第8話 優しさと殺し

 泊めてくれている人に対して、お暇する意思を切り出すのはなかなか難しい。俺がそれらしい素振りを見せると、バマエフ卿は「まあまあ」と言って引き留める。ずるずると四日ほど彼の別荘に滞在した、昼時のことである。

「彼女、感心じゃないか。よく働いているよ」

「はい?」

 食後の散歩と談話に付き合って、森のような屋敷の庭を歩いていると、バマエフ卿がそのように言った。

「ほら、君に付き添っていた……ミユゥ、とかいったか」

 ああ。確かにミユゥはルルーナたちと、屋敷の仕事に励んでいる。バマエフ卿はあくまで俺の知り合いだし、彼と話したりするよりそうしているほうが気楽だと言っていた。

「ええ。修行中だそうです」

「修行?」

 冗談めかした返答に彼は首を傾げる。興味はなさそうだったので、俺は別の話題を口にした。

「それにしても、お広いお屋敷ですね。警備は間に合うのですか?」

「はは、それほど魔物の多い地域でもなかろう。護衛たちも魔法の心得がある者だし、門を見張らせれば十分だよ」

「確かに、強力な魔物の目撃例はありませんが……」

 安全な都市生活は危機感を育てない。俺も王都の家を出てから死ぬほど、否、死にかけるほど苦労した。バマエフ卿を疑うわけではないが、野営生活に慣れた身としてはつい気を張ってしまう。

「外壁は高いし、そこから屋敷までも距離がある。よほど愚かでなければ夜盗もここを標的に選ばんさ」

「それは……そうですね」

 まあ、そう考えれば、外壁沿いに侵入者探知の結界を巡らせてあるなら問題はない気もする。一応穴などが無いかだけ個人的に調べておこう。

「それよりも、ソノトフ産の高級酒があってな。このあとどうだね?」

 今度は歓談の場をお酒の席に変えたいらしい。俺はにこりと笑う。

「ええ。喜んで」




 裏庭の森から抜けてくる風が心地いい。バマエフ卿は話も杯も止まることはなく、ひとしきり突っ走ってから疲れてしまって部屋に戻られた。俺も外の空気を吸いたくなって裏庭を歩いていると、ちょうど夕方の日に照らされた屋敷の壁の辺りでミユゥたちがなにかしていた。

「リキナ様!」

 俺に気づいたルルーナが表情を輝かせる。昔もよく仕事中に俺を見るたび駆け寄ってきては、使用人長に怒られていた。今は壁際の梯子を支えているので、さすがにそんなことはしない。その梯子に登って二階の窓を拭いているのはミユゥだった。

「お疲れ様。働きづめじゃないかい?」

「いいえ、このくらいでは。リキナ様は?」

「バマエフ卿にお酒を頂いてた。酔ったからって部屋に戻られたよ」

 梯子の上でミユゥが振り向く。耳ざとい。どうやらミユゥは食べることも飲むことも好きなようである。彼女が想像しているであろう気楽な酒の席ではないので、一人だけ飲んでいたことは見逃してほしい。

「みんなも休憩にしないかい? お茶が飲みたいな、と思ってさ」

「ん」

「はい! ご用意しますね」

 意見は揃ったようだ。

 ちょうど掃除を終えたのか、ミユゥは腰を低くして梯子を下りてくる……かと思いきや、足もかけずにひらりと飛び降りた。落ちることによくない思い出のある俺は背筋に緊張を感じる。彼女は身軽に着地したものの、やってから気づいたというふうに「あ」と声を漏らした。

