英雄 覚悟


 「どう? 落ち着いた? 」


 しばらくぶりの入浴を堪能し、ソファに体を預けてすっかり身も心も落ち着いた蒼と春香に対して、叶は湯呑みを2つ差し出す。


 2人は湯呑みを受け取り、中身に驚きつつも、まずは何も言わずにまずは一口、口に含む。


 「嬉しい……」


 どちらかがポツリと呟いた。


 湯呑みの中身は緑茶。

 もう飲むことを諦めてしまっていた、日本の味。


 「お茶っ葉はあったし、作り方を知っていたからね。この世界でも作れたんだよ。

 それと、喜んでくれてありがとう。それだけ喜んでくれると私も嬉しいわ」


 半月前にはあった日常の、大して気にもしていなかった日常の、そのあまりの懐かしさと出会えた喜びに、2人はうつむき静かに涙を流す。

 穏やかな叶の声を聞きつつ、声を出すこともなく、音を出すこともなく、それはもう静かに静かに涙を流し続けた。



「どう? 落ち着いた? 」


 10分ほど涙を流し続け、ようやく収まった所で叶が声をかける。


「はい、すみません。取り乱して」


「ふふ、いいのよ。私も久しぶりに作れた時は思わず泣いちゃったもの。

 そしたら、その時の主人の顔ったら傑作でね」


 目元と共に頬を赤くする蒼達に、叶は上品に笑いかける。

 それと同時に、滅多に会える事の無いクラガーの顔を思い浮かべて更に笑う。


「さて、そろそろ本題に入りましょうか。

 貴方達の戦う意志は、まだ残ってる? 」


 相変わらずの上品で優しい声。

 それでも、その声色は明らかに違う。


 厳しく、険しく、試す様な強い声色。


「私は……やっぱり人が死ぬのは見たく無い……です。

 なので、戦いたく無い……でも、だからこそ、怪我した皆さんの怪我を治して、少しでも生きて貰う努力はしたいです……」


 弱々しい春香の覚悟を、叶は言葉も無く大きく頷く。

 そして今度は蒼に向き、


「貴方は? 」


 端的に尋ねた。


 ─戦います。元の世界に帰る為に。


 そう言おうと思っていた。

 そう言えると信じていた。


 なのに、蒼の口は言葉を紡げず、まるで餌を求める鯉のようにパクパクと動くだけだった。


「そう、難しいわよね。

 だって貴方はもう、体験してしまったから」


 叶の言葉に、蒼の心臓が大きく跳ねる。

 それと同時に、あの戦いが蒼の脳内を駆け巡る。


 自分に向けられる憎悪、殺意、そして怨嗟。

 自分の手で感じた人殺しの感覚。

 自分の耳にこびり付いた悲鳴と後悔。

 そして、自分が受けた『死』の感覚。


 己の糧となってしまった事象の全てが、蒼の首を絞めつけ、言葉と呼吸を奪う。


 徐々に蒼の呼吸は浅く速くなり、その顔を脂汗が垂れていく。


「……一晩、考えさせて下さい」


 ガクガクと震えた小さな声でようやく蒼が声を搾り出す。


「えぇ、此処に貴方に戦いを強制する人間はいないわ。

 覚悟が無いなら、拠点の手伝いをしてくれてたら大丈夫だから。この場所の中だけでも、仕事は幾らでもあるんだから」


 うつむく蒼に叶は優しく微笑む。

 その姿を見て、自分の情けなさに蒼は自分自身に更に嫌気が走る。


 「さて、そろそろお昼ご飯の時間ね。

 まだ貴方達の寝床も案内出来てないし、此処で食べて行くといいわ」


 そう言い残して叶は奥へと引っ込んでいく。


 その姿を見送った後、春香は自分の膝に手を置いたまま動かない蒼の手の甲に自分の手を重ねる。


「私ね。本当は天谷君に行って欲しくないんだ。

 生きる希望を、目的をくれた君が、またあんなにボロボロになる姿なんて、死んじゃった姿なんか見たく無いよ。

 だからね、ありがとう。踏みとどまってくれ

て」


 春香の優しさに、蒼の心を罪悪感がむしばむ。


 こんなに優しい人間が戦争に介入する覚悟を決めた。

 こんなに自分を信じてくれる人間に自分は何も報いることが出来ない。


 その不甲斐なさが、蒼の心を擦り潰す。



 そして、再度流れる無音の時間。

 時が止まった様な虚無の時間。


 その時間を、鉄板を鉄板で叩く甲高い音が破壊した。


 「何ッ!? 何なの! 」


 思わず春香が自分の耳を塞いで辺りを見回す。

 こんな音が鳴る時点で結論は一つでしかない。そう分かっているのに。


「あぁ、ごめんね。ご飯は後にしよう。

 ちょっと野暮用が出来ちゃったからね」


 直後、奥から早歩きで叶が現れ、家の外へと歩いていく。

