妖精郷 in Tokyo
時田宗暢
第1話 妖精譚
新宿中央公園の広場前まで来た俺は、ゆっくりと振り返り、目の前に見える都庁ビルを仰いだ。下から見上げたそのビルはまるで、街のど真ん中に建てられた墓標のように思えた
「さっ、早く行くよ?」
胸ポケットの中で、相棒が騒ぎ出した。ポケットの中に入れたキャリーカプセルの内側をリズミカルに叩き、「早くしろ」と俺を急かす。
「分かったよ、そう暴れるな。」
聞き分けの無い子供を諭すようにそう言うと、俺は懐からヴィンテージ物のライターを取り出し、そして点火した。
それは単なるライターではない。妖精郷に移動する、異界渡りの先導火である。
炎の揺らめきと共に、周囲の景色が蜃気楼のように歪んでいく。
俺が足を踏み出すのに合わせて、まるで画像編集による色調補正をかけたかのように、周りの風景が色彩を変えていった。
やがて俺の周りの風景は、絵本のページを捲るように、まるきりその姿を変えた。眼前には、高原の牧場を思わせる、広々とした平原が広がった。周りに林立していたビルは消え失せ、遠くには毒々しい原色の木々と、古代遺跡を思わせる石の構造物が見える。
これが、妖精郷――人間世界と隣り合う異世界にして、限られた者のみが入ることが出来る隠れ里である。
俺がこの世界のことを知ったのは、ほんの些細なきっかけであった。
2年前、ふとしたきっかけから仕事をクビになった俺は、求職活動も何もする気も起きず、ただ日がな一日中、公園のベンチで漫然と座ったまま時間を潰すという無為な日々を送っていた。
そんなある日「あいつ」の声が聞こえたのだ。
「ねえお兄さん、暇ならいい仕事しない?」
ベンチに浅く腰かけた俺の背後から、声をかける者がいた。知らない女の声だったが、不思議とどこか懐かしさを感じる声色であった。
公園に来るようになってから、怪しい勧誘に声をかけられたのは一度や二度ではなかったため、俺は無視した。こういう手合いは、無視して顔も向けなければ、1分もたたず退散する。もし逆切れするようなら、ぶん殴るつもりでいた。
「ちょっとちょっと~。無視~? ちゃんと声聞こえてる~?」
妙な猫撫で声で、声の主は再度俺に語りかけた。
「うるせえな。あっち行け。」
俺は面倒臭くなって、威圧するような声でそう言うと、声の主を睨みつけようと後ろを振り返った。
そこには、誰もいなかった。人の影すら見えなかった。
「あれ?」
俺はきょとんとして、周りを見回した。確かに、背後から声がしたはずなのだが――
「どこ見てんの。ここだよ、ここ。」
声は、俺の肩の上から響いていた。驚いた俺が自分の肩口の上に目を向けると、そこには「小人」が立っていた。北欧の民族衣装のような服を着た、身長10㎝足らずの女が、俺の肩に立っていたのだ。
「えぇ……」
目の前の光景が信じられず、俺は思わず情けない声を漏らした。
「何変な声出してんのよ。」
その小人の女は、動揺する俺を見て呆れたように言った。
「いやいやいやいや……」
俺は頭を振り、この訳の分からない状況を頭の中から拒絶しようとした。
「ちょっと、危ないじゃない!」
俺の肩から振り落とされそうになった小人の女はそう叫ぶと、振り落とされまいと俺の耳たぶに掴まってぶら下がる形になった。
「い、痛っ!」
耳たぶに女の爪を立てられ、俺は思わず声を上げた。それは取りも直さず、俺の目の前の非現実的な光景が、紛れもない現実であることを示していた。
「分かった! 分かったから、爪を立てるな!」
俺は観念してそう言うと、頭を振るのを止め、小人の女をそっと掌で包んで、自分が座るベンチの隣に降ろした。
「最初からそうしろっつーの!」
小人の女は、不満そうな顔で俺を睨みつけた。
「いや、だからその、何なんだよお前!」
痛む耳たぶを抑えながら、俺は思わずそう叫んだ。意味不明な状況であったが、取り敢えず、夢や幻覚でないのは確かなようであった。
「忘れたの? 私のこと?」
「知る訳ないだろ。小人の友達なんかいねぇ。」
呆れたような顔で俺を見る小人の女に、俺は心底困惑した。一体こいつは何を言っているんだ?
