書き集めた掌編

ヨルムンガンド

飽くまで悪魔

 聖暦1823年、中央大陸の北西部に位置する小国での出来事。暗雲立ち込める海沿いのゲヘナ村は憂鬱な昼下がりを迎えていた。遠くに広がっている水平線も今は雲に覆われていて、よく見えない。小高い丘の上には一つの小さな教会がひっそりと鎮座し、十字架たちに囲まれていた。


 教会の扉が開き、中から礼装を身に纏った男が出てきた。左手には聖書を後生大事に抱え、柔和な目つきを海岸に投げかけている。見るからに神父だった。丘の先から子供たちが駆け寄ってくるのに気づき、彼はしゃがんで出迎えるように両手を大きく広げた。何の躊躇もなく、神父の胸に飛び込んでくる子供たちはそれはそれは満面の笑みを浮かべている。


「遊びたい気持ちは分かるが、じきに嵐が来る。もう家に帰りなさい」


 神父は叱るでも怒るでもなく優しく諭すように、子供たちへ帰宅を促した。子供たちも示し合わせたかのように同時に神父の腕の中で、はーいと返事をした。けたけたと笑声の打楽器を鳴らしながら、一目散に駆けていく。神父は全員が視界の先まで消えたことをしっかり見届けてから、教会に入った。


 ステンドガラスに懺悔室、祭壇に折上天井。決して豪華とは言えないが、教会として威厳を保つには十分すぎるほどの設備が整っていた。つかつかと革靴で音を立てながら、身廊を歩いて祭壇へと向かう。中央には大きな十字架が飾られており、見るものに畏怖の念を抱かせるほどの迫力を持っていた。


 徐に聖書を祭壇の上に置き、教えを説くときのように教会全体を見遣る。


「シスター・セフィラはいますか?」


 朗々と声を上げ、教会に所属している一人のシスターを呼ぶ。遠くから誰が走ってくるような声が聞こえ神父から向かって右に設けられた扉が開く。開くと同時にわずかな悲鳴が聞こえ、神父が視線を向けたころにはうつ伏せになっているシスターがいた。


「いたた……」


「はぁ、今月に入って4回目の転倒ですね。まぁ、私が確認した限りの話ですが。私のために必死になってくれるのは嬉しいですが、焦りは何も生み出しません。もう少し落ち着きを持った方が良いですよ」


「おっしゃる通りです、以後気を付けます」


 このやり取りまでがお決まりになるぐらいには彼女は慌て者で、神父の悩みの種の一つだった。先週も墓に添えられていた花瓶を割ったばかりだ。やる気に満ち溢れていて、サボりとは無縁の彼女だがその行動すべてが空回りしてしまっているところが残念だ。そんなそそっかしい彼女だが、子供たちにも人気で村の人気者という一面もある。


「ところで、神父様。ご用件は何でしょうか?」


「ああ、嵐が来るのですべての窓と扉を閉めておいてほしいのです。あと貴女自身も決して部屋から出ないように。危ないですから」


「あの、言いにくいんですが食材が底をつきそうなので……買い出しに」


「私が行きましょう」


 シスター・セフィラの声を待たずして神父は言った。彼女の顔つきが驚きに変わった。これまで買い出しのほとんどをシスターに任せていたのだから無理もないであろうと神父は思い、それほど今回の嵐は大きいのです、と彼女に話した。彼女も若干の疑念を捨てきれないような顔のまま、了承した。


 ◆


 その一方、ゲヘナ村の属する地方議会は紛糾していた。これまでにないほどの嵐の襲来に加え、飢饉による食糧難、財政赤字など未解決の課題が同時に襲いかかっていた。国からの支援もあるがそれほど当てにはならない。このままでは地方全体が『死ぬ』。穏健派、保守派、急進派、過激派、様々な派閥の思想が入り乱れ、なかなか結論が出ないでいた。そんな時、天啓か悪魔のささやきか、とある意見が投げかけられた。


「この地方には明らかに生産性の少ない町、村が存在します。これらの集団のせいで地方全体の財政は圧迫されている。また噂ではありますが、そのような地域の中に反逆を企てる不届き者もいるとされています。これらを一挙解決する方法として、『遠征十字軍』による『粛清』を行うべきだと考えます」


