逢魔時見聞録 ─フロム・ヘル─

猫本夜永

第1話「死神が行く」

死神というものがある。死を司り、魂を管理する神。又は、死という概念の擬人化。

現代人が抱くイメージなら、大鎌を持ちローブを身に纏う、人間の白骨が一般的だろうか。


日本の死神で有名なのは伊邪那美イザナミ伊邪那岐イザナギと共に多くの神々を生んだ母神である。

勿論、日本は多神なわけで。それもあって、死神という存在は彼女だけを指し示さない。なんなら、つい最近も増えたぐらいだ。


新たに死神とされた者、いや、その者達は最初から神だったわけではなく、人間としての生死の果てに死神になったのである。

日本で人が神になるのは大して驚異的な事ではないのだが、新しい死神達には少し驚くべき点があった。それは神々に積極的に死神として選ばれ、更に目を引く特性を与えられたことだろう。この国の人間は、神道もしくは何も宗教に属していないと、死を迎えた時に自然に還り、一柱の神となる。ただ、多くの場合は肉体を持たない、意志を持たない。

ただ、ただそこにある。正に自然そのものになるのだが──


新しく選ばれた死神達は、古く信仰されてきた神々と同様に、意志を持ち、時に肉体を持つという特性が最初から備わっていたのだ。

というのも、そうしなければならない理由が、新しい死神達の役割にあったからだ。

新しい死神達は、何に対し必要とされ、求められ生まれたか。それは今から約五千年前、世界的にある一つの病が蔓延した結果に由来する。


新米死神講習で説明された内容に、頭の中を圧迫される感覚を覚えながら、私は横に立つ女を見る。

彼女は死神と共に活動する「兎」であり、私の担当。本来は動物の兎そのものな姿をしているが、場合によっては人間に化ける。

人間に化けるのは人間社会に行く時だとかなるべく不便がないようにする為らしいが──


何故か彼女は、バニーガール風の和装に身を包んでいる。耳と尾はそのままなのか、衣装なのか。


うん。あまり気にしてはいけない。多分、兎であることのアピールなんだろう。きっと、そうに違いない。深く考えてはいけない。

「はい、というわけで到着しました。 地獄です。 貴女は初めてよね、地獄」

「え、うん。 まあ」

地獄も初めてだし、なんなら天国とかも行ったことはない。そもそも日本には、仏教関連で地獄はあっても、天国などない。

「大丈夫よ、新米死神でもできることだから今回選ばれたんだし」

「そう、だね」

私は死んで、というか死ぬギリギリで死神になった。然し、これからのことを考えると不安と不安と、あとやっぱり不安に押し潰されそうになる。

鬱屈とした顔をしていたら、半ば強引に、だが優しく手を引かれて某所の地獄へと続く門を潜った。


これからとんでもない事件に巻き込まれるとも知らずに。










「もし」

「……」

「もし、そこのお嬢さん」

「……ん」

体が揺すられる感覚に目を開けると、顔を覗き込んでくる女の顔が視界に広がった。


近い。

明らかに近い。

もう少しで鼻先がキスでもしてしまいそうだ。


秋の稲穂を思わせる見事な金髪。陶磁器のように滑らかで白い肌。双眸はまるで彼は誰時の色を映し、そのまま自らの瞳の中へ手に入れたようだった。

「え……え……」

寝覚めの美貌に圧倒されていると。

少しだけ彼女が身を起こし、同時に私の背に腕を回して同じように私の身を起こしてくれた。

その時、ふと、古書を開いた時のような香りが鼻腔をくすぐっていることに気付く。

近くに本でもあるのだろうか。


ぐっと腕に力を入れて自力で体勢を保つと、そっと彼女の腕が離れる。

「えと……あ、あの……」

「私はアラディア・タルトタタンと申します」

「こ、こんにちは……私は……赤中あかなか未雉みちです」

美味しそうな名前だ。そんなことを考えながら反射的にこちらも名乗った。


「貴女は日本の冥府からいらした「死神」ですね」

「は、はい……あの……なんでそれを」

私は死神だ。正確には成ったばかりの新米なのだが。

他に手が空いている者がいないということで、新米死神娘は、ある仕事をこなしに、欧州にある地獄のうちの一つにやって来ていた。

