深遠のリビジョニスト
零
第1話 追憶のリビジョニスト
君たちは時の観測者だ。今眠りについたとすると、いつ君たちは目覚めるのだろうか。それは私にはわからない。ひとついえることは、すぐに死を迎えることはないだろうという私の希望的観測のみだ。そして、君たちはその間年老くこともない。さらに付け加えるとすると修復さえ行われる。だが、それが君たちにとって幸せなことであるのかは不明だ。
今はっきりと思い出すのは、とあるその神父あるいはその僧侶、または別の何かが述べたその言葉のみだ。
なぜその説法者が曖昧な誰かという記憶しかないのか。それは、まだ俺が目覚めたばかりだからだろう。自分が誰かなのかは鮮明に覚えている。直前に身の上にふりかかったことも。ゆえにいつかは記憶がアジャストするはずだ。
「何だ、あの化け物は?」
その時、窓枠の遠くに位置するそれらを目にした友人アスランはひび割れた声でそういった。
「わからない……悪魔のように見える」
頭を左右に振りながら、俺は鼓動のような吐息を漏らした。
「ハンザハルのいつもの悪戯ってわけじゃないよな」
アスランが願いにも似た台詞を吐いた。
いくら悪童といえど、あのような黒塗りの化物を悪戯の道具に使えるわけもない。その線があるとしたいところだが、アスランもそれがないことはわかっているはずだ。
ゆえに俺は何も答えなかった。
「ナナウ」
アスランの背後にいた彼女へと呼びかける。
「に、人間じゃないよ、あれは」
目を充血させて、ナナウはいう。
と同時に地響きがなり、石畳の床が揺れた。微弱な振動だが止まる気配はない。
「とにかくここは危険だ。こんなことになるなんて……」
俺はまた首を横に振った。そして、ナナウが動き出すのを待ってから、既に走り出しているアスランの後を追った。
先ほどから、大ぶりの石材が彼らや俺の走るほど近くの壁際に落ちてきていた。神殿の壁が崩れ始めていることは明白だった。
「帝国の奴ら、何を考えているんだ」
アスランが怒気のこもった声を放った。
確かにその通りだ。侵略行為自体は不思議ではないが、騎行を行うことなどありえないはず。この街には彼らの狙う財宝がたんまりとそこかしらにあり、焦土作戦を行うような場所ではないことは彼らが一番知っている。
怒号のような音が鳴った。それを期にますますひどくなる揺れ。
「なんだ、この閃光は……」
窓枠から光とも炎とも似つかぬ何かが神殿内へと差し込んできた。
その次の瞬間だった。天井が崩れ落ち、エントランスをかたどっていたそのすべてが無くなった。当然だが、周囲は一気に外の世界になった。
「……アスラン!」
ナナウが悲鳴をあげる。崩壊に際し、目の前に落ちてきた壁により、前を行っていたアスランの背中が見えなくなったせいだ。
「お、おい……アスラン。嘘だろ?」
一方の俺も唇を震わせることしかできない。
「馬鹿だったのに、こんなにあっけなく死んでしまうなんて……」
ナナウの色を失った声が崩壊の残響音にまじる。それを聞いた俺の目の前は、モヤがかかったかのようになった。
次にジャリっと砂を踏みしめるような音がした。
「おいおい、勝手に殺すな。それに馬鹿だったけどってのは何だ?」
次に、少し甲高い聴き慣れた声が耳に入ってくる。
俺は腹の底から大きく吐息をついた。
煙の中からアスランが現れたのだ。
「やっぱり馬鹿は死なないという私の直感は正しかったのね。心配して損しちゃったな」
ナナウがコツンと自分の頭を叩きながらいう。
ようやくこの時になって、俺の目の前に外の様子が飛び込んできた。
先ほど見た煙などが小さな事かのように、火の手が至るところからあがっていた。