「……ごめんなさい。駄目だよね、こういうの」

 まあ服装を考えるとちょっとはしたないかもしれない。ルルーナは指摘するよりも驚きが勝ったようで、

「すごい……本当に冒険者の方って、こんなことができるんですか?」

 跳べない高さではないけど、俺はできればやりたくない。

「ミユゥはその中でも動けるほうの人」

 ルルーナは笑みを浮かべて、

「ミユゥさん、すごいんですよ。力持ちだし、高いところにもすぐ登れるし……。お手伝いしていただいて、とても助かりました」

 ルルーナの真っ直ぐさに、「や、そんな」とミユゥは照れ臭そうにしている。

「そういえばリキナ様も……少し、たくましくなられました?」

 彼女の目が惑いながらこちらに向けられる。

「え、そうかな」

 確かに、常に動きづくめなので見た目は変わったかもしれない。下から順に俺の身体をのぼってきた視線とぶつかる。ルルーナは顔を赤くして、

「わ、私っ、お茶を入れてきますね!」

 そう言ってぱたぱたと中へ入っていった。

 その後、タプラさんとモニさんとも合流して、使用人たちの休憩室でお茶を頂いた。俺としてはさっきのバマエフ卿との向かい合わせよりもこちらのほうが気安い。仕事をしていく中で、ミユゥも彼女たちと打ち解けてきているようである。

「昔はリキナの家で働いてたんだっけ」

 そんなふうに話題を振られたルルーナが頷く。

「リキナ様が学院に入られるころまでですね。その後は寮からあまり戻られなかったので……」

 学校での振る舞い方とかに家から口を出されるのが嫌だったので、なるべく顔を出したくなかったのである。だから、しばらくしてからルルーナが別の家に行ったと聞いて驚いたものだ。

「今と変わらず、お優しい方でしたよ。不器用だった私を、何度も庇って頂いたり」

 作法に煩い家だったので、使用人であるルルーナにも例外なく厳しい目が向けられていた。だがその指導というか、叱り方があまりにも行き過ぎていたので、つい口を出したこともあった。ちょっと失敗したくらいでいちいち目くじら立てるもんじゃあない。

「ふうん」

「へええ?」

 先の相槌はミユゥのもので、ただ感心したような言い方。後のはタプラさんとモニさんのもので、にやにやしながらルルーナを見ている。当の彼女は頬を染めて、「な、なんですかっ、もう!」と口を尖らせる。仲が良さそうでなによりだ。

「ほんとに変わらないね。お人好し」

「あれ? 褒められてるんだよね?」

 お人好しという言葉にはなんだか呆れが含まれている気がする。ミユゥの淡々とした評価に疑問を抱いたりしているうちに、夕食の準備をする時間と聞いてお暇することにした。片づけにルルーナを残して、三人は調理場へ先に向かった。

 配膳台に器を乗せるのを手伝っているうちに、あることに気づいた。

「しまった。せっかくお茶の時間なら、お菓子も頂けばよかったな」

「お菓子……」

 そう呟いたルルーナが、指を皿の上で絡ませながら言う。

「あの、リキナ様。覚えておいでですか? 昔、お料理の練習として、お菓子作りにお付き合いいただいたこと……」

「そうそう。同じことを思い出したんだ」

 ルルーナはお菓子作りが得意だった。得意になった、というべきか。

「付き合ったというか、俺がお願いしてただけだけどね。ついでに食べられるし」

「そんなこと! 不器用な私を見かねて、何度も練習のために機会を設けてくださって。あのおかげで、今でもお菓子の腕はお褒め頂けるんです」

 使用人は住み込みの場合が多いので、結婚しても雇い上げられ続け、その子どももまた使用人に、という雇用傾向にある。仮に市井の男性に見初められて奥方になったとしても、花嫁修業としてそれまでの仕事の出来を見られる、ということもあり得るのだ。料理ができるかどうかはかなり大きな比率を占めていて、業務のなかでも料理がなかなかうまくいかずにルルーナは泣いていたものである。見かねたというのも大げさだけども。

 料理だと保存がきかないが、お菓子ならいつ食べても都合がいい。一応は嫡子である俺のままということにしておけば、気兼ねなく練習できると思ったのだ。

「だからさ。久々に食べたいな、と思って。ご夕食のあとでいいから、作ってくれないかな」

 俺の頼みにルルーナは笑顔で応えてくれた。

「……はい、はいっ! もちろんです!」




 夕食はつつがなく終わった。バマエフ卿はまだ酔いが残っているようなので、幸いにも食後も話し続けられるということはなかった。しばらく部屋で休んでいると、ルルーナが訪ねてきた。

