猫憑き令嬢の華麗なる復讐劇~無事、婚約破棄を言い渡されたので仇を取らせてもらいます~

有木珠乃

婚約破棄も仇のうち

「ルフィナ・マクギニス。婚約を破棄させてほしい」


 婚約者。いいえ、破棄するのだから、元婚約者。でも、手続きが済んでいないから、のイザイア・フォルミッリ侯爵令息が、舞踏会の会場に響き渡るほどの声で宣言した。


 しかも、この舞踏会は妹のデビュタントの舞台。のイザイアも知っているはずなのに。妹の顔にも泥を塗るなんて。

 いくら侯爵家の人間でも、マクギニス伯爵家を敵に回したことを後悔させてあげないとね。


「まぁ、破棄するのは構いませんわ」


 こんな失礼な、と結婚したくないもの。


「けれど、一応理由を尋ねてもよろしいですか?」

「他に愛する人ができたからだ」

「そうでしたか。で、その相手はどちらに?」


 良かった。を引き取ってくれる相手がいるのね。なら、一応顔を見て、感謝を伝えなくては、と思って尋ねた。


 の周りには、そのような令嬢の姿が見えなかったからだ。もしかしたら、平民かしら。それなら、舞踏会に出席することはできないものね。


「え? さっきまでここにいたはずだが……」

「見当たりませんわね。どちらに行かれたのでしょうか」

「恥ずかしくなって、逃げてしまったのではないですか? こんな公衆の面前で婚約破棄を言い渡すなんて、信じられませんもの」


 後ろから妹のクラリッサがクスクス笑いながら現れた。デビュタントということもあって、今日のクラリッサはとても気合が入っている。


 水色の髪に映える、ピンクのバラの髪飾り。肩から胸元にかけて、同じバラが散りばめられていて、華やかな顔立ちのクラリッサを際立たせていた。

 そのため、アクセサリーは些細な物を。派手過ぎないように、ドレスに施されている刺繡も簡素なものだった。


 それでも美しい、今日の主役。クラリッサ・マクギニス伯爵令嬢。私の自慢の妹である。


 猫が甘えるように、私の腕にすり寄って来た。


 あぁ、なんて可愛いの。頭を撫でてあげたいくらい。でも、今はの相手をしないといけないから、我慢しなくちゃ。


「なっ、お前たちが怖くて、逃げてしまったんだ。そうに違いない!」

「まぁ、私たちのせいにするなんて、失礼極まりないわ!」


 クラリッサがを睨みつけた。


「失礼なのはお前たちだろう。婚約してやったというのに」

「えぇ、それに関しては、とても感謝しています」


 にこやかに答えてあげると、は勝ち誇ったような顔でふんぞり返った。


 そう、この婚約はマクギニス伯爵家が、フォルミッリ侯爵家に打診したもの。それゆえ、の言い分は正しかった。


「お姉様! もうよろしいでしょう。さっさと言って帰りましょうよ」

「そうね。私も早くこんな茶番、終わらせたいわ」

「な、何を言っているんだ」


 のイザイアが、一歩後退った。


 婚約破棄を言い渡されているのに、全く悲観も動揺もしない私たちを、ようやく不審に感じたらしい。けれどもう遅い。


「イザイア様のお相手、いえ浮気相手ですね。名はエスタ・デルリオという男爵令嬢――……」

「なぜ、エスタの名前を知っている!?」

「最後までお姉様の言葉を聞きなさい! このむぐぐぐ」


 恐らく『このバカ!』と言おうとしたクラリッサの口を塞いだ。こんな公衆の面前で、クラリッサまで醜態を晒させるわけにはいかなかったからだ。


 不満そうな顔を向けるクラリッサに、私は笑顔を向けて落ち着かせた。


「妹が失礼いたしました。エスタ嬢の名を知っているのは、私がイザイア様の婚約者だからです。親切に教えて下さる方が、山ほどいらっしゃるんですよ。皆さん、そういうお話が好きですから」

