第3話「ようこそあの世へ」

「す、すみません。 ちょっと気になったんですけども」

 私は遠慮がちにちょこっと挙手する。

「さっき話してた「ライ・ライラー」って……その……どちら様でしょうか? お二人の話からして、私が対処する吸血鬼ではない方の吸血鬼ってことですよね」

 少しの間があったが、最初に口を開いたのはアラディアだった。

「……そういえば、彼についてはまだ話していませんでしたね」


「ライ・ライラー。 純粋な吸血種。アルバニアでは有名な、ルガトもしくはククチという吸血鬼。ルガト自体は霊体でして、数多くの吸血鬼達の中でも珍しいケースとなっています。彼らは人間の死体を渡り歩いて、生きている人間の血を吸うのです。 ちなみに、名称の差異は「霊体の状態がルガト」「ルガトが肉体を乗っ取った状態がククチ」となります」

「その特性から、エリニュエスの涙と間違えられやすい。 なにせ、人間の死体を乗っ取てるのは一緒だからな。 保有魔力の気配じゃ判別できないんで、直接対峙するしかないんだよ」

「な、なるほど」

 自己で保有している魔力の気配は大雑把にしか分からない。


「ん? でも、その吸血鬼は個人の識別符号として「名前を持っている」んですか?」

 種族としてだけでなく、個人で名前を持っている吸血鬼というのは、自我と知能と力が単純に高く強い。だが、そういう吸血鬼は現代だと珍しいのだ。

 特例として、エリニュスの涙が遺体の人物の名前を便宜上使用することもあるが、基本的には珍しい。

 名のある吸血鬼は、人間や他の魔物から脅威として認識され排除されることも多々あるからである。

「ああ、そうなるな」

「だったら……相当古い吸血鬼……神話に出てくるような」

「いや、違う違う」

 ビーチェが首を横に振る。

「神代にいたようなマジもんの化け物じゃねえよ。 せいぜいが、吸血鬼を題材にした小説が流行った時代の生まれだ」

 そうだとしたら本当につい最近の生まれなのだろう。私のように。

「とはいえ、奴はマジもんの化け物共よりは何兆倍もマシなヤバい化け物ってだけだけどな! はははっ!」

 快活な笑い声が暗闇に木霊した。私は口元を引き攣らせながら、豪気な魔女への返答の代わりに愛想笑いを返す。

 そこへアラディアが一言。

「そのヤバい化け物を追い詰めておられたのはヴェントット様では?」

「そーいやそうだな! おし! 次も全力でぶん殴るか!!」

「……え゛」

 空気を無理やり押し出したような声が喉から出た。


「説明がいるようですね」

 アラディアが持つカンテラが揺れると共に、私達の影も揺れる。

 どれくらい闇をかき分け進んだのか。いつの間にか煉瓦が敷き詰められた廊下に出ていた。どこかぞわぞわする冷気が流れてくる。


「前置きしておきますと、ヴェントット様が収監されていたのにも関わってくる話となります」

 そういえば、何故彼女が牢屋に入れられていたのか。私は知らなかった。


「事の始まりは一週間ほど前に遡ります」

 アラディアの滑らかで美しい声が、ぽつりぽつりと闇に流れ出ていく。


 今から一週間ほど前。ビーチェは、友であり使い魔である人狼のモニカから、人間の男の姿をした魔物から自分にちょっかいをかけてきてウザったらしいので何とかしてくると頼まれたそうだ。丁度その頃、彼女は自分達の住む街で起きている怪事件を追っていた。

 怪事件というのは、街に住む女性達が一人、また一人と知らぬ間に傷ができて貧血になるという奇妙な思いをしていたこと。普段、ビーチェは薬屋兼占い師として活動しているのだが、来る客、来る客、そのような話ばかり。

 やれ仕立て屋の娘が、やれ食堂の主人の妹が、やれそこの向かいの奥方が──と。


 そこで彼女は気づいた。これは吸血鬼の仕業だと。

 吸血鬼も馬鹿ではない。死人が出れば騒ぎになるし、その筋の退治人にだって事は速達で届くだろう。だから、殺さぬように少しずつ少しずつ、じわじわと甘美な食事を貪っているのだ。

「ルガトってのは、要するに悪霊の類なんだが……吸血鬼という枠に納められる。 ククチも同様、というかこっちの方が本命枠だな」

「だったら、そのライ・ライラーは……ク……どっちなんです?」

「今は肉体を持っちまったからルガトだな」

「本当に厄介なことになりました」

「そ、そうなんですか」

 ビーチェが目を細める。


「肉体が有るっていうのは単純に強い。 世界に己を強烈に認識させているからな。 現世であれ、あの世であれそれは変わらん。 むしろあの世ではズルいにも程がある。 対抗できるのなんて、それこそ肉体持ち且つ、魔力を自在に操れるやつさ」

「……そういえば……日本でも肉体を持ったままあの世へ行ってしまわれた方もいたとか」

「ああ、小野篁ですね。 あの人、陰陽師とかそういうのではないんで魔力をどうこうはできなかったと思いますが…………こっちでも有名なんだ……あの人」

 小野篁、知る人ぞ知る「生きたままあの世へ行っちゃった人」。あの世の偉い方達関係者各位からすると、肝が冷えるどころか凍りつくかと思ったという。こういうごたごたは、割と高頻度であったらしく。特に日本はなりやすかったんだそうな。

