第3話 クマの姫、再び

 と、ここで話は途切れていた。


 私はノートを閉じた。しばらく何も言えなかった。


「どう、かな……?」


 純子がおずおずと聞いてくる。


「どうって、これは……」


 この感情をなんと表せばいいのかわからなかった。


 どうしても続きを読みたいとせがむ純子を無視した私がいけなかった。まさか自分で続きを作ってしまうなんて。それも、よくできている。あとで使えるかもしれないからと私がそれっぽく散りばめて結局無意味になっていた伏線を、純子は見事に回収した。私が生み出した登場人物の特徴や心情をとらえ、いや私以上に理解して、生き生きと描いた。仲間だった3人がどこか煮え切らないのは少し引っかかるが、たしかにおままごとみたいな恋愛模様しか描いてこなかったのは私だ。


 自分では思いつくことのできなかった展開。しかしこれこそ正解だと思わせる筆力。何より、次はどうなるのかと気になって夢中でページをめくってしまっていた。


 そうか、私は悔しいのだ。悔しくて嫉妬している。これまでありふれた子だと思っていた純子が、私の特権だと思っていた物語を書くという土俵で、私よりも優れた才能を発揮したことを妬み、恐れおののいている。


「才子ちゃん? 面白くなかったかな、やっぱり……」


 黙っている私を見て、純子は不安げにもじもじした。


「そんなことない。よくできてると思うよ」


「え、本当?」


 純子はパッと花が咲くように顔を輝かせた。


「よかった、才子ちゃんにそう言ってもらえて。初めて書いたから、自信なかったんだ」


 初めて? これが初めて書いたものだっていうの?


「へえ……そうとは思えないくらいだよ。すごいじゃん」


「才子ちゃんの真似しただけだよ。これまでたくさん面白いお話読ませてくれてありがとう! それにほら、本とか漫画とかいろいろ貸してくれたから」


 私と同じものを読んで、私以上の才能を開花させたってわけね。


 でれでれと話す純子に、私のいら立ちはピークに達した。


「それでさ、もしよかったら続きを……」


「書けばいいじゃない。もう考えているんでしょ?」


「えっと、そうじゃなくて……続きは才子ちゃんに書いてほしいなって……わたしはやっぱり、自分で書くよりも才子ちゃんのお話を読むほうが好きなんだ。やってみてわかったの」


 なんなのだろうこの子は。私のことをばかにしているのだろうか?


 ……いや、純子はそんなことはしない。おそらく天然でやっているのだ。だからこそ腹が立つのだけれど。


「ねえ、どうかな? 魔術師と王女のその後の展開なんかを、見てみたいんだけど……才子ちゃんが嫌だっていうなら、気に入らない部分は消しちゃっていいし、全部なしにして続きからでもいいんだ」


 期待と不安と、気遣いの入りまじった表情。


 純子が私の作品の大ファンなのはわかった。それがどんなに奇跡的なことなのかも。でも、すべてを受け入れてにこやかにその要望に応えられるほど、私の器は大きくなかった。


「悪いけど、そんな気になれない。純子のお話はよくできてるけど、勝手にこんなことされたら気分悪いよ。そういうこと、考えなかった?」


 自分でもびっくりするほど冷たい声が出た。


「えっ、でもわたしは……」


 純子はうつむき、視線をさ迷わせる。


「……わたしはうれしかったよ。才子ちゃんがわたしの絵にセリフをつけてくれたとき」


 ドキッとした。言われてみればたしかにそうだ。私は純子の描いたイラストに勝手にセリフをつけ足した。純子が嫌がるかもしれないなんて、考えもしなかった。


「あ、そう」


 何だこれ。純子のこと、取るに足らない平凡な子だってちょっとばかにしていたくせに。取るに足らないバカは、私のほうだった。


「とにかく、私は嫌なの。だから続きは書かないし、もうこんなこと二度としないでよね」


 そんな幼稚な捨て台詞を吐くのが精いっぱいだった。


 純子は今にも泣きだしそうなほどしゅんとなっていたが、「そっか、ごめんね」と言って私の手からノートを取り、教室から出て行った。5時間目の始業のチャイムが教室に鳴り響く。