「何だ、あの小さい虫の大軍。イナゴの群れか?」
アスランが目を見開いて訊いてきた。
「いや、あれは違うね」
俺の片腹からその問いに回答する声がした。
悪童ハンザハルだ。いつの間にか俺たちのそばに? すぐにそんな疑問が脳裏を過った。
「いつもの悪戯っていうわけじゃないよな?」
存在するはずもない種明かしをするよう彼に促す。
「僕もそうだったらいいなって願っているよ。でも、シュヴォたちは四歳も年上なんだからそうでないことはわかっているよね」
ハンザハルが肩をすくめる。期待外れでもないので、彼を責めるわけにもいかない。
「お、おい矢だ。何だ? あの数」
「多すぎる。みんな、逃げろ。建物の中に隠れるんだ」
少し先にいた人々が、それぞれ似通った言葉を吐きながらざわつく。
それらの声に後押しされ、後ろを振り返ろうとするが、俺のすべては凍りついたままだった。
人は死に瀕した際、身体が硬直し動きを止める。
時がゆっくりと流れているかのように迫り来る矢の雨の切り裂き音にまじり、そのような声がした。
「……傾向がある。突発的な事象であればなおさらだ」
いつの間にか空にいたその人物はいう。瓦礫の山に登っていたので、空中に浮いている訳ではないことがすぐわかった。ただし、矢の圧迫感の方が強く、その姿の視認は難しかった。
「君たちが助かる道がひとつある、石だ」
それは、その人物はそう述べた。
誰に語りかけているのだろうか。矢を背中に従えたその人物の言葉に意識を集中しながらも、俺はそんなことを考えた。
そうしている間にも矢の群れは俺たちの方へと迫ってきていた。
「ストーン、石のことか?」
「ああ、君たちは石になるんだ……」
その後のその人物の台詞は先ほど思い出したことのように思う。
そして、直前まで記憶を遡った俺はその人物の顔さえ見ていないことを今更ながらに悟った。
「シュヴォ、ようやく起きたのか?」
ハッと我に返った。
「……アスラン。ここはどこなんだ? ナナウは?」
当たり障りのない言葉を吐く。その間も汗が額を流れ落ちた。
「見当たらない。どこかもわからんが、おそらく物置か何かだろう」
身に覚えのないこの納屋。
俺たちはあの後、どうやってこんなところに運ばれたんだ?
「あの後、カルディナはどうなった?」
アスランが回答不能な質問を俺に投げかけてくる。
ゆえに俺の口をついたのはまずため息だった。
「俺が訊きたいくらいだ」
その後、もちろんそう答えた。
虚無の時間を少し過ごしてから、俺たちは所有者不明のその納屋を後にした。
「あら、いやだ。あなたたちはどこから入ってきたの?」
通りにいたフード付きのローブを羽織った老婆が、俺たちの姿を確認するや否や尋ねてきた。若干太り気味だが、丸々として人形のように可愛らしい印象を持った。
「俺たちはそこの納屋から……」
と口にはしたが、その後の説明には悩む。
「あら、あの偏屈の言った通りだったのね」
あっけらかんとした口調で老婆がいう。俺たちの何かを知っているような口ぶりだ。
「今日は何日だ? というより、俺たちは何日眠っていたんだ」
アスランが尋ねた。
「眠っていた? あら、そうだったの」
要領を得ない回答が返ってきた。
先ほど何か情報を持っていそうだと思ったが、それは俺の勘違いだったのだろうか。
「質問は今日は何日かだったね。78年7月4日じゃよ」
アスランと少しのやりとりを挟んでから、老婆は現在の日付を述べた。
「978年? 四年間も過ぎていることになるぞ。そんな馬鹿なことが……」
俺は挙動不審に呟いた。
「900? なんだね。その突拍子もない数字は?」老婆は失笑する。「今は神聖エルトリア暦54年じゃよ」
神聖エルトリア暦……?
