影の怪
タルまら
陳腐な怪談
後輩に呼ばれ、一人で廊下を進む。
夕暮れの明かりに包まれて、皆が帰り道へと騒ぎながら歩みを進める音が聞こえていたが、その音もしばらくすると止んでしまった。
静寂に包まれた廊下はどこか不気味さを感じさせ、無機質なコンクリートが冷たさを現している。
今、この建物には数えるほどしか人がいないということを考えると、まるでここが別世界かのように思えてくる。
待ち合わせ場所は、北館四階の階段前、この時間帯でなくともいつも人がいないような場所だ。
そんな場所に呼び出して何を言われるのだろうか。
皆目見当もつかないが、とりあえず行くしかない。
階段前に着いたが、周りに誰もいない。
待ち合わせの時間まではまだしばらくある。
改めて呼び出されたときのメッセージを確認しようとスマホを手に取る。
その瞬間、蛍光灯からも日差しからも光の届かない隅、その極めて小さな暗闇から、まるで子供が虫を見る時のような、こちらを観察するような粘つく視線を感じた。
その視線を受け俺は背筋が凍るような錯覚を受けた。
「すいません先輩、少し遅れました」
その声とともに視線とともに感じていた悪寒が消え去る。
現れたのは待っていた後輩である
虚は少し遅れたことを詫びつつ呼び出した本題を話し始めた。
「実は相談したいことがあって、信じてもらえないかもしれませんが言います。最近一人でいると近くの暗いところから視線を感じるんです。それもただの視線じゃなくて、こう……じとーっとした視線なんです。しばらく前から感じてたんですけど誰にも相談できなくて……せめて誰かにこのことを知っていてほしかったんです」
そう言って虚は話を終えた。
俺はいくつか疑問に思ったことを尋ねた。
「それはいつごろから始まったんだ?」
「だいたい三か月前ですかね。夜になんだか不気味な猫を見てからです」
「不気味な猫?」
「はい、黒猫だと思うんですけどなんて言うのか……ちょうどいい言葉が出てこないんですけど、強いて言うなら……」
そこで虚は一度言葉を止めるとよくわからないことを言った。
「あれは猫じゃなくて猫の形をした闇でした」
「猫の形をした闇?」
わけが分からない。
「はい、あれは姿形は猫でしたが何かが猫の振りをしているだけです。そんな印象を受ける猫でした」
それは確かに尋常ではない。
「わざわざ時間をとっていただいてありがとうございました。おかげで少しすっきりした気がします」
そう言うと虚は帰っていった。
用事が済んだため、俺も家に帰る。
高校を出て駅まで歩く。
いつも通りの道のはずだが、非日常の話を聞いたせいか回りのさびれた風景も少し薄気味悪く感じる。
少しさびている看板や家と家の間のなんでもない隙間、時間が立ちさらに暗くなった空に縦横無尽にめぐる電線などの見慣れたはずのものがひどく生物的に見えてくる。
突然に動き出してこちらを襲ってくるのではないか。
そんな得体のしれない恐怖とそんなことあるはずがないという理性、同時にそんなことを考えてしまう自分へのいら立ちが募っていき、恐怖とも焦りとも似た複雑な感情へとなっていた。
そして家に帰った次の日、登校して一限目が始まるところで放送が入った。
『今から集会を行うため体育館へ集合してください』
俺は周りの人と一緒に体育館へ向かい、教師が話し始めるのを待つ。
しばらくすると校長が出てきて、衝撃的なことを話し始める。
「昨日、2年生の空見 虚さんの遺体が発見されました。死因は不明で犯人も捕まっていません。今日からしばらく学校は休みになりますので、くれぐれも危険なこと、犯人探しなどを行わないようにしてください。それと、警察から捜査の協力のために話を聞かれた際はできる限り協力してください。これで集会を終わります。教室に戻ってそのまま帰っていただいて構いません」
話が終わって教師が出ていったあとの体育館はしんと静まり返っていた。
しかし、教室に戻ると周りは異様な空気に包まれていた。