 真面目な純子が、その日初めて授業をサボって帰った。




 さすがにひどいことをしたと思い、どうやって謝ったらいいかとすごく悩んだが、翌日、純子は何事もなかったようにけろっとした顔で登校してきた。


「おはよう、才子ちゃん」


「お、おはよう……その、昨日は大丈夫だった?」


「ああ、早退したこと? ごめんね、びっくりさせちゃって。先生もお母さんも、お腹が痛いふりしたらすぐに信じこんじゃって大変だったよ。ちょっとずる休みしようと思っただけなのに」


「ごめん、純ちゃん……」


「やだなあ、謝らないでよ。わたしが勝手にやったことなんだからさあ。それより才子ちゃん、この前書いてたネズミが世界征服する話、面白かったなあ。もう一度読みたいんだけど、ノート貸してくれない?」


「う、うん。いいよ」


「じゃあ、今日の放課後才子ちゃんちに行くね。あ、この前借りてた本も返すよ。止まらなくて一気に読んじゃったんだ!」


「そっか、それはよかった……」


 私は純子が怖かった。あんなに落ちこんでいたはずなのに、いつも通りに戻っている純子が。これなら、泣くか怒るかしてくれたほうがまだよかった。なんだか、あんなことで感情的になった自分がひどく小さな人間に思えた。


 どうして? なんでそんなふうに笑えるの? あなたのほうが傷ついていたはずじゃない。それに私よりずっと才能があるのに、どうして私の作品を読みたいなんて言うの?


 心の声は一言も発せられないまま、胸の奥底に落ちていった。



 その後も純子は私に対して、うっとうしいぐらいに親しげだった。話の続きを催促することは減り、勝手に続きを書いて持ってくることは二度となかったが、まるで唯一無二の親友のように親密に接してくる純子がそら恐ろしく、次第に私のほうから避けるようになった。新しいお話ができても純子に見せることはなく、放課後遊びに行きたいと言われても都合をつけて断り、休み時間はほかの子たちと外で遊んだ。さすがの純子もこれには愛想が尽きたらしく、徐々に私から離れていった。それでも、時々視線を感じることはあったが。


 卒業後は別々の中学校へ進学した。私は近くの公立校へ。純子は遠くの私立校へ。もうあの何かを訴えるような視線から解放されるのだと思うと、正直ほっとした。以来、一度も会っていない。どこへ進学したのか、どんな仕事をしているのか、今でも小説は読むのか、何ひとつ知ることなく月日は過ぎた。


 私は大学を卒業し、塾でバイトをしながら小説を書いた。いくつかの投稿サイトを併用したまには賞などにも応募してみたが、大した成果は得られなかった。気ままに書いた作品の閲覧数やレビューの評価は思うようには伸びない。だんだんとやる気を失い、投稿の頻度は減っていき、ついには人の作品に浸っているばかりの受け身な日々を送っている。いいものに触れるたび、息苦しさを感じた。


 私は何をやっているのだろう。苦しいぐらいなら、また自分の小説を書けばいいのに。


 昔は楽しいから書いていたはずなのに。今は書かないから苦しくて、書けば書いたで悩みが出てきて苦しくなる。自分で選んだ道なのに、理想とは程遠い生活を送っている。まったく、魔術師の呪いでもかかっているのか。


 そんなときだった。気まぐれに小説投稿サイトでランキングなどを見ていると、ある作品が目に入った。総合の週間ランキング第13位『クマになった姫は魔法使いの弟子になる』。キャッチコピーは「逃げないで! わたし本当はクマじゃなくてお姫様なんだってば!」


 ものすごく聞き覚えのある話だ。世の中には似たようなことを考える人がいるものだなあと思ったが、作者を見て思わずあっと声が出た。「sumikko」とある。私が投稿した作品によくレビューやコメントを書いてくれる人で、貴重なフォロワーだった。たしか読み専で、作品は投稿していなかったはずだが。


