6. 虫かごの島
博士を恨んで憎んで過ごした数ヶ月の後。
遅ればせながら政府の決定が出た。私と夏トンボ博士は、政府の衛生管理官に連れられて、ノンキャリア居住指定海域のとある島に移住した。普段から人の行き来が少なく、感染を島全体で免れた海域だそうだ。
そこでようやく私たちは家族の死を知らされた。
島には政府の指示で仮設住宅が建てられており、そのうちのひとつに二人で暮らした。ひとつひとつの居住地は数戸の住宅で構成され、万が一にも島内に感染者が出た時に伝染が広がらないよう、それぞれが遠く離れていた。移動の自由は制限されていて、毎週末にロボットが必要な物資を運んできた。
「衣食住には不自由しないが、外に出る自由だけがない。牢屋にいるのと同じだね」
博士が言った。私も頷いた。
「虫かごにいるみたい」
「その発想は面白い。愛するものの気持ちを理解できる貴重な機会というわけか」
博士は冗談でも私の気を紛らわすためにでもなく、本気でそれを言っているようだった。 ちなみに私は面白くなかった。昆虫が好きといっても、自分が虫になりたいわけではなかったのだ。
部屋は壁が白くて病院の一室を切り離したような場所だった。 フィルタリングされたうえに回線速度が遅いとはいえ、まがりなりにもインターネットがつながるので博士は大喜びだった。
そして私たちは、政府の広報とネットの情報からようやく伝染病がどのようなものだったかを知ることになる。
「炎天死病」と名付けられたそれはひと夏で北半球の人口の半数近くを死にいたらしめたという。 体の熱が上昇し、焼けるような下腹部の熱さに苦しんで死に至る。 女性の致死率の高さは、子宮における炎症の拡がり方に影響があるらしいが、詳しい解明についてはまだということだった。 医療関係者も研究者もおおぜい亡くなっていたので、研究も思うように進まなかったらしい。
結局、病原体が特定できるまでに半年弱。感染経路の特定にさらに数ヶ月、不充分ながらワクチンが開発されるまでには数年を要した。 そのワクチンもキャリアになってしまってからでは効果が薄く、一度も感染したことがない人間に予防として使えるのがせいぜいだった。 それでも格段の進歩だったのだけれど。
深刻だったのは、その数年の間に、ノンキャリアで生存している女性の数が全世界で異常に少なくなってしまったことだった。
私は、その島で十五になるまで暮らした。
勉強は夏トンボ博士が教えてくれた。 博士はしばしば脱線するきらいはあるが、予想より優秀な教師だった。 おかげで学力が著しく劣ってはいないと思う。
島内の昆虫を二人で採集してまわり、ありあわせの材料で標本も作ろうと頑張った。(やがて物資が限られていて難しいことが分かり、図鑑を作ろうという計画に変更した。紙とペンさえあればなんとかなるからだ。) あまり雨の降らない島だったので、私には珍しい虫がたくさんいた。 私以上に博士は熱中していて、この人は虫さえいればどこでもそれなりに幸せなんだなあ。と呆れたものだ。
できれば恋もしたかったけど、居住区に男性は博士と寝たきりの老人しかいなかった。(思い返せばそれは意図的な配置だったのだと思う。貴重なノンキャリアの少女が狼のど真ん中に放り出されるなんてとんでもない!) 通信の限定されたWEB世界からメール友達を見つけるので精一杯。 残念ながらチャットもメッセンジャーも回線が遅すぎて無理だった。
おしゃれをしても見る相手がいない、という環境は確実に女の子らしさを削ぐと思う。
そうしているうちに。
世界的な流れがノンキャリア女性の保護へと移り始めた。
人口の急激な減少に歯止めをかけるためという理由は勿論のこと、貴重品はいつの世も乱獲され高値で取引されるというわけで、女性の公的な「保護」はその意味でも急務だった。
炎天死病により、もはや人類は絶滅危惧種だったのだ。
ワクチン開発以来、発症を遅らせる技術や治療方法は飛躍的に進歩していたけれど、女性に限っては、発症して子宮に炎症が広がったら最後、どんなに手を尽くしても回復が見込めなかった。発症後の女性の死亡率は依然ものすごく高かったのだ。薬に耐性を持つウイルスも報告されており、ワクチンの効かない新型が流行した場合、今度こそ、人類は子孫を残せず緩やかに死に絶えて行くと思われた。
そこで政府が打ち出した感染予防と出産可能人口確保のためのノンキャリア女性の隔離保護というのが、「女王の国」政策だった。私と博士が住んでいたような数多あるノンキャリア隔離区域から、出産可能な年齢の女性達を選抜して、現在のような監視の緩い仮設住宅ではなく、もっと厳重な警護の元におくのだという。
招集は密やかに次々と行われているらしかった。噂ばかりが囁かれて初夏の木洩れ日にさわめいていた。
やがて暑くてけだるかった、風鈴のもとでアイスを頬張りながら扇風機にあたっていた午前中。隔離島に来て何度目かで迎えたお盆の頃。
ついに私のところにも、黄色い招集状がやってきた。
博士に招集状を見せると、博士は分かっていたことのように、君の安全が何よりも一番だ、行くべきだと柔らかに答えた。 扇風機がすだれを揺らしていて、テーブル上の虫かごで、カミキリムシがのんきに蠢いていた。
国家の存続にかかる招集に拒否権などあってないようなものだったけれど、型どおりに承諾の返事をして迎えの日を待つ。
私はパンデミックの夏以来、島に閉じ込められた恨みと反抗期で、しばしば夏トンボ博士に八つ当たりをしてきた。 いざ、別れが現実になったそのときになって、それはどんなに大切な時間の浪費だったのかを知った。
「ごめんなさい。博士」
夏トンボ博士に別れを告げるときに謝りながら泣くと、博士も泣きながら笑って、私の頭を撫でた。
「謝ることなんてないさ。君と一緒にたくさんの虫達と出逢えてとても楽しかった。君が大きくなるのを見ることができて毎日が優しかったよ」
五十を越えた博士の頭には白髪が少し目立っていた。疲れをにじませた手は皺だらけで大きく、私はそのときようやく、別に恋の相手は夏トンボ博士だってよかったんじゃないかと気付いた。もう遅かったけれど。
そうして。
政府の用意した小型飛行機に乗り込んで、遠ざかる島と雲の波を窓から食い入るように見つめて、十五の私は虫かごみたいな島を出た。
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