興奮と恐怖がないまぜになったようなそれは妖しげな迫力をもって生徒たちを包み込んでいた。
俺はそんな空気にのまれるでもなくでもなく、ただ前日の虚との会話を思い出していた。
おそらく虚が言っていた視線は、虚と俺が出会う前に感じていたあの不気味な視線だ。
だとすると虚の死はその視線に関係あるだろう。
何よりあんな不気味なものが無害であるはずがない。
そして、虚が言っていた黒猫、そいつが鍵になっているだろう。
次の被害者は自分ではないのかという恐怖と、現実離れした現状に身体の芯から震えあがってくる。
ひとまず、地域の図書館に行ってみよう。
そこで猫と不気味な視線について調べてみよう。
ただの猫ならともかく、わかるくらいに異様な猫なら伝承とかに載っているかもしれない。
とりあえず図書館へ向かおう。
向かう途中にスマホで調べてみたが何も分からなかった。
相当古い伝承なのかそれとも情報がないのか。
情報が何もないのではということに少しずつ恐怖を感じる。
電車を降りて図書館へ向かった後、ふと悪感を感じた。
周りを見回すと建物と建物の間に猫がいることに気づいた。
ただの猫だと思ったが、よく見ると体が揺らめいている。
まるで猫の形をしたナニカだった。
それに見られている間、絶え間なく襲ってくる不快感を感じる。
さらにその視線からはどこか怒っているような雰囲気を覚えるが、猫の形をしたナニカはなんの感情も持っていないような印象を受ける。
人に隠れて一瞬見えなくなった後、それは消えていた。
さっきまで感じていた視線もきれいさっぱりなくなっていた。
図書館に着いた後、俺は例の猫について調べた。
二時間後
手掛かりになりそうな一冊の本と新聞の記事を見つけた。
本には猫の神使を持つ厄払いの神が書かれていた。
新聞には近くの神社が「子供が危険」や「荒廃」などの理由で取り壊される予定にあることを示していた。
その第一歩としてご神体などの価値のあるものが移送されたようだ。
また、虚の死も載っていた。
記事によると虚は夜道で何者かに首を絞められて殺されたようだ。
首にはあざが残っており死因は他者に首を絞められたことによる窒息らしい。
しかしこれ以外に不思議な猫についての情報は得られなかった。
とりあえず時間も遅いのでとりあえず家に帰る。
いつも通りの帰り道、これまでよりも強い悪感がしたためすぐに周りを見回す。
すると、暗いためわかりずらいが周りをたくさんの猫らしきナニカが囲んでいるのが確認できる。
驚いて固まっているとあることに気づく。
見られていた時に感じていた不快感を感じない。
そんなことを考えていると、奥から猫から感じていた視線を何倍にも強くしたような視線を感じる。
その視線に肌が粟立つような感覚がする。
視線の方向には何か黒いモヤのようなものがいるように見える。
そのモヤは常に一定の形をとっているわけではなく、膨張と収縮を繰り返している。
それの一部が膨らんだりしぼんだりしていると、盛り上がった部分がまるで苦悶の表情をしている人間の顔にも見えた。
それからは何か特定の対象に対して激しい怒りを抱いているかのような印象を受けた。
同時に、迷子になった子供のようななんとも言えない不安定さも併せ持っていた。
黒いモヤがこっちへ少し近づいた次の瞬間、強い風が吹き目を閉じて目を開くと黒いモヤも猫も消えていた。
さっきのは白昼夢かとも思ったが、さっきまで感じていた感覚は明らかに現実のものだ。
感じていた緊張感も恐怖も現実としか思えないほど鮮明なものだった。
急いで家に帰るが帰ってからあまりの不快感に嘔吐してしまった。
いったん全部吐ききると冷静になれた。
見られている間はよくわからなかったが、あの感覚はやはり恐怖だろう。
思い出すだけで胃が収縮し、足がすくみ、体が震えてしまう。
あれはおそらく人知の及ぶ範囲のものではないのだろう。
モヤのようなものだったはずなのに、あれは大岩や滝のような存在感を持っていた。