「悲しいなぁ、傷ついたなぁ。あんなに仲良しだったのに、名前も顔も忘れちゃったの?」
全く意味の分からない話を続ける小人の女に、俺は困惑するばかりであった。
「あんたが仕事無くして困ってそうだったから、手伝ってやろうと思ったのに、そういう態度を取られると、やる気なくしちゃうな~。」
小人の女はそう言うと、ぷいと俺に背を向けた。
「仕事の、斡旋をするって……?」
思わず、俺は聞き返した。
「そうだよ?」
小人の女は、顔だけこちらに向けると、不敵に笑った。
「小人の斡旋する仕事かぁ……」
俺は、彼女の話に興味を惹かれ始めていた。妖精のような女の斡旋する仕事とは、一体どんな内容であろうか。
「興味があるならついて来て。仕事の紹介所に案内するから。」
「小人の職業案内所に、俺が入れるのか?」
茶化したようにそう言う俺を、小人の女はキッと睨みつけた。
「私は小人じゃなくて、妖精。よ・う・せ・い! 分かった?」
噛みつかんばかりの勢いで、彼女は俺の言葉を訂正した。
「分かった分かった。じゃあ、案内頼むよ、妖精さん。」
そう言うと俺は、彼女を掌の上に乗せ、歩き出した。
妖精の案内に従い、俺は不自然な程光の射さない路地裏の奥に行きついた。
「ほら、ここだよ。」
妖精の女がそう言うと同時に、俺達の目の前にドアが現れた。誓って言うが、彼女がそう言うまで、目の前にはドアなどなかった。本当に突然、目の前に現れたのだ。
表札には「夷の壱」と書かれていた。何かの暗号だろうか?
ドアを開た俺達を、ウェイター風の男が出迎え、奥の個室に案内した。
「店主を呼んで参りますので、しばらくお待ちください。」
そう言うと、ウェイターは一礼して去った。
室内には机一つに椅子二つ。それ以外のものは何も無かった。まるで尋問室のようであった。
俺は椅子にどっかりと腰を下ろすと、掌の上に座っている妖精に聞いた。
「ここが、俺達に仕事を斡旋してくれる場所か?」
「そうだよ。妖精のサロンみたいな場所なの。」
目の前に妖精の実物がいるにも拘らず、俺にはどうも実感が湧かなかった。
そんな話をしていると個室のドアが開き、腰の曲がった老婆が入ってきた。
「どうもどうも、新入りさんだね。歓迎するよ。」
見た目だけでなく、喋り方や表情まで、お伽噺に出てくる魔女そのものであった。
老婆は俺を見てニヤリと笑うと、妙にせかせかした足取りで俺の向かいの席に座った。
「この店「夷の壱」の店主を務めている、コトメと言います。どうぞよろしく。」
「どうも、真鍋秀介です。」
俺は目の前の相手に胡散臭さしか感じなかったが、取り敢えず挨拶だけは返した。
「ご自分のソウルメイトを見つけられるなんて、今日はとっても良い日ですねぇ。」
不気味な程の猫撫で声で、コトメが言った。
「ソウルメイト……?」
俺は目の前の相手が何を言っているのか分からず、思わず聞き返した。
「おや、ご存知無い?」
「そうなの。こいつ、私の顔も名前も忘れてたんだよ!」
妖精が口を尖らせてそう言った。
「いや、だから、忘れるも何も、俺はコイツとは会ったことも無いんだって!」
出会った時からこの妖精は「以前俺と会ったことがある」と言っているが、俺には全く身に覚えの無いものだった。俺はうんざりしながら、そう反論した。
「そうかいそうかい。まあでも、仕方がないだろうね。私が見る見る限り、あんた達が一緒だったのは大分昔の話だ。この人が、子供の頃だった時分だよ。」
コトメは、俺の話を聞いているのかいないのか、訳の分からない言葉で妖精を諭した。
「いや、だから……」
コトメの言葉に反駁しようとした俺を、彼女は手で制した。
「簡単に言うとね、この子を作ったのは秀介さん、あんたなんだよ。」
「作った⁉ 馬鹿言わないでくれ!」
俺は目の前の老婆の言葉に、いよいよもって困惑した。俺が妖精を作った? 一体何を言っているのか?
