第2話「吸血鬼という者共」
「地獄に入ってすぐ、下半身を取られたって?」
「は、はい」
牢から出た魔女は呑気に伸びをしながら、私の話を聞いていた。どうやら私の状態に何か思うところがあるらしい。
「ふうん、肉体を構成している状態で取られたから
霊体になっても下半身は戻らんだろうな。 ああいや、正確には胸から下の辺りか」
後で知ったのだが、物理的でない霊体などでは、肉体の記憶自体を引き継ぐらしい。
だから、たとえば幽霊などの霊体で事故死していた者の体が欠損していたりするのは、生前の肉体の状態に引っ張られて、霊体情報が構成されるからだという。
「えぇと……元に戻す方法って……イア、ウィ」
「あー……「ビーチェ」でいい。 昔、酔っ払った友人がそう呼んできてね。 今じゃ愛称として使ってる」
「じゃあ、ビーチェさん……」
「おう、よろしくな未雉」
ニカッと景気よく笑うビーチェ。暗がりも吹き飛びそうである。
「……んで、お嬢ちゃんの体を元に戻す方法ならある」
「ホントですか!?」
思わず大きな声が出た。ちなみに、もし腹筋も肺も声帯も歯も無事でなくとも声は出せる。人間をやめたぞ感がすごい。
よく、漫画やアニメの表現で魔物なんかが首だけで喋っていたりするが、そもそも人間ではないのだから当然。見た目ならばともかく、人間の身体構造の複雑な理屈が当て嵌る方が難しいだろう。
まあ、自身がいざなってみると結構面白い。これだけ発話に問題がないのなら、そりゃ喋ってみたくなる。
いや、面白がっている場合ではないのだが。
「そ、その方法というのは……」
「ああ、それは……」
「窃盗犯を見つけて、そいつをボコボコにして、そんで奪い返す」
「全てにおいてストレートですね」
「ストレートすぎませんか!?」
シンプルにしてどストレートな暴力的解決法。
「暴力で解決した方が早い」
「それもそうですね」
「は、話し合いの道はないのですか……というかアラディアさんまで」
荒事とは無縁そうな顔をして、意外とそっち方面を嗜むのかもしれない。そもそもここは地獄だ。
如何にも深窓の令嬢です、という顔をしながらチェンソーで相手を切り刻んだりするのかもしれない。
「言っておくが、相手の見当もついてるから取る方法だからな」
「え、そうなんです?」
きょとんとビーチェの顔を見つめていると、上から綺麗な低い声が降ってきた。
「……ウィアトリクス・ヴェントット」
アラディアは再びビーチェをフルネームで呼ぶと、一呼吸挟んで尋ねた。
「……その者の名は、もしや「ライ・ライラー」ではありませんか?」
「……ああ、そうとも。 間違いないだろう。 このあたしが牢にぶち込まれる原因になった吸血鬼にな」
先程とは打って変わって、二人の表情に些か剣が入る中。
私は目を丸くして聞き返した。吸血鬼。その単語こそ私に最も関係がある要素。
「吸血鬼……え、あの、それじゃあ地獄に私が呼ばれたのは」
「ええ、そうです。 吸血鬼専門の魂の運び手の力をお借りしたく呼び立てたのです。とはいえ、最初はまさか彼のような吸血鬼とは思わず。 お呼びだてしたというのに申し訳ありません」
「いえあ、あの、その……大丈夫です! 全然!」
日本の死神という部類は大まかに二分できる。それは古参の死神と近代の死神。私が入るのは勿論後者。
吸血鬼の魂を運び管理するという権能を持つ神である。
「吸血鬼といえば……死神も呼びたくなりますよね……へへ。 昔からのことですし」
ただし、この権能における吸血鬼というのは些か面倒な注釈がついてくるのだが。
「そう言っていただけると助かります」
にこやかに微笑んだアラディアだったが、ふと表情を沈める。
「一応、確認しておきますが、いくらお若いとはいえ……その分野における専門の権能を持つ神である以上、ご存知ということでよろしいでしょうか。 あの事件を」