あれは台風や地震と同じようなものだ。
人間にはどうすることもできずただ過ぎ去るのを待つしかない。
あれが本気でこちらを殺そうとすれば俺の命は今すぐにでも潰えるだろう。
生き残るためには何をすればいいのか、やはり怒ている原因を探すべきだろう。
あれはとても怒っている様子だったが、同時に何かを探していたように思える。
そして昼間見つけた猫の神使を持つ神が祀られていた神社が怪しいだろう。
あそこは近々取り壊されるため、まず中にあるものがどこかに移されたと載っていた。
おそらくあれが出てきたのは神社にご神体がなくなったからではないだろうか。
それならばご神体をあのモヤに渡せばおそらく俺の命は助かるだろう。
全て予想でしかないが何も行動できないよりかはまだいいはずだ。
翌日、俺は朝から例の神社に向かっていた。
昨晩の恐怖体験を通して暗闇に対して苦手意識を持ってしまったのもあるのだろうが、あの猫や本体のモヤは暗闇だと見つけづらいだろうし、早めに行って暗くなる前に終わらせなければいけない。
この前は何もされなかったが次にあった時、あれに何かされるかもしれない。
あのモヤどころか猫でさえ俺にはどうしようもない相手なのだ。
あれらがどのような存在かは分からないが、関わらないのに越したことはないはずだ。
電車に乗ってやってきた神社は少し田舎の方にあり、周りは日が照っているにも関わらず、真っ暗な雑木林に囲まれていた。
その雑木林はまるでナニカが中からこちらを観察しているのではないかと思わせるような不気味さがあった。
本殿自体も山の中腹あたりにあり、そこへ続く階段が伸びていた。
上っている途中、ふと雑木林に目を向けるとそこには例の猫がいた。
それにそいつは一匹ではなかった。
少し離れた場所に一匹、さらにもう一匹と、周りを見回すと合計で九匹もの猫がいた。
今まで見た中で猫が群れていたのはあのモヤの周りだけだった。
やはりあのモヤとこの神社は何か関係があるのかもしれない。
やはりここに来たのは間違いではなかった。
それが分かっただけでも気が楽になった。
階段を登りきると社務所があった。
その周りを神主の服装をしている老人が掃除していた。
「すいません、ここで祀られている神様について聞きたいんですけど、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫ですよ、といってもここの神様はずいぶん昔にほとんどの文献が失われてしまい、あまり伝えられることもありませんが」
「ここの神様ってどんな神様なんですか?」
「たしか今は厄払いの神だと伝わっていますが、元々は猫の神使を使わせて、その者に不幸が起こることを教えてくれたりしたという伝承が残っていましたね。おそらく不幸を教えてくれるということが巡り巡って厄払いに落ち着いたのでしょう。まぁ不幸を教えてくれるといっても、起こる不幸の大きさは分からなかったそうですし、病気や災害などの分かってもどうしようもない不幸の時も現れるらしいのであまりあてにできませんが……」
「そうですか……」
それならばあの猫とモヤは関係なく、猫は俺に不幸が起こることを伝えてただけだったのか……
そしておそらくあのモヤがその不幸の原因。
なんてこった。
折角手がかりを得られたと思ったのに、問題解決に向けて何も進んでいない。
「そういえば、確かここの神様は、他の何かを封印するなり滅ぼそうとして力を失ったらしいですね。それとかなり昔ですが代々宮司を務めていた一族が滅びてしまったらしいです。まぁ少し遠くの町で分家が今も生き残ってるらしいですけれど。まぁ私がこの神社について知っていることはこれで全部です。まだ何か知りたかったら社務所にある本は自由に読んでいいですよ」
「ありがとうございました」
「いえいえ」
そう言って老人と別れた後、社務所に向かう。
そこにあった本を読む。
その本はとても難解でまたその内容はどこか超常な雰囲気を持っていた。