「……呆れた。そんなことすら覚えてないんだ。」
テーブルの上に胡坐をかいて座り込んだ妖精が、心底呆れた様子でそう言った。
「いや、だからさ……」
「子供の頃、あんたは碌に友達がいなくて、幼稚園でも自分の家でも、しょっちゅうお絵描きばっかりしてたよね?」
俺の発言を断ち切るような調子で、妖精が言った。
「なんでそんなこと……」
図星であった。彼女の言う通り、俺は小さい頃、友人というものが殆どおらず、いつも一人で絵を描いているような子供だった。
「絵を描いているうちに、あんたは空想の中で、あんただけの友達を創り上げて、いっつもその子の絵を描いて、一緒に遊んでいる自分を頭の中に思い描いていた。」
「いや、まさか、そんな……」
妖精の彼女が言わんとしていることが、次第に俺自身にも理解できてきた。
「その子の名前、今でも覚えているよね?」
「ああ……」
忘れるわけがない。幼少の頃の、初めての友達の名前。
「ナギ……」
忘れられるはずのない、友人の名前であった。そして――
「ようやく、思い出してくれた。」
にっこりと笑う妖精の顔は、見間違えるはずもない。幼い頃、俺がお絵描き帳に描いたナギのものであった。
「でも、どうして……?」
訳も分からず、俺は呟いた。
「やっと思い出したようだね。そう。その子はあなたのソウルメイト。遠い昔にあなたが生み出した妖精にして、貴方の心の分身。運命が巡り巡って、あなた達を引き合わせたんだよ。」
コトメはそう言うと、訳知り顔で笑った。
「ガキの頃の俺が空想した友達が、本当になったっていうのか?」
「そうだよ。現に目の前にいるじゃないか。」
コトメは、さも可笑しそうに笑った。
「妖精ってのはそういうものなのさ。人間の空想の内から生まれ出て、人間が暮らす世界とは隣り合わせの異界「妖精郷」で暮らしている。そしてその中でも、人間との繋がりが極めて強い妖精――さっきから言っているソウルメイトって奴だよ――はね、その繋がりを辿ってこちら側の世界に出てくることが出来る。今目の前にいるナギがまさにそれさ。」
ナギはテーブルの上に立ち上がり、自分の存在を誇示するように胸を張った。
「どう? 凄いもんでしょ?」
「凄いと言うか……」
自分の常識や理性を遥かに超えた事態に、俺は頭を抱えた。
「まあ、普通の人間の頭じゃあすぐに理解しろってのは無理な話だね。少しずつ、自分の目で見て、頭で考えながら理解していけばいいさ。」
コトメはそう言うと、懐から取り出したスマホを弄り始めた。その様子はまるで、絵本の中の魔女がスマホを操作しているようで、俺は言い様の無い違和感を覚えた。
「じゃあ取り敢えず、新人さんに出来る仕事から始めてもらおうかねぇ。ほれ、スマホ出して。」
言われるまま、俺は自分のスマホをテーブルの上に置いた。コトメは自分のスマホを、俺のスマホに被せるようにして数秒置くと、すぐに取り上げた。
「よし、これで登録完了だ。アンタのスマホ、見てごらん。」
俺はテーブルの上から自分のスマホを取り上げて、画面を確認した。一見すると何の変化も無かったが、ナギが画面を触れると、求人情報サイトのように、仕事情報の一覧が表示された。
「何だこれ……」
「その端末で、アンタはいつでも妖精郷の仕事を受注できるようになる。ただし、ソウルメイトたる妖精を侍らせている場合に限り、だけどね。何らかの事情で妖精を失えば、妖精郷に至る全ての道は閉ざされる。いいかい? どんな仕事をするかはアンタの自由だが、その点だけは絶対に気を付けるんだよ? 妖精を失ったら最後、アンタの前には萎びた現実しか残っていない。じゃあま、後はせいぜい頑張って働くことだね。」
そう言うとコトメは、俺を試すかのようにニヤリと笑った。
「仕事っていうのは、その、妖精関連の?」
「そうだよ。あんたには、妖精郷で働く「探索者」になってもらう。ただし、まだ新人だから、出来る仕事は限られているけどね。仕事一覧にランクが付いているだろう? あんたが受注できるのはランク1まで。仕事を一定数こなしていけば、ランクが上がっていって受注できる仕事も増えていく。そういう仕組みさ。」
