カップ一杯のコーヒー
なかと
ーーーーーー
辺りを覆うのは、残骸と化した
目前まで迫った戦車の振動で、
そんな中、私は息を殺して身を潜めていた。
––– 第17歩兵部隊。
私の所属する部隊は、侵攻してくる敵軍の重戦車部隊により壊滅した。
唯一の生き残りである私は、銃弾が
––– 私は……臆病者だ。
仲間達が自国を守るために散っていく中、私は何も出来なかった。私の銃弾は敵兵の命を奪う事なく、ただただ空に吸い込まれていった。そして今、こうして芋虫の様に身体を縮めてうずくまっている。
どれだけの時間が経ったのか…
暫くして振動と喧騒は去り、静寂が訪れた。
私は惨めにも生き残り、時間が停止したかの様な世界でふらりと立ち上がると、喉の渇きを満たすため半壊した民家に脚を踏み入れた。
そこで、私の目に映ったのは、頭から血を流す幼い子供と母親の姿だった。
そして、その傍らに立ち尽くす男が…
一目して、それが敵兵だと気づいた私は銃口をその男に向け叫んだ。
「殺したのはお前かッ!」
弾倉が空だった事を思い出し、『私もここまでか』と、覚悟を決めた時、その男はボソリと呟いた。
「撃つがいい」
暫くの静寂を打ち破るかの様に、男は再び口を開いた。
「戦争とは、何なのだろうな。この人達に、何の罪があったのだろうな?」
その言葉で母子を殺害したのが、この男では無いと気付いた私は、「ここで、何をしている?」と、静かに尋ねた。
「逃げ出したのさ…全てから。そして悟ったのだ。行き着く先を」
その意味不明な言葉を理解できないでいる中、男は虚な目を私に向けて苦笑いを浮かべていた。
「もし君が、俺に命の猶予をくれるならば、コーヒーを一杯飲んでもいいかね?」
その男は銃口を向けられているにも関わらず、胸元のポケットを弄り始めた。
恐らく、そこから出て来るのは銃だろう。私が生唾を飲み込むなか、意外にも男が取り出したのはインスタントコーヒーの入った小袋だった。
「君もどうかね?ライフラインは破壊されているから湯が沸かせないが、水筒の水で何とかなるだろう」
そう言って袋の一つを投げて寄越したが、両手で銃を握り続けていた私の胸に袋が当たると、そのまま力なく床に落ちた。
男は気にする様子もなく、リュックからステンレスのカップを取り出し、小袋の中身を注ぐと茶色い粒がカラカラと小さな音を奏でる。
続けて水筒の口を開き、カップに水を満たすと指で混ぜ始めた。
「……冷たい中では、やはり混ざり合わないものだな。つまり、温もりが無いと調和は生まれないという事だ」
男の独り言は、コーヒーの事だったのだろうか。私は暫くその様子を眺めていると、男はカップに口をつけ、「…やはり、不味い」と、眉をひそめていた。
「君も……戦場から逃げたんだね?」
突然の男の言葉で私の背筋に緊張が走り、握りしめた銃がキシッと音を立てた。
「そして、その銃に弾が入ってない事も知っている。もし、弾がはいっていたならば俺はもうこの世には居ないだろう」
「それを知ってて、お前は何を企んでるんだ?」
これでは、相手の口車に乗せられただけだと自嘲しながら私は銃口を下げた。
男は、さらにコップを煽ると目尻に皺を寄せ呟いた。
「俺は……卑怯で弱い傍観者だったという事だ。しかし君の瞳には『生』への執着が宿っている。こんな凄惨な状況を知ってなお…」
言葉の途中で『ゴフッ』と、男は血を吐いた。恐らく、自害目的でコーヒーに毒を入れていたのだろう。
男の表情は苦痛に歪んでいたが、その瞳の中に僅かな光が宿り、「ならば、生き残れ。そして、伝えるのだ……戦争を身を持って知った生の声を」と、力強い言葉を血飛沫と共に吐き出した。
その様子に私は「何を勝手な事…」と、言葉を詰まらせる事しか出来なかった。
男は、口元を真っ赤に染め、最後に微笑みながら呟く。
「君と…温かくて美味いコーヒーを、一緒に飲みたかったものだ……」と。
床に崩れ落ち、事きれた男を見下ろしながら、私は思う。
世界に調和は訪れないだろうと。
文化や思想、人の欲や愛情までも争いの火種には事欠かない。
そんな中で平和なんて幻想に過ぎないと。
でも……
「そうだな。見ず知らずの人と美味いコーヒーを飲んで笑い合うことは幻想ではなく、実現が出来る」
私は、息絶えた親子と男の顔に布を被せると胸元で指を組み合わせてやった。
民家を後にすると、何処までも続く青い空が視界に広がった。その等しくも全てを包み込む光景に私は思う。
––– 私が生き残れたならば、まず、息絶えた男の国のカフェにでも行ってみようか。
––– そして語ってみよう。
苦いコーヒーを飲みながら、平和という甘い幻想を叶えてみたいと。
カップ一杯のコーヒー なかと @napc
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます