K戦線異状なし

十余一

K戦線異状なし

 塹壕ざんごうから空を見上げたとき思わずため息が漏れた。ここは昼夜を問わず弾丸が飛び交い榴弾りゅうだんが降り注ぐ……なんてことはない静かな最前線だ。

 武器弾薬の支給は滞り、兵士の士気も低い。だがそれは相手も同じようで、最近はろくに戦闘も起こらず戦況は膠着こうちゃく状態だ。結局、戦争というのはお偉いさんが自分の都合で勝手に始めて、勝手に盛り上がっているだけなのだ。


 この国は俺が生まれるずっと前から戦争をしている。学の無い俺はどうして隣国と戦っているのかすら知らないが、貧しい暮らしから逃れるためここに来た。軍に入れば飢え死にすることはないからだ。


「おい、今日の配給が来たぞ。飯にしよう」

「そうだな」


 同輩の提案に頷き、戦闘糧食を受け取った。これ一つで大半の栄養素が摂れるという優れものらしい。包装を破き出てきたのは薄茶色をした直方体。一口かじると口の中の水分を全て持っていかれる。


「飢えることは無いといっても毎食これじゃあな。飽き飽きしてきたぜ……」


 右隣で不満を零す同輩を尻目に黙々と食べ続ける。きっとこれは“不味い”という部類なんだろうが、腹が膨れれば問題はない。何も食べるものが無く目を回していた頃に比べたらずっといい。だが、噂に聞く“美味いもの”を食べてみたいと思うことがある。それが具体的にどういうものなのか想像もつかないが。


 左隣で同じように飯を食っている奴に目をやる。戦闘で負傷したのか、顔に古い火傷の跡がある。しかし第一線から退くことのない、今時珍しい戦意の高い老兵だ。


「なあ、爺さん。暇つぶしに美味い物の話でもしてくれよ。本物の暖かくて美味い飯を食ってた最後の世代なんだろ」


 俺の問いかけに興味を持ったのか、老兵が返事をするよりも早く同輩が身を乗り出してくる。


「ぜひ聞かせてくれよ! そしたらこの味気ない糧食も少しはマシになりそうだ!」


 爺さんは突然の大声に一瞬驚くも、すぐに笑みを浮かべた。そして水を三口ほど飲んでから嬉しそうに口を開く。


「そんなに聞きたいのなら聞かせてやろう」


 目を爛々と輝かせる同輩と仏頂面のまま心躍らせる俺を相手に、爺さんの昔語りが始まった。心の中にある大事なものを取り出すように、一つ一つ丁寧に言葉が紡がれる。


「儂は肉料理が大好きでな。肉は煮込んでも焼いても美味いが、特に油で揚げるのが好きじゃった。ちなみに、この火傷もそのとき負ったものじゃ」

「そんなに危険な代物なのか!?」

「いや、これは儂がドジじゃっただけ」

「そ、そっか……」


 火傷の理由に驚く同輩とドジな爺さんのやり取りを聞き流しながら、俺は肉料理に想いを馳せる。市場に出回っていたのは代替品ばかりで本物の肉なんて食べるどころか見たこともない。貧相な想像力を全力で働かせ、懸命に脳内で料理を作り上げる。


「醤油や生姜で下味をつけてな、小麦粉で衣をつけてな、高温の油でカラッと揚げるんじゃ。サクサクの香ばしい衣、柔らかくジューシーな肉、ジュワっと溢れ出る肉汁……ああ、よだれが止まらん」


 味も匂いも食感も俺にとっては未知のものなのに、話を聞いているだけで唾液腺が刺激される。同輩も同じようで軍服の袖で口元を拭っていた。顔を突き合わせた三人の、それぞれの脳内で空想の食卓が出来上がっているのだろう。

 俺は頭の中に、爺さんが話した“美味いもの”を山のように積みあげた。そしてそれを一つ摘みあげ口に運ぶ。噛んだ瞬間に旨味が口いっぱいに広がり、天にも昇る気持ちになりそうだ。


 妄想の中で充分に楽しみ、程々のところで現実に戻ってくる。そういえば、気になることが一つあった。


「なあ、爺さん。その料理は何て名前なんだ?」

「お主らも聞いたことくらいあるのではないか。その料理の名は……唐揚げ!」

「カラアゲ?」

「何じゃ初耳か? というか、そもそもこの戦争も、唐揚げにレモンをかけるか否かが発端じゃろう。そんなことも知らんのか若造。」


 聞き覚えのない名前に首を傾げる俺と同輩。そしてサラリと軽く流されるように明かされたこの戦争の真実。

 少しの無言の後、突如、平穏の終わりを告げる音が届いた。口笛じみた、空気を裂く高音。砲弾が飛んでくる!



 ◇



 櫛形に切られた瑞々しいレモンから滴る果汁が、唐揚げに到達するまでの僅かな時間にそんな脳内妄想が繰り広げられた。


 弾着―――だんちゃーーく……いまッ!


 狐色の衣に雫が染み渡ると同時に、俺は現実に引き戻される。


「お前のような奴がいるから争いが絶えないんだ……」

「え? 何? はやく食べようよ」


 抗議の声は地を這うように低かったが、目の前にいる友人は気にすることなく唐揚げを頬張る。


「どうして唐揚げにレモンをかけるんだ唐揚げは唯一無二にして至高の存在だから何も足さなくていいんだ百万歩譲るとしてもせめて事前に許可を取るべきだろう例え聞かれたところで是と答える気はな――」


 息継ぎもせず捲し立てる俺の口に、友人の箸によって唐揚げがねじ込まれた。それはもう誘導弾のように迷わず正確無比に。

 初めての爽やかな味が口内に広がる。悔しいが、誠に遺憾であるが、これは。


「……うまい」


 一時休戦だ。

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