掃除屋 健次郎
森ノ宮はくと
第1話 「ただの掃除屋、かな」
それが起きたのは突然だった。
大きな飛来物があったわけではない、誰かの大予言が当たったわけではない。
ただ突然、世界は死んだ。
「よっと、ここもだいぶ荒れてんなぁ」
健次郎は、道を塞いでいた瓦礫の山をよじ登って、辺りを見回す。
高層ビル群があっただろうと予想できるその通り沿いには、踏み潰されたかのような建物や捩じ切られたかのような建物、拳で穴を開けられたかのような建物などが並んでおり、建物の破片と思しきガラクタが道々に落ちていた。
「これじゃあ人はいねぇかもしれんな」
胸ポケットから、くしゃくしゃになったタバコの箱を取り出す。トンッと一本取り出したものを口に咥え、ライターをカチッと鳴らす。が、何故か火は付かない。もう一度と試みるも無駄に終わる。
「んだよ、折角拾ったってのに外れかよ」
おそらくオイル切れの外れライターを拾ってしまったのだろう。
当たりが外れた健次郎は、盛大に溜息を吐き出す。
ぐしゃぐしゃと後頭部を掻きむしり、渋々といった表情を作ってから、ライターを手首の動きだけで捨てた。
さて、問題は取り出したタバコだ。もう完全に吸う気分になっている。下顎でくいくいと上下に動かしてどうするか思案していると、とある店が目に付いた。
コンビニだ。
「いいもんあんじゃねぇか」
早速瓦礫から飛び降り、コンビニへと向かう。
自動ドアはガラスが割れ切っていて、ドアの意味をなしていない。健次郎は枠だけになったドアを跨いで店内へと入る。昼間にも関わらず薄暗い店内は、電気が通っていないのだろう。商品も棚から落ちて潰れてしまって、売り物になりそうもない。もちろん、売る人もいないが。
「お、あったあった」
床に落ちた商品を避けながら向かった先のレジで、目当ての物を見つける。健次郎は律儀にも値札に書かれている金額を財布から取り出して、レジの上に置いた。それからライターを手に取り、咥えっぱなしのタバコに近付ける。シュボッと火の立つ音がした。ようやくありつけた煙をじっくりと堪能して、それを勢いよく吐き出す。
「はー、うめー」
店内でタバコの煙をまき散らすなんて、非常識もいいところだ。
しかし、荒れ果てたこの場所では健次郎を咎めるものはいない。
健次郎は購入したライターをポケットにしまい、煙を吐き出しながら、他に使えそうなものはないかと、コンビニの奥へ足を踏み出そうとした。その時だ。
「けほっ、けほっ」
レジの向こう側から、咳き込む音がした。
「ああ!?」
濁点が付きそうな勢いで発した声と共に、急いでタバコの火を消し、レジの裏へ回る。
「……んだよ、人がいたのか」
レジの下、そこには薄汚れた少女が一人、蹲っていた。
「おじさん、だあれ?」
「おじ……いやまあ、おじさんか。誰でもねぇよ。邪魔したな」
健次郎はひらひらと手を振って、踵を返そうとした。しかし、少女は咄嗟に健次郎のスーツの裾を掴み、その行動を止めた。
「わたし、ひな」
「おお、そうか。お名前が言えて偉いな」
「あのね、パパとママがここにいなさいっていったの」
「おお、約束が守れて偉いな」
「おいしいパンケーキをたべにいくやくそくだったのよ」
「おお、そうか。それはよかったな」
勝手に話し始める少女――ひなに、健次郎は諦め混じりに相槌を打つ。
「あのね、でもね、おそとにくろいのがいっぱいになっちゃって、みんな、どこかにいっちゃったの」
「…………」
「おじさん、どこからきたの? ひなのパパとママをみなかった?」
少女の問いに、健次郎は答えることが出来なかった。
彼女が見たという「黒いの」には、心当たりがありすぎる。
荒れ果てた街の様子からも、彼女が見た「黒いの」からも、行き着く答えは一つだ。
