番外編その3 恋愛小説家の正体



 警戒していた。周囲に誰か——自分を監視している者がいないかどうか。十分に意識を巡らせる。


(よし、今だ)


 スティールは執務室の暖炉の脇に一つだけ盛り上がっている煉瓦を押した。すると、その周囲が、まるで回転扉のようにくるりと一回転をする。スティールは、その回転に合わせ、狭い隙間からからだを中に滑り込ませた。


 中は、地下道につながる階段になっていた。地下組織で活動してきたときによく利用していた地下道へと続く道は、スティールの心を落ち着かせた。スティールが歩く道を彼の歩調に合わせて段々に灯がともる。


 誰の目にも触れずにこの通路に入れたことで油断したのだろう。不意に背後から肩を掴まれて、スティールの心臓は時を止めるかの如く凍りついた。


「いいもん、もってんじゃねえか」


 その声に振り返ると、そこには熊族のガズルが立っていた。


「驚かせるなよ! ガズル……。本当に肝が冷えるとはこのことだな」


「だってさ。お前に用事があって部屋に行ってみたら、お前、出てこないし。鍵あいていたから。顔出してみたら、壁の中に消えちまうんだ。驚いたのはこっちだぞ! つーか、なんだよ。ここは」


「親父の秘密の抜け道らしい。おれもつい最近、気がついたんだ」


 軍事大臣に就任してからというもの、スティールには膨大な事務作業をこなす地獄の日々が待ち構えていた。来る日も来る日も、書類を見つめていては、頭がおかしくなりそうだった。そんなときに、ふと暖炉脇の煉瓦の配置がおかしいと気がついたのだ。


「へえ、おもしれぇもん作るんだな。お前の親父さん」


「理解できない人だったけどね」


「親父さん——、離島の監獄に送られたって聞いた」


「自業自得だ。命までとられなかったんだ。良しとするしかないだろう……」


 口ではそう言ってはみるものの、スティールの気持ちは晴れない。いいか悪いかで言ったら、決していい父親ではなかった。職務に明け暮れ、たまに帰宅するかと思うと、スティールの母親に暴力を振るったり、自分たちを怒鳴り散らしたりする男だった。


「好きじゃなかった。けど、あの人にはあの人の事情があったのかもって思うとね。複雑だ」


「けどよ。スティールだって、その親父さんにはずいぶんと苦労させられたんだろう? 仕方ねえさ。自分でしでかしたことも落とし前をつける。それは当然のことだ。なにも子どものあんたが、そこまで背負うことはねえんだよ」


 ガズルはスティールの肩を叩く。熊族は骨格が太く、その腕はずっしりとスティールの肩に伸し掛かった。彼に触れられたところは暖かく、重く感じられた肩が軽くなるような気がした。


 まるでスティールの背負っている荷物をほんの少し、ガズルが肩代わりしてくれているような気持ちになったのだ。


「それでも少しでも責任感じるって言うんだったら、その分取り返すくらい、働けばいいんだよ」


「いつも悪いな。気を遣わせる。おれが大臣の子なんかじゃなければ、革命組のみんなに迷惑をかけることもなかった」


「言うな。拘束されていた奴らも、みんな保護されていただけだった。お前が気に病むことじゃねえ。それに、お前が大臣になってくれたから、おれたちはこうして、国の治安維持に関わる立場でいられるんじゃねえか。ありがたいと思ってるぜ」


「ガズル……」


「それより」とガズルは言った。


「お前、職務放棄して、どこに行くつもりだったんだよ」


「え!」


 スティールは言葉に詰まって、それから「か、買い物だ」と言った。


「買い物? なにも堂々と行きゃ、いいだろうがよう」


「いや。その。別に。いいんだ。今日はやめとく」


「なんだよ。おれが付き合ってやるよ。大臣の護衛は、おれに任せておけ」


 どんと胸を叩くガズルの様子を見て、スティールはため息しかない。


(まさか。今日発売のを買いに行きたかったなんて、言いにくいよなあ……)


