第3話 「なに、ただの掃除屋だよ」
ある日突然、地面に裂け目が出来た。
そこから黒い化け物たちがぞろぞろと這い出してきて、街を蹂躙した。
建物を破壊し、木々をなぎ倒し、人々を踏み潰し、時には食べた。
黒い化け物の出現により、世界は地獄へと変貌した。
人間たちの必死の奮闘空しく、世界は様変わりしたのだった。
さて、そんな化け物蔓延る世界の掃除が終わったら、次にするべきことは。
「今夜の寝床を探さねぇとな」
健次郎は、辺りをざっと見回してみる。
当たり前といえばそうなのだが、どの建物も崩落した箇所が見て取れて、いつ完全に崩れ切るかわかったもんじゃない。眠っている間に建物の下敷きになって終わりなんてことは、ごめんだった。
背が低くて、風が入り込まない建物が望ましいが、この辺には見当たらない。
「ちっと歩くが、大丈夫か」
「ひな、おさんぽすき!」
「おお、そらよかった」
そうして二人は、今宵の寝床を求めて歩き出した。
瓦礫の上に座って休憩したり。
見つけた化け物を掃除したり。
体感二時間程度、移動しただろうか。日が傾き始めている。
健次郎は、自分の隣をちまちまと歩く少女に目を向け、流石にこの少女をその辺の道端で眠らせるわけにはいかないよな、と考える。
健次郎一人であれば、程々の場所に腰掛けて座ったまま眠るなんてことも可能だが、毛布とまでいかなくても、せめて風を凌げる程度の場所は与えてやりたかった。
しかし、都合良い場所は簡単には見つからない。
「さて、どうすっかな」
ガリガリと後頭部を掻きむしって、思案のお供にタバコに手を伸ばそうとして、やめた。
イライラしてきた健次郎は、彼が「掃除機の糞」と呼んでいる石を飴玉よろしく口に放り込んで噛み砕いてやろうかとまで考えた。その時だった。
「ひぇえっっ」
間抜けな声が聞こえた。
「人がいるのか?」
「おじさん、あっち! おにいさんとくろいのがいる!」
ひなが指差した方を見ると、虎に似たシルエットと大きさの化け物が、腰を抜かした青年に向けて牙を覗かせていた。
ぐるぐると喉を鳴らしながら、黄ばんだ涎を落とす。腐臭が此処まで漂っていた。
「おじさん、はやくたすけてあげて!」
「ああ? 人助けとか柄じゃねーんだが」
だからと言って、化け物を放っておくわけにはいかない。 仕方ねぇなと、健次郎は化け物の背後へ回る。そうっと足音を立てないように近付き、そして。
「スイッチ」
『おうおうおうおう! お手手を合わせてごっそーさんってね!』
コードレス掃除機のスイッチを入れると共に、勢いよく虎型の化け物の尻尾にヘッドを押し当てる。化け物が気付いて健次郎と掃除機を振り返るよりも早く、全ては吸い込まれていた。
「え、ひ、人……?」
腰を抜かした青年が、驚いた顔で健次郎を見上げる。
コードレス掃除機が騒ぎ立てる前に電源をオフにした健次郎は、左肩に掃除機を担いだ。
「どうも」
「おにいさん、けがしてなぁい?」
「大丈夫……です」
「そら良かった。で、だ」
一先ず怪我のなさそうな青年を見下ろして、健次郎は尋ねる。
「この辺に、夜を過ごせそうなとこはねぇか」
「それなら、俺たちの避難所へどうぞ。助けてくれたお礼もしたいですし」
避難所。そう聞いて、健次郎は驚いた。
コミュニティを形成できるほど、まだ人類が残っていたことに。
「すぐそこです」
青年の案内に、健次郎とひなはついていった。
*
「へぇ、こりゃ見事なもんだな」
上層階は化け物の爪に切り落とされたのだろう、すっぱりと無くなってしまった建物の一階の奥。拾って来ただろう建材を繋ぎ合わせ補強された区画に、人が身を寄せ合っていた。
「帰りました。それから、客人です」
青年は、何処かで集めてきたのだろう食料が入った袋を入り口の近くにいた女性に渡してから、全体に聞こえるように俺たちを紹介する。
「俺が化け物に食べられそうになったのを助けてくれたんです。食べ物と寝る場所を分けてあげてもらえませんか」
「まあ、彼を助けてくれてありがとう」
「こんな場所だけど、ゆっくりしていって」
「化け物退治とは、あんちゃんやるなあ!」
色んな人に話し掛けられて、健次郎は辟易とする。こういう場は、あまり好きじゃない。外野の声を無視して、渡された食事を黙々と食べながら、ふと考える。
健次郎はこういう場は好きじゃない。でも、あいつはどうだろうか。
そう思った時だった。