「いや、見てねぇよ」
それでも健次郎は、少女にそれだけしか伝えなかった。
「じゃ、おじさんはこれで」
今度こそと少女に手をひらりと振って、健次郎はレジを出る。少女は慌てて立ち上がり、よろけながら健次郎にしがみつく。
「やだ、まって、ひとりぼっちにしないで……!」
幼子特有の大きな目いっぱいに涙が溜まっていた。
こんな薄暗いところで、ただ一人、何日も親の帰りを待っていたのだろう。
コンビニにあるお菓子や飲み物で何とか食いつないで。
彼女の周りに散らかされたゴミが、それを物語っていた。
健次郎は、同情の念を覚える。
でも、彼女を連れて行くわけにはいかない。そう思って、少女の肩にそっと手をやる。
引き剥がされると感じとった少女の目が、溜めた水の膜を弾けさせようとした、その瞬間だった。
「ギゃアおおオオオオおッ!」
コンビニの外から、ひしゃげた叫び声が聞こえた。
健次郎は、少女から意識を離して、声のする方へと走り出す。
「いやがったか」
それは、災害。
少女ひなのいうところの「黒いの」。
ある日突然、地面に出来た裂け目から這い出してきて、街を蹂躙した化け物。
大きさは、地上十階分の高さといったところだろうか。メートルに換算するとおよそ三十メートル。
叫び声をあげた口は、オオカミのようと形容してもまだ可愛さが残ってしまうほど、大きく引き裂け、尖った牙がびっしりと並んでいた。黄ばんだ牙の生えた口からは、ぼたぼたと茶色く薄汚れた涎が垂れている。
牙以外が黒に塗りたくられた化け物は、どこに目があるのかわからない。
頭から二本伸びているものは耳だろうか。長く伸びて、そしてどろりと溶けた形のまま固まってしまったかのような不思議な形状のそれは、周囲を探るように上下左右に揺れている。
「ガルるルあァァぁ」
化け物の右前脚が、ゆっくりと動かされる。ただ方向転換しただけだろう動作なのに、コンクリートで舗装された道路が割れた。
健次郎は、目の前の化け物から目を離さないまま、周辺の気配を探る。
仲間はいないか。化け物は目の前のこいつ一匹だけか。
しかし、そんな意識を遮断する声があがった。
「きゃあああっ!」
コンビニにいた少女、ひなだ。
健次郎について外に出て来てしまった彼女は、巨大な化け物を前に、叫び声をあげる。
その声が聞こえたのか、化け物の口が、体が、ゆっくりとひなの方へ向けられた。
「ばか、おまっ、なに出て来てんだ!」
そう少女に怒鳴るが、少女はただそこにへたり込んで震えるだけだ。
「ちっ!」
健次郎は化け物から少女を隠すように間に入ると、今までずっと左側に担いでいた家電製品を構える。
「スイッチ!」
そう叫ぶと、家電製品――コードレス掃除機は、緑色の光を点滅させる。
『あいよ、ご主人! ターボモード最強だぜ!』
「ほいほい、んじゃま、掃除といきますか!」
健次郎は、コードレス掃除機を両手で構え、化け物へと突っ込んでいく。
『いくぜ吸うぜいくぜいくぜ、全部吸い込むぜぇ!』
コードレス掃除機が、男性のような声でカラカラと笑う。
「おら、たんまり食えや!」
健次郎の突き出した掃除機が、化け物の左前足へ接触する。その瞬間。
ズボッという音と共に、化け物が消えた。
ゆうに三十メートルはあったであろう化け物が、一瞬にして消えた。
そして。
『げぷっ、腹いっぱいだぜ』
掃除機が、満足そうな声をあげた。
「……おじさん」
事の顛末をのみこめていない少女は、ぱちぱちと瞬きをしながら、健次郎に問いかけた。
「おじさん、だあれ?」
「ん、そうだなあ」
健次郎は少女を振り返り、にやりと笑って、告げた。
「ただの掃除屋、かな」
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