「で、どこの店に行く? この道はどこが出口なんだ?」


 先に歩き出すガズルの背中を見ながら、スティールは「中央公園の西口に出るんだ」と答えた。


「そうか。いいとこにつながってんな」


 二人は連れ立って地下道を進む。行き止まりになり、そこから縦に延びた梯子を上っていくと、そこは公園だった。ガズルは、「次はどっちだ?」と嬉しそうに首を左右に振る。スティールの気持ちは焦るばかりだ。ここは、本来のものを購入することを諦めて、なにか別なもので誤魔化そうか——。そう思った瞬間。


「おお、スティールじゃないか。ちょうどいいところに」


 少々低音の、それでいてよく耳に響く声が聞こえてきた。


(やばいーー!)


 スティールのからだは固まるが、ガズルは「お、お大熊猫ぱんだ先生じゃねえか」と手を上げて挨拶をした。


「なんだい。お前たち。職務放棄して、お忍びで遊びに来たのか」


「遊びじゃねえぞ。先生。おれは最重要任務中。大臣の護衛してんだ。大臣は職務よりも大事なものをご所望なんだぜ」


「大事?」


「だ、大事ってわけじゃあ……」


 もごもごと言葉を濁して誤魔化していると、大熊猫先生は「これこれ」とスティールの元に歩み寄ってくる。それから、彼の両手に一冊の本を握らせた。


「大事なものが何であるかはわからんが、お前、この前この本読んでいただろう? 執務室の書類の間に隠されていたが……おれの目は誤魔化せないぞ」


 スティールは固まった。ガズルは「なんだよ、そりゃ?」と尋ねる。大熊猫先生は信じられないという表情を浮かべてから、ガズルの頭をもふっと叩いた。


「痛てぇな。なにすんだよ」


「このバカ者。今日発売。巷で大人気の恋愛小説『月に誓う永遠のロマンス』の続編だ。まったく。筋肉ばっかり鍛えてないで、頭も鍛えておけよ。この熊め。お前たち二人、こういう本を読んでしっかりと勉強をして、そしてつがいでも見つけるんだな。いつまでも独り身じゃ、困ったものだぞ」


「あ、あの。先生。あの……」


「恋愛小説だと? お前、そんなもん読むのか? その顔で?」


 ガズルは小説とスティールの顔を交互に見つめる。すると、大熊猫先生がそれを窘めた。


「コラ、熊。人を顔で判断しちゃいかん。このシリーズは老虎とらも好きなんだからな。そうだ。お前も読んでおけ。ほれ」


 先生はガズルにも本を手渡す。


「おう。なんだよ。何冊買ってんだよ? なあ、大丈夫か?」


「作者の直筆サイン入りだぞ? ありがたく思え。あはは」


 大熊猫先生は片手を振ると、嬉しそうに去っていく。取り残された二人の手には『続・月に誓う永遠のロマンス』が残った。二人は顔を見合わせてから、背表紙をめくる。すると、そこには『おぱんだから愛をこめて♡』と書かれたサインが書かれていた。


「え——え……——、えええええええ!」


「王都を騒がせる恋愛小説家の正体は、まさかの大熊猫先生!?」


 スティールの瞳がキラキラと輝いた。


「え! ええ? お、おま……お前……」


「先生のサイン入り初版本をゲットしてしまった……。ああ、ああ、どうしたらいいんだ。そうだ。老虎に自慢しなくちゃ!」


「おいおいおい~~! スティール!」


「ガズル! それ、ちゃんと隠しておかないと、老虎に奪われるぞ。気を付けろよ。おれは王宮に返る。じゃあな!」


 後ろから自分を呼ぶ声が聞こえるが、関係ない。スティールは足取りも軽く、王宮への道を歩き出す。


(前回のラスト、二人は死を選んだはずだが……。続編があるということは、二人は生きていたということか! なんと予想外の展開だ。さすが先生。ああ、早く続きを読まなくては!)


 王都で流行りの恋愛小説。それはこの世界の恋愛指南書でもある——。





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もふもふ兎と凶悪な虎は運命で結ばれている【BL】 雪うさこ @yuki_usako

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