第4話「因果」
扉の向こう。
そこには大きな橋があり、その先にこれまた大きな館があった。
よくある、外国にスポットを当てた番組で特集されるような貴族の館である。
「ここは地獄の中で最も冷え込む場所。魂も一日ともたず凍りつく陰鬱の舘。普通の人間なら既に凍りついてしまうところ……ですが、御二方は元人間ですので問題ないでしょう」
アラディアはそう言いながら、すたすたと歩き出す。
彼女の腕に抱えられながら、見える範囲を眺める。
たしかに空気自体も冷たく、あちこち凍っているからか偶に館からのもれた光をきらりと反射させていた。
館に入ると、壁のあちこちに燭台があり、ちろちろと蛇の舌のような炎が蝋燭の上で燃えていた。
薄暗い。然し、先程通ってきた道に比べれば、視界は断然良好。不安な要素をあげるとすれば、まるで温もりというものを感じられないところだろうか。
流石は魂も凍りつく場所。単純に寒いと言うだけではないようだ。この場所の魔力自体が濃密なのだが、その魔力そのものが冷えていると思われる。魔力に温度を感じるなど、現世ではそう簡単にできない体験だ。
館に入ってすぐに広間があった。
中央には宗教画と思しき絵が飾ってある。どこかの神話の女神だろうか。とても美しい。
床には深紅の絨毯が敷かれていた。音が吸い込まれ、足音が聞こえない。
光輪のような意匠が付いた扉が開かれると、そこには一人の男が立っていた。
「ようこそ、お嬢さん方。 私がこの地獄の統治者、ルシファーです」
眼鏡をかけた金髪の男が慇懃に一礼する。
「まずは謝罪を。このような事態を招いてしまったのは私の不徳の致すところで」
「あ〜、そういうのはいい。早く本題に入ろうぜ」
ヴィーチェが片手を気だるく振る。
アラディアが頷く。
「それもそうですね。第一、ルシファーは悪魔にしては真面目すぎます。もう少し他の悪魔を見習い不真面目でもよいのでは」
さらりと謝罪を跳ね除けられてしまったルシファー。だが、彼は素直に成程と手を打つ。
「善処しましょう」
なんだろう。この、無性にツッコミを入れたくなる衝動は。
心の斜め上辺りがむずむずする。
そんなことを考えていたら、ルシファーと目が合った。思わず息を呑む。
あまりにも美しい。どこかアラディアとも似ている気がした。
「さて、それではまず。死神のお目付け役である兎なのですが彼女は無事です」
「えっ! ほ、本当ですか!?」
目の前の美に当てられていた意識は一気に飛び跳ね覚醒する。
「ええ、ほらこの通り」
パチンとルシファーが指を鳴らすと机の上にあった蝋燭の炎が天井まで焦がさんという勢いで膨れ上がる。
そしてそこから一羽の白兎が飛び出してきたのだった。
「ああ〜ん!
「
白兎は飛び出した勢いそのまま私の顔面に直撃。
もふんもふんと体を揺らしながら、白兎はマシンガントークをぶっ放す。
「無事で良かったわぁ! 女の子が傷つけられるなんて世界が傷つけられてるのと一緒よ! 私と女の子がイチャつけなくなるのは困るわ! とんでもない損失よ!! 私は女の子さえ良ければ後はどうだっていいの!! 男とイチャつく趣味はないしね!!」
「ほへはへへいっへへへう(とんでもないこと言ってる)」
いっそ清々しいまでに独善極まる発言を繰り広げる白兎。この白兎こそ、私のお目付け役。少し前までバニーガール風和服を身に纏っていたお姉さんである。
この白兎の姿こそ本来の姿。
「ってアィアアアア!! どうしちゃったの下半身!! なんてこと!! 盗られちゃったの!?」
もふもふと忙しなく動く月壱。気持ちいいが若干こそばゆい。
「許さないわあああ!あの吸血鬼!むきゅううう!!」
「恐らく、あの吸血鬼は兎である彼女をどうしても最初に遠ざけたかったのでしょうね。……いきなり庭に降ってきたので驚きました」
「あら、あの吸血鬼ったら兎が嫌いなの? なら遠慮せずいじめるけど」
この兎、女にはとことん甘いが男には殆ど興味がないので残酷。どうなろうと知ったことじゃないのだ。たとえ崖から落ちかけ助けを求める男が居たとしても「あら大変ね」で済ませてその場を去る兎である。
「兎が嫌いというより、伝承による因果を避けたかった……と私は推測します。兎といえば月。東洋ではそう結びつけることが多々あるでしょう」
「確かに」
もふんと動きながら私の頭の上へ月壱が移動した。
「月。月といえば魔術的にも重要です。儀式の質にも左右する」
私も兎もふんふんとルシファーの言葉に耳を傾ける。