あまり理解することはできなかったが、つまりこれは昔の人間が残した、ここで祀られている神についての記録のようだ。
見た目は古く、一体いつから存在するのか分からないが、なぜか内容を多少理解できた。
この本によるとここの神は他の神と戦い、そして滅ぼされてしまったらしい。
しかし、相手の神を消耗させ、その神も長い時を休眠状態で過ごすしかなかったと書いてある。
この記録によると相手の神はここに収められていた鏡を異常に恐れていたらしい。
鏡を向けられるたびに大きく消耗していったようだ。
そして思う。
はたしてこの記録を残したものは人間なのだろうか。
そう考えると何とも言えない恐怖が襲ってきた。
これ以上考えるのはよそう。
本を元あった場所に戻して社務所を出る。
「すいません、ここに鏡などは収められていないでしょうか?」
そう老人に聞くと、老人は申し訳なさそうに言った。
「すいません、鏡なんですがこの神社から他の場所に移す際に、紛失してしまいまして、今はふもとは捜索し終わったので、しばらくしたら山の雑木林の方を探す予定になっているので、見つかったらどこかの博物館に入ると思いますよ」
「分かりました。ありがとうございます」
つまり、あのモヤにはここに収められてた鏡が効果的で、その鏡はここから持ち出すときに紛失してしまって、おそらく山の雑木林の中のどこかにある、と。
つまり先に鏡を見つけてモヤに使ってここの老人に返せばオールオッケーだ。
階段の途中から雑木林に入る。
雑木林の中は薄暗く、じめっとしており、不気味だった。
木が風で揺れて、その影がまるで生き物かのようにうごめいている。
瞬きをした瞬間、不気味な視線を感じた。
そちらを向くと猫がいた。
そちらの奥を見ると猫がまっすぐに並んでいる。
どこかへ導こうとしているようにも見える。
猫を信じて猫が並んでいる先に進んでいく。
しばらく進んでいくと木が生えていない空間に出た。
その円形の空間の中に入ると、周りに猫が九匹現れた。
その猫たちは皆、同じ場所を向いている。
そこの草を分けてみると、そこには手鏡が落ちていた。
それはとても古びていて、いつ作られたものなのか全く見当もつかない。
古びているが鏡はきれいで周りの景色をきれいに映している。
周りを見ると猫たちは消えていた。
そして、俺はその手鏡を持って帰路についた。
その帰り道、先日と同じ真っ暗な道、気づくと周りに大量の猫がいた。
また、その猫たちの視線からは前回と同じように、不気味さを感じなかった。
俺が周りを観察していると、突然黒いモヤが現れた。
しかし、今回は前回と違って視線から感じる不快感は耐えられないほどではない。
何度も似たような視線を浴びてきたことによって、耐性が付いたのだろうか。
それでも早鐘を打つ心臓を感じながら、取り乱さないようにモヤに近づく。
一歩
後ろ手に、取り出しておいた手鏡の感触を確認する。
二歩
少しモヤが動く。
こちらに向けて、ゆっくりとしかし確実に、モヤは近づいてきている。
三歩
ついにモヤとの距離が五メートルを切った。
四歩
四歩目を踏み出すと同時にモヤに手鏡を向ける。
手鏡を向けられたモヤは、まるで苦しんでいるかのように膨張と収縮を短時間で繰り返すと、まるでそこには何もなかったかのように何の痕跡を残すこともなく消えた。
周りにいた猫たちも消えていた。
後日、俺は手鏡を老人に渡し、何の異常もなく毎日を過ごしている。
あれらは夢だったのではないか、そう思うがそれが本当に夢だったのか、それとも現実のことなのか確かめる術はない。
それに、あれらの出来事が夢か現実か、なんてどうでもいい。
今、俺は生きている、それだけで十分だ。
「とりあえず受験勉強でもしようか」
そうして俺の日常は続いていく。
影の怪 タルまら @tarumara
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