第2話 「俺はただ、掃除してるだけだよ」
それが起きたのは突然だった。
大きな飛来物があったわけではない、誰かの大予言が当たったわけではない。
ただ突然、世界は死んだ。
ある日突然、地面に裂け目が出来た。日本国中、いや、世界中のあちらこちらに。
そこから黒い化け物たちがぞろぞろと這い出してきて、街を蹂躙した。
建物を破壊し、木々をなぎ倒し、人々を踏み潰し、時には食べた。
黒い化け物の出現により、世界は地獄へと変貌した。
国も何も無くなる中、化け物を討伐しようと試みた勇気あるものたちも居たし、国によっては核爆弾など兵器をフルに稼働させたが、化け物どもに通じることはなく、数日と待たずして、世界は様変わりしたのだった。
「ねえ、おじさん」
健次郎のスーツを、ひながくいくいと引っ張る。
「これ、そうじきよね?」
『ああ、そうだぜっ! 世界一かっちょいい掃除機たぁ俺様のことだぜ!』
ひなが指差した健次郎の持つ掃除機から、男性の声がして、ひなは目を輝かせた。
「そうじきさんって、おしゃべりできたのね! すごい!」
「んなわけあるか」
ひなの純粋さに、健次郎が思わず突っ込む。
世界がこの惨状になった日、健次郎はいつも通り会社に出勤して、いつも通りに仕事をこなしていた。
当然、健次郎が勤めていたビルも化け物の攻撃を受けて崩壊寸前で、部下に声を掛けながら必死にビルを抜け出そうとした。
しかし、その奮闘も空しく、とある部下は化け物の手に掴まれて、とある部下は落ちて来た天井に潰されて、とある部下は飛んできた瓦礫にぶつかって、どんどん数を減らしていって、一階に辿り着いた時には、健次郎しかいなかった。
必死の思いで辿り着いた一階、玄関の前にはおびただしい数の化け物たちが居て、ああ、無駄だったのか。俺も死ぬのかと、健次郎が覚悟した時だった。
『おい、お前、そこのお前!』
ガタガタと、何か硬いものが動いている音がする。
健次郎がそちらに目を向けると、ビルの掃除用具だったのだろう掃除機が、転がっていた。
『お前、俺を助けろ!』
それが健次郎とコードレス掃除機の出会いだった。
そんな思い出は一度横に置いといて、健次郎は喋り続ける掃除機の電源をオフにした。
そうすると掃除機は電源が落ちて、シンと静かになった。
「あれ、ねちゃったの?」
「そうだ、もう掃除機さんはお休みの時間だ」
強制的に掃除機を沈黙させた健次郎は、ダストボックスをパコっと外す。
本来なら在り得ない質量を吸い込んだはずなのに、ダストボックスは軽い。
ゴミを取り出すための蓋を開ければ、中からコロリと石が出て来た。
夜空を無理矢理押し込めたような、黒にも紫にも見えるキラキラとした物体に、ひなの目が輝く。
「わあ、きれい! ほうせきみたいね!」
化け物を吸い込んだ後、コードレス掃除機はこの石を生成する。
健次郎は心の中で「掃除機の糞」と呼んでいた。
恐る恐る石をつつくひなに、ふっと健次郎は笑みが零れた。
「気に入ったなら、やるよ」
そう言いながらしゃがむと石を拾い上げ、ひなの手の平に落とす。
「いいの?」
「ああ、かまわねぇよ」
この石が何なのか知らない。なんで出来るのか、どう使うのか。
健次郎はこの石について何も知らないが、これを持ち歩いていても自身に何の害も起きてないことから、一個くらい彼女にあげてもいいだろうと考えた。
ひとりぼっちは嫌だと泣いていた少女が、これを見て目を輝かせたのだ。
あげたってきっと、問題ないだろう。
「んじゃ、今度こそお別れだ」
「え」
石に目を輝かせていたひなの表情が、再び曇る。
「お前さんも見ただろ。外は危ないんだ。あのお店で良い子にして待ってな」
誰も迎えにこないだろうけれど。それでも、健次郎についてくるよりも安全だ。
そう考えてのことだったが、ひなはぶんぶんと首を振る。
「やだ、ひな、おじさんといく」
「駄目だ」
「やだ!」
がしりと三度スーツの裾を掴む。
すっかり薄汚れてしまったスーツが、この短時間で更によれていく。
「おじさんといると危ないぞ」
「うそよ」
少女は、頬を膨らませた。
「嘘じゃねぇよ、さっき危ない目にあったばかりだろうが」