「探索者ねぇ……ちなみに、仕事のやり方は誰に教わるんだ?」
「やり方? そんなの無いよ。好きにやりな。」
何を言っているんだ、とでも言うように、コトメが笑った。
「大丈夫。私が手取り足取り教えてあげるから!」
ナギが、自信満々な様子で胸を張った。
「どうも不安だなぁ……」
こうして、俺の「妖精郷稼業」が始まった。
それからの俺は、とにかく出来る仕事から、なんでも請け負うようにした。小間使いから山師のような仕事まで、とにかく片っ端から仕事を受注し、妖精郷のことを少しでも多く知ろうと努めた。人知を超えた異世界で、人間の常識など通じない場所である。少しでも多くのことを知っているに越したことは無かった。
ナギは、必要に応じて様々なことを教えてくれたが、彼女にも知らないことは沢山あったし、何より彼女自身が何か隠し事をしているような雰囲気も見てとれた。気づいてはいたが、俺は特に突っ込んでは聞かなかった。彼女は妖精。人とは違う存在である。彼女には彼女なりのルールと信念があるのだろう。そう思うことにした。
妖精郷の探索を進めるうち、多くのことが分かってきた。今の所、俺が知っていることは以下の通りだ。
1)妖精郷には、確固たるイメージが無い。
最初俺は、妖精郷という言葉から、ファンタジックな異世界のようなものを想像していたが、これはすぐに誤りだと知った。最初に探索を行った妖精郷からして、俺のそんな考えを完全に打ち砕く代物であった。そこはまるで、昭和時代に空想されていた未来都市であった。昭和中期の児童誌の「未来予想図」がそのまま出てきたような、チューブ状の「動く歩道」が血管のように張り巡らされた都市の至る所を、エアカーや円盤が飛び交っていた。驚いた俺がナギに「本当にここが妖精郷なのか?」と聞くと、彼女はさも当然のように「人間の空想から生まれた世界なんだから、どんな形でもおかしくはない」と答えた。
その後訪れた妖精郷も、殆ど全部そんな感じであった。人間の空想しうるありとあらゆる姿で、妖精郷は至る所に存在していた。
2)妖精にも、確固たるイメージはない
妖精郷が上記のような感じなので、そこに住む妖精もまた、千差万別、あらゆる姿を持っていた。ナギのように、世間一般のイメージする妖精の姿に近い者も、いることはいる。だがそれ以外にも、怪物や昆虫のような姿の者、建物や武器のような姿をした者、目には見えない者、器物そのもので動くことも人語を話すことすらしない者、妖精郷そのものが一個の妖精であるという例すらあった。
妖精郷同様、妖精という存在についても、人間の常識や先入観は一切通用しない。常に慎重に接触を進めなければならない相手である。
3)コトメが店主を務めている「夷の壱」のような、妖精郷関連の仕事の斡旋や、様々な装備やアイテム等(特別な装備等が無ければ、そもそも探索が不可能な妖精郷も少なからず存在する)を売ってくれる店は、都内各所にあった。彼女たちが何者かは知らないが、俺にとっては、大事な取引先である。余計な詮索はしないことにしていた。ちなみに彼女たちの店も、一種の妖精郷らしいのだが、報酬は(現物でもない限り)普通に銀行振込になっている。妖精郷から銀行振込ができるのだろうか? 以前コトメに聞いたところ、意味深な笑みを返された。
4)探索者の中には、現実世界に戻らず、妖精郷に居を構えてそこで暮らしている者も少なくない。先に述べた通り、妖精郷とは人間の空想から生まれた世界である。人によっては、理想郷に近い世界でもある。永住したいと考える者が出てくるのも、無理からぬことかもしれない。そういった永住者の殆どは、様々な店を開き、他の永住者や、妖精郷にやって来た探索者相手に商売を行っている。そこでは、他の妖精郷では決して得られないような重要な情報や、そこだけでしか手に入らないアイテムも入手できたりする(無論、金額はべらぼうに高い)。
5)探索者はそのランク毎に、出来ること・やれることの幅が広がってくる。
ランク1は言ってみればただの雑用係。物品やアイテムの運搬・探索を行うのが主な仕事だ。それに加えて、妖精郷内の行動時間や行動範囲にも大幅な制限が課されている。
