第5話 再会

 家に帰ってすぐにパソコンを開いた私は、新『クマ姫』の8話目に応援コメントを書いた。


sumikkoさん、いつも私の作品を読んでくださりありがとうございます。読み専かと思ってましたが、書く側でもあったんですね。とても面白くてびっくりしました。


 数時間後、コメントに返信がついた。


サイさん、コメントありがとうございます! 彩さんの作品の大ファンなので、こんなうれしいことはないです!! できることなら直接会ってサインもらいたいくらい(笑)


 また、プロフィールに紐づけしていたツイッターにも反応があった。アカウント名は同じくsumikko。


DMすみません! 興奮してつい(笑)

いつも素敵な作品ありがとうございます^^


 少しためらいつつも、返事を考える。


こちらこそありがとうございます。クマ姫、面白かったです。続きは書かないんですか?


 返信まで少し間があった。


実はあれ、わたしのオリジナルじゃないんです。昔、友だちが書いていたものを下地にしていて……だから本当に評価されるべきはその友だちなんです。


でも私が面白いと思ったのはsumikkoさんの作品で、オリジナルではないです。友だちが納得しているなら、書けばいいんじゃないですか?


 また少し間があった。


彩さんに相談したいです。わたしと会ってもらえませんか?




 古本屋の隣にあるその喫茶店に足を運ぶのは久々だった。家から自転車で約10分。天気がよく、秋口だというのに汗をかいた。


 店内に入りどこに座ろうか迷っていると、窓際の席に座っていた女性が顔を上げた。目が合うと、マグカップをおいて手を振る。そうか、あれが……


「何名様ですか?」


 ウェイトレスに話しかけられ、びくりとする。


「待ち合わせです。あそこの人と」


 ウェイトレスは「ごゆっくりどうぞ」とにこやかに去っていく。ほうとため息が出た。思ったより緊張していたようだ。気を取り直して窓際の席へ向かう。


 私が近づくと女性は立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。


 ちょっと癖のある長い髪。丸くて小さな鼻。にっこり笑うとできるえくぼ。少女のころの面影が、たしかにあった。


「初めまして、彩さん」


「初めまして、sumikkoさん」


 私たちはどちらからともなく、ぷっと噴き出した。


「才子ちゃん、変わってないねえ。一目見てわかっちゃった」


「冗談言わないで。18年も経ってるんだから、あちこち変わってるはず」


「18年かあ。もうそんなに経つんだね」


 sumikko改め純子は、懐かしむように目を細めた。水色のフェミニンなワンピースと、グリーンのピアスがよく似合っている。

ずいぶんと大人っぽくなった。当たり前か、もう大人なんだから。私はポロシャツにジーンズというラフすぎる格好で来たことを後悔した。前はもっと小柄な印象があったのに背が伸びたなあと思ったら、なんということはない。純子はかかとのあるミュールで、私がスニーカーを履いているせいだった。


 座ると、ふわりと花の香りがした。


「懐かしいなあこのお店。高校生のときよく来てたの。カフェオレが好きで毎回そればっかり頼んでたんだ。味も全然変わってない」


 カップの中のカフェオレは残りわずかだった。待ち合わせよりかなり早く来ていたのかもしれない。


 私はコーヒーを注文し、純子もカフェオレのおかわりをした。


「sumikkoっていうのは高校生のときのあだ名が由来でね。わたしの名前を間違ってすみ子って呼んだ先生がいたんだけど、そこからもうすみ子のほうが浸透しちゃって。ひどいよね」


 カップに添えられた純子の左手の薬指には、指輪が光っている。


 過去のわだかまりなどどこにも存在しないかのような、相変わらずの人懐こさ。昔は怖くもあったが、今はそれが有り難い。


 しばらくは互いの近況について話した。純子はデザイン系の専門学校へ行き、卒業後はウェブデザイナーとして就職。2年前に職場の人と結婚してからは退職し、今はフリーランスでのんびり仕事をしているという。