「その奇妙な暦の名前は? 大カルディナ暦のことをアスラン……彼は聞いているんだけど」
「大カルディナ……? ああ、それね。二百年前くらいにあった都市国家の名前だね」
「あった……存在したということか?」
信じたくはないが、あの神殿の丘から見えた光景からすると、確かに滅びたとしても不思議ではない。
「だが、二百年というのは……あの後何が起こったんだ?」
「そんな前のこと……でも、大カルディナ、ああカルディナ。なるほど、アルメディウス……見直したわ」
ひとりで老婆は納得したような素振りを見せた。
「アルメディウス?」
「ほれ、そこの先にあるドアで妙なことをしている爺さんがいるから。そいつに話しかけてみな」
俺たちは老婆に連れられたまま、木造りのドアへと向かった。
老婆がぶっきらぼうにそのドアを開けると、何か不恰好な硝子の底のようなものを顔につけている老人の横顔が目に入ってきた。
「モルグレ、誰を連れてきたんじゃ? あれほどノックしろと」
こちらを見向きもせずしゃがれ声をあげた。
「うるさいねえ。では私は街を出るわ。達者でな、偏屈卿アルメディウス・アッシュフォード。命だけは気をつけな」
老婆はそういうと、ふん、と鼻を鳴らし、ドタドタとその場を去っていった。が、廊下を曲がったところで、一度こちらを振り返った気配がした。アルメディウスはそれら全てを無視して、机に置かれた書類に目を通していた。
「大カルディナ史……」
いつの間にかその老人の横に寄っていたアスランが、そう呟く。
彼の視線の先には、少女の腕であれば両手で抱えるほどの大きさの本があった。
「カルディナを知っている? モルグレが……もしや、おまえたちは……」
ようやくアルメディウスが俺たちの方に視線を向ける。
「なぜかこの場にいたんだ。で、さっきの婆さんにあんたが……」
とアスランは直近の顛末を説明を始めようとしたが、すぐに口を閉じた。
「ハネゼベ人! やったのか、わしは!」
アルメディウスが耳鳴りがするような叫び声をあげたからだ。
「で、確認じゃが、通説によるとカルディナはハンザハルによって滅ぼされたとされておるが真実か?」
テンションを少し下げて、尋ねてきた。
「あいつはまだ十二歳だぞ」
「そんなことができるはずがない、じゃな。やはりそうか! 年齢が合わないんじゃ。仮説は正しかったぞ! わしの歴史が正しいと証明されたんじゃ!」
アルメディウスは嬉しそうにその場を飛び跳ねた。
「もう歴史になっているのか……俺たちのカルディナは」
アスランが大きく息を吐く。
「しかし、それを信じろというのは……」
俺もそれに同調した。
そんな俺の肩を持ち、アルメディウスが大口を開ける。
「いや、そんなことより教えてくれ。お主らに何が起こったんじゃ!」
「何って……黒い化け物たちに襲われたんだ、それくらいしか……」
老人の気迫に圧倒されながら、俺はか細い声を出した。
「黒い……やはり事実だったのか!」
叫び終わるや否や、その初老の男は机と向かった。大カルディナ史をあけると、インクペンを紙に走らせ何やら書き殴った。
「しかし、なんでカルディナに興味を? さっきの婆さんの話では二百年も前に滅びた都市国家だと……」
「……歴史家とはそういうもんじゃ。もちろんなぜカルディナかという理由はあるがな」アルメディウスはいう。「もういつくらいになるだろう。白に近い髪の色をしたお姉さんがワシの前に現れたんじゃ。彼女はカルディナから来たといっておった」
もしかすると、ナナウか?