正直なところ、不安しかない。だから、ここにいる間はずっと気絶できたらいいのにと思っていたりする。


まさか、本当に気絶するとは思わなかったけれど。

というか、死神も気絶するのか。

「地獄の主、ルシフェルから貴女がたの来訪は聞き及んでおります」

「そ、そうですか……」

力なく返答したところで、アラディアは私からすっと離れ、立ち上がる。

つられて立ち上がろうとしてようやく気づく。


「……あ」

「赤中様。あまりご無理はなさいませんよう」


アラディアの視線が私の顔に、胸に、腹にと下がっていき、最後は──


「貴女の下半身は行方不明となっているのですから」


地面の上にペたりと咲いた花のようなスカートへ向けられた。





どこからともなく取り出したカンテラに火を灯し、アラディアはすいすい歩き出す。

私はといえば、彼女の小脇に抱えられていた。

「門を潜った後、聞いていたのとは違う場所に……多分出ちゃいまして……そこで何かに襲われたというか……気付いたらここにいました」

視界がゆらゆら揺れる。

暗い。やはり暗い。カンテラの明かりがあるとはいえ、数メートル先は闇。

「お連れ様もいらっしゃったはずでは? 日本の大衆的な死神にはそれぞれパートナーである「兎」がいると我が主人から聞いております。たしか、その兎こそが死神自体のお目付け役だとか」

「そ、そうなんですよ。 でも……」

「……ふむ。 赤中様の状況も不可解ですが、そのパートナーもはぐれているとなると……一介の悪魔の仕業とは思えませんね」

「そういうもの……なんです?」

「……ええ」

そこで一旦アラディアは口を閉じ、次に彼女が口を開いたのは、銀色に光る鉄格子が嵌められた牢屋の前だった。


取り付けられた錠に何か書かれている。

文字と思しきそれも銀色に光っていて、綺麗だった。

「び……ゔぃ……びあとりくす……ゔ……びぇ」

「ウィアトリクス・ヴェントット」

アラディアが鉄格子ぎりぎりまで近づいたので、自ずと顔面すれすれに鉄格子が迫る。


カンテラの寂しげな光が照らした部屋には、一人の女が壁の方を向いて寝ていた。

「調査の結果。 貴女の主張に偽りなしと判断されました。 それ故、今をもって貴女を釈放させてもらいます。 勿論、監視付きですが」

「ん……ああ、そうか。 分かった」

女はあくびを噛み殺しながらゆったり立ち上がる。

スリットの入ったスカートから覗く足が妙に艶かしい。

「つうか、そのお嬢ちゃんはなんだ? 私みたいな元人間ではあるんだろうが……半分持ってかれてるじゃねぇかよ」

いきなり的を射られ、ぎょっとして聞き返す。

「わ、わわ分かるんですか!?」

「私も魔女の端くれだ。そのぐらい分かる。 切り取られたところが特に、違うからな。 あんた自身の持ってるエーテルに別のやつのエーテルが混じってるんだ 」

「魔物など独自に第五元素エーテルを保持できる者は、少なからず保有エーテルに特色が出ますからね」

「え、あの、すみません。 エーテルっていうのは……」

おずおずと尋ねる。エーテルというのはなんだろう。お菓子の名前みたいだ。

「失礼しました。 日本の方にはあまり馴染みのない表現でしたね。 言い換えますと……「魔力」……のような感じでしょうか。 霊力とも言われているとか……現代の若者風に言えば「マナ」ですかね」

「あ、それなら分かります」

たしか、講習で習った。魔力は空気と同じで目に見えない。だが、確実に存在するもの。

そして、普通の人間は魔力を感知できないし、それ自体が本当に存在することを知らずに死ぬのが大半だと。


「まあ、魔法使いだ魔術師だ魔女だなんだってわけでもなさそうだし、普通はエーテルなんて古い名前出さないからな。最近は「魔力マナ」で世界的に統一されてるし」

悠長に顎を擦る魔女をよそに、古書の匂いのする女は鍵を取り出し、錠にそれを嵌め込んだ。











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