「まあ、お小遣い程度だけどね。才子ちゃんは何してるの?」


 私はあまり人に誇れるところがない生活を送っているので、手短に学習塾で働いていることだけ話す。


「へえ、才子ちゃんが先生かあ。なんか不思議! 大変じゃない?」


「社員じゃなくてバイトだから、大したことないよ」


「勉強得意だったもんねえ。いいな、わたしも教わりたい」


 今さら遅いか、と自ら突っこみを入れてくすりと笑う。


「ね、バイトってことはさ、やっぱり今も目指してるんでしょう?」


「う、うん……」


「小学生のころから作家になるんだって言ってたもんね」


「まあね」


 純子に比べて自分があまりにも変わっていないので、恥ずかしさからつっけんどんな答え方になってしまう。


「いい年してフリーターなんて、自分でもどうかとは思うんだけど」


「そんなことないよ」


 純子はきっぱりと断言した。言ってから照れくさくなったのか、ふっとはにかむ。


「ふつうはどこかのタイミングであきらめたり、とりあえず別の道に進んでみたりするけど、才子ちゃんは真っ向からぶつかっていくんだもん。かっこいいよ」


「……ありがとう」


 私は冷めたコーヒーに目を落とした。一生懸命やっていたのなんてもうずいぶん前の話で、最近の私はただの夢の燃えかす同然だよ、とは言いづらかった。


「でもさ、そうやって情熱を持って生き続けられる人って、ちょっとうらやましいよ」


「うらやましい?……」


 私からしてみれば、要領がよく順調な人生を送っている純子のほうがずっと立派でうらやましいのだが。


 純子はバッグを抱え、「ちょっと失礼」と席を立った。トイレに行くのかと思ったら、純子が向かったのは喫煙室だった。


「タバコ、吸うんだ……」


 にこやかな笑顔からは想像できない、純子の人生には純子なりの憂いや葛藤があるのだろう。


 なんだか無性に甘いものが食べたくなり、フレンチトーストを追加で注文した。



 5分後、席に戻ってきた純子はバターの甘い香りを放つ分厚いパンの皿を見て、「ずるーい」と言った。


「半分食べる?」


「え、いいの!?」


 しっとり甘くて、カリッとした食感もあり、ふたりしてぺろりと平らげてしまった。


 さあ、腹ごしらえはできた。


「おいしかったあ。わたしもなんか頼もうっと」とメニューを眺める純子に私は切り出した。


「いつから知ってた? 私がネットで自分の作品を公開してること」


 ぴくんとメニューを持つ手が動いた。


「高三ぐらいのときだったかな。小説を投稿できるサイトがあるって知って、いろいろ読んでみたの。そしたら、なんだかものすごく好みの作品書く人がいるなーと思って。もしかして才子ちゃんかもしれないと思ったら、すごくドキドキした」


 まるで恋する乙女のように純子は語る。


 高三っていえば、ほとんど投稿を始めたあたりじゃないか。そんなに昔から……一方的に活動を見守られていたのかと思うと、妙な気分だった。


「新しい作品を読むたびに、もう才子ちゃん本人だとしか思えなくなっていったの。それで、居ても立ってもいられなくなって、毎回感想送ったりして……ごめん、気持ち悪いよね?」


「気持ち悪くはないけど、びっくりしてる」


 ネット上にあふれる作品群の中から見つけ出すなんて、いったいどれだけたくさん読んだんだろう……


 純子はほっとしたように表情を緩めた。


「わたし、いつか才子ちゃんのお話がまた読めたらいいなと思ってたから、すごくうれしかった。書店に本が並ぶのを待たなくてもいいんだなぁって」


 フッと思わず笑いがもれる。私よりも純子のほうがそんなこと夢見てるなんて。


「そこまで思ってくれてたなんて知らなかった。早く言ってくれればよかったのに」


「そうしたかったけど、すっごく嫌われてると思ってたから……」


 やはり、あの時のことを忘れたわけではないのだ。そりゃそうか。


 さっきまでなかったことにしていた過去の因縁が再びよみがえる。


 私たちは急に子供に戻ってしまったかのように押し黙った。


 ……大丈夫、あの時とは違う。私だって、少しは大人になった。


「純ちゃんが、『クマ姫』の続きを書いて持ってきたとき」


 うつむいていた純子が、ゆっくりと顔を上げる。


「私、悔しかったの。飽きたから別の話を書きたかったのは本当だけど、続きをどうしたらいいかわかんなくて。考えるのが面倒になってやめたの。それなのに、あんなふうに面白い続きを書いて持ってこられて」


 そうだ、もう全部言ってしまえ。


「ふつうの子だと思ってた純ちゃんが、私よりも才能があるって知って耐えられなかった。だから避けてたの。ずっと後悔してた。ごめんなさい、素直に言えなくて」


 私があんな態度を取らなければ、純子はもっと才能を伸ばしていたかもしれないのに。


「あっ、うう、どうしよう」


 ぽたりと純子の目からしずくがこぼれた。


 傷ついていたんだ。笑顔の裏で。

 なんでもないように振る舞っていたのに。


 あいにくハンカチは持ち合わせていなかったので、テーブルの上の紙ナプキンを取って渡す。


「あ、ありがとう」


 純子はバッグに伸ばしかけた手を紙ナプキンに伸ばした。ハンカチ、持ってるんだなきっと。


 涙をぬぐって落ち着いてから純子は話し出した。


「わたし、才子ちゃんのファンやっててよかった。こんな日が来るなんて」


「大げさだよ。昔のこと謝っただけなのに」


 泣いたり笑ったり、忙しい子だ。


「そんなことないよ。本当は今日、会うのすごく怖かったの。前よりもっと嫌われるかもしれないって。よかったぁ……」


「私も。恨まれてるかもしれないと思ってた。だから、私への当てつけに『クマ姫』の続きを書いたのかもしれないって。どうしてあんなことしたわけ? 純ちゃんならオリジナルの面白い話、いくらでも作れるんじゃないの?」