「もうできたの……って、ずいぶんたくさん作ったね……」

 俺は籠に山盛りになった焼き菓子を見上げる。ルルーナは「張り切り過ぎちゃって……」と顔を赤くしていた。

 じっと見つめられる中、一つを手に取って頬張る。食後にぴったりな控えめな甘さだ。

「おいしい。はは、懐かしい味だ」

 俺の感想にルルーナは喜んで、嬉しそうに籠を差し出してくる。

「ぜひ召し上がってください! まだまだたくさんありますので!」

「ぜ、全部は多いかな……。せっかくだからみんなにも配っておいで」

 俺の顔よりも多いほどの容積が盛られているが、もしやこれで一人用の量として想定していたのだろうか。いくら運動するようになったとはいえそこまで急激に健啖になるわけではない。彼女もそれに気づいたらしく慌てて一歩下がった。

「あ、そ、そうですよね」

「いくつか貰っていくよ。俺も外の警備の人たちに持って行きたいし」

「はい。暗いのでお気をつけて」

 見送られて屋敷を出て、松明の灯りを頼りに外塀の門に向かう。徒歩だとそれなりにかかるし、夜の森は本当に暗い。ルルーナにも遅くまで仕事を頼んでしまって悪かっただろうか。

 行く先にも明るい火が見えてきて、門に辿り着く。門番は三人いて、客人の俺を見てかしこまったが、お菓子を差し入れにきたことを知って喜び、そしてまた慌ててかしこまった。

「恐縮です」

「お心遣い、痛み入ります」

「いえ、作ったのはルルーナなので。俺もついでに警備状況を確認したかったですし」

「警備状況、ですか」

「ええ。バマエフ卿にも少し聞いたんですが、これだけ広いとどんなふうにしているのかと……」

 護衛兼警備の彼らは、真面目そうな男性だった。口々に答える。

「基本は交代制です。夜間は、見ての通り門に三人」

「他四人が歩哨として、塀を越える者がないか見回っています」

 十分な数だろう。塀は頑強そうだったし、神経質すぎたかもしれない。

「なるほど。結界は合同で張っているんですか?」

 なにげなく訊いた内容だったが、

「? いえ、結界は張っていませんが……」

 返ってきた内容に、俺は数秒、絶句した。

「────え」

 門の脇に据えられた灯りの火が小さく爆ぜる音が聞こえる。固まる俺に門番は続ける。

「結界は高位の魔法ですよ。護衛としていくつか攻撃呪文を供与されてはいますが、我々にはとても使えません」

 それは事実だ。単純な攻撃魔法ではなく、範囲に対して効力を持つ結界魔法は、通常複数人での連携が必要だとも言われている。難しいこと自体は当たり前だが、「結界そのものを張っていない」と言ったのか。

 俺は縋るような思いで訊いてみる。

「でも、バマエフ卿ならできるんじゃ……」

 しかし彼らは顔を見合わせると、申し訳なさそうに首を振る。

「ご主人様自身が結界を張られているというお話もお聞きしておりませんが……」

 鼓動が嫌な速さになるのを感じ始める。

「この規模の警備を人力だけで?」

 初めて王都の外に出て、野外で夜を明かした時。俺は夜闇も、獣も、魔物も恐ろしくて、結界を張った上で眠ることもできず、そのまま朝まで起きていたほどだった。慣れていくうちに結界を張っておけば大丈夫だという結論に達したが、それはあくまで一人で過ごせるだけの範囲の話だし、世の冒険者のほとんどは魔法になど頼らない。