「た、大変だ!」
外で見張りをしていた男が、慌てた様子で中に入ってくる。
「ば、化け物が、でっかい化け物が現れた!」
その声に、健次郎は横に置いていた掃除機を掴んで、表へ出た。
日が落ちて薄暗くなった外は、電気という文明が失われてしまった今、月と星の明かりだけが頼りだ。闇と見紛うほどの化け物は見失いやすいが、今日は有難くも月が出ていて、その姿を追うことが出来た。
二本足で立った化け物は、天まであろうかというほどの高さだ。広い通りであるはずのそこいっぱいに体が押し込められて、狭そうにさえ見える。実際に邪魔なのか、腕に当たった建物を引っこ抜いて、後ろへ放り投げた。建物の潰れる轟音が、夜闇に轟いた。
「おい、掃除機。食えるか」
健次郎が左手に持った掃除機に問い掛ければ、フォンっと緑のランプが灯った。
『ありゃ、胃もたれ確実だな。だがぁ、俺に食えねぇもんはねぇ!』
「ほう、そりゃ頼もしい」
ガッと、掃除機のヘッドを地面に押し付け、持ち手を両手でしっかりと握り込む。
「スイッチ!」
『ターボモード最強中の最強! フルパワー全開だぜ!』
健次郎は、掃除機の自走機能に乗っかって、化け物に向かって走り出す。
その気配に気が付いた巨体が、空に向かって吼えた。ビリビリと鼓膜が揺らされる中、掃除機から手を離さないよう握る手に更に力を込めて、速度を落とさず向かっていく。
止まらない健次郎に向かって、化け物の腕が、いや爪が、下から掬い上げるように健次郎に向かってきた。
「ぐっ……!」
ガキンッと堅いものがぶつかり合う音がした。咄嗟に向けた掃除機が、化け物の爪を受け止めた。しかし、ヘッドが化け物に接触していない。このままでは吸い込めない。じりじりと少しずつ、踏ん張り切れない健次郎が後退していく。吹き飛ばされるしかないのか、そう思った時だった。
「おじさん、まけないで!」
健次郎を追いかけて一緒に外に出て来ていたらしい。ひなの声が、健次郎まで届く。
あいつ、何出て来てやがんだ。危ねぇだろうが。
「っ、らぁ……」
戻って説教してやらなくては。
健次郎はありったけの力を右足に込めて、化け物の腕を蹴り飛ばす。
爪が掃除機から離れた隙を逃さずに、ヘッドを化け物に向けた。
「よっ、とぉ!」
『いかすぜ大将! いっただっきまーす!』
そういうと、掃除機が化け物の腕を吸い込む。
化け物は腕を引き抜こうと抵抗するが、それも一瞬のこと。あっという間に掃除機の腹――ダストボックスの中だ。
「ふぅ」
ギリギリだったが何とか片付けられたと安堵した健次郎の元に、ひなが駆け寄ってくる。
「おじさん、けがは!?」
「ねぇよ……それより、てめぇなんで外に出て来た!」
「だ、だって……」
「だってじゃねぇ、危ねぇことすんな、死にてぇのか!」
健次郎の怒鳴り声に、少女は大きな瞳にぽこぽこと涙を溜めていく。
しかし、少女は噛み締めていた口を開いた。
「だって、おじさん、はなれるなっていった!」
――……絶対俺から離れないこと。一度でもはぐれてみろ。知らないからな
確かに、健次郎はひなにそう言った。連れて行くと決めた、数時間前に。
「ひな、わかったっていったもん、おじさんから、はなれないもん……!」
「おまえ……」
『いいじゃん、健気で』
電源をオフにし忘れていた掃除機が、珍しく静かな声でそう言った。
『連れてってやれよ。こりゃたいした頑固者になるぜ』
ケラケラと、掃除機が楽しそうに笑う。
「避難所に居た方が、安全だ」
「ばけもの、でてきたもん」
「ここの方が、あったけぇぞ」
健次郎はああいう場は好きじゃない。でもこいつはどうだろうか。
人の暖かさが溢れる場所に居た方が、いいんじゃないだろうか。
しかし、ひなは首を横に振る。
「けんじろうおじさんが、いいもん」
『ほら、頑固だ。旦那じゃ勝てねぇよ』
そんな掃除機の言葉に溜息を零して、健次郎は優しく笑った。
「わかったよ、ひな」
少女に笑顔が戻ったところで、避難所からわらわらと人が出て来た。
「ほんとに化け物やっつけちまった……」
「あんたたち、一体何者だい」
健次郎は彼等を振り返り、にやりと笑って、ひなの頭に手を乗せ、告げた。
「なに、ただの掃除屋だよ」
掃除屋 健次郎 森ノ宮はくと @morinomiya_hakuto
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