クマ子は修行中!
文月みつか
第1話 夢追い人
大学まで出させてもらったのにフリーターだなんて、親には悪いと思っている。
就職活動しないと告げたとき、父は夢に向かって頑張りなさいと背中を押した。母は半ばあきれながらも反対はしなかった。
今、私はその二人を裏切っている。
平日の昼間からTシャツにジーンズというラフな格好で公園のベンチに座っている三十過ぎの女は、世間から見れば立派なニートだ。ニートに立派も何もあったものではないが、そんなことはどうでもいい。ああ、ここではないどこかへ行きたい。できれば2泊3日の温泉旅行とか、南の島のリゾートホテルとか。とにかく、この現実を忘れさせてくれるような場所だ。
だらしなくベンチに体をあずけ、ため息を吐く。やはり私には、物書きの才能はないのだろうか。
父の稼ぎがよいことに甘えて、雀の涙に等しい家賃で実家に居候している。先月30歳の誕生日を迎え、母の小言が増えた。働く気がないなら嫁に行けと。できるものならそうしているが、肝心のもらい手がいないのだからしょうがない。
子どものころは、夢を持つことはすばらしいことだったのに。今じゃ哀れな夢追い人だ。あきらめのつかないダメな大人。どうしてこんなことになってしまったのかと空を見上げる。
すると、あのときの純子の熱を帯びた視線が浮かんでくる。
「
私に最大の賛辞を送り、高揚させたあの女の子。
今思い返すと、それは最大の皮肉のように聞こえる。
物心ついたときからお話を作るのが好きだった。絵本、アニメ、漫画、小説、映画……楽しいお話に触れるたびに心が躍り、いつか自分もこんな物語をつくりたいと思った。
ノートに思い浮かぶままに文章をつづり、友だちに見せることもあった。たいていは「へえ、すごい」とか「面白いね」とか、友だちとしての当たり障りない義務的な感想で終わる。それで十分、嬉しかった。また書こうと思った。だが中には、熱心な読者もいた。
長塚
純子はあまり目立つほうではなかった。ちやほやされるほどかわいくもなく、意地悪されるほどブスでもない。勉強はそこそこで、スポーツはどちらかと言えば苦手。要するに、よくいる平凡な子だった。
小学6年生のときに席替えをして、席が近くなったことで仲良くなった。純子は絵を描くのが好きで、休み時間によく自由帳を開いていた。ネコ、犬、キリン、棒人間、卵に足が生えたもの、どこかで見た覚えのあるキャラクター。私は思いつきでそこに吹き出しをつくり、セリフを書いた。純子はそれがいたく気に入ったらしく、私は頼まれるまま、次々とページを埋めていった。なんの関連性もなかった一つ一つの絵が、一本のストーリーになった。
「すごい、すごいよ才子ちゃん! ただの落書きがマンガになっちゃった!」
純子は屈託なく笑った。
「こんなの大したことないって。誰でも思いつくよ」
「そんなことないよ! わたしすごく気に入っちゃった。ねえ、今度別のノート持ってくるからそっちにも書いてくれない?」
「じゃあうちに来る?」
「えっ、いいの?」
「私も自分で書いたお話のノートとかあるし、見せ合いっこしよう」
「わあ、いいね、楽しそう!」
初めて家に来たとき、純子は目をキラキラさせて実に楽しげだった。本棚に並んでいる小説や漫画についてあれこれ質問するので、いちいちそれに答え、読みたいというので貸し出すことにした。好きなものについて話すのは楽しかった。
それから、約束通りこれまで書いてきたお話の詰まったノートの中から出来のいいものを選び、純子の自由帳と交換した。
純子は短めの話をさっそくその場でいくつか読んだ。目の前で自分の書いた物語を読まれるのは照れくさいしけっこう緊張したが、読み終わると純子は「おもしろかったー!」と無邪気に笑った。
「才子ちゃんはすごいなあ……」
純子はどこか恍惚とした表情をしていて、この子はどうかしてるんじゃないかと少し不安になったが、悪い気はしなかった。私以外の誰にも読まれずに終わっていたかもしれない物語が、ここに来てようやく日の目を見たのだ。嬉しくないわけがなかった。
それからも純子との交流は続いた。
純子はどんどん物語を欲し、私はどんどんお話を書いた。楽しみにしてくれている読者がいるということはこんなに嬉しいものなのかと知った。純子がノートに描いたキャラクターを登場させることもあった。そうするとすごく喜ぶのだ。