ランク2になると、仕事の幅が少し広がってくる。具体的に言えば、人間社会に害なす妖精を「討伐」できる仕事を受注可能になる。妖精の中には、人間に危害を加えうる者も少なからず存在している。考えてみれば、それも当然だ。人間の想像力から生まれたのが妖精であるならば、人間が常に隠し持っている破壊衝動や攻撃本能が剥き出しになっていてもおかしくはない。最も、このランクで討伐できるのは、そういった悪性妖精のうちでも下位の者――自転車を知らない内にパンクさせるとか、何も無い所で人を転ばせるとか、そういう悪戯レベルの悪事を働く妖精相手だけである。
ランク3になると、探索者としての行動制限はほぼなくなる。さらに、一度でも来たことがある妖精郷ならば「妖精の橋」と呼ばれるゲートを通って、妖精郷間を自由に行き来できるようになる。「討伐」する悪性妖精のランクも上がるため、この頃になると、仕事は厳選して行わねばならなくなる。
ランク4は、探索者の中でも相当な玄人である。基本的に、妖精郷において一切の行動制限はない。この段階になると、最早探索者というレベルではなく、妖精郷に関連する「事業」を営むようになる者が多い。即ち、探索者たちを集めて会社化し、妖精郷内の探索や討伐、それに基づく成果報酬を効率的に行おうという訳である。最も、俺は自由気ままにやりたい方なので、こういった事業化云々には全く魅力を感じていない。
むしろ俺が惹かれていたのは、ランク4の者でなければ入ることが出来ない「禁忌領域」である。妖精郷には、様々な理由から、ランクの低い探索者が立ち入ることを許されていない場所が複数存在する。あくまで噂の範疇ではあるが「漫画やアニメの世界がそのまま再現されている妖精郷」や「古今東西の様々な玩具が意思をもって暮らしている妖精郷」なんてものもあるらしい。無論、危険過ぎて人間が近づくことが出来ない程凶悪な悪性妖精が住む妖精郷も、存在するらしい。
ちなみに――完全に噂の範疇ではあるが、どうやらこういったランクは、コトメのような妖精郷の「顔役」の意向が大きいらしく、彼女たちに多大な便宜を図れば(要するに金を積めば)、ランクもアイテムもある程度自由に手に入る、らしい。しかも、通常の探索では手に入らないようなレアアイテムや装備が手に入ることすらあるとのことである。最も、それは彼女達に包む賄賂次第であるが……。
6)最後に……実は探索者の仕事には、表向きとは別に「裏」の仕事も存在している。それを担っているのが、ランクEXと呼ばれる探索者だ。こうした裏家業を行っている人間は、表向きは普通の探索者として振舞い、裏ではとても表沙汰には出来ないような仕事を行っている。俺が知っている限りでは、以下のような仕事だ。
・妖精郷で手に入れたアイテムを「武器」として現実世界で販売する仕事。
上で述べた通り、妖精郷とは人間の空想が実体を得た世界である。その中には、人間が想像しうるあらゆるファンタジーやSF世界の武器デバイスも存在している。つまり、人間の想像しうるあらゆる武器の調達が可能なのだ。妖精郷のアイテムは妖精郷の中でしか効果を発揮しないが、ランク4に達した探索者であれば、ほぼ全ての妖精郷を自由に開闢することが出来る。彼等を傭兵として雇えば、ほぼ無制限に戦闘領域の典型が可能だ。要人の暗殺だけでなく、実際の戦争にも応用可能なものである。嘘か本当か知らないが、防衛省がこの仕事に噛んでいるという噂もある。
・妖精の「人身売買」を行う仕事
反吐が出るような話だが、実際にある仕事である。何度も述べた通り、妖精とは人間の空想が実体を得た存在である。フィクションもノンフィクションも関係ない。妖精は様々な姿で存在している。女の姿をしている者もいるし、創作の中に出てくるような人外の姿の者もいる。要するに、あらゆる人間のあらゆる性癖を満たせるものなのだ。人の数だけ、需要は無限に存在する。
その他には……いや、これから先は、言わないでおこう。
渺茫たる新宿中央公園の妖精郷の一角で、俺は今回の仕事を完遂しようとしていた。
「があっ……!」
