忘れられた城

ラーさん

忘れられた城

 其れ汝ら信徒イーシュアたちよ

 忘れられた城に待て


 其れは慈悲あまねく神の御座

 悪徳アマンなき安寧の場所

 信仰イーリア溢れる永遠の楽土イーリアス


 空は高く建てられ

 壁の如き雨が地獄の業火フータータを防ぎ

 大地は深く穿たれ

 堀の如き河が永遠の楽土イーリアスを守る


 其れは汝らを守るだろう

 惑わさんとする者たちの不信の悪から

 降りゆく夜のとばりに怯える悪から

 追われし者たちの嫉妬の悪から

 明けゆく朝の天啓を疑う悪から


 地獄フースー悪徳アマンとともに退けられ

 信仰イーリアは汝らに永遠を約束する


 其れ汝ら信徒イーシュアたちよ

 忘れられた城に待て


 実りの糧に満たされた

 慈悲あまねく神の御座にて――


『第十三番聖典』黎明章より



   ***



 ――どうして城は人々から忘れられてしまうのか。

 

 イーリア教の聖典の最終巻である『第十三番聖典』、その最終章である黎明章の章句を頭の中で諳んじながら、私はその疑問に囚われていた。

 『第十三番聖典』は黙示録である。悪徳アマンの栄えが終末を呼び、地獄フースーの門が開いてそこから噴き出した地獄の業火フータータが世界を焼き尽くす。そのとき信仰イーリアある信徒イーシュアたちだけが「忘れられた城」と呼ばれる神の御座、永遠の楽土イーリアスへと至り、黎明の天啓を得て来世を迎えることができるという。

 この「忘れられた城」が示す意味は正しき信仰イーリアであることは明らかだ。

 けれど人はそれを忘れてしまう。

 神にそれを見透かされているように。


地獄の業火フータータ


 そう名付けられた核弾頭搭載の極超音速ミサイルが、私の操縦する戦闘爆撃機から発射された。

 噴射ガスの光跡が闇夜を切り裂く。音速を遥かに上回る速度で飛ぶ極超音速ミサイルフータータは数分後に、敵の都市を消滅させるだろう。

 これは悪徳アマンだ。

 それを知りながら、私は発射ボタンを押したのだ。

 命令だった。

 命令だったから。

 悪徳アマンと知って押したのだ。


イーリアを忘れた人々は――」


 急速回頭で空域を離脱する。

 機体がいつもよりぐらついた。

 操縦桿を握る手が震えている。

 自然にスロットルレバーを押していた。

 この悪徳アマンから早く背を向けたかったからだ。


「城に守られることのない地獄フースーを生きる――」


 私たちはどこで何を間違えたのか。

 最初は小国間の小さな紛争だった。

 不確定な国境線を争う小国同士の諍いは、けれど大国同士の勢力圏の境界にある緩衝国の間で起きた戦いだった。

 この戦いが永遠に拮抗したものであったなら、悪徳アマンが世界を覆うまでにはならなかっただろう。けれど劣勢に陥った側が大国に支援を求めた結果、お互いに自国の緩衝国を失う安全保障の危機を感じた大国同士の介入が始まり、そしてそれは次第に互いの面目を潰しあう妥協なき闘争へと拡大して憎悪が憎悪を呼ぶ戦いとなり、ついには理性のコントロールを失って、地獄フースーの門は開かれた。

 私はこの命令を受けた後、イーリア教の従軍神父を訪ねた。


「私は悪徳アマンを犯さなければならないのでしょうか?」


 神父は答えた。


「これは悪徳アマンではありません。善行イーリアです。聖典にあるように地獄の業火フータータに焼かれるのは不信の徒なのです。こうなったのも神がそれを望まれたから。我々が極超音速ミサイルフータータで焼き払うものこそが悪徳アマンなのです。悩むことなどありません。あなたはあなたの正しき行いイーリアにより、この国の永劫の繁栄イーリアスを守るのです。これは誇りに思うことなのです」


 力強い神父の説得。

 こうして人は神を騙り、人の為したいことを為す。

 だから私は善行イーリアという名の地獄の業火フータータ悪徳アマンを為したのだった。


 ――其れは汝らを守るだろう

   惑わさんとする者たちの不信の悪から

   降りゆく夜のとばりに怯える悪から

   追われし者たちの嫉妬の悪から

   明けゆく朝の天啓を疑う悪から――


 私の頭の中で繰り返されるその章句は、私たちの運命を教えてくれるような気がした。

 私たちは、惑わさんとする者たちの不信の悪に負け、降りゆく夜のとばりに怯え、追われし者としてこの地獄フースーを知らずに生きられる人々に嫉妬し、明けゆく朝の天啓に背を向けた疑心の中で地獄の業火フータータに焼かれるのだ。


「慈悲あまねく神よ――」


 風防のバックミラーに夜の地平を裂く閃光が走るのが見えた。

 地平線を輝かす黎明のような光。

 けれどそれは地獄フースーの門から噴き出した地獄の業火フータータの輝きだった。


「私たちは忘れられた城イーリアを思い出すことができるのでしょうか――」


 黎明の天啓なき現世。

 その夜のとばりを私は怯えながら飛んでいく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

忘れられた城 ラーさん @rasan02783643

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