渦害者
小欅 サムエ
渦害者
往々にして、事件や事故というものは偶然巻き込まれてしまうものである。
偶然が偶然を呼び、それが大きな悲劇をもたらす。巻き込まれたものは人種や思想によらず、ただ運命のいたずらに付き合うしかないのだ。
たった今、駅の別室で警察から取り調べを受けている青年もまた、運命の女神に翻弄された一人であった。
「はぁ、なるほどね」
俯く青年に向けて溜息を吐きつつ、中年の警察官が云う。
「つまりキミは、落とし物を拾おうとして偶然屈んでしまった、という訳だな?」
「はい……」
警察官の優しい言葉にも、青年は声を震わせて答える。
「手帳が落ちていたので、届けようと思って。でも、まさかこんなことになるなんて……」
「確かに、状況だけ聞けば不運としか言えないな。しかし」
警察官はまた一つ溜息を吐き、彼の私物をジロリと睨んで言い放つ。
「傘の扱いには十分気を付けておくべきだったな。特に、階段の上にいるようなときは」
青年は、駅の階段上部で傘を持ったまま屈んでしまった。それも、その鋭利な先端を後方へ突き出すような形で。
混雑こそしていなかったが、不運なことに彼のすぐ後ろには一人の女性がいた。そしてさらに、彼女は歩きスマホをしていたのである。
通常であれば、危険な傘に気付けたかも知れない。しかし無防備に歩いていた女性は不意打ちに対処できず、そのまま階段を転げ落ちてしまったのだ。
「本当にすみませんでした。それで、その女の人は無事だったんですか?」
「ああ、どうにか無事だったみたいだ。傘の先はギリギリ目に当たらなかったようだし、階段もそこまで高くなかったからな」
「そうでしたか、良かった」
「良くないぞ。怪我をさせたことは事実なんだ、ちゃんと後で謝罪しなさい。いいね?」
「は、はい。警察や駅員の皆さんも、俺のせいで仕事が増えちゃいましたよね。ホント、どうやって謝ったらいいんだろう……」
「ん? ああ、我々については特に気にしなくていい」
「え?」
キョトンとする青年に向け、警察官は少し言い辛そうに返す。
「まあ確かに仕事は増えたが、代わりに大きな仕事が減ったんだ。だからまあ、反省だけしてくれりゃ、それでいい」
「は、はい? どういうことなんですか?」
「あー、実を言うとだな……彼女、盗撮被害を受けていたんだ」
「と、盗撮、ですか?」
「そうだ」
そう言うと警察官は頭をボリボリと掻き、心底呆れたような表情で続ける。
「真後ろにいた男に、スカートの中を撮られていたんだ。それも男はかなりの常習犯でな、ちょうど今日もこの駅で張り込みしてたところだったんだよ」
「そうだったんですか。でも、それが今回の件と何か関係があるんですか?」
「察しが悪いな。ヤツも、女と一緒になって階段を落ちたんだよ。盗撮に集中していて視界が狭くなってたんだろうな」
「ええ……」
青年は事実を知り、困惑ともドン引きとも言い難い表情を浮かべた。
盗撮犯がクッションになってくれたお陰で、女性は軽い怪我で済んだ。また盗撮犯はそれなりに怪我を負ったものの、証拠品を消す間もなく転げ落ち、男は盗撮の現行犯で捕まった。
警察からすれば、被害者が大きな怪我を負うこともなく、自動的に別件が解決できたのだ。それ故に青年から謝罪を受けても、素直に受け止められるはずがない。
互いに顔を見合わせ苦笑すると、警察官は立ち上がって青年へ告げる。
「そういうことで、女性には謝っておくことと、あと傘はちゃんと持つように。分かったな?」
「はい、もちろんです。肝に銘じておきます」
「よし。それじゃ、今日のところは帰っていいぞ」
「分かりました。では……あ、そうだ」
「ん?」
部屋から去ろうとした青年はふと立ち止まり、ポケットにしまっていた何かを警察官へと差し出した。
「これが階段の上にあった手帳です。せっかくなので、お渡ししようかと。縁起が悪いですし」
「ああ、そういうことか。しかし駅の遺失物だからなぁ。本来は駅員に渡して――――ん?」
一旦、受け取りを拒否しようとした警察官だったが、その手帳を見た途端に硬直した。
そして、まるでパントマイムをするように不可思議な動きで自身の体を触り始め、やがて両腕をだらんと下ろした。
「? あの、どうしたんですか?」
「……いや、なんでもない。預かっておくよ」
「あ、ありがとうございます」
怪訝そうに首を傾げつつも、青年は部屋を去っていった。その背中を見送り、警察官は傍にあった椅子へ力なく腰かける。
豪華なエンブレムの施された、黒革の手帳を握りしめながら。
渦害者 小欅 サムエ @kokeyaki-samue
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