「あぶなくなかったもん」
「ああ? ばけもんの餌になりそうだったんだぞ」
「でも、おじさんがまもってくれたから、あぶなくなかったもん」
さっきまで震えていたくせに。
そんな言葉が、健次郎の喉をついて出そうになる。
でも、ああ、そうだ。そうだよな。
怯えながら一人で過ごすことほど、虚しいもんはない。
「……絶対俺から離れないこと。一度でもはぐれてみろ。知らないからな」
「わかった!」
こうして、健次郎はひなの同行を許すことにしたのだった。
割れたコンクリートを避けながら、かつて人で賑わっていたであろう道を進んでいく。
途中、街路樹がなぎ倒されて道が塞がれていたので、健次郎がそれを乗り越えてから、ひなに手を貸して、飛び越えさせる。
「ねえおじさん、それおもくないの?」
ひなが、掃除機の方に目をやりながら尋ねる。
健次郎も左に担いだ掃除機を見やった。
「重い。片手が塞がって不便だし」
このコードレス掃除機には自動走行機能がついている。本来の家電としては、スムーズに動かせるという程度の機能だが、あの日に意志を持ったこの掃除機は、電源を入れておけば自由に動き回れる。なんならスクーター代わりにも出来る。
だがしかし、一つだけ致命的な欠陥があった。
「こいつオンにしておくと、ずっと喋っててうるせぇんだよ」
「おしゃべりするの、たのしいよ?」
「そんなレベル超えてやかましい」
「…………」
「あ? どうした?」
健次郎が、急に黙ったひなの顔を覗き込む。
ひなは、もごもごと口を動かした後、ちらりと目線だけ健次郎の方へ上げて、小さな声で聞いた。
「ひなも、うるさい?」
「あー……」
ひなの瞳が「良い子にするから捨てないで」と訴えかけている。
健次郎は、ガリガリと後頭部を掻いた。
そして、その手をぽんっとひなの頭に乗せる。
「嬢ちゃんはそのまんまでいい」
「ほんと?」
「ああ、ほんとだ」
ぽんぽんっと二回、ひなの頭を撫でる代わりに優しく叩いて、そして。
「だから、ちょっと待ってろな」
健次郎が振り返ると、黒い化け物がぽよんぽよんっと群れで飛び回っていた。
「十匹……いや、十五くらいはいるか?」
大人の頭一つ分はあるだろう化け物が、あっちこっちへと飛び回っている。そいつらがぶつかった箇所が、じゅわりと音を立てて溶ける。街路樹や建物、瓦礫の一部が溶けて、穴が開けられていた。
「スイッチ!」
そう叫ぶと、家電製品――コードレス掃除機は、緑色の光を点滅させる。
『旦那、すっかり絆されちまってんねぇ』
電源を入れた途端、掃除機が楽しそうにケタケタと笑う。
「盗み聞きしてんじゃねぇよ……数は多いが雑魚ばっかだ、ターボモード中で吸い尽くすぞ」
『イエッサー! 準備万端だぜ!』
「ほんじゃ、お掃除始めるとするかね」
健次郎が地面を蹴って走り出す。
電源の入ったコードレス掃除機は、地面を滑るように走っていく。
『おらおらおらぁ! 食っちまうぜぇ!』
地面に下りていた化け物を吸い込む。
飛び上がった化け物は掃除機を振り回しざまに吸い込む。
飛び掛かってきた化け物は掃除機を正面に構えて吸い込む。
コンクリートの割れ目を避けて、瓦礫を飛び越えて、掃除機を振り回す。
コードレス掃除機は、楽しそうに笑いながら、吸って、吸って、吸って、吸って。
『けぷっ、ま、おやつって程度だったな! ぎゃはは!』
掃除機が、嬉しそうな声をあげた。
周囲にもう化け物が残っていないことを目視で確認して、健次郎は力を抜く。
「掃除完了ってとこか」
胸ポケットに手を入れて、タバコの箱を取り出す。
その中から一本、取り出そうとした時、健次郎の方へ駆け寄ってくる小さな影があった。
「おじさん!」
「お」
ひなが興奮した様子で、健次郎に飛びついてくる。
「おじさん、すっごくすっごく、かっこよかった! まるでヒーローね!」
「んな柄じゃねぇよ」
健次郎は取り出したタバコの箱を、胸ポケットに戻した。
「俺はただ、掃除してるだけだよ」
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