 あれだけ騒がしかった議会が一瞬にして沈黙する。それぞれの派閥が自分たちの色眼鏡を通して咀嚼するのにはかなり時間を要した。数秒とも数時間ともとれるような間が経過した後、まばらに拍手が聞こえた。だんだんとその拍手は広がっていく。あたかも寒天の上で培養されていくかびのように。反対する声は拍手に搔き消され、潰された。いつしか議長までもが拍手の一員となっていた。今の議会に必要だったのは倫理ではなく、でっち上げの正当性と即効性だったのだ。


 ◆


 嵐に備えて村民はせわしなく活動していた。部屋の戸締りをし、風で飛んでしまいそうなものは倉庫に仕舞ったり紐でくくったりなどしていた。漁師たちは自分の船が流されないようにボラードと呼ばれる杭に船を係留したり、金に余裕のある者は自分専用のガレージに格納したりしていた。各々が未曽有の大災害に対応するために最大限の努力をしていた。

 

 そんな中、神父は村の市場へ食品の買い出しに来ていた。市場は村民の生命線であるため、嵐の直前まで開いているだろうという神父の予想は的中していた。村の人々からの信頼も長年かけて築いてきたので、問題なくこの村に溶け込めている。なんなら神父に対して手を振ってくれるくらいだった。


「おお、神父さん! 今日はシスターちゃんの代わりかい?」


 ふと精肉店を営む男性に声かけられた。シスターの話だと彼はいつも肉を多めにサービスしてくれるらしい。


「ええ、彼女を出歩かせるのには危険ですからね」


「そうだねぇ、あの子は危なっかしくて見てらんないよ」


「……あはは」


 どうやら、彼女の鈍臭さは周知の事実のようだった。話し方からしてあまり悪い印象を抱かれていないようでもあったが。肉だけではなく鶏卵も取り扱っているその店で、切らしていた卵数個とばら売りの牛肉を購入した。手に提げていた籠に商品を入れて次の店へと向かうのだった。


 雲に隠れていてよく見えないが太陽は既に暮れかけている頃だろう。生暖かい風が頬を撫で、遠く雷鳴が聞こえた。もうすぐ嵐が来る。弾かれたように神父の足は動き出した。



「神父様、おかえりなさい……ってびしょ濡れじゃないですか! ほら、急いで着替えて着替えて」


 神父は自分が不運であることを思いだした。まさか最後の商品を買った時にタイミングよく雨が振り始めるとは思わなかった。大切な購入品を濡らさないために自分の着ていた礼服カソックを籠にかけて走って教会まで戻ってきていた。教会に近づくほどに雨の勢いは増し、教会に着くころにはすっかり濡れ鼠になっていた。風も雨脚と共に強くなり、今ではステンドグラスを力強く叩きつけている。取り敢えず、シスターが用意してくれた替えの服に着替えて用意された予め用意されていたウッドストーブにあたる。


「ん、どうして部屋の外に出ているんですか?」


「部屋の外から雨が降る音が聞こえていたもので。もしかして、と思って準備していたんですよ」


「それは感謝します……と言いたいところですが、もう部屋から出てはいけませんよ」


「はい、了解です!」


 神父はシスターの気前の良い返事を受けて逆に心配になった。彼女の返事がいい時は往々にして肝心の忠告を聞いていない。けれど、元気よくニコニコとしている彼女に対してこれ以上何かを言う気にはなれなかった。自分のことながら甘いなと感じた。


 ◆


 遠征十字軍。聖教会お抱えの軍団を指し、主に背信者の暗殺や宗教戦争などで活躍をしてきた。総司令官は当代の大司教が兼任している。また各地方に分隊が配置され、その地域の司教が部隊を率いている。伝道の名のもとに宗教弾圧を行うという噂で、他宗派だけでなく身内である信者にすら恐れられていた。同じ宗教を信奉するという点で団結力が強く、教えの解釈によってはどんな残虐な行為でも躊躇なく実行する特性があり、地方議会でも根強い反対派がいるものの、その有用性が評価され廃止には至っていない。


「隊長、この先数日間に渡って当該地域には嵐が来るとの予報が出ております。どういたしましょうか」


「聞くまでもないことだとは思わんかね? 教義において反逆者・異端者はどうするべきだ?」


「即刻、始末です」


「よろしい。馬で飛ばせば嵐が本格化する前に片を付けられるやもしれぬ。あの程度の小村、我が遠征十字軍分隊の敵ではないわ」

 

