後編 

そして明治44年4月。


日野の言葉通り、

新設された所沢飛行場には代々木を遥かに上回る大観衆が集まっていた。


今日こそ成功させる!


私は武者震いした。


が、固い決意に反し、突如、嘔吐と震えが襲いかかってきたのである。

それは克服したと思った高所恐怖症の再発であった。



私はもだえた。


ここで失敗したら出世の道は途絶え、家名の復興も水泡に帰してしまう。

そして何より日野に一番乗りを取られてしまう。




だが焦り苦しむ私の前に一人の男が現れた。




それは日野だった。



日野はゆっくりと語り掛けてきた。



「徳川大尉。空は自由ばい。あの大空には家も軍もない。あるのは操縦桿を握る己と飛行機。そして青空と白い雲。苦しむのはもったいなか。もっと楽しもう」


自由、空…。


日野の言葉は、名家の縛りで苦しむ私の心を、

バッサリと断ち切ってくれる。


そんな一言だった。


私の中で何かがふっきれた。



ブロロロロ。


軽快なエンジン音とともに、

私はアンリファルマン号の操縦をはじめた。


そして大観衆の見守る中、愛機は滑走路を離陸。


5メートル、10メートル、20メートル……


高度はぐんぐん上がっていく。


気付くとファルマン号は高度300メートルの高さまで昇っていた。


周りはどこまでも続く青空と白い雲。


上下左右にあるのは大空だけ。


光り輝く太陽は眩しく、

高速で飛行する機体には勢いよく風が吹きつける。


私の中にもう恐怖は無い。


あるのは自由だけだ。


ふと見ると、

所沢飛行場の数千の群衆が豆粒のように見えた。


彼らの歓声がここまで聞こえてくる。


「これが空から見た武蔵野」


眼下に広がるは、ぽっかりと突き出た武蔵野の台地に滔々と流れる荒川。


そしてどこまでも続く原野。



そう、武蔵野の地をこの大空から眺めるのは、

私がはじめてなのだ。


その後、飛行場へ着陸した私は大歓声で迎えられ、英雄として讃えられた。



仲間も上層部も賞賛。

あの日野も喜んでくれた。


ついにやった!


私は大空を征したのだ。



だが後日、新聞には驚愕の記事が掲載された。



「徳川好敏大尉、所沢飛行場での初飛行に成功。同氏は前年12月19日に日本初飛行の快挙を成し遂げた人物である」と。


一体どういうことだ?


確かに所沢飛行場では私が初飛行したが、

代々木の初飛行は私ではない。


日野だ。


日野の名誉のために私は急ぎ上層部へ掛け合った。


だが裏にあったのは陸軍内部の縦割り主義であり、私の属する工兵隊が、日野の属する歩兵隊の手柄をもみ消し、自分たちの手柄にしようと根回しをしていた事実であった。


私は悩んだ。


真実を語るべきかそれとも・・・。



だが


「日本初飛行の名誉が手に入れば、華族の地位を確実に取り戻せる」


という上官の言葉に誘われ、

最終的には沈黙を貫いてしまった。


私は弱い人間であった。



こうして日野が日本初飛行を遂げた12月14日の記録は抹消され、

反対に私は「日本初飛行を遂げた男」として陸軍航空隊で華々しい出世を遂げ、華族の地位も取り戻したのだった。


一方の日野は発明に没頭するあまり、

陸軍内で孤立。


大正7年に退官し民間人となったものの、

発明で日の目をみることはなかったという。


もし日野が初飛行を遂げた男として陸軍に残っていれば、多くの発明で成功していたかもしれない。


きっと日野は私を恨んだことだろう。


そして今、日野の墓を前にして思う。


所沢飛行場は空襲により瓦礫の山と化し、

かつての威厳も面影も消えアメリカに占領された。


日本陸軍航空隊は隼、紫電など数々の名機で世界を驚かせたものの、結局は米軍の航空機に国ごと滅ぼされたのである。


そして日野の名誉を奪ってまで取り戻した華族の地位も、その存在ごとアメリカに消されることとなった。


私のしてきたことは何だったのであろう……



「徳川様ですか?」


突然、声をかけられた。

振り返った私の前に立っていたのは老年の女性であった。


「私、日野熊蔵の妻でございます」


日野の妻!


会わせる顔がない。


私は逃げるようにその場を立ち去ろうとした。


だが意外なことに日野の妻は笑顔で語り始めたのだった。


「生前、日野は『徳川閣下は出世して雲の上の方になってしまったが、本当に立派な方だった。家のため誇りを取り戻そうと高所恐怖症と闘い続けていた。そして勝ったのだ。閣下とフランス留学したのはワシの一生の誇りだ』と笑顔で語っておりました。徳川様。主人に素敵な思い出をありがとうございました」



何という事だ。


日野は私を恨んでなどいなかった。


それどころか初飛行などに執着しない本当に高潔な人物であったのだ。


結局、私は誇り高さでも日野に勝てなかった。


彼こそが真の空の覇者だったのである。



私は涙を堪え日野の妻に深々とお辞儀をするしかなかった。



※現在、所沢飛行場は航空公園、代々木練兵場は代々木公園に姿を変え、今に形を残している。


また徳川、日野が飛行を遂げた12月19日は、

「日本初飛行の日」と記念されており、

代々木公園には徳川、日野両者の胸像が建てられている。


今日も日本の大空には二千の飛行機が飛びまわっている。

これもひとえに徳川、日野という二人のパイオニアが、大空を征してくれたおかげといえよう。

(了)

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大空を征く ヨシダケイ @yoshidakei

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