第2話 エタらない

 でもそれは間違いだった。純子は少しも納得なんかしていなかったのだ。


 昼休み、いつものように純子が話しかけてきた。


「才子ちゃん、あのね……わたしもお話書いてみたの。読んでくれる?」


「え、純ちゃんが? もちろんだよ。読ませて!」


 照れくさそうにノートを差し出す純子。開くと、彼女のやや筆圧の強いくっきりした文字が並んでいた。なんだかかわいらしい字だなと思って微笑ましく思ったのもつかの間、私の心臓はドクドクと音を立てはじめた。


 それは私が放棄したクマ姫シリーズの続きだった。



 3人の仲間たちは、争いながらも王女に呪いをかけた老人を探しあて、それぞれ別のルートを使ってほぼ同時にとある森の奥地へとたどり着いた。老人は縄で木に縛りつけられ、王女を元に戻すよう脅される。しかし老人が言うには、あの呪いは強力なため完全に解くことはできず、代わりに別の人間に呪いを移すことならできるという。


「お前たちの中にその覚悟があるものがいれば、すぐにでも王女の呪いをはぎ取ってくれてやろう。もっとも、肝心の王女は来ていないようだが……」


 王女は仲間たちとはまた別のルートから老人を探していたが、まだ姿は見せていなかった。


 3人の男たちは予期せぬ事態に戸惑ったが、それぞれ考えを口にした。


 1人目は、老人自身に呪いをかけ直せばいいじゃないかと言った。だがそんなことをするぐらいなら舌を噛み切って死んでやると老人は言った。


「そうしたら今度こそ呪いは永遠になってしまうだろうな」と目を細めた。


 2人目は、山賊をとらえてきてそいつに呪いを負わせようと言った。


「クマに変身した山賊が襲ってきてもわしは責任とれないぞ」と老人は鼻で笑った。クマになった人間の力がとんでもないものだということは、旅の中で王女が十分に実証済みだった。


 3人目は、乞食に大金を払って呪いを受けてもらうのはどうかと言った。


「いい考えだが、その大金とやらはどこにあるんだ?」


 男たちは大した金は持っていなかった。ここに来るまでの情報集めや移動手段につぎ込んでしまったためである。


「お前さんたちは口ばっかりで、わが身を犠牲にしてでも王女を救おうという気はこれっぽっちもないんだな。これは王女の心を射止める絶好の機会だというのに」


 老人はやれやれと首を振って、木に縛りつけられたまま、なぜか後ろの岩陰のほうを見やる。


 男たちはその視線の意味には気づかず口々に弁明を始めた。


「姫を助けたいのは山々だが、クマになった俺を姫は愛せるだろうか? 怖がって牢にでも閉じこめられたら最後。一生棒に振ることになるかもしれない」


「俺は、俺は……もしもそのあと誰かが引き継いでくれるなら、一時的に呪いを受けてもいい。そうだ、姫の国の財産で、身代わりになってくれる人を募ろう。姫がそう約束してくれるなら」


「何もこの場で決断することはないと思うぜ。じいさん、あんたに呪いが解けないっていうなら、俺はこの後も旅を続けてもっと力のある魔術師を探し出し、姫の呪いを解いてもらうよ。まあ、どうしても見つからなかったら乞食を言いくるめてここに連れてくるさ。王女があんまり年を食ってしまう前にね」


「なるほど、それがお前たちの本心か。聞いていたか、王女よ!」


 3人の男は驚いて、岩陰から飛び出した王女を見た。


「ごめんなさい。あなたたちの気持ちが知りたくて、ここに隠れて聞いていたの。私、クマになったら足速いのよ。いちばん先に着いてたんだから」


 王女は悲しげにほほ笑む。

 愕然とする男たち。


「そんな、俺たちを試したのか」


「ええ、そこで縛り上げられているおじいさんに助言をもらってね。私、あなたたちのうち誰かは、無条件に身を投げうってくれるだろうと思ってた。その人こそ愛すべき人だと思ったの。でも考えが甘かった。私が心のどこかであななたちの争いを楽しんでいたのと同じように、あなたたちもその程度の気持ちでしかなかったのよ」


 王女はサッと涙を拭った。


「私はひとりで国へ帰るわ。誰かに呪いを押しつけて自分が解放されたって気分が晴れないもの」


 日が暮れかけ、王女の体がだんだんと大きく、毛深く変化してゆく。


 王女は老人を縛りつけていた縄を鋭い爪で断ち切った。


「さようなら。もう会うことはないでしょう」


 どすどすと駆けていくクマの王女を、誰も止めることはできなかった。



 国へ帰った王女を待ち受けていたのは、床に伏せった王だった。王女が旅をしているあいだに重い病に倒れ、回復は見込めないほど弱っていた。3人の兄たちは、王位継承争いの真っ只中。国政は荒れ、王妃も心労で疲れ果てている有様だった。


