じゃじゃ馬レモネード
えすの人
第1話 じゃじゃ馬レモネード
太陽が強く照りつけるカンカン照りの夏。
歩いても歩いても、欲しい物は見当たらない。足元にはアスファルト、頭上にはコンクリート、辺りを見渡すとつまらない顔をした人達が忙しそうにあちこちを闊歩している。
麗奈は現状を憂いた。
私は他の人とは違う存在なのに、つまらない顔をしてあちこちを歩き回っている。周りにいる量産型人類とまるっきり同じ存在に成り果てようとしている。数週間ぶりにスウェットから他所行きの服に着替えて缶詰から脱出したというのに、ちんくしゃな顔にメイクをしたというのに。洋服は汗に滲み、メイクは形を変えて歪みそうだ。
ただ、小説のネタが欲しいだけなのに。
量産型人類との違いはそこだけだった。ネタが欲しくて、新鮮さが欲しくて、どうせやるなら少しの刺激が欲しくて、足を伸ばして都会の労働地区までやって来た。
イメージしていたのは休憩中のオフィスラブ。
真っさらで無垢な新入社員を待っていたのは過酷な労働の日々。慣れない仕事、パワハラ部長にセクハラ上司、売れ残るのも納得なお局ババア、そしてモンスタークレーマー。研修から数ヶ月が過ぎ、彼女は身も心もズタズタになる。ふとめまいを覚え倒れそうになる時、手を差し伸べてくれるのがイケメン社員だ。最初は親切な彼という印象だったが、後にそれは恋心へと発展。今日のお昼は彼と会社の外でデート。この関係は誰にも知られてはいけない。ドキドキハラハラなラブストーリー。
なんてベタじゃなくてもいい。何かないだろうか。
こんなありきたりなフィクションは誰も求めていないのだ。私は他の人とは違う。もっとコテコテに凝った設定が欲しいのだ。
麗奈もカンカン照りに参ったのか、日陰を求めるように移動するようになった。しかし、ビルや建物の陰ではいけない。室外機から排出される空気は熱いし何より汚い。都会にいながらも自然の日陰、木陰を求めて徘徊した。そしてたどり着いたのが自然公園である。
都会の中にぽっかりと空いた大穴。これは数キロにも渡る池なわけだが、その辺りに木々が生い茂り、広場もあり、小さな動物園まで併設されている。
これはロマンスの香り。
麗奈は足速に自然公園へ飛び込んで行った。しかし、ロマンスとは人と人とがいて成り立つもの。現実は甘くなかった。なぜ労働地区につまらない顔の量産型人類がいたのか。答えは簡単である。今日は平日だ。公園という遊び場に人などいるはずもなく、麗奈は侘しく一人残された。
だが幸いなことに何もない、ということはなかった。噴水の水音が彼女を迎えた。池から噴き出す冷水が風に煽られ、火照った肌に清涼感を与えてくれる。それだけでなく、大池の真ん中で高々と咲く水のアートは彼女のある欲望を呼び覚ました。
口の中がねっとりと糸を引く。喉が渇いていた。
ただその渇きを自動販売機で満たすのは些かもったいない。あれはあれでいいものだが、ここまで歩いて来たこの足を労ってやりたい。だとすると、目の前の喫茶店がうってつけだろう。
『喫茶 アイビー』
名の通り、赤レンガの壁には蔦が這っていかにも涼しげだ。とんがり屋根でひっそりしていて隠れた店のようだ。お洒落。
店の玄関口を覗き、営業時間を確認する。
オープンの英字を確認し、麗奈は戸を引いた。客受けのベルが鳴る。
「あーい、いらっしゃーい」
気怠げとも違うが、お洒落な喫茶店には似つかわしくないもてなし声が麗奈を迎えた。
「お客さん一人っスかぁ?」
店の制服を着た女の子がひょっこり現れ、指で一を示した。ぼんやりした目付きだがしっかりこちらを認識していて、気の強さも感じる。
「コレッ! やめんか!」
厨房から縁無し眼鏡の大男が少女にゲンコツをくれた。
「あだッ! 何すんでェ!」
「お客様に失礼だろう。どうもすんません。こいつァ最近入った新人でして……」
「だってよォ……どーも慣れねぇんだよ」
この男もなかなかに面白い。目がキリッとしといて縁無しの眼鏡。一見おっかない見た目でも根は真面目。そしてこの少女に手を焼いているらしい。いいコンビじゃないか。
「いいから、お客様を案内しろ。ヘマするなよ」
「へぃへぃ。お客さん一名様でぇーっス」
「"はい"は一回だ」
「へぇい……」
またもゲンコツを食らった少女は銀のトレーに水とおしぼりを置いて麗奈を席まで案内した。失礼や無礼不躾といった感情は沸かない。むしろ麗奈にとって少女のキャラクターは好印象だ。彼女のことをなんと言っただろうか。
モダン調のホールには麗奈の他に客はいない。平日のこの店は閑古鳥が鳴いているようだ。窓際の明るい席に案内された麗奈はメニューを手に取り開いた。
「ご注文はお決まりっスかぁ?」
席に着いたばかりの麗奈に少女は早々に尋ねた。
せっかちなのかテキトーなのか、はたまた面倒くさがりなのか。麗奈はくすりと笑って彼女に答えた。
「じゃあ……コーヒーをお願い」
「コーヒーはダメだ」
「えっ?」
答えにお断りを食らった麗奈は目を丸くした。
「コーヒーは、そのぅ……まだ覚えられてなくて」
麗奈と幾年も離れていないような学生の少女。今までの態度とは裏腹な自信無さげな仕草を見せた。その姿の愛らしさ可愛らしさ、いじらしさといったらどうだ。あの男からしたらとんでもない悩みの種に違いないだろうが、麗奈は彼女にピンときた。
「じゃあ何ならできるの?」
「レモネードなら任せとけ。レモネードならいける」
「レモネードをお願い……」
「あいよぉ! レモネード一丁!」
「ラーメン屋じゃねえんだ!」
厨房から男が飛んできた。少女にお決まりのゲンコツを食らわせ厨房へと連れて行く。
レモネード。
レモンの果汁と蜂蜜の微炭酸。席に運ばれるまで、さほど時間はかからなかった。グラスに描かれる鮮やかな黄色と透明の見事なグラデーション。最後に口にしたのは何年前だろうか。炭酸飲料の中ではいまひとつパッとしない、ラムネやコーラの影に隠れた存在という認識しか持ち合わせていなかった。
レモンとハーブを浮かべたそれにストローを差し、今まさにそれを口に含むまでは。麗奈の体中に清涼感ととある
レモネードとはまさに、彼女だったのだ。
パチパチはじけて反発し、レモンの酸味を残していく。ただそれは嫌味ではない。香りよく吹き抜けていき、そして甘さがある。甘美である。うっとりするほど気持ちが良いのである。
これはそう、心を乱す可愛いじゃじゃ馬だ。
「あたしのレモネードはどう?」
「とても美味しい」
「だろ?」
ビタミンカラーな笑みを浮かべる少女。
題材は決まった。
私は『じゃじゃ馬レモネード』に恋をした。
じゃじゃ馬レモネード えすの人 @snohito
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