神様も許してくれるよ」

 お前の言い訳ときたら悪魔も顔負けだな、とクリスはつぶやいて、気まずそうに咳払いをひとつした。

「そういう理由なら……今回だけだよ」

 尻尾があったら絶対千切れるくらい振っていたと思う。

 どうか興奮しすぎて変身しませんように! 俺はこのときマジで神に祈った――エホバでもアラーでもシヴァでもオーディンでも誰だっていいよ。拝めって言われたら猫のミイラだって拝むぜ。狼の姿でもキスはできるけど、それじゃほんとに飼い主にじゃれついてる犬だもんな。

 この際、悪魔扱いされようがなにされようが構うもんか。俺は嬉しさのあまり視野が極端に狭くなって、目に入るのはほとんど、クリスのおいしそうな唇だけだった。

 あんなことがあったあとでもクリスからはずっといい匂いがしていた。入院していたときと、帰ってきてすぐのときはさすがに薬くさい、弱った獲物みたいなにおいがしていたが、今じゃもうすっかり――どころか、甘い中になにかべつの香りが混じっている。エキゾチックなスパイスみたいな、ふしぎな匂いだ。

「……なんか甘い匂いがする」

 俺はクリスの首筋に鼻を近づけてにおいを嗅いだ。

「ご、午前中にスミスさんのところでお菓子を焼いたし、さっきパンケーキも焼いたから、その匂いじゃ――」

 いや、ジンジャーブレッドクッキーやなんかの匂いじゃねえよ。

 すぐそばに、ピンク色に染まった頬と、ちゃんと色をとり戻した唇があって……俺はそのまま頬をかすめて、少しだけひらかれていた唇に自分のを重ねた。

 ――想像してたとおりだった。

 この人の唇はなんで甘いんだろう――直前になにかを食ったわけでもないのに。

 口元に生クリームのたっぷりかかったフルーツケーキを出されて、舐めてもいいけど食べちゃだめって言われたみたいだった。ちょっとずつクリームに鼻先をつっこんで、ひんやりして甘いのを味わうけど、その中のしっとりしたスポンジやジューシーなフルーツまではおあずけだ。

 たぶんこんなことは、マジメなクリスにとっては俺がねだったからまあしかたないかっていうくらいのおふざけみたいなものなんだろう、だから俺がもうちょっとあちこち味わおうとして体勢を変えるために唇を離したら、きっと、ハイそこまでってされちまう。

 だから俺はクリスの両肩をつかんで、ずり下がれないようにした。そうしておいて、薄めの上唇から、ちょっとふっくらしている下唇まで少しずつなぞるようにキスしていった。離したら最後だから、ほんとにじりじりと、かすめるぐらいに。

 俺がそうやっても、クリスは嫌がってないみたいだった。

 いつまでこうしていられるんだろう。

 時間の感覚がおかしくなりそうだった。ほんの一瞬だったのかもしれないし、ずっとそうしてもいるみたいだった。俺が小鳥みたいにおとなしくちょっとずつ味見してるあいだ、クリスが何度かまばたきして、そのたびにまつげが俺の頬をくすぐった。やわらかい筆の先で撫でられてるみたいで、こそばゆくて……キモチいい。

 俺はクリスをドアに押しつけた。

「……んん」

 クリスがうめいて――俺は思いっきり頭をはたかれた。

「――舌を入れるんじゃない!」

 クリスは顔を赤くして、走ってきたみたいに息を荒くしている。

「なにを考えているんだお前は!」

「いいじゃんかそんぐらい、減るもんじゃなし! あんときのクリスは自分から――」

 俺は頭の左側をおさえた。まだ耳がキーンとしている。手加減なしでやりやがったな。

「あのとき? なんのことだ?」

 ……いっけねえ。

 挙動不審になった俺は、けわしい眼をしたクリスに問い詰められて、忘れてたはずの夢魔との一件を白状するはめになった。

「……なんてことだ……」

 クリスは呆然として、しっかり十字を切ってお祈りを唱えた。

 こりゃ、納骨堂の話をしたらマジで悪魔祓いだな、たぶん、ニックともども。

「……すまなかったね」

 とクリスが言ったので、俺はびっくりした。

「そのときからお前がそんなふうに思っていたなんて……。もっと早く気づいていたら……」

 気づいていたら……なに? 俺は期待に唾を飲み込んだ。

「教区の司教に相談して、私を転属させてもらうこともできたのに。どうもお前は私と関わるとろくなことがないみたいだ」

「……あのねえ、クリス!」今度は俺が呆れる番だった。「俺が人狼だってのを忘れてるだろ! あんた以外の誰が俺なんかのめんどうをみるっていうのさ! 大体、いったん拾った犬には最後まで責任があるんだよ!」

「お前はいつもミスター・ノーランに、自分は犬じゃないって言っているじゃないか」

「それとこれとはべつの話だよ!」

 ……ああもうまったく、今夜は眠れそうにない。


 夜中にちびたちの様子を見に行くと、二段ベッドなのに下のベッドでくっついて、仔犬みたいに丸くなって眠っていた。

 クリスはモリソンさんの部屋で寝ていた。

 うなされてもいなかったし、ちびたちみたいに布団をはいだりもしていなかったから、俺は寝顔を眺めるだけで満足した。

 ――いや、本音を言うとそんなんじゃ全然満足できなかった。モリソンさんのベッドはセミダブルだったから、俺もあいつらみたいに一緒のベッドで寝たかったけど、ヤドリギの件があったあとだったし、夢遊病でもない俺が自分のベッドとまちがえたって言っても絶対ウソだ、一体なにを考えているんだお前は(……とても本人には言えない)って説教されるに決まってるうえに(ああでも、説教されてもいいからいちかばちかやってみようかな)、部屋が閉めきられていてあったかいからか、戸口に立っていてもクリスからはすごくいい匂いがしてるのがわかって、そんな状態で一緒の布団なんかにもぐりこんだらなにが起こるか自分でも自信がなかったし、正直あのときちょっとってたのをクリスに気づかれてないか心配だったりもしたし……で、俺はおとなしくリビングのソファーに戻った。

 それにしても、キースのことがあってから、俺は興奮しても狼になってないんだけど……ついに本当におかしくなっちまったんだろうか。

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