 高尚な笑いを聖教会の一室に響かせながら、その教会の神父もとい隊長は足を組みなおした。手を後ろに回したままの分隊員の顔はこわばり、足はがたがたと震えていた。以前、目の前の隊長が得体のしれない方法で、スラムのならず者に施しを与えていた異端者たちを惨殺していたことを思い出していたのだ。あの時のゴミを見るような目つきは今でも忘れられない。そんなこととは露知らず、今度は隊長は飴色の机からやすりを取り出して爪の手入れを始めた。


「でも、どうしてあんな辺鄙な村を最初に狙うんですか? もっと近場の村や町も候補地なのにわざわざ引き返すような……」


「ああ、あの村はな……反逆者がいると噂が立ってるのだ。別段優先するほどではないと思うが、上は反逆者を酷く嫌っているからな」


 仮に一人でも反逆者が発見されれば、その周囲の人間までもが嫌疑をかけられて皆殺しにされる。特に反逆者を放置したとしてその村や町にいる神職者は大衆の前で見せしめとして処刑される。火あぶり、首切り、串刺し。長年、聖教が培ってきたあらゆる惨殺方法の餌食となる。正直、不運としか言いようがなく分隊員も自分の番にならないことを願うばかりであった。


「では、出立するぞ。分隊員全員に伝えろ」


「はっ!」


 こうして、一つの村が終焉を迎える合図が出された。


 ◆


 シスターを部屋に追いやったとて、まだ安心はできない。これまでにない脅威が襲うと日課のタロット占いで出ていた。嵐のことだと思うが、用心はいくらしても問題は無い。それに『計画』をこの時点で台無しにされてしまうのはいただけない。


 濡れて垂れ下がった髪を拭きながら神父はこの先起こることに思いを馳せていた。懺悔室に籠ってそっと一人。明かりは雲の隙から漏れ出た月光だけ。雨と風の輪舞曲ロンドは一向にフィナーレを迎える気配がない。荒々しいリズムながらも、どこか天の恵みを感じさせるような慈愛がある。


 何時間経っただろうか。闇のささやく声が響いてきそうな静寂を物音が打ち破った。そっと隙間から教会内を見まわしてみると、また同じ音。その方向を見てみると建付けが不安なステンドグラスが揺れている。胸を撫で下ろして頭をひっこめた。


 今度は戸を叩く音がした。こんな嵐の夜に何の用だろうか。若干警戒しながらも、扉へと歩いていく。雨のいたずらと考えるには規則性があった。それも冷酷なぐらいに寸分違わぬ間を持って。自然と足もこわばって。糸の切れかかった操り人形のような朧気を纏った歩き方。どうにか扉に辿り着き、ノブに手をかける。目の前を影が覆った。


「失礼する」


 幽霊の類かと思えるほど無機質で低い声だった。頸甲くびよろいと頬当の隙間から漏れ出る僅かな息遣いだけが、生を感じさせる唯一の手掛かりだった。後ろには何体もの甲冑が風雨などお構いなしに列をなしている。これなら墓から這い出てきた死者の行列だと言われても信じてしまう。


「この村の神父は貴様か?」


「如何にも」


「それでは話が早い。この村で異端者あるいは反逆者がいるとの報告を受けている。貴様を含む村民全員に嫌疑がかかっているため、異端審問を行いたい。村民全員を今すぐ集めるように」


「単なる噂ではないのでしょうか。わが村は細々と質素な生活を送っているしがない村の一つでございます。ましてや反逆を働くような者も余力もございません」


 先ほどから心臓の鼓動が加速し続けている。背中にはびっしりと冷や汗が溜まり、すっかり乾いていたはずの礼服はぐっしょりとしていた。それでも声の震えを最大限に抑えながら抵抗を試みるが、鼻で笑われるに過ぎなかった。


「はっ。誰が異端者の可能性のある貴様の話を信用すると思うか? あと勘違いをするでない。これは請求ではなく命令だ。従わないようなら、即刻この場で『粛清』しても良いのだぞ」


