どっちが悪い?
高黄森哉
学校裁判
「やーい」
「やめてよ。ひどいよ」
智は、忠を責める。それでも、筆箱は放物線を描き、教室の端から端までを飛んだ。田中が、その筆箱を拾い損ねる。彼の後ろにあったのは、ゴミ箱だった。
「そんなあ」
「がははは。ざまあみろ、智。お前がぼんやりしてるからいけないんだ。うけけけけ」
忠は大笑いをした。田中は、親分が笑えば、笑う決まりになっていたので、笑った。二人の笑い声が、教室に響いた。
「いいや、忠君がいけないんだ」
「なんだと」
「忠君がいけない」
「じゃあ、裁判をしろよ」
〇
気が付くと、そこは裁判所であった。といっても、学級裁判である。机は、コの字に並べられ、智は、そのコの囲いの中にポツンとある、教卓の前に立たされていた。
「え、いつのまに」
「がははは」
忠が周りを見て馬鹿笑いをする。被害者である智は、加害者の忠が、なぜこんなに笑っていられるのか不思議でしょうがなかった。それに、この急な場面転換に、どんな不思議な力が働いたのか、不気味で仕方ない。
「なんで、笑ってるの」
「むむ。いわれてみれば」
忠は、ふと我に返った。裁判長こと、クラスの委員長である、伊吹が二人を注意する。
「被告人、および原告は、これより裁判を始めますので、お静かに。質問はありませんか」
「はい、あります」
「はい」
「これは、学校の裁判なのですよね」
「はい」
「では、裁判の勝敗や、刑罰はどのようにして決めるのですか」
「はい」
それで、十分だ、という風に伊吹は、司会をやり始める。智は無視されたと感じた。実際、無視されたようだ。
「それでは、原告。今日は、どのような、用件で裁判を開きましたか」
「え。いや。勝手に始まったのだけども」
「つまり、勝手に裁判が始まったので、裁判を開くことにした、ということですね」
「そ、そういうことになると思います」
「では、裁判を開かれなかったら、裁判は開かれなかったのでしょうか」
「そう、なんですか」
「裁判を開くとなって、裁判を開かなければいけなくなったのですね」
「そうです。その通りです。その通りです」
智は不安になった。委員長である伊吹さんは、とても話が通用するように思えなかった。彼女に裁判官を任せて大丈夫だろうか。そもそも、今の今まで、なぜこんな人を委員長に指名していたのだろう。民主的と言われる、やり方で、独裁者じみたやり方をする人物が権力の座に就くことは、よくあるが。
「あなたは、忠さんに、いじめを受けましたね」
「はい」
「それは、犯罪です。この件について、これから、裁判で争いたいと思います」
「ちょっとまった。伊吹、いじめを規制する法律なんてあるのか」
忠は、待ったをかける。
「知りません」
「知らない!」
「いつも裁判が、法律の知識に則って執り行われる、というのは偏見です。LGBTの考えに違反します。また、その思想は、ファシズム的であり、民主主義への挑戦です。同時にレイコクロリディウムの挑発でもあります。心的角砂糖の賦存が、文学へと傾いた、糖尿病の法的解釈であります」
「え゛えー!」
「忠さん、お静かに。その発言は、政治的です」
「いや、だ、だって。じゃあ、お前は、なにを持って、善悪を判断するんだ」
「それは、当然ながら法律です。法律とは、日本国憲法のことです。日本国憲法とは、日本の憲法のことです。つまりそれを分解すると、法律を意味しています」
「いや、でも、お前はそれを知らないんだろ」
「今の発言は、日本国憲法、第九条に違反しています。これ以上の発言は、裁判の正式なマナーから、脱線することとなります。そうなると、貴方は、ロボトミーにあたります。また、アナキズム的、睾丸および陰茎のふたなりにも、抵触することとなります」
伊吹が適当を言っていることは、誰の目にも明らかであったが、裁判長という権力を持っているため、誰も止めることは出来なかった。それに、下手をすると、彼女の法律によって、死刑を言い渡される危険があったのだ。そして、それは、急激で摩訶不思議な場面転換と、同じ力を持って、実際に執行されることが考えられた。そして、彼女の世界の死刑は、きっと、現世のそれと大きく違っているのだろう。想像も出来なかった。想像もしたくなかった。
「それでは、もう一度、聞きます。原告。今日はなぜ、裁判を開いたのですか」
それは、伊吹が先程、決定した、智へのいじめの件ではなかったのか、とその場にいただれもが思った。
「そ、それは、筆箱をとられたからです」
智は、面倒なことになったな、と思いながらも、仕返しのつもりで、忠のことについての裁判へ戻した。それに、忠は被告なのである。きっと、あの事件についての裁判を、伊吹さんは意図したに違いないのだ。そう信じるより他なかった。
「筆箱の窃盗ですか。それは、窃盗の筆箱なのでしょうか」
「ゴミ箱にも入れられました」
「ちょっとまった。それは、コイツがのろまだったからだ」
「ええー!」
「こいつが走れば、ゴミ箱に筆箱が入ることはなかった」
「なるほど。それは、もっともな意見ですね」
伊吹さんの不思議な理論で、忠の不思議な理屈が受け入れられようとしているのを、危険に思った。だから、智は叫ぶように、主張した。
「いやいや! そもそも、投げなければ、良かったんじゃないかい。おおもとは、そっちだよ」
「大元は、元号ですか」
「うるさい、いじめられる奴は、いじめられるのが悪いのだ。がはははは。世の中にいじめられる人間とそうじゃない人間がいる、ということは回避可能である、ということだ。それに、いじめさせてしまっている分、罪と捉えることも出来るだろう」
「それでは、静粛に。被告は、憲法第九条により、無罪」
そういう、忠の開き直った態度に、激高した智は、裁判所にあるでっかいハンマーをとって、忠を殴りつけた。意外なほどの力が出ていた。伊吹は、その様子よりも、壁掛けの時計が気になっていた。
「くそ、くそ、このやろう」
「ぎゃー」
伊吹が智に席に戻るよう、注意する。忠にも注意したが、すでに死んでいた。伊吹は、カンカンになり、死んだことに対して、法律違反を訴えていたが、やがて、別のことに興味が移ったようだ。智は、ずっと、忠の死体と、そうして居れば良かったのに、と思った。
「原告は、被告になりましたか?」
「はい。なりました」
「それでは、貴方は、自分が罪だと思いますか」
「いいえ。思いません」
智は言った。
「殺される奴は、殺されるのがいけないのです」
「それでは、厳粛に。こら! いけない! 忠、静かにしなさい!」
怒号が飛ぶ。忠は、死んでから、ずっと静かであったので、智は、その不意打ちに、肝を冷やした。
「それでは、静粛に。原告人は、無罪!」
〇
目を瞑ると、そこは河原であった。伊吹が、こちらを見ている。
「ここは、どこかな」
「ここは、民主主義です」
「ここは、河原かい」
「水溜りに、政府が見えます」
対岸は赤く染まっている。
「ここは、地獄だね。君は、僕を殺したんだね」
「あなたは無罪でした。あなたは、無罪なので、死刑になりました。なぜなら、無実の罪で死刑になったのです」
智は、かなり、うんざりした。伊吹さんが、地獄じゃなくて、天国に行けばいいのに、と願った。そう願ったとき、糸が降りてきた。そして、急かすように、伊吹さんを天国に送り出し、自分は地獄に残ったのだった。その日から、天国が地獄になったのは想像に難くない。天国と地獄という曲は、この事件から着想を得た音楽である。おしまし。
どっちが悪い? 高黄森哉 @kamikawa2001
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