 しかしこの別荘はどう考えても広すぎる。人が見回るにしてはあまりにも。俺は昼間に考えたことを思い出した。

 安全な場所での生活は、危機感を育てない。

「……バマエフ卿に話をしてきます」

 それだけ告げて踵を返す。知らず知らずのうちに足早になる。走り出してさらに早まる鼓動が、嫌な予感を加速させる。

 そうしてすぐもしないうちに、絹を裂くような悲鳴が聞こえた。




 すすり泣く声が裏手の使用人室のほうから聞こえていた。表の扉には鍵をかけておいてもらっていたこともあって、裏庭に回って、鍵が破壊され開け放たれた勝手口に飛び込む。

 夕方は和やかなお茶の席だったはずの部屋は、変り果てた様相を見せた。

 床に倒れ伏す人体が二つ。使用人服の前掛けも、彼女らの下の床も赤黒い血で浸されている。そのそばで座り込んで嗚咽しているのは、

「ルルーナ!」

 彼女の肩を掴む。

「怪我は?」

「り、リキ、な、さま、ふた、二人、が」

 ルルーナに外傷はなさそうだったが、彼女の指差す床には夥しい血が今も流れ続けている。仰向けに倒れているのはモニさんで、へその上に刺傷があった。息は浅く顔も蒼白だが、生きている。隣のタプラさんはうつ伏せになっていたので、呼吸が見えるよう抱え起こして、

「そんな……」

 喉の三分の一が抉り切られて、頸骨まで見えている。

 彼女は絶命していた。


 竦みかけた体を奮い立たせて、モニさんに向き直る。

「〈コンクレトス・サングイス〉……!」

 まずは本人の血で血管を固め、傷を塞ぐ。その後、不足している血液を増殖させる治療魔法を施すと、モニさんの呼吸は安定した。本人への負担は大きいが、命には代えられない。

 動かないタプラさんを見て、一瞬迷い、俺は強く瞑目して首を振った。まずはなにが起こったのか把握しなければ。

「ルルーナ、ここでなにが?」

「お、お菓子を配りに来たら二人が倒れていて……どうしてこんなことに……」

 あの悲鳴はルルーナのものだったか。それを聞いて襲われなかったのが不幸中の幸いである。

 勝手口の鍵はこじ開けられていた。外からの侵入者の仕業と見ていい。問題は、その敵がどれほどの数で、どのような脅威なのか。夜盗であるならば、狙われるのはおそらく……屋敷の主の部屋。

「バマエフ卿は」

 部屋の扉を開け、飛び出る。意図的に照明が消されているのか、廊下は闇に包まれていた。

「灯りが……。〈ルクス」

 刹那、左頬に触れた空気が急に動いたような気がして、咄嗟に身をよじった。

 上腕を冷たい痛みが貫いたかと思うと、そのまま何者かに押し倒された。

「ぐぅっ!」

「リキナ様!」

 ルルーナの悲鳴が聞こえる。部屋の中から差す明かりからも離れて、敵の顔も見えない。

 俺の上にのしかかる誰かは、俺の左腕に刺したであろう武器を引き抜こうとやたらに掴みかかってくる。右の拳を振るとそれが相手の身体に当たったので、叩きつけるように何度も殴って、転がるように逃れる。そいつが襲ってきた方向へ指を向けて叫んだ。

「〈トニトルム〉!」

 稲光が闇を走り、バチンと弾ける音がして男の呻き声が続く。近づいて確認すると、黒い服と襟巻で顔や体を隠した男が気絶していた。

「強盗か……。まだ仲間がいるかもしれない」

 左腕の小刀を抜く。

「リキナ様、血が……!」

「これくらいは大丈夫。それよりバマエフ卿の部屋に行かないと……」

 まだ目を覚まさないモニさんを置いていくのは気が引けたが、一度攻撃したのならもう手は出さないと願いたい。一応彼女たちを部屋の隅に隠しておくと、ルルーナを守りながら屋敷を走った。

 道中、廊下には幾人もの男が倒れていた。服装からして強盗の一味だと推測できるが、ある者は首を折られ、ある者は胸に剣を突き立てられ、ある者は割れた窓の鋭利な部分に断頭台の如く項垂れ、刺し込まれていた。ミユゥだろうか。死体を見るたびに、後ろのルルーナが吐き気を押し戻すかのような息遣いをさせていた。壁や天井に飛び散った血が、小刀の先に灯した光魔法を反射して輝いている。生きている者もいたので、情報を聞き出そうかと思ったが、時間が惜しいので先を急ぐ。