悲鳴を上げながら、一人の探索者が地面を転がった。彼こそ、妖精の人身売買を行っているEX探索者の一人であった。
「残念だったな、高峰。」
その男、高峰の傍らに転がる小さなオブジェを手に取りながら、俺はそう言った。そのオブジェは龍泉の乙女――この妖精郷の主のような存在であった。高峰によって封印を施され、人形の如き姿に変えられていた。それは、妖精の人身売買を生業とするEX探索者の常套手段であった。
「真鍋ぇ……!」
高峰が恨みがましくこちらを睨みつける。
彼は、俺が外務省で働いていた時の同期だった。だが彼は外交官相手の不正取引に手を染め、挙句それを告発しようとした俺を逆に違法取引の主犯に仕立て上げて退職に追い込んだ男だった。当時の俺には分からなかったが、高峰はランクEXの探索者であり、外国の要人相手に妖精の人身売買を行っていたのだ。
「お前、俺に対する復讐のつもりか? こんな真似をして、タダで……」
高峰は、憎悪の言葉を吐き散らした。
「それもあるが、俺は今日ここに仕事で来ているんだ。聞いたことぐらいはあるだろう。「EX狩り」だよ。」
高峰は、顔面蒼白となった。
EX狩り。それは、EXクラス探索者を狩り立てる、言わば裏家業狩り。裏家業の内でも、最も危険で、かつ恐れられた仕事であった。その存在のあまりの危険性と隠匿性故に、実在を疑う声すらあるくらいであった。
「まさか、お前が……?」
「ミスは出来ない仕事だ。きっちり完遂させてもらう。」
俺の背後から首をもたげた巨大竜が咆哮した。妖精郷そのものを揺さぶる、轟声であった。高峰はその余波だけで、数m程吹き飛ばされた。
この巨大竜は、妖精郷探索の過程で発見した、第2のソウルメイトだった。幼い頃、ナギと一緒に考えた、自分達を乗せて世界中を冒険する竜。それが彼だった。
「お前、正気か? 何でEX狩りなんか……?」
「だからさっき言ったろ。仕事だからさ。俺は依頼主の望みを叶えるために行動している。」
「依頼主……?」
訳も分からず困惑する高峰を、巨大竜の口から噴出された炎のブレスが焼き尽くした。高峰は、骨も残さず消し飛んだ。
「ミッション完了、と。」
俺はスマホに表示された「EX探索者討伐」の案件に「complete」と打ち込んだ。ほぼ同時にコトメから「討伐確認したよ。ご苦労さん✌」というメッセージが届いた。一体全体、どこから監視しているのやら。
高峰に捕縛されていた泉の乙女を解放すると、ナギが胸ポケットから顔を出した。
「ご苦労さん。これでEX狩りは何人目だっけ?」
「3人目だな。」
討伐を終えた俺達の周囲に、光が舞った。極めて微細だが、彼等もまた妖精である。妖精の光は来訪者を歓迎するように、周囲を温かく包み込んだ。
「ほら、依頼主のみんなも、私達に感謝しているよ。」
ナギが、目を細めながらそう言った。
そう。俺達は今、妖精からの依頼を受けて、ランクEXの探索者を任務に就いていた。妖精郷に害をなす探索者、即ち人間の同業者を狩る仕事である。
きっかけは、ある時、ナギが俺にかけた言葉であった。彼女はこう言った。「人間の都合で動く探索者がいるなら、妖精の都合で動く探索者がいたっていいでしょ。」と。
考えてみれば、その通りだと思った。妖精は人間の空想から生まれた、言わば人間の被造物だが、人間に阿る必要など無い。彼等には彼等の意思があるし、人間とは異なる想いや価値観も持っている。それを守る者がいたって、不都合ではあるまい。
コトメはそんな俺達の話を聞くと、意味深に笑って、俺にEX探索者の資格を秘密裏に与えた。俺と同じことを考えている人間がいるのか? と質問したが、彼女は不気味に笑うばかりで、それ以上は何も答えなかった。
「でも良かったよ。秀介が私の言うことを信じてくれて。」
「ああ。結局何だかんだで、俺はガキの頃から変わってなかったんだろうなぁ。」
俺の胸の中には今でも、ナギと一緒に巨大竜の背に乗り、空想の世界を旅する自分の姿があった。
妖精郷 in Tokyo 時田宗暢 @tokitamunenobu
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