 ベッドの上の変わり果てた王の姿を見て、王女は泣き崩れた。


「ごめんなさいお父様。私、こんなことになっているなんて知らなくて……」


「いや、もとはと言えばわしがお前を追い出したのだから、謝ることはない。よくぞ戻ってきてくれた」


 王の声は震えていた。


「お前に話しておかなければならないことがある。実は、お前が出て行ったあの日、遠方から優秀な魔術師を招いていたんだ。お前の師として迎えようと思ってな。しかしその男はここへ来るなり、お前が最初の試験に落ちたという。わけを聞いて行方知れずのお前の帰りを待っていると、本当に怖ろしいクマの姿になっているじゃないか。わしは愕然とした」


 王は咳こみながら話を続けた。


「魔術師は、わしが甘やかしすぎたせいだと言うんだ。しばらく自分に預けてくれるのなら、いずれはお前の呪いを解いて、人として立派に育て上げようと」


「うそ、そんな話聞いてないわ……」


 王女の目に、老人が意地悪そうににやりと笑う姿が浮かんだ。


「言う通りにしなければお前は呪われたままだ。わしはしぶしぶお前をやつに預けることにした。ときどき手紙をよこすことを条件にな。お前はいろいろと経験しながらだんだんたくましくなっていくようで、気を揉んだがうれしくもあった」


 手紙はすべて大切に保管してるという。


「だからだいたいのことは知っているが、お前の口からも旅の話を聞かせてくれないか?……」


「もちろんよ。えっと、どこから話せばいいかしら?……じゃあまず、サーカスにクマを見に行ったことからにしましょう」


 王女は旅の初めから終わりまで、熱をこめて臨場感たっぷりに語った。王はそれを笑ったり、泣きそうになったりしながら聞き入っていた。


「ねえお父様、私お城を飛び出して、あちこち旅して、たくさんひどいめにあったけどたくさん楽しいこともあったわ。こんな経験ができたのはお父様のおかげ。恨んでなんかいないし、むしろ感謝しているわ」


「なんと、成長したものだ。昔のお前はわしに似て短気なところがあったものだが……ああ、少し疲れた。ちょっと休ませてもらおう。ところで、あの魔術師はどうしている?」


「さあ、わからないわ。でもどうして?」


「お前にかけられた呪いはわしが引き受けよう。どうせもう老い先短いからな」


「そんな、無茶よ。こんなに弱っているのに……」


「いいえ、可能です」


 突然声がして、王女は振り返る。いつからいたのか、窓のそばに例の老人が立っていた。足元には鳥の羽が数枚落ちている。


「おお、来たか。約束通りだ……」


「本当によろしいのですね?」


「ああ、息があるうちに頼む」


「承知しました」


「なんの話よ! あなた、いつからそこにいたの!? そうだわ、お父様の話では、逐一私の様子を報告していたそうじゃない。のぞき見なんて趣味が悪いわ」


「これはひどい言われようだ。ある時は商人になって必要な道具を売り、ある時はうわさ好きの婦人になって情報を提供し、またある時は気の利く少年となって道を案内してやったというのに」