「そんな……」


 これほどまでに激しい嵐の中で村民を集めるのは困難を極める上に、無情な行いだ。突然訪れた上にこちらの意志を無視して審問されたのでは溜まったものでは無い。


「元はといえばこの村が不出来なのが悪いのだ」


「なんですって? しっかりと毎年税金は納めているはずです」


「そんなのは当たり前だ。それに加えて地方全体の利潤にならなければ存在価値がない。ただのお荷物だ。土地が無いなら森を切れ、人手が足りないなら若者に結婚をさせろ。そしてそれが嫌なら、移り住むか野垂れ死ぬべきだ」


 あまりの横暴に声が出なかった。確かに最近のこの地方の財政が逼迫しているという話は人づてに聞いていた。しかし、だからといって責任を弱小の村に押し付けていい理由にはならないはずだ。『粛清』という体のいい表現にかこつけて、略奪と憂さ晴らしをしているに過ぎないというのに。恐れ多くも神の名を借りて。


 その姿はまるで。


「悪魔ですね」


「何だと? もう一度言ってみろ。貴様、この私に向かって悪魔だと言ったのか!」


「何度でも言わせてもらいます。あなたは極悪非道悪辣極まりない悪魔です」


 この時には足の震えも収まっていたが、今度は怒りによって体全体が震えていた。相手の威圧に負けないよう、可能な限り声を張る。ここで引けば村民からの恩を仇で返すことになる。


「自分たちの置かれている状況が分からないようだから教えておいてやろう。貴様たちの村は遅かれ早かれ潰れることになる。これは地方議会が決めた決定だ。決して覆ることはない」

 

 教会の世迷い事などではなかった。それであればどれほどよかったものか。ここら一体から排斥されたのだ、この村は。そしてその烙印はこの村が背負うにはあまりに大きすぎる。


 ふと雨音を突き抜けて、列の後ろの方から声が聞こえてくる。


「おい、聞いたか。この『粛清』が成功すれば、報酬として村全体を好きにしていいんだってよ。子供は奴隷として売り飛ばして、女は適当なの見つけて食っちまおうぜ」


 理性の切れる音がした。どれほどまでに人を貶めれば気が済むのか。どす黒い感情が体内を染め上げて、暴走している。その闇によって視界が揺らぎ、呼吸が少し早くなる。立っていることすらままならなくなって、思わず膝から崩れ落ちる。


「ふん、ようやく従う気になっ――」


「あは、あははははははははははははははっ!!!!!!!!!!!」

 

 ああ、笑いが止まらない。いつもこうだ。『奴』が出てくるときはいつも。自分と『奴』の境界がふやけ始めている。突然の奇行に対して甲冑たちの狼狽えている姿が複数に分かれていく。だんだんと曖昧になっていく意識に抗いながら言い放つ。


「あとは頼んだぞ、『スロヴァイド』」


「……お前は誰に語り掛けているんだ!」


 暫くの沈黙。


「……ぅるせえよ、クソ共。その汚ねえ口を閉じやがれ。臭せえ天界の気が移る」


 ◆


 突然、神父の声が変わった。先ほどまでのおどおどとしたものから、その圧だけこちらを押しつぶさんとする狂暴なものに。この背中からあふれるオーラは何だ。たかが小村の神父一人に隊全員が脅かされているという現実が受け入れられない。


「総員、退避しろっ」


 反射的に言ったその指示は果たして何人の命が救えただろうか。さっと神父が翳した手に魔法陣が浮かぶ。闇に紛れ込むような黒色で、見慣れない文字列がびっしりと書き込まれている。それを確認した次の瞬間には仰向けで墓地に倒れていた。起き上がると、自分の位置から教会の入り口までの長い直線がすべて焦土になっていた。周囲には隊員たちが腰を抜かして呆然としていた。


「口ほどにもねえな、雑魚が」


 悠々と歩いてくる神父は完全にこの場を支配していた。たった一発の魔法だけで隊を瓦解させる能力を有している。


「うああああああああ!!!!!」


 半狂乱になりながら一人の兵士が魔法槍で突っ込む。神父は光を纏った一突きを片手で受け止めた。隊員のことを見向きもしていない。赤子の手を握るかのごとき手つきで。もう片方の手で魔法を放ち、同じ要領で兵士を吹き飛ばした。次々に突っ込んでいく兵士たちを軽くあしらう。その度に自分との距離がどんどん縮まっていく。やがては眼前までたどり着き、そこで立ち止まる。