 バマエフ卿の部屋に辿り着くと、俺は自らの愚鈍さを呪った。事態は窮地と言っていい。

「おおっと、まだいたのか。動くなよ、この男が死ぬぞ?」

 部屋に飛び込んだ俺たちに下卑た声が投げられる。端から端まで十歩ほどもある広い部屋、その窓際に黒い覆面の男が二人。一人がバマエフ卿の首に刃物を当てて盾に取っている。もう一人は剣を構えて、部屋の半ばに位置取るミユゥと対峙している。ミユゥの背中からは疲労は見えないが、槍が手に届く場所に無かったのか、掃除に使っていた箒を構えて男達に向かい合っている。その即席の武器も、柄が中ほどで折れて短くなっていた。

「チッ、眩しいな……おい、その武器を捨てろ。灯りも消せ」

 剣を持つ男が舌打ちして言う。俺は小刀を杖にして、その先端に光魔法を灯していた。言う通りに床に放ると、刃の先で光っていた魔法も消える。窓から差す月明かりだけが部屋を照らしていた。

「お前もその棒を捨てろ。そこからなにをしても、俺がこいつの首を斬るほうが速いぞ?」

 バマエフ卿の首に刃が近づけられる。彼は悲鳴を漏らすと、懇願するようにミユゥを見た。ミユゥは渋々箒を手放す。強盗は満足げに笑って、俺たちに向けて指示した。

「さて、お前ら。この屋敷じゅうの金品をあるだけ持ってこい。助けを呼ぼうなんて考えねえことだな。ここから門までどれだけ遠いかはよーく知ってるはずだ」

 ミユゥの顔はここからは見えず、意思の疎通ができない。彼女なら一人を押さえるのは容易いだろうが、連携が取れなければバマエフ卿の命が危ない。俺はルルーナを背に隠すようにしながら、男たちに問うた。

「目的は金か」

「当たり前だろ。こんなでかい屋敷、狙わない手はねえ」

「いや、

 俺の指摘に、窓際の男は片眉を上げる。

「……なんだと?」

「さっき俺を襲った男、闇の中でも。廊下の灯りが消されてほとんど見えないはずなのに、確実に俺を殺すために、正確に攻撃してきた」

 体を動かしたから腕に刺さったに過ぎない。あの高さは胴体の左側、心臓を狙っていた。武器が腕に刺さったことがわかって、それを抜くために動いていたのも、見えていたからなのではないか。