「さて、そこで何故彼が兎を避けようとしたのか。そこが分かります」
「分からないわ」
「分かりません」
全然分からない。繋がりなんてどこにあるというのか。
「もう少し説明を加えましょう。月は神話にも組み込まれる。それはご存知ですね」
「知ってるわ」
「そもそも私も月壱もその関係者だし」
私達も月の神話に深く関係している。この話はいずれどこかでするかもしれない。
「神話。それはもう強い伝承です。そうあると長年伝えられてきた上、加筆修正はとことんされてきているのが大半。世界と強固に繋がっている因果の一つだ」
ルシファーがパチンとまた指を鳴らすと、机上の蝋燭の炎がまた変化した。
炎の中に小さな満月が浮かび上がっている。
「これが厄介極まりない。特に現世以外。そう、たとえば神代の終わりを迎えて尚、濃密な魔力を保持している世界。特にある意味終着点と取れる場所では因果は容易く引き寄せられる」
黒い手袋を嵌めたまま炎にそっと触れると部屋の中を圧迫する程の熱が広がりある形を取った。
それは一瞬でまた小さな月の形へ戻ったが、それは私達を圧倒するのに十分だった。
「おお……かみ」
「おいおい……マジかよ」
あのビーチェでも目を丸くしていた。
だが、彼女が驚いたのは私のように炎の現象に気圧されたわけではなく──
「「月の犬」でも喚び出すってか?」
「まさか」
ルシファーが銀幕俳優のように肩を竦める。
「流石にそんな大物無理ですよ。神話の形も違いますし。私が許可する範囲、及びこの冥界で顕現しうるのはもっと規模が小さいものだ。というかそれが限界ですね。世界を揺るがすような怪物はこの冥界自体を破壊しかねない。まあ、多神教の主神なら無茶も押し通せそうですが……」
「じゃあ兎から沼なんかに条件変えたとしても「ヴァン河の怪物」や他の番犬も無理か。いけるもんかと思ったがそう上手くはできてないんだなぁ」
「できたとしても私が普通に拒否します。必要性を一切感じませんので。神々の黄昏は北欧でどうぞ」
それもそうか、と若干悔しそうにビーチェが腕を組む。
私、そして兎も多分。話の大半は分からなかったが、つまり物語の関係性のものを擬似的に用意して再現できる。そういう話なのだろう。
「まとめると、死神の下半身を奪った行為と兎を引き離した行為は、ライ・ライラーの弱点に起因するというお話ですね」
今まで黙っていたアラディアがふと私に視線を寄越した。
「ライ・ライラー。吸血鬼ルガト。弱点は足を犬に食われること」
そこまで聞いて月壱がハッと飛び跳ねる。
「そういうことね! せこいやつだわ! 殺しましょう!」
「待った、待った、待った私がまだ分かってない」
私の頭に華麗に着地した月壱が鼻をふすふすしながら説明する。
「あのね。貴女は元人間だけど魂自体の形とかは人間のままなのよ。しかも肉体を持ってる。一方であの吸血鬼は人間の肉体、まあ死体ね。それを乗っ取って自分のものにしてるわけ。でもそれだと肉体も全部人間から変質するのよ。吸血鬼そのものになるわけ。魂の形に肉体が染め上げられるのね」
「ふんふん」
「その場合、天敵とも呼べる犬に出会うともう大変。犬には自分が吸血鬼だってことがすぐにバレる。そういうタイプの吸血鬼だから。そして弱点の足に噛みつかれたらハイ終わり」
「ほうほう」
「でも対策はあるわ。人間の肉体を使うのよ。そうすれば犬にもバレないわ」
「え? 使うってどうやって」
「それは簡単よ。持ち歩くの。こういう人の形を取る魔物はね。人間の肉体の一部を持ち歩いて気配なんか誤魔化すのよ。普通は髪とか指とかそんなだけど。部位が大きければそれだけ誤魔化しが効くわ」
「な、成程。それじゃあ欲しかったのは人間の肉体」
「貴女が狙われた最大の理由ね。ここには基本的に人間が居たとしても魂だけ。だから人間の肉体と何ら変わらないものを持つ貴女はとびきりの獲物だったんでしょう。それにしても、一番隠したい足の隠れ蓑を他の足で代用ってねぇ……もっと他になかったのかしら」
「それはそう」
とんでもない災難に合ってしまった。
逢魔時見聞録 ─フロム・ヘル─ 猫本夜永 @rurineko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。逢魔時見聞録 ─フロム・ヘル─の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます