7.夏の女王
「女王の国」政策というのは日本のプロジェクト名だ。名称はさまざまでも各国とも似たようなことはしているらしい。
ノンキャリアの女性を半強制的に保護区に移動して、ナンバリングして管理。全滅のリスクを減らすために保護区は複数作られる。日本の保護区は、前にも言ったけれど、八つだ。保護された女性達は衣食住が保証される代わりに徹底的な健康管理と医療実験への協力、卵子の提供を義務付けられる。
その代わり好きな服も比較的容易に手に入るし、本だって読める。 夏は政府に申請すれば移動の制限された別荘地区でバカンスの真似事だってできる。 私が今こうして夜明けの遊歩道を捕虫網片手に歩いているように。
贅沢したくなければ仕事もしなくて良い。 私は贅沢がしたいので、ちょこちょこと内職したりするのだけれど。
衛生面にリスクのある活動が厳しく制限されるので、夜中の昆虫採集がほとんどできなくなってしまったのは辛いといえば辛い。せいぜい道から外れない範囲で網を振り回すくらいしか出来ない。
ただ、まあ、おかげで博士との話題ができる。
夏トンボ博士は今もまだ虫かごの島にいる。
手紙によれば、今年から島のインターネットの回線が早くなったようなので、テレビ電話が使えるそうだ。 通信を政府に申請しているので、許可が降りればお盆明けには何年か振りに写真ではない博士に逢える。
彼はまだまだ現役だ。
もうすぐ還暦だけど、相変わらず島のあちこちを巡り歩いているらしい。 私と作っていた昆虫図鑑も、博士曰く完全版には程遠い。 一方、生態の研究も楽しいようで、相変わらず脱線する手紙は毎回良く分からないことになっている。 それでもいい、構わない。 ボケてしまうにはまだ早い。もっと私の成長を見ていてほしい。
世の中は変わってしまった。
女王の国に本当の意味での自由はない。
私の身寄りは博士以外にいないし、博士だってあと何十年も生きていてはくれないかもしれない。
それまでに医学が進歩してくれなければ、夏祭りに私の浴衣で盆踊りだってかなわない願いではあるけれど。
世を儚んで片道切符の白病棟へ移ってしまう「国民」の気持ちが分からないわけじゃない。時々、私は何者なんだろうと眠れなくなることもある。 言葉を交わした仲間が消えた時などは殊に空虚で、海を渡る蝶や蛾に嫉妬を感じることすらある。
でも博士が教えてくれた。
擬態。
生きるために自分を変えていくのだって大切なことなんだって。生きるために子孫を残すためだけに、命を技術を惜しげなく次世代へ繋ぐ、私と夏トンボ博士がこよなく愛した、小さく強い彼らのように。 生きるために生きていく。
博士に勧められて作り始めた「女王の国」の昆虫図鑑も、昼行性の昆虫だけじゃ完成には程遠い。 監視の目をすり抜ける方法も諦めず探して、できれば夜中の昆虫採集もしたい。 ロボットの目はどうやったらごまかせるのだろう? いっそ生物学だけじゃなくて、機械工学の勉強に手をつけてもいいかもしれない。 時間はたっぷりあるのだ。
誤魔化しでも脅しでも、言い訳なんて幾らだって考える。死ぬ方法なんてその後で、いつしかずっと先で良い。
私はここでなんとかやって行こうと思う。
涼やかな朝の風、明けていく空の色は変わらない。
虫の王国を目指して博士と菊地くんとゆれる小型船で目指したあの空は今も変わらない。
私は人類という種の女王の一人として、真夏の訪れを今年もめいっぱい、楽しむことに決めている。
END
夏の女王 竹村いすず @isuzutkm
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