「火も使わず、闇の中を動くための手段には心当たりがある。魔法薬の一種、『暗視薬』。飲めば梟のように夜目が利く優れものだ」

 剣の男が顔をしかめた。

「この女、好き勝手暴れやがって。まさかこいつも飲んでたのか」

 ミユゥはあくまで冷たく言い放つ。

「音とにおいでわかる。見えてるくせに鈍すぎるだけ」

「テメェ……!」

「まあ待てよ」

 仲間を制止して、バマエフ卿の後ろで強盗は薄く笑う。

「お前の言う通りだよ。その薬がどうかしたのか」

 言質は取った。俺は冷静に、しかし焦れさせないよう早く話す。

「暗視薬は高価だ。買えば一本、金貨十枚でも足りない。これだけの人数が薬を使って押し入って、この屋敷が『ハズレ』だったらどうしていたんだ」

 それなら薬を売ったほうが確実だ。そこまでする理由はなんなのか。

「……なにが言いたい」

 男は低く問うてくる。その暗い眼差し、すぐに殺せるという言葉に偽りはないだろう。事実、タプラさんの命を奪った。怒りで震えそうになるのを抑えながら、言う。

「薬の価値にも効果にも詳しくないあんたたちに、手を引いた誰かがいる。それを教えてもらいたい」

 外の塀から屋敷まで距離があることや、警備の隙間を突いて夜闇に紛れて来たこと。護衛たちの様子からして内部犯ではなかろうが、少なからず下調べしてある。

 男たちを包む雰囲気が一層険しくなった。声に不快さを滲ませて、

「ずいぶん余裕じゃねえか。勘違いすんなよ、命令してるのは俺たちだ。このおっさんの命がいらねえなら……」

「暗視薬は」

 と、手を体の前にかざしてその言葉を遮った。

「飲めば夜でも、昼間のようによく見える。月明かりでも十分じゅうぶん、僅かな灯りでも眩しいほどに」

 ミユゥの膝が曲げられ、姿勢が低くされる。俺のやろうとしていることを汲んだのだ。

 つまり、急に強い光にさらされたらどうなるか。

 あくまで会話の続きのように、ごく自然にその呪文を口にした。

「〈ルクス・フォルティテル〉」

 星空まで届きそうなほどの光が部屋を満たした。

 そうだろうという憶測である。俺はその瞬間ただ瞼を閉じて、自分の手から放たれる光線から目を守っていた。後ろにいるルルーナも眩しいだろうけれども、俺の身体に遮られているのでまだマシなはずだ。

 被害が大きいのは、光を直視した男達だろう。バマエフ卿も例外ではないが、暗視薬を使用中だった強盗たちの苦悶は予想以上である。頭でも割られたかのような悲痛な叫びが部屋にこだまする。

「があぁぁぁぁぁっ!」

「目がっ、畜生!」

 光は一瞬だったが、その間に剣を持った男はミユゥに押しのけられ、既にバマエフ卿を人質にしていた男も彼女によって床に組み伏せられていた。

「バマエフ卿、お怪我は」

 彼の元に駆け寄り、四つん這いで俺の足に縋ってきたその怯えた顔に問いかける。ただただ震えている首元を見て、傷が無いことを確認した。

「く……」

 その背後。

 目を覆っていた強盗の一人が、よろめきながらも立ち上がるのが見えた。そして、扉のそばで身を竦めるルルーナの姿も。

「死、ねやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 やけくそだとわかる動きで、男はルルーナに突進していく。抑えられて動かない足、咄嗟に前に伸びる指、もう一人の男で手一杯のミユゥ、そして今にも襲われんとしているルルーナの呆然とした表情。それらの認識が瞬くように脳を駆け抜けて、俺は唱え慣れた、ごく単純な攻撃魔法を放っていた。

「〈サジタ・グラシズ〉!」

 氷の矢は、狙い過たず悪漢の背に突き立ち、胸のまんなかにある内臓を圧し潰された男は、ルルーナを傷つけること叶わず屋敷の絨毯に沈んだ。赤い絨毯が、血でさらに濃い、毒々しい赤に染め上げられていく。

「ルルーナ……」

 床にへたり込む彼女に歩み寄る。こと切れた男と、これまでの惨劇と、自分へ迫った危機への恐怖。それらで濁り切った瞳で見上げられる。


 その恐怖心が、目の前で人を殺した俺へも向けられていることは、嫌でもわかった。




 町があればそこの統治組織に犯人たちを引き渡すこともできるが、陸の孤島ではそうもいかない。護衛たちは残党の捜索と被害の確認に当たっている。塀を見回る警備の一人が殺されており、強盗団はそこを乗り越えてきたことがわかった。その男たちも、ほとんどが死体の山へと成り果てている。ミユゥは何度も往復して、塀の外の森へと死体を引きずっていった。全員……バマエフ卿を除いては、それぞれの仕事にかかりきりで忙しそうで、俺は他のことと並行しながら尋問も行った。

 数少ない生き残りも黙秘を決め込んでいるため、俺は相手にするのをやめた。

 屋敷の中を洗い出すため、俺たちは外に出ていた。即席で立てられた松明の灯りは、あんなにも恋しく思っていたはずなのに、今は目に痛いほどの光を放ちながら前庭を照らしている。