 その時、腕捲りをした叶の腕を蒼は見た。

 見てしまった。


「僕も……行かなきゃ」


「天谷くん……? 」


 腕の至る所を抉られたような深い深い傷跡。

 塞がってはいるが、決して消えないであろう大きな傷跡の数々を。


 立ち上がりたく無い、動きたく無い、現実など見たくも無い。そんな心の静止を振り切り、蒼はゆっくりと歩く。


「あら、来たの? 無理しなくてもいいのよ? 」


 家の中から出てきた蒼に、叶は優しく微笑む。

 その表情に、焦りや曇りといった感情は微塵たりとも感じさせない。


 だが、その先にある道。

 蒼達が入ってきた道とは別の道の先には人間の軍勢の姿。それと同時に大量の足音とそして威圧する様な大声が響き渡る。


「何人いるの……こんなの……」


 あの村で戦った人数の軽く倍はいそうな人の群れに、思わず蒼も、その後ろから出てきた春香も思わず後ずさる。


「君たちはまだ、英雄の真価を知らない。

 そのせいでこの程度の人数に気後れをする。


 戦いを選んでも、逃げることにしても、その知識は絶対に無駄にはならない。

 だから、折角だから今は見ておきなさい? 」


 叶は2人に振り返り一つウインク。

 そこから片手を上に掲げ、


「そのゴミの様なおごりごと全て、消し炭になりなさい。

 発動、『竜鱗リュウリン』」


 叶の異能が発動した。


 蒼に理解が出来たのは此処まで。


 そこから先はもう、意味が分からなかった。


 接近する兵士は全て、持っていた武器も、纏っていた防具も衣服も、身に付けていた携帯品も、


 そして、最後は己の肉体全てがちりとなり、風に吹かれ遠くに舞って行った。


 気がつけば、大量にいた兵の大半は塵となり消え去り、残った2割程度の兵達も不恰好に街に背を向け走り去っていた。


「叶さん……今、何をしたんですか? 」


「コレが英雄わたしたちの真骨頂。

 もし戦いを選ぶのなら、戦って生きたいと願うなら必ず辿り着かないといけない境地」


 蒼の問いに、叶は答えない。

 そこに先程まで優しく全てを教えてくれた言葉はなく、何処までも不親切で抽象的な表現があるだけだった。


「……こういった事は良くあるんですか? 」


「えぇ。当然。

 日常茶飯事……というより、最早日常ね」


 冗談めかしてクスクスと笑うが、蒼には一切笑えない。


 だって、


「貴方達が戦いを強制しなくても……戦いが僕たちを逃してくれない……そういう事ですか? 」


 悲痛な蒼の言葉に、叶はまた一つ小さく頷く。


「えぇ、私たちも貴方たちを最大限守る努力はするわ。

 でも、最後に自分を守れるのは自分だけ。そこに絶対の平和はない。

 それだけは言っておくわね。


 さて、私はそろそろお昼ご飯の支度に戻るわね」


 最後にそう付け加え、叶は家の中へと入ろうとする。


「待って下さい……最後に一つだけ、聞かせてください」


 そんな叶を、俯きながら蒼は呼び止める。

 あの時、クラガーを引き留めた時のように。

 あの時、覚悟をした時のように。


「貴方は何故、戦うんですか? 」


 蒼の問いに、叶は振り向かない。足を止めない。

 だが、一つだけ、


「平和が欲しいの……皆と、家族と過ごせるそんな平和が」


 そう呟いた。


 そんな叶の言葉に蒼は顔を上げ、


「叶さん、僕に戦いを教えて下さい」


 決意を込めて言い放った。


 その言葉に叶も足を止め、振り返る。

 その目は細く厳しく、まるで睨む様な、そんな目をしていた。


「それは戦いの、人殺しをする覚悟が出来た。そう捉えていいのね? 」


 「本当は戦いたくなんて無い……でも、だからこそ! 戦います。

 日本に帰る為に。戦いなんてない平和の為に」


「……そう。なら、お昼ご飯を食べたら早速始めるわよ」


 叶は頷き、家へと入る。

 その後を蒼も続く。


 そんな2人の後ろ姿を少し寂しそうに春香が眺めていた。


「……結局、こうなるんだね」


 そして、最後に小さく呟き2人の後を追うのだった。




✳︎英雄たちのオーバルチュア 了

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コレが僕らの異世界チートの宿命です 涼風 鈴鹿 @Suzuka_Suzukaze

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