「うっ」

「その方たちの話によると、彼女に会ったことがある者はいるんですが、デルリオ男爵家を知っている者がいないらしいんです。イザイア様はご存知でしたか?」

「何っ!」

「つまり、デルリオ男爵家なんて、ないって言っているのよ!」


 私の手をどかして、クラリッサが止めとばかりに言い放った。


 折角オブラートに包んで説明して差し上げようとしたのに。せっかちさんねぇ。まぁ、そこも可愛いのだけれど。


「じゃ、エスタは貴族ではないのか」

「正確には、人でもありません」

「何だと!」


 が驚く度に発する言葉が、すべて同じように聞こえるのは気のせいかしら。きっと語彙力がないのね。


 ため息を吐いていると、私の代わりにクラリッサが口を開いた。


「あんた、三ヵ月前に、猫を蹴って死なせたでしょう」

「猫? そんなもの、いちいち覚えているわけがないだろう!」

「そんなものですって!」


 気持ちは分かるけど、ここは落ち着いて、とばかりに私はクラリッサの肩をさすった。


「イザイア様。私たちが婚約したのはいつだったか覚えていますか?」

「……さ、三ヵ月前」

「良かった。一応覚えていらしたんですね。そして、我がマクギニス伯爵家がどんな家かも思い出しましたか?」

猫憑ねこつき……」


 そうマクギニス伯爵家は猫憑き。しかも女性にしか憑かないため、生まれてくる子供は女のみ。爵位も女性が継ぐ、珍しい家門だった。


「だ、だが、猫を一匹死なせたくらいで仰々しい。それくらい、他にもいっぱいいるだろう」

「イザイア様の罪状は、それだけではありません。宝物庫にネズミを放って、監視も兼ねている猫たちを追い出した後、金品を盗ったこと。街のごろつきを雇って、ある貴族の家を襲わせましたよね。それから――……」


 私は次々に罪状を述べていく。すべて、猫の目を通して知り得た情報を元に、裏付け調査をしたものだ。勿論、証拠だってある。


 これが猫憑きの力。時に猫の目や体を借りて、事件や企みを暴く。国のために働くマクギニス伯爵家の家業を支える、立派な力であり、誇りだった。


 一連のやり取りを見ている野次馬の中から「恐ろしい」「私たちのことも、こっそり見ているのかしら」と言う声が聞こえてきた。


 あぁ、だから伯爵邸に呼び出して、罪状を述べた後に、婚約破棄の手続きをしようと思ったのに。

 先走りやがって……んん! 嫌だわ、そんなに早く婚約破棄をしたかったのかしら。ふふふっ。


「ル、ルフィナ。これは出来心だったんだ。お前に贈るプレゼントが買えなくて、焦っていたんだ」

「お姉様に、盗んだお金で買った物をあげるなんて失礼よ。つくなら、もっとマシな嘘をつきなさい!」

「まぁ、ともかく証拠はありますので、言い訳はそちらでお願いしますね」


 そう言って、は衛兵に連れて行ってもらった。


「お姉様」

「そうね。早く帰りましょう」


 もう用事は済んだことだし、これ以上奇異な目で見られるのは耐えられない。


 いくら国が認めている力でも、気味が悪いと思う者は多かった。特に排他的な貴族社会では。



 ***



「おかえり~、ルフィナ~」


 マクギニス伯爵邸の扉を開けた途端、視界が覆われた。


「ただいま、ピナ」


 私はそう言って、顔に張り付いている物体を引き離す。それでも、私の体に寄って来ようとする、ぬいぐるみのような大きな猫は、ピナと言って、私に憑いている猫である。


 今日のような貴族が多く集まる場所に行く時は、留守番をさせていた。普通の人には見えないから、連れて行っても問題はないんだけど、時々、見える人がいるからだ。


 それでも必要な時はピナを同行させていた。滅多にないから数えるくらいしかないけど。だから帰るとすぐに、べたべたして来るのだ。


 甘えん坊のピナ。生まれた時から共にいる、大好きな猫ちゃん。


 霊体だからか、本物の猫と違ってもふもふしていないのが残念なのよね。でも、もふもふしたい時は、本物の猫を呼んでくれるから、いつでももふもふし放題。


「……エスタは満足してくれたかしら」


 にも告げたが、エスタは人間じゃない。が蹴り殺した猫である。ピナを通じて、復讐してほしいと依頼されたのだ。


「懲らしめるのに、一役買ったからね~。今頃、牢屋の中でボコボコにされている姿を見て、満足したんじゃないかな~」

「そうだといいけど」


 マクギニス伯爵家には、国からの依頼の他、一般の猫からも依頼を受けることがあった。


 縄張り争いの仲介といった軽いものから、今回のような復讐まで。猫たちの目と体を借りるのだから、これくらいはお安い御用だ。


「ピナ。次の依頼は来ている?」

「依頼は常に来ているよ~。何からやる~」

「簡単なものが良いな。今回は長かったから」

「わざわざ、婚約までしたからね~」


 それはターゲットのイザイアが侯爵家の人間だったからだ。

 マクギニス伯爵家の力をもってすれば、強盗などといった犯罪経歴で処罰することは可能だ。


 けれどこれくらいの罪状、侯爵家の力で簡単にもみ消してしまえるだろう。


 そうなったら、エスタの無念は晴れない。


 だから、やるなら徹底的にやりたかった。婚約して、エスタの協力でイザイアの評判を落とす。そうすれば、フォルミッリ侯爵家が見捨ててくれるかもしれない、と思ったのだ。


 そもそもこの婚約自体、フォルミッリ侯爵家を援助する、という条件で釣り上げた。イザイアが盗みを働くのは、家にお金がないからだと踏んで。


 婚約を破棄すれば、たちまちフォルミッリ侯爵家は火の車である。その原因を作ったのがイザイアともあれば、よほどのことがない限り、助けることはしないだろう。


「三ヵ月。好きでもない男に媚びを売って、疲れたわ」

「じゃ、あとで招集をかけとくよ~」

「本当? 嬉しい」


 もふもふが待っているかと思うと、少しだけ元気が出た。

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