はじめのうちは短い話が多かったけれど、だんだん続き物も書くようになった。必然的に登場人物が増え、設定は複雑になっていく。しかしプロットを立てることを重要な作業として認識していなかったその頃の私は、頭の中にぼんやりとあるイメージとノリと勢いで、その場しのぎの物語を展開をすることが多かった。だから時々にっちもさっちもいかなくなって、打ち切り同然で無理やり完結させることもあった。もっとひどいと気が向かなくて放置してそのままということもあった。
純子はそんな私をはっきりと非難することはなかったが、「これで終わっちゃうんだ。もっと読みたかったなあ」と悲しげな笑顔でノートを返してきた。ちょっと心が痛んだが、あまり気にしていなかった。私の心はもう次の新しい、ずっとすばらしくなるであろう物語へと移っていたからだ。まったく、無責任な作家もいたものだ。
私が書いたお話の中でも、純子が特に気に入っていたものがある。
『クマのお姫様』というシリーズもので、純子が描いたクマとお姫様のイラストから着想を得たものだ。
あるところに、わがままでお転婆な王女がいた。王女は4人兄弟の末っ子で、唯一の女の子ということもあり、大変甘やかされて育った。その日も王女はお目付け役の目をかいくぐり、街にやってきたサーカスを見に行くために城を抜け出した。
しかしその途中、みすぼらしい老人に呼び止められる。王様の命令で遠くから呼び出されたが、目が不自由なので城まで案内してほしいという。
せっかく抜け出てきたお城に戻るなんてばかばかしい。第一、こんな汚らしい人をお父様が呼び寄せるかしら?
王女は頼みを断って、そそくさと目的地へ向かおうとする。
すると「お待ちなさい」と老人が呼び止めた。
「困っている人を見かけたら親切にするようにと教わらなかったのかね?」
「あなたみたいな汚らしい人にかかわるのはごめんだわ。それに早くしないと開演に遅れちゃう! サーカスが来ているのよ。クマが玉乗りするところ、この目で見なくちゃ!」
「そうか、そんなに見たいのなら、わしが魔法でクマを見せてあげよう」
「えっ、おじいさん魔法が使えるの!?」
「そうとも。さあ少しこちらに寄りなさい」
好奇心にかられた王女が近寄ると、老人は杖をドンッと地面に打ちつけ、王女に呪いをかけた。こうして王女は、日が暮れるとクマに変身してしまう困った身の上になる。
王は日没後にクマになって戻ってきた王女を見て真っ青になり、「こんな猛獣が王家のものと思われては困る。出て行ってくれ!」と王女を城から追い出した。
そんなわけで王女は、呪いを解くために世界中を旅して巡ることになる。旅の途中で様々な困難に直面するものの、機転を利かせて乗り越えたり、親切な人に助けられたり、奇跡が起きて解決したりしながら成長していくという、まあよくあるタイプのストーリーだ。出会った人といい雰囲気になりながらも、クマに変身するところを見られて逃げられるのがお決まりのパターンで、純子はオチがわかっていても何度も読み返すほどのハマりっぷりだった。
そんな中でも、話数を重ねるにつれて主人公の事情を知りつつも一緒に呪いを解く方法を探してくれる仲間が1人、2人、3人と増えていく。全員、王女に気があるのだ。移り気な王女は誰か一人に思いを定めることができずに悩んだ末、「そうだ、この呪いを解くのにいちばん力になってくれた人と一緒になろう」と決心する。
王女の心のうちを悟った3人はやがて仲違いするようになり、ついには決別。ドロドロの血みどろな展開となる。
このあたりで当初の気軽で楽しい感じがなくなり、まるで惰性で続く昼ドラのような内容に嫌気がさした私は、続きを書くのをやめた。
「ねえ、『クマのお姫様』はまだ?」
「そろそろ読みたいなあ」
「どうなるのか、楽しみだなあ」
「才子ちゃん、ねえったら」
「うるさいなあ、もう!」
あまりのしつこさにうっとうしくなり、私は声を荒げた。
「『クマ姫』は終わり。続きはもう書かない」
「そんな! だってまだ途中だよ。お姫様はクマのままだし、誰と結ばれるのかも決まっていないし……」
「ごめん、もう飽きたの。それより今、新しいお話を考えていて……」
「もったいないよ、すごく面白いのに」
「そう言ってくれるのはうれしいけどさ」
純子はしばらくブツブツ言っていたが、やがて私の次のお話に興味を示したので、なんとかやりすごせたようだと思ってほっとしたのだった。
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