「は、はい」
新米死神講義で習った内容を必死に頭の中から引き摺りだす。
「確か……紀元前……どこかの王様が創った塔が崩壊してある病気が世界中に散らばってしまったっていう」
正確な年数は定かではないが、それは紀元前のこと。一つの塔が崩壊したという事件。塔の崩壊は人々に対し、あらゆる衝撃をもたらしたそうだ。
特に重大だったのが、世界共通言語の喪失と一つの病の蔓延。
前者の世界共通言語とは、思念を術式の形にし、事象として確立させることで己の意志を伝えられる言語のこと。言ってしまえば、そこらに漂う魔力を言葉に通して成立させる言語である。言霊信仰と似ているが些か違うらしい。
それにしても、魔力が認識できない一般人でもそれが使えたというのだから驚きだ。現代の普通の人間には絶対に出来ない芸当である。
とはいえ、その術式そのものが完全に破壊され、元に戻す方法すらもう分からない。
たとえ全ての神話における主神達が力を尽くそうと再現できないと言われる代物なのだから、恐らく二度と日の目を見れない言語であろう。
そして後者にある、一つの病の蔓延。
塔にあったという一冊の本から流れ出た病。それは恐るべき感染症であった。
感染したのはいずれも人間。正確には人間の死体だった。感染した死体は、皆一様に生前のように振る舞い始めたそうだ。再び生命活動に勤しむように。
だが、それは故人が蘇ったのではなく、単に「吸血鬼」に支配された結果に過ぎなかった。
当然、故人の自我などなく、単にその吸血鬼が肉体に刻まれた記憶を読み取り、吸血鬼自身の人格として再構築しただけである。死体は死体。もはや魔物にとっては、ていのいい食料や容れ物、触媒に過ぎない。
「流出した病の名は「エリニュエスの涙」。世界最小にして最悪と呼ばれる吸血鬼……ですよね」
「ええ……そうです。彼らの対処には随分と悩まされるものでして……」
「そりゃ、急いで死神を呼びたくもなるさ。あんたらは最善を選んだ。 正確な確認が取れてる頃には手遅れだからな。 それを鑑みれば「吸血鬼が出たから死神を呼んだ」ってのは英断ってやつさ。 気を落とすなよ。地獄とはいえ、奴らに来られたとあっちゃ冥府の連中にとっては悪夢だろうからな……なにせ……」
──感染したやつの魂はある日忽然と消え失せるんだから。
気だるげに髪をかきあげた魔女の言葉は、とても静かで滑らかで、闇にさえ深く浸透していくようだった。
吸血鬼が人間の死体を乗っ取った。それは別によくある話で、大した問題ではない。そもそも世界中に、それこそ吸血鬼以外の魔物とてそのような伝承が多々存在するのだ。
問題なのは、ビーチェが指摘したように「魂が消え失せること」だった。
魂が消えると聞いて、大抵の人間は、単に成仏だとか楽園に言っただとか解脱しただとか、生まれ変わったのだとか、そんなことを思い浮かべるのかもしれないがそれは違う。
世界から、ある日、忽然とその魂そのものが居たはずの場所にぽっかりと穴を開けて消えてしまうのだ。
編み込まれた糸が引き抜かれて消えた。歯車が欠けた。階段の一部分だけ無くなった。
世界の在るべき姿が削り取られた。
こんなことは有り得なかった。
神々ですら困惑したという。完全なる魂の消滅など、たとえ世界が終わろうと、万が一原初の混沌に戻ろうと、起こり得るはずがないのだから。
魂は己の信じるそれぞれの故郷に帰る。だから、魔力の大海に溶けて巡るものもいれば、裁きを待つもの、定められた輪を廻るもの、理から抜け出して放浪するものもいる。
魂の数だけ在り方があったのだ。
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