「それは……」と気まずそうに唇をゆがめる。


「最近、全然活動が見られなかったから寂しくて。無茶だと思ったけど一か八か、才子ちゃんを怒らせてでも、活動を再開してくれるきっかけになればいいなあと思ったの。あわよくば、続きを書いてほしいなあって」


 やっぱりそうだったのか。


「けっこう面白かったよ。ランキングで見つけたぐらいだし。自分で書いたらいいのに」


「ううん。わたしはやらない。才子ちゃんがなんの反応もしなければ、あのまま終わるつもりだった」


 どうしてそう頑ななんだろう?


「私の書いたものが読みたいって言ってくれるのは有難いよ。でももしかして完全に自分のオリジナルじゃないことを気にしてるんじゃない? だったらメールでも言ったけど……」


「そうじゃないの」と純子はさえぎった。


「わたしがあそこまで書けたのは、才子ちゃんのお話の続きが読みたいと思ったから。正直に言うね。小説を書くことに対して、ものすごい時間と労力を費やすだけの情熱は持てないの。それよりは映画観たり、おいしいもの食べに行ったりしたい。友だちと遊びたい。書くよりも読みたい。こんなこと、作家を目指してる人に言うのは失礼かもしれないけど……」


 どうにも理解できなかった。私よりもいいものが書けるのに書きたくないなんて。才能を無駄にしているじゃないか。それに、ほかにやりたいことがあるならなんだってわざわざ『クマ姫』を掘り返したりしたんだ。


「ごめん。まだ納得できない」


「才子ちゃんはね、わたしの憧れだったの」


 純子は微笑した。


「美人で、勉強ができて、スポーツも得意で。クールなのかと思ったら意外と人を楽しませるのが好きな面白い子で。たぶん自覚してなかったと思うけど、クラスのみんなが一目置く存在だったんだよ」


「まさか。そんな話聞いたことないんだけど」


「だと思った。でもそういう飾らないところが好きだった。わたしなんか地味でなんの取り柄もないから、教室のすみっこで才子ちゃんのこと見てまぶしいなあって思うだけだったの。だから席が近くになったときうれしくって。わたしの落書き帳にセリフをつけてくれたこと、覚えてる?」


「うん。あったね」


「一生の宝物にしようと思ったの。今でも実家のほうにちゃんと残してあるんだよ」


「あんなものが……」


「そのぐらい、才子ちゃんはわたしにとってスターだったんだよ」


 また大げさなと思ったが、そういえば時々、何かに心酔したような顔を見せることがあったなと気がつく。ちょっとおかしいんじゃないかと思ってたけど、まさかそんなふうに思われていたとは。


「推しのためなら、ファンはなんだってできるんだよ」


 純子は冗談めかして言いながら、バッグの中を探る。取り出したのはUSBだった。


「はい」


「何これ?」


「『クマ姫』の全データ。今日はこれを渡すために来たの。sumikkoのアカウントのメアドとパスワードも入ってる」


「受け取れないよ!」


「だめ。もらってくれるまで帰らない。才子ちゃんの好きにしていいから。もちろん続きを書いてもいいし、破棄してもかまわない。ね、お願いだから」


 ……そんな必死な顔で頼まれたら、断れないじゃないか。


「わかった。もらっておく。でもあまり期待はしないでね。プレッシャーだから」


 純子は鼻をすすって「ありがとう」と言った。


 そのあと、純子が頼んだアップルパイをふたりで食べて店を出た。純子は車で来たそうで送っていくと言い張ったが、自転車を置き去りにすることになるので丁重に断った。


「それじゃあ、名残り惜しいけど」と車の窓を全開にしたまま悲しげに目を伏せる純子。気の毒だがおかしくて笑ってしまった。


「そんな顔しなくても、連絡先だって交換したしさ。また会おうよ」


「うん……そうだね。才子ちゃんの小説、楽しみにしてるよ」


「ありがとう。近いうちに必ず書くから」


「うん! またね才子ちゃん」


「はいはい。気をつけて」


 才子の運転する車はゆっくりと前進し、車通りの多い道にすんなりと入っていった。右折したあと、一瞬ちらりとこちらを見た。


「またね」


 私は軽く手を振った。ポケットに突っこんだ反対の手は、純子の小さな贈り物を握りしめている。

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