「またね」なんて言わないで
十余一
「またね」なんて言わないで
「じゃあ、そろそろ帰るよ」
「あ……、うん。もうこんな時間だもんね」
久しぶりのデート――といってもお家デートだけど――なのに彼は時計を気にしてばかり。夜中の十二時を回る前に帰ってしまうなんてシンデレラみたい。
私は今、寂しさを表に出さないよう上手に取り繕えているのかな。本当は帰らないでって言いたいけど、重い女だと思われたくないから今日も物分かりの良い彼女を演じる。惨めに縋って嫌われてしまうほうが嫌だから。
「気をつけて帰ってね」
「うん、またね。おやすみ」
聞きたいことも言いたいことも全部飲み込んで、笑顔で彼を見送った。
翌朝、目覚まし時計を少し乱暴に止めてのそのそと起き上がる。彼のいないひとりぼっちの朝を迎えるのは、これで何度目だろう。寂しくないと言えば嘘になる。恋しい気持ちも止められない。でも再び彼に会うため、憂鬱な日々を乗り越えていくしかないんだ。次に会ったら何をしよう、どこに行こう……。それだけを心の支えにして、指折り数えて暮らす毎日だ。
彼は私のことをどう思っているのかな、なんて不安に思う夜もある。月に数度しか会えなくて、日を跨がずにそそくさと帰ってしまう彼。きっと彼にも事情があって、理解して弁えるのが良い彼女なんだと思う。でも、それでも……。大好きだからずっと一緒に居たいと願ってしまうんだ。そう思っているのは私だけなのかな。彼も私と同じ気持ちでいてくれたらいいのに。
指を七つ折り数えた頃、待ちに待った彼と共に過ごせる日がやってきた。彼の顔を見たら、私の心に巣食う不安なんて一気に晴れてしまう。
朝はいつもよりゆっくり起きる。彼と一緒なら、こんな微睡みの時間さえ愛おしい。楽しみにしていた特別展を見るために博物館でデートして、ミュージアムショップで図録や緩い絵柄のハニワ靴下を買って年甲斐もなくはしゃいじゃって。いつもよりちょっと奮発したランチの後は、新しくできたばかりのショッピングモールでじっくり買い物。そして帰り道の公園で人懐っこい猫と戯れて、シャボン玉で遊ぶ子どもたちを横目に帰宅する。テレビをつけたら丁度笑点が始まって、ソファに並んで二人で思いっきり笑うんだ。
特別じゃなくてもいい。彼と過ごす他愛もない日常を大切にしたい。ずっとこの幸せに浸っていたい。そう願っても、楽しい時間はあっという間に過ぎ去って。
「今日はもう帰るよ」
いつも通りに彼が言う。楽しい一日を過ごしたはずなのに、彼の笑顔を見てたら憂いなんて溶けて消えていったはずなのに。それなのに、今日の私はネガティブな思考が止められない。
どうしてどうしてどうしてどうして、何で何で何で何で。私が悪いの? 私が至らない女だから? 何か彼の気に障ることをしてしまった? どうしたら彼はもっと私と一緒に居てくれるの? 私はどうしたらいいの? 疑問ばかりが浮かんでどす黒い感情がぐるぐると心を埋め尽くしていく。
「……んで……?」
「え?」
彼の袖を控えめに掴んで縋りつく。まさか引き止められると思っていなかったのか、彼が息をのむ音が聞こえた。困惑する彼の黒目の奥に私はどんな風に映っているのか、俯いているからわからない。
「ねぇ、何で? どうしていつも直ぐに帰っちゃうの? 私といるの楽しくない? 悪いところがあるなら言ってよ! 頑張って直すから! あなたにもっと好きになってもらうために私頑張るから! 全部言ってよ、お願いだから――」
「そんなことない!」
一気に問い詰めた私の言葉を遮って抱きしめてくる彼の暖かさに涙が溢れてくる。こんなの狡い。おずおずと彼の背中に手を回してぎゅっと抱きしめ返す。
いつもならこれで満たされていた。また来週会えるならそれでいいと思ってた。でも、もう嫌。疲れたの。どうしてこんなに愛しているのに離れなくちゃいけないの? 帰らないで。「またね」なんて言わないで。ずっと隣で微笑んで、もっと私のことを癒してよ。今日だけは優しさで包んで有耶無耶にするなんて許さない。
「誤魔化さないで……!」
「君のことが大好きだよ、本当だ。信じてくれ」
「じゃあ帰らないで、ずっと傍に居て……」
私はあなたと一緒じゃないなら明日なんて来なくてもいいとさえ思ってるの。そんな私の想いにどうか応えてよ。
だけど、願いも虚しく無慈悲な言葉が降ってくる。
「ごめん、それは出来ない。……もう時間だ」
午前零時になると同時に
◇
月曜日を迎えるのが嫌で現実逃避をするあまり、そんな脳内妄想が繰り広げられた。行かないで、日曜日……。
休日が終わることを受け入れられずに、布団に寝転がりだらだらと空想したりSNSを見たり無意味にぬいぐるみをモフモフしている。悪あがきしたところで無情にも夜は更けていくというのにやめられない。でも、これ以上遅くまで起きていたら明日絶対後悔するだろうな。一つ大きなため息をついてからスマホに充電コードを挿し、諦めて眠りについた。
「またね」なんて言わないで 十余一 @0hm1t0y01
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