「この世界には救いようのない馬鹿が山ほどいる。情けを掛ける価値も無い阿保が沢山いる。唾棄すべき愚か者が腐るほどいやがる」


 朗々と語り始めた神父を止めようとする者は誰もいなかった。


「そんなクズ共を正すのが神だ。生産者には責任が伴うからな。だが、神が直接手を下すと世界の均衡が乱れちまうから駄目だ。だからこその聖教会。間接的に神の代行者として『粛清』を行う。それでも人間は不完全だから誤作動を起こす。じゃあ、それを正すのは誰か? 答えは『悪魔』だ。神とは独立に動ける唯一にして絶対の必要悪」


「どうしてそんなことが言えるんだ。神をこの目で見たこともないくせに」


「――俺がその『悪魔』だからだよ」


 そこで魔法を発動させる。彼がゆったりと歩いている間に我が背後で紡いでいたものが解き放たる。頭上に光輪が浮かび、白銀の翼が背中に生えてくる。一度の羽ばたきで一気に村全体を見回せる高さまで上がる。


「はっ、『天使化』か」


「もし貴様が悪魔だというなら好都合だ。この場で始末してくれる」


「不完全な魔法のくせによく言うぜ」


 痛いところを突かれた。『天使化』は単純だからこそ如実にその者の実力が出る魔法として知られる。祝福されている者ほど天使により近づける。自分の場合はせいぜい出せても1%程度だろう。それを一発で見抜く力が一介の神父に備わっているものなのだろうか。


 手にしている魔法剣の先を神父に向けて光撃を放つ。放たれたその一撃は真っすぐに空を切り裂いて飛んでいく。生身の人間であれば跡形もなく消し飛ばすことができるだろう。神父はそれに対して手をかざすのみで抵抗らしい抵抗もしない。閃光、後に爆発。


「ふ、馬鹿が。あれを真正面から食らうなど、例え1%であってもひとたまりもないというのに」


 周囲の地面は捲り上がり、土煙も立ちのぼっている。これが晴れる頃には生意気な神父だった物が転がっていると考えると思わず笑いが込み上げてくる。こんな辺鄙な村から帰ったら、酒の肴ぐらいにはしてやってもいいなんて思っている最中。


「……馬鹿はてめぇだって言ってんだろうが」


「嘘……だろ?」


 静かに奴は現れた。何事も無かったかのように肩に付いた砂埃を払っている。恐怖の名のもとに裁きを下さなくてはいけないという理性と逃げなくてはという本能がせめぎ合っている。


「俺をイラつかせてくれた褒美に、出来損ないとは違う『本物』ってやつを見せてやるよ。『モエタム悪音書:第一章・第一節 神に徒成す剣と成れくそったれごとぶった斬る』」


 闇を切り取ったかのような禍々しい剣が神父の手から生まれる。彼自身が言うようにまるで本当に悪魔のようなオーラがそこにはあった。剣に視線が吸い寄せられて、目を離したくても離せない。彼はぬらりと剣を掲げるようにして上に持ち上げ、ゆっくりとそれを振り下ろした。――記憶はそこで途絶えている。


 ◆


 あれほどまでに激しかった風雨が嘘のように快晴となった朝。ぼろぼろになった教会前の丘で目を覚ます。まだあの力を制御するには未熟なようで、奴が出てきた後は毎度こうして意識が途絶えてしまうのだ。


「これで良かったのかよ」


「どういう意味だ、スロヴァイド?」


 俺という一人の人間の器を使って、二つの魂が交互に会話している。


「これでお前は真っ向から聖教会に歯向かったことになる。上層部が気づくの時間の問題だ。折角水面下で準備を進めてたのに、俺を呼び出したことで言い逃れはできなくなったんだぜ」


「なに、ちょっと予定を前倒ししただけだ。それにあの場で大人しくしてられる訳が無い。俺もお前も」


「ケケケ、その通り。良く分かってんじゃねぇか」


 俺と悪魔の奇妙な出会いが、すべての始まりだった。ようやくこのくそったれな世界に終止符を打つ時が来たようだ。

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