 胸騒ぎがして、私はその作品をクリックした。



 あらすじはこうだ。


 和平のため、隣国の王子と婚約させられることになった王女。はじめは仕方のないこととあきらめていたが、王子に実際会ってみて危険な人物だと本能で感じる。クマになってこの婚礼をぶち壊してしまいたい……そう思ったとたん、王女の体はみるみる毛深く巨大なクマへと変化し、祝いの場は大混乱! さらには昔気になっていた人も現れて……ちょっぴりお転婆な姫とクールな魔術師が繰り広げる、愉快な異世界ファンタジーラブコメ、開幕!


 話数は全部で8話。すべてここ1週間のうちに公開されたようだ。


 ふうっと深呼吸してから、第1話を開く。


 物語は王女の国に新しい国王が誕生するところから始まる。ヒロインの王女には3人の兄がいるが、その中から長男が即位することになり、次男と三男はしぶしぶそれを認めている。戴冠式のあとの宴のさなか、王女は客人の中に懐かしい顔を見つける。以前、王女に試験と称してクマになる呪いをかけた魔術師だ。その呪いのせいで王女は城から追い出されることになり、大変な目に遭った。しかし王女はこの魔術師が憎めない。


 王女は骨付きチキンへ伸びてきた、筋張った細い腕をつかんだ。


「まあ、ようこそいらっしゃいましたわ、偉大なる魔術師殿」


 老人はムッとしたが、つかんだチキンを離さずにこりとほほ笑む。


「久しぶりですね姫様。この度はお招きいただきありがとうございます。先ほどの新国王は実にご立派なご様子で……」


「そんなにお腹が空いているの?」


「そういうわけではございませんが、一度つかんだものを離すのはどうにも惜しいものです」


 にらみ合う王女と老人。


「あなた、どうしてまたおじいさんの姿になっているわけ?」


「こっちのほうが何かと都合がいいのです。目立たないうえ、若さを理由に軽んじられることもない」


 たしかにあなたの美貌は目立つわね、と王女は心の中でつぶやく。


「そろそろ手を離していただけますか?」


「だめよ。あなた油断するとすぐいなくなるんだもの。私が引きとめるのも聞かずに」


 やれやれ、と魔術師はチキンを皿に戻した。


「誰が王位を継ぐかもめていたそうですが、丸く収まったようですね」


「大変だったわよ。みんな自分が一番ふさわしいと思っているんだから。でも最終的には第一王位継承者であるお兄様に決まったわ」


「あなたの計らいですね。いったいどうやって納得させたのです?」


「お父様の遺言の力が大きかったのよ。私はただ、ここぞという場面でクマの呪いが再発しそうになったように見せかけただけ。お兄様たち、よっぽどクマが怖いみたい」


「なるほど。よほど演技がお上手だったのですね」


「やってみせましょうか?」


「祝いの席ですから、やめておきましょう」


「残念だわ……そうだ、頼みたいことがあるの。私に魔術の稽古をつけてほしいのよ」


「それはまた、なぜです?」


「覚えていて損はないでしょ? もしもの時に役に立つかもしれないし」


 本当は魔術師とまた会う口実がほしかったのだが、そんなこと言えるはずもない。


「姫様、魔術というのは個人の素質が大きくかかわってくるのです。修練すれば誰でも身に着くというものではありません。どうせ学ぶなら、算術や外国語など実用的かつ伸びしろのあるものになさいませ」


「なっ、あなたどうして私がその2つを苦手なことを知っているの? さては、またのぞき見していたのね!?」


「下手に珍しいスキルを身に着けても、異性に敬遠されるだけですよ」


 魔術師は王女の手の力が緩んだすきにするりと腕を抜き、「ではさようなら」と言って忽然と姿を消した。


「しまった、まただわ……」


 王女は悔しくなって地団駄を踏む。


 気がつくと皿の上のチキンが一つ減っていた。

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