 なにせ、そこかしこにあの世への入り口がある。日本はそこら辺が緩いというか。そもそも線引きをしておかなければ、日本という界域の境界線自体が緩いというか。曖昧というか。


 何はともあれ、このままはまずい。まずすぎる。だから、どうにかこうにか対策を立てに立てに立てに立てた。

 なんとか「うっかり来ちゃいました生者」を減らしたらしい。お疲れ様です。

 しかし、それでも来ちゃう者は来ちゃうので、最高神天照にまでその話が届いた。長年の問題ということもあり、彼女もそれなりに悩んだ。その結果、天照大神直々の対策指南書を作成。日本各地にちょこちょことその指南書が置かれることになったという。


 作成者、天照大神曰く──


『来ちゃう者はしょうがない。 迷い子を見つけたらちゃんと元のところに返してあげてね』




 いいんだろうか。

 日本も治安がいいとはいえず、そのまま人間を連れ去ろうとする妖怪等もかなりいるのだが。

 指南書を渡して後は各々に任せるとは、信用しすぎではなかろうか。

 そもそも最高神だからといって言うことを聞いてくれる者達がどれ程いるだろう。


 大変だな。最高神も。



「それで、ルガトになってしまったというライ・ライラーとビーチェさんの関係は……」

「ん、あたしは単に合わないから、奴を退治しようと思ったのさ。 まあ、ルガトが強い吸血種なんで、いっぺん戦ってみたかったってのもあるんだが……」

「戦ってみたかった……?」

 妙に上擦った声で聞き返すと、ビーチェが口の片端をつり上げる。


「友人の頼みとも被ってたからな」

 私の返しは気にもとめずに、話を進めた。

 一瞬、彼女の双眸にぎらついた光を見たのは気の所為だと思いたい。


 さて、話は戻るがビーチェはたしかに言っていた。友であり使い魔である人狼から執拗い魔物がいるのでなんとかしてくれと頼まれたと。


「ああ、その執拗い馬鹿野郎が「ライ・ライラー」。 吸血鬼ルガトさ」

 片眉をあげ、ビーチェが鼻を鳴らす。

「てっきり単なるナンパの付き纏いストーカーかと思ったら、人狼が苦手なものが街にばら撒かれたり、祓魔師やらが人狼について嗅ぎ回るようになったんで奴の狙いが分かった」



「奴は人狼を追い出したかったんだ。 なにせ、ククチだろうが、ルガトだろうが、弱点は「狼」なんだからな」

 ククチ及びルガトは人間の手ではとても倒せぬと言われる程の強力な吸血鬼だ。しかし、彼らは霊体だろうが肉体だろうが、とにかく足を狼に食いちぎられると魂が揺らいでしまう。自己という意識が保てなくなる。奇跡でも起きない限り、現世に留まることができない。

 そうなってしまったが最後、彼らは冥界で全ての時間を過ごさなければならないのだそうだ。


 魔女は軽く舌打ちして不機嫌そうに、事の成り行きを語る。

「そんで、あたしが奴と直接会ってボコってたんだがあの野郎。 上手いこと逃げやがって地獄の門まで来てたのさ。 だからそこで追い詰めようとしたら、奴は一か八かで地獄の門に飛び込みやがった。 だから私も後を追って門へ飛び込んだ。 それだけの話だな」

 なんと言えばいいのか。


 この魔女はあまりにも、そう、あまりにも肝が据わっている。というより、据わりすぎている。世界広しといえどこれ程の女傑、そういまい。

「まさか、飛び込みで地獄に来るとは思ってもみなかったので、かなりの騒ぎになったこともあり、身柄を拘束させてもらっていたのです」

「ライ・ライラーの野郎はうまく地獄に潜んだようだがな……ああ、畜生。 こっちに正当性があるだけに、余計分ムカつくな」

「申し訳ありません。 いくら貴方が元人間で魔女とはいえ、吸血鬼と共にやってきたとなると」

「逐一謝罪はいい。 別にお前たちに対してはムカついてねえからな。 気に食わないのはあのスカしたクズ詐欺吸血鬼だ」




「にしても……一回あたしと戦ったとはいえ、奴の足はいまだ健在だ。 足があるってことはあの世だろうが、現世でのように力を振るえる。 そういう特性の吸血鬼だからな」

「そして、現在。 彼は自由の限りを尽くさんと悪巧みをしている最中なのです」

 その時、ふとビーチェが私を見た。少しばかり顔を傾けたかと思うと、自分の顎を形のいい指で撫でた。


「ふうん……お前の下半身を奪ったのもなんだか検討がついてきたな」

 ビーチェの呟きは、ギイギイと五月蝿い音に混じって空を漂う。

「到着です」

 アラディアの短い言葉と共に、闇が退き始める。


 最初は壁かと思っていたが、光が差し込むにつれ、その全貌が分かっていく。


 巨大な扉。それがゆっくりと開いていくのだ。

 冷たい空気がそっと頬を撫でる。


 差し込む光は穏やかで、空気は凛としていて、どこか月光を思わせるものだった。



「ようこそ、御二方。 地獄の主人がお待ちです」

 アラディアは平坦な口調でにこりともせず、私達にそう告げた。






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