エピローグ

 とある海岸線の、とある浜。

 撮影スポットの一時停車用スペースに車をおくが、ほとんどの人はそこより前の道の駅兼絶景ポイントで足をとめるから、わざわざここに停める人は少ない。

「さすがに、今は人もいませんね」

 九月も終わりにさしかかかり、そろそろ残暑と冷気が交互にやってくる頃になった。今日はまだ残暑が競り勝っていたので海水浴ができないことはないのだが、海の家もあるわけでもない道路沿いの砂浜で泳いでやろうという者はいなかった。

 

 城の事件があってから一ヶ月とすこし。

 城から帰ってまず訪ねたのはあの教授の研究室だった。一人の男と一人の人形に抱えられた、もう一人の人形と女の体、そして赤ん坊という奇怪な五人組。つまり僕と人形姿の行也に抱えられた、人形姿の瀕死の翠さんと、魂を失ったその体と、城にいた赤ん坊。

 教授はそれを見るなり笑いころげた。「しばらくそのままにしときなよ」と動かす力もない翠さん人形に笑いながら言って、魂のない彼女の体を笑いながら雑に扱う。人形の翠さんは押し黙っていたが、その怒りが胸の穴からあふれでていた。

 その向こうでは外見がまるで変わってしまった行也が「弟と妹」に再会していた。しかし幼い二人からすれば目の前にいるのはどう見ても「ママ」だった。

 奇妙な因果で行也とママは共に子供たちのもとに帰ってきた。

 人を超える力でもって、人のもとへと帰ってきた。

 しかし子供たちはそうは思わない。行也がいないと見るや怒りだし、最後は泣き出してしまった。その声につられてか赤ん坊まで泣き出した。誰も満足に説明も納得もできないこの状況のせいで、感動の再会のはずだった瞬間は打つ手のない混乱となった。

 そうこうしているうちにあの巨人の人形師と小人の古物商もやってきた。しかし二体の人形を見るや感動に打ち震えてしまい使い物にならない。

 結局僕が半分怒鳴るかたちになってやっとその場を収めると、教授は学校の無反響室を、人形師はレコード盤に溝を掘る道具を、古物商は骨董品のプレーヤーの準備を始めた。

 そのゼンマイが取り出せる瞬間、翠さんは「こんな奴らにやらせるとは」と吐き捨てた。まったくその通りだ。とはいえ一応その道のプロたちだというのは彼女がいちばんよく知っていたから、抗うことなくその体を任せた。

 そしてレコード盤への転写が終わり、音を奏でる準備ができた。無反響室の中央の椅子に翠さんの肉の体をもたれかける。

 そしてレコードは鳴らされた。ヒューヒュルル、笛のような音がした。

 

「彼岸に海に入ると連れてかれる、、、、、、って言うからな」

 翠が怖がらせるように言う。

 しかしそれはまんざら冗談でもない。二人の目的はまさにその彼岸の海絡みだった。

 夏の観光シーズンも終わりかかった一週間前、とあるホテルからの相談が舞い込んだ。

 毎年この彼岸の頃になると、ホテルのプライベートビーチに奇妙な漂着物が流れてくるという。

 それはメッセージボトルだった。中には叶わぬ悲恋の想いが書かれていて、それを読んだ者に不幸が訪れるという。過去にホテルの従業員が何度か被害に遭っており、とうとう前年、宿泊客がそれを拾い、帰宅中の不慮の事故で帰らぬ人になったという。ホテルもとうとう対策に乗り出し、それで翠のもとに依頼が来たのだった。

「よし、まずはここで一個投げてみるか」

 そう言って車に積んだ瓶を取り出す。

 彼女がやろうとしているのはボトルがどこから流れてくるのかという調査だった。ボトルが流れてくるならその始まりの場所もあるはずで、そこに叶わぬ恋の主がいるだろうという考えだった。

 海流を考えると、この辺りから沿岸流に乗ってホテルまで流れていくようだ。それが本当か、実際に投げてみて確かめてみる。

 彼女はずいぶんとやる気のようだ。当然だろう。調査中はあのプライベートビーチ付きホテルに無料ただで宿泊できるのだから。とっとと投げてとっとと泊まろうという魂胆が丸見えだ。しかしこういう場合、泊まる場所はたいがい従業員用の狭い部屋だと思うのだが。

 まったく、あんな高級ホテルがどうしてこんな怪しい人に……思いあたるのは聖アリンの関係者だ。お嬢様の間に広まっているという噂を、ホテル王な父親が聞きつけてきたのではないか。ちなみに、その高級ホテルグループの幹部に篠井という名前があった。

 皆、元気にしているだろうか。

 岡田京子は、彼女の父方の祖父母のもとで暮らすことになったという。聖アリンまでは片道一時間半近くかかるようだが、問題は通学時間でなくあの実家の美しい庭園だという。今のところ家を売る気はないらしいが、庭の手入れをどうしようか、まだ新生活が始まったばかりで考えている途中だそうだ。そして、

「そういえば——行也は、結局」

「とりあえず、子供たちはあいつが引き取るそうだ。赤ん坊も含めてな。今のところ、あの城で」

 弟と、妹と、新しい赤ん坊。三人の兄であり母として面倒をみるという。

 その財源もあの城にあった。

 翠さんが体を取り戻した数日後、改めてあの城に行ってみた。そこに老錬金術師の姿はなかった。その身体にかけたタオルが床に広がっているだけで、その下に一握の灰が小山があるばかりだった。