 タプラさんのそばで、モニさんがすすり泣いている。何度も何度も名前を呼びかけて、目を覚まさない体を揺すっている。

 彼らを生き返らせることは、できなかった。

 タプラさんと警備の男性の遺体に、俺は思いつく限りの魔法を試したが、ミユゥの時のように奇跡が起こることはなかった。死亡してから時間が経ち過ぎていたからなのか、あの時の魔法は二度と使うことができないのか。原因もわからないまま、俺は力尽きた。考えることが多すぎて、考えることができなくなってしまったのかもしれない。その無力感を知るはずもなく、バマエフ卿がこんなふうに声をかけてきた。

「いや、リキナ君。きみのおかげで助かった。礼を言う」

 玄関の階段に腰掛けていた俺は、垂れる前髪の隙間から彼を見上げた。よほどひどい表情をしていたのか、バマエフ卿がたじろぐ。俺は言う。

「助かった……? 万事うまくいったとおっしゃるんですか、この状況が?」

 立ち上がる。彼が一歩引いたので、一歩詰め寄る。

「なぜ結界を張らなかったのです。防げたかもしれないのに」

「結界?」

「あなたも学院で学んだはずだ。侵入者探知結界でも警報結界でもなんでもよかった。それを……」

「け、警備は私の仕事ではない!」

「上に立つ者の、知識ある者の責務を果たすべきだと言ってるんです! それが魔法を与えられた俺たちの役目ではないんですか!」

 バマエフ卿は俺の剣幕に怯みながら、こう返した。

「魔法ぅ? そんな昔に教えられたことなど、覚えてるはずがないだろう!」

 驚愕と失望と落胆と、そして後悔が俺の胸に去来した。足に力が入らなくなって、二、三歩後ずさる。

「お二人とも、喧嘩は……」

 控えめな声に振り返ると、ルルーナがいた。彼女も疲弊しているはずなのに、止めに来てくれたのだ。

「あ……」

 しかし彼女は、主よりもむしろ俺をこそ見て、怯えたように視線を迷わせた。

「……すまない」

 そう言い残して、俺は庭の森へ歩いていった。見慣れた革の靴に気づいて顔を上げると、木を背もたれにしてミユゥが休んでいた。

「さっき、なにしてたの。タプラさんたちに」

 見ていたのか。

「生き返らせられるかも、と思ったんだ。……昼間はあんなに元気だったのに」

 握った拳の中で、爪が掌に食い込んだ。

「そんな魔法があるの?」

 その魔法の実在を証明したかもしれない彼女に向けて、首を振る。

「ない。無理だった。どれだけ手を尽くしても、一度消えた命は戻らない」

 偶然だったのだとしても、かつて起こし得た奇跡に望みを掛けた。愚かにも驕っていたのかもしれない。その驕りが油断を生んだ。生き返るから死なせてもいいなんてことは、本当はあってはならないことだ。

 夢で父に言われた言葉を思い出す。責任から逃げた報いを受けることになる、と。

「バマエフ卿を……責める資格は俺にはない。殺したくなかった、死なせたくなかった言い訳がしたいだけだ。俺がもっと気をつけていれば──」

 肩を掴まれた。そのことに気づいた時にはミユゥと立ち位置が反転し、木の幹に背中を押し付けられていた。加減してくれたのか、痛くはなかった。

「背負いすぎ。まわり、見えてない。そのままだとまた躓くだけ」

 あまりにも図星で、なにも返せなかった。面食らっている俺に、彼女は続ける。

「……私はできることが少ないから、リキナの悩みはわからない。背負ってる責任の重さも」

 両肩にかかっていた手が、優しく離れる。松明の灯りで逆光になっているはずの彼女の顔は、不思議とよく見えた。

「でもせめて、肩くらいは貸せる」

 なんと情けないことか。俺は色々な気持ちがまぜこぜになった笑顔が浮かぶのがわかった。また元気づけられてしまうとは。

「ご……いや、うん。ありがとう」

 謝るのではなくお礼を言って、俺は木から離れて歩き出した。


 つもりだったが、木の根に足をかけて、受け身すら一切取れず地面に顔を強打した。

「あバっ!!!」

 じわじわと鼻の奥から温かい血が流れてくるのを感じる。慰めてもらって、うまい具合に緩んでいたはずの空気が気まずいものに変わっていく。

「……」

「……」

 這いつくばっている俺の後頭部に、気を遣うような声色でこう声がかけられた。

「あー……その。肩、貸す?」

「…………」




 盗賊に襲われて死者が出たとあっては、別荘に留まる理由はない。それは逗留させてもらっていた俺たちも同じことで、夜が明けてすぐ、俺たちは次の町へ向けて発つこととなった。