「げっ、まさかあれは……」


 王女の行く先々、魔術師はあらゆるものに変身して手助けしていたのである。


「おかしいと思いませんでしたか? これまでの奇跡の数々」


「いえ、でも、いえ」


 しどろもどろになる王女。


「まあとにかく、すべては丸く収まったということです」


 老人はしっかりとした足取りで王女と王のそばに歩み寄った。


「待ちなさい、私はまだ何も納得していないのよ」


 老人はごほんとひとつ咳をすると、杖で床をコツンコツンと二度打ちつけた。


「……さあ、これでもう呪いは解かれました。めでたしめでたしじゃ」


 あまりのあっけなさに、王女はぽかんと口を開けた。これまでの長い道のりは、いったいなんだったのか。いや、それよりも……


「お父様、大丈夫!?」


「ああ、なんともない。むしろ、体が軽くなったような気さえする。これで本当に呪いがかかっているのか……?」


「問題ありません。成功です」


 魔術師は厳かにうなずいた。


「待ちなさい。こんなことしてお父様の体に障ったらどうするつもり? 早く、私に呪いを戻すのよ!」


 王女は子どものようにわめき散らしたが、王も魔術師もまるで応じない。


「さて、今度こそ休ませてもうらおうか」


「だめよ、もうあと一刻もしないうちに日が暮れるわ!」


「魔術師殿、このじゃじゃ馬を連れ出して妃を呼んでくれ」


「ええ、いいですよ」


「無礼者! 離しなさい!」


 王女は暴れまわったが、魔術師の手は老人のものとは思えないほどの力強く、結局引きずられるようにして部屋を出された。


 その日、王は一度もクマに変身することなく、穏やかに息を引き取った。こうして王女は呪いから解放された。


 王女は嘆き悲しみ、部屋に閉じこもっていつまでも泣いていた。誰がなぐさめようとも自分を責め続けた。


「お父様、せっかくまた会えたのに……」


 すると窓から一羽の青い鳥が飛んで入ってきて、瞬く間に老人に姿を変えた。


「いつまで泣いているのですか。せっかく呪いが解けたというのに」


「か、勝手に入って来ないでよ! 呪いが解けても、大事なものを失ってしまったわ。私は最低な娘よ、病気の父親に呪いを押しつけるなんて。あんなことしなければ、もっと長く生きられたかもしれないのに」


 老人はしばし思案顔で沈黙したのち、驚くべきことを告げた。


「えっ、お父様は呪われていない!?」


「はい。あのとき私がかけたのは単に痛みを和らげるまじないです」


「まさか。だって、私はあれからクマに変身していないわよ?」


「呪いを解いたのは王様です。無償の愛、これこそが呪いを解く唯一の方法でした。王様は心からあなたを愛し、あなたもそれを受け取ったのです」


「強力すぎて解けないとか言っていたじゃない! 私の仲間たちだってそれを信じて……」


「残念でしたな。あの場で無償の愛が得られれば、姫様の呪いを解くことができたというのに。まあ、しょせんは恋に浮かれる若造に過ぎなかったということでしょう」


 唖然とする王女。しかしあんまりな言い方だったので、ここは仲間をかばうことを言ってやらねばと思った。


「冷たい人! おじいさん、あなた年を取りすぎて若い人の恋路に嫉妬していたんじゃないの?」


「彼らの心を試そうとしたのは姫様も同じなのだから、責めるのはやめてください。いやでもたしかに、嫉妬がなかったとも言い切れないな」


「ほらごらんなさい!」


「もうこの姿でいる必要もないか。よし」


 老人はフッと笑うと、杖を振って短い呪文を唱えた。すると老人の姿がみるみる若返り、美しい青年になった。


「実は私はおじいさんではありません」


 王女は目を白黒させた。突然現れた美青年に驚き気恥ずかしくなったからだけではない。その姿には見覚えがあった。


「あなた、旅の途中で会ったわ!」


「覚えていてくださったとは光栄です」


 忘れるはずがなかった。国を出て間もないとき、お腹を空かせて行き倒れそうになっていた王女に食料と宿を提供してくれた命の恩人だ。


「でもあなた、私がクマになるとびっくりして逃げていったわ」


「そうしないと不自然でしょう。それに、ずっとおそばについていては姫様の成長の機会を奪ってしまいますから」


 そういうわりには、あちこちで助けてもらっていたようだが。

 どうやらこの魔術師は厳しいようでいてその実過保護らしいと王女は思った。


「私はその後もあらゆるものに姿を変えて姫様を見守ってきました。初めはとんでもないお人だと思ったが、いろんなことを経験するうちにあなたはたくましくも美しく成長なされた。私も鼻が高いです」


 鼻筋の通った青年は笑みを浮かべた。


「これでようやく王様との約束が果たせました。姫様、どうかお元気で」


「えっ、もう行ってしまうの?」


「はい。今日は最後の挨拶にまいったのです」


 王女は急に心細くなった。


「そんなに急がなくても……」


「王様は息子たちの権力争いに心を痛めておられました。そしてあなたが彼らのあいだを取り持ち、協力して国を治めることを期待していました。今のあなたなら、きっとうまくやるでしょう」


 青年は優雅に一礼し、バルコニーへ出た。王女が追いかけようとすると、一瞬にして翼の大きな青い鳥に姿を変え、そのまま飛び去ってしまった。その鳥は、旅のあいだに王女が何度も目にした鳥だった。


「ちょっと、待ちなさい!!」


 王女は成すすべもなく、彼方へ飛んでいく鳥を見送るしかなかった。

(つづく)

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