 そして、あの城に隠されていたもう一つの工房、錬金術師自身の工房と思われる場所にあったのが、大量の金の球体だった。

 どこから持ってきたのか、あるいは造ったのか、今となってはわからない。極限まで高純度なただの金。今の僕らに鑑定できるのははそんな即物的なことだけだった。

 ちなみにその時、翠さんは舞い上がって喜んだ。僕も嬉しくなって、

「これであの鴉の山を買う資金ができましたね!」

 と喜んだ。その瞬間、彼女の顔から笑顔が消えた。棚を蹴飛ばすと「あのクソ鴉ども!」と罵詈雑言を吐きながら出ていった。あの怒りよう、間違いなく鴉との契約は忘れていた者にしかできない。

 という訳で当座の金はなんとかなりそうだ。それを使えばあの怪しい古物商の手配であの子たちに偽の戸籍やらその他諸々も用意することもできるかもしれない。

 ただ、まずは家族の時間が必要だ。それは行也たちにしか作ることができない。

 京子も行也も僕たちも、落ち着いたように見えるが、みんな変わっていく。

 変わらない日常を求め、戦い、変わった後の日常で、新たに変わらない日常を送る。矛盾のようで真理のような、不変になるための変化の連続。そしてその営みは変わらない。

 記憶を失った男も、山村の少女も、人形を造った人形師も、錬金術師も変わらぬ日常を求めたはずだった。

 欠けているもの、失われていくもの、手が届かないもの。

 それを満たし、守り、求める。

 つまり飽かず、抗い、挑むという、戦いの裏返し。

 傷つくことのないものを求め、全てが傷ついていく。完璧というものは存在しないとよく言うけれど、それは正しいのかもしれない。完璧に近づけば近づくほど、それに至る前に己さえも破壊されてしまう。

 ならば、それに挑むことは無意味なのだろうか。

「突っ立ってないで準備を手伝えっ」

 翠は瓶に発信器を仕込んでいた。行き着いた場所がわかってしまう、なんとも趣も味気もないメッセージボトルだ。とはいえ、幸か不幸か事態はちょっと想定外の方向に向かっている。

「ちゃんと流れてくれるでしょうか。台風、こっちに向かってますよ」

 手を動かしながら最新の気象情報を確認する。二日前に突如現れた台風は猛烈な勢力でこの地方への直撃コースをひた走る。大荒れになれば海流も大きく変わるから、メッセージボトルの行き先も大違いだろう。

「ったく、最悪のタイミングだ。これじゃプライベートビーチも台無しだ」

 この人は明らかにボトルのことは気にかけていない。彼女の野望は叶いそうにない。

 どんなことにも完璧がないのだとしたら、それを求めても手に入ることはないのだろうか。

 全ての人の願いが満たされる日は来るのだろうか。

「本当に投げますか?無駄になるかもしれませんよ」

「うるさい。やると言ったらやる。どうせ後でまた投げに来るなら、今投げて大穴狙いしといたっていいだろ」

 たしかに、その通りではある。

「目的地に行かなかったら、どこに流されるんですかね」

「どっかには流れ着くだろう。マリアナ海溝かブラジルかは知らんが」

 カオスの淵から流れゆくボトルのように、願いに向かおうとする人間もまた欠落と不完全を増大させ続ける。

 しかしその先に、いつか行也が言ったような思いもよらぬゴールがあるのではないか。もはや意図的としか思えないほどに、まだ足りない何かを無理やり見出しては、それを求めようとする人々。自分からあえて欠落を作り出したくせに、ほとんどはその穴に落ちる。しかし、ほんの一握りの偶然でその穴の先の、新天地にたどり着く。とはいえ僕らがそこに求める要求水準も高い。

 ボトルよ、もしバミューダ・トライアングルの向こう側に行ったら、その地の便りを送ってくれないだろうか。

「なら、僕らの連絡先でも書いときましょうか」

 冗談に冗談を返したつもりだったが、意外にも翠さんは気に入ったようで紙切れを一枚忍ばせる。ただの瓶がメッセージボトルになる。

「住所だけじゃ面白みがないな……願い事でも書いとくべきか?」

 絵馬じゃないんだから。どんどん本来の目的から遠ざかっていく気がする。

 たしかに紙片のスペースが空いている。とはいえ願い事と言われても……

 願い事が叶いますように、という願い事。全ての人の願いが満たされる世界。

 生きるために生きる。完璧というのはどうしても同語反復に行き着いてしまうのか。気がつくといつの間にか、肝心な中身が真っ先にどこかへ行ってしまう。

「よし、投げるぞ」

 いつの間にか翠さんは瓶の中に紙を入れていた。僕も急いで考え、書き殴って瓶に入れる。

 海が荒れませんように、まずはそんな些細なことから願ってみる。ボトルに蓋をした後になってもっと欲しいものを思いつく。

 まあ、海が荒れたらまた投げに来る。残りはその時書けばいいか。

 ボトルの首を掴むと振りかぶってびゅんと投げる。二つのボトルは予測可能な放物線を描いて予測不可能な波間に落ちていく。白い陽光に照らされた白い波飛沫が上がった。

 未完成な願いを思い返す。

 僕の、そして誰かの願いは叶うだろうか。

 その道は長い。もしかするとないかもしれない。今はまだ。それでもきっと自分はそのすべを求めてしまうのだろう。他ならぬ自分がそう願っているのだから。

 メッセージボトルは引き波に乗って海原へと流れていった。

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魔女の探しもの @kenpil

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