謝安3 VS(?)桓温
ついに
そんな謝安が
「そなたは幾たびとなく朝廷のご意向に逆らい、
謝安はこの発言にひどく恥じ入った。
桓温のもとに到着すれば、桓温大歓喜。お互いのプロフィールを語り合ったあと、日がな一日談笑した。謝安が退出すれば、桓温は側仕えたちに言う。
「おいおい、あんなやべー客、おれのもとに来たことあったか、なあ?」
後に桓温が謝安のもとに訪問したとき、謝安はちょうど髪を整えているところだった。もともと謝安はのんびり屋である。ただ、あまりもたもたしていると桓温が帰ってしまうと思い、あわてて簡易的な帽子を持ってこさせようとした。その様子を見て桓温が言う。
「司馬殿よ、慌てず帽子を被ってからでよい」
桓温が謝安を重んじるのはこれほどであった。
桓温が北伐をなそうとしたところで、
桓温が
「
桓温に面会したとき王坦之は服が見るからにぐしょ濡れになるほど汗だくになっており、しかも手に持つ杓を上下逆さまに持つありさまであった。対する謝安はスンとした感じで座に着いていた。
会見の席がひと通り整ったところで、謝安が桓温に言う。
「諸侯にはなすべき振る舞いがあると聞き及んでございます。いま、守り手がお国の四方をしっかりと固めております。にもかかわらず、どうして公が壁の後ろに人を配置しておられるのかがわかりませぬ」
桓温が笑って答える。
「そうも鷹揚でおれなんだがために、斯様な事態を招いたのよ」
そこから桓温と謝安は歓談を交わした。この時まで謝安と王坦之の声名は等しいものだったが、この会見で両者の優劣が定まった。
桓溫の謝安の言葉への溺愛ぶりは並ならぬものであり、かつて簡文帝の諡号を定めるに当たり、謝安が提示した意見を人々に示し、「これが謝安より削り出された金にも値する言葉よ!」と語っていた。つまりどんな関係になろうと、桓温にとって謝安と言葉をかわすのは最高のご褒美だったのだろう。
征西大將軍桓溫請為司馬,將發新亭,朝士咸送,中丞高崧戲之曰:「卿累違朝旨,高臥東山,諸人每相與言,安石不肯出,將如蒼生何!蒼生今亦將如卿何!」安甚有愧色。既到,溫甚喜,言生平,歡笑竟日。既出,溫問左右:「頗嘗見我有如此客不?」溫後詣安,值其理髮。安性遲緩,久而方罷,使取幘。溫見,留之曰:「令司馬著帽進。」其見重如此。溫當北征,會萬病卒,安投箋求歸。尋除吳興太守。在官無當時譽,去後為人所思。頃之徵拜侍中,遷吏部尚書、中護軍。
簡文帝疾篤,溫上疏薦安宜受顧命。及帝崩,溫入赴山陵,止新亭,大陳兵衛,將移晉室,呼安及王坦之,欲於坐害之。坦之甚懼,問計于安。安神色不變,曰:「晉祚存亡,在此一行。」既見溫,坦之流汗沾衣,倒執手版。安從容就席,坐定,謂溫曰:「安聞諸侯有道,守在四鄰,明公何須壁後置人邪?」溫笑曰:「正自不能不爾耳。」遂笑語移日。坦之與安初齊名,至是方知坦之之劣。溫嘗以安所作簡文帝諡議以示坐賓,曰:「此謝安石碎金也。」
時孝武帝富於春秋,政不自己,溫威振內外,人情噂𠴲,互生同異。安與坦之盡忠匡翼,終能輯穆。及溫病篤,諷朝廷加九錫,使袁宏具草。安見,輒改之,由是曆旬不就。會溫薨,錫命遂寢。
(晋書79-2)
■世説新語
中丞高崧戲之曰
排調 26。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054886502593
なおこちらで恥じ入る謝安さま、世説ではふふっと微笑むだけです。世説にはこの手の「謝安さまイケメンバフ」が結構キツく掛かっててヤバい。
既到,溫甚喜,言生平,歡笑竟日。
賞譽 101。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054886312593
順番が逆だったり「のんびり屋さんの謝安さま☆」的くだりがカットされてたり。どこまでも謝安さまをイケメンに仕立て上げたい世説新語たん。
呼安及王坦之、欲於坐害之。坦之甚懼、問計於安。
雅量 29。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054886263619
ここでは本伝ですら強烈なイケメンセリフなのに、突然
「安聞諸侯有道、守在四鄰、明公何須壁後置人邪。」
雅量 29 注・宋明帝文章志
安曰:「安聞諸侯有道,守在四鄰。明公何有壁間著阿堵輩?」溫笑曰:「正自不能不爾。」於是矜莊之心頓盡。命部左右,促燕行觴,笑語移日。
阿堵輩って表現はやや仏教的だから除かれたのでしょうね。
溫嘗以安所作簡文帝諡議以示坐賓
文学 87。https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054885609486
ちなみに謝安は簡文帝の業績を上記に挙げて「簡文」の諡を提案していますが、一方で晋書簡文帝本紀の評価の部分には「帝雖神識恬暢,而無濟世大略,故謝安稱爲惠帝之流,清談差勝耳。」という言葉が載っています。「いや簡文帝なんて清談のできる
■斠注
溫薨、錫命遂寢。
『芸文類聚』五十三に引く『晉中興書』には「使驍騎將軍袁宏具草。時溫以疾篤,宏以呈安,安視輒曰:不好,更勾改之。使彌厯旬日,至於溫薨,錫命遂寢。」とあります。袁宏が提出してきた九錫要請文を謝安が何度もダメ出しして何日も何日も突っ返した、と言う感じのようですね。
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