「お世話になりました、バマエフ卿。……それと、昨晩の非礼をお詫びします」

 深々と頭を下げる俺に、彼は笑顔を引き攣らせて答える。

「い、いや、気にしなくていいとも。命の恩人なのだからね」

 社交の場では見せたはずもなかった怒声で、怯えさせたか引かせてしまったらしい。これも反省しなければ。

「バマエフ卿も道中お気をつけて。……お二人のご遺体は、故郷に送り届けてあげてください」

 王都までの道のりは遠い。魔法で創った氷の棺に二人を入れてはいるが、魔法の創造物は一日で消えてしまう。念の為呪文は共有しておいたので、棺は都度作り直しながら帰ることになるだろう。

「リキナ君もね。もっとも優秀な護衛がいるのだから、心配は無用かもしれないが」

 護衛? 首を傾げたが、バマエフ卿の視線の先にミユゥがいることに気がついて、今さらになって彼の勘違いに気がついた。時々会話がかみ合わないことがあると思っていたが、彼は大きな思い違いをしていたようだ。

「いいえ。ミユゥは仲間です。俺たちは同じ冒険者ですから」

 はっきりと、隠し立てせずに言い切る。目を丸くしている彼から、父へ俺の居場所が伝わってしまうかもしれないが、構わない。それだけは誤魔化しも譲りもしない在り方だ。

 見送りは少なかった。立て込んでいるのだから当然だ。門まで来てくれたのは幾人かの護衛と門番、そしてルルーナだけだった。時折俺のほうへ視線を向けたものの、すぐに気まずそうに逸らしていた。

 旅に別れはつきものである。ミユゥとルルーナたちは交流を深めていただけに、このような終わりかたはどちらも望んでなどいなかったろう。彼女たちが最後に話しているのを、俺はミユゥの後ろから見守っていた。

「ミユゥさん。どうかご無事で」

「ルルーナも。それと……」

「?」

 昨晩の惨劇のせいか、やつれた顔をしてしまっているルルーナに、ミユゥはこんなことを伝えていた。

「リキナが昔、優しかったって話。今でも変わってないと思う」

「え……」

 たじろぐルルーナ。ミユゥは責めるでもなく、ただ諭すように言った。

「誰かのために動ける人は優しいはず。それが受け入れやすいやり方じゃなかったとしても、私はそう思う」

 本人としては、その評価をどう聞いていていていいものかわからず、頭を掻いていた。言いたいことは言い終えたのか、それじゃあ、とこちらを向いて、ミユゥは歩いていく。呆然とするルルーナを尻目に、俺もそのあとに続いた。

 そうしてしばらく歩きもしないうちに、名前を呼ぶ声が背後から届いた。

「リキナ様ぁっ!」

 振り返る。走って追ってきたのか、肩を上下させ息を切らし、……涙を浮かべたルルーナが離れた道の上に立っている。乱れた呼吸も落ち着かないうちに、彼女は叫んだ。

「……私っ……! ごめん、なさい……! 助けていただいたのに、あんな……!」

 その先は言わなくていい。きみが悪いわけじゃないんだ。俺はせめてまた悲しませないように、精一杯の笑顔で返した。

「ルルーナ! ……元気に暮らしてね」

 手を振る俺を見て、彼女は膝を折って顔を覆う。

 その泣き声はすぐに届かなくなったけれど、忘れないようにずっと思い返しながら歩いていった。

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ねむりとめざめの魔法たち ジョニーせせらぎ @jonisese

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