彼の言葉を聞いた俺はなぜかそう思った。もちろんカルディナのどこにでもいる髪の色の女性なので、俺の願望であることは否定できない。
「そして、以前と同じ容姿で現れた。初めて彼女にあったのは六十年前じゃ。そして、最後に会ったのは五年前。いずれも顔はまったく同じ、不思議じゃろう」
「ふむ、確かに……」アスランが納得した表情を見せる。「その女の人の名前は?」
「ナナウじゃよ。確かフルネームは…… ナナーレ・ウルバンシュタインじゃったかな」
「やはりナナウだったのか!」
アルメディウスのそれを聞いた俺は彼の言質を取ったかのような奇声をあげた。が、すぐに喉元に声を引っ込める。突然それに覆いかぶさるような大きな音がしたからだ。
「なんだ――地面が揺れ始めたぞ」
アスランが述べるまでもない現況を伝えてきた。
「地震か?」
俺は震える床を見つめながらいった。
「いや、国王軍の馬じゃな。ここに攻め込んできているからの。海上都市なのにご苦労なことだ。が、そんなことはどうでもよいことじゃ」
アルメディウスの声に反応するかのように壁が崩れ落ちてきた。
「攻め込んでくる? どうでもいいはずないだろう。しかし、海上に街があるのにどうやって馬なんかで……」
アスランが声を震わせる。
「大型船に乗せたか、埋め立てでもして城壁への道でも作ったんじゃろう。そんなことより、おまえたちの存在を大カルディナ史と合わせるとだな……」
ブツブツといいながら、アルメディウスは机上の資料に向け身体と顔を傾斜させていった。
「いや、そんなこといっている場合では……」
「シュヴォ、おそらくいっても無駄だろう。逃げよう」
俺の台詞を止めてからそういって、アスランが後ろを振り返った矢先のことだった。崩れ落ちた大きな壁が、俺たちの方へと向かって近づいてきた。
「起きたのか?」
前回の目覚めと同じ声、同じような言葉が聞こえてきた。
「ああ、アスラン。いつもおまえの方が先に起きているな」
俺は軽口を叩いた。
「いったい何が起こったんだ? というかここは?」
と次にアスランの口から出る不毛な質問。
先ほどからざわざわと喧騒が聞こえてくる。だが、見える範囲で人の姿はなかった。
「これは驚きましたね」
背後から薄い声。騎兵がはくようなボトムス、白い布製のシャツを着た青年が、そこには立っていた。
「誰だ?」
アスランが目を細める。
「セザール・アッシュフォードです。怪しい者ではありません」
青年は名を述べながら、強盗がいうような台詞を続けた。
俺はその間にも素早く自分たちのいる場所を確認した。
どうやらどこかの大通りを逸れた先にある路地裏のようだ。両橋に石造りの建物が見え、三階建てのようになっている。背はかなり高い。上には人がいる気配はなく、そこから誰かに襲われる心配はなさそうだ。
「……リーパーも噂通りですね」
セザールという青年は、少しの間をあけた後、丁寧な口調でそういった。
「リーパー?」
もちろん、そんな単語を知らない俺とアスランは声を揃えて質問を返した。
「跳躍者、リーパー。時間を跳躍する者という意味です。そう、あなたたちのような」
「跳躍……」
そんな感覚はまったくない。というより、時間の跳躍とは何のことだろうか。いや、二百年後に目覚めたという意味ではその通りだが……
「リーパー、私の一族の者がそう名付けました」
「一族の者?」
「アルメディウス・アシュフォードです」
「ああ、あの奇妙な爺さん……」
「祖先です。ですので、私は会ったことはありません」
セザールのこの言葉からすると、あの老人は既にこの世にいないということだろう。一緒にいた老婆も同様のはずだ。
「ですが、あなた方は……帝国軍が攻めてきたのはご存じですね」
帝国……? 確か何かしらの国王の軍の……いや、そんなことは今はどうでもいい。
「ああ、エルトリア暦だったか? その暦でいう78年に……」
「エルトリア歴……? もうそんな暦はありません。あなた方とアルメディウス様が出会ってから約百年経過しておりますから、国ひとつ滅ぶのには十分な時間です」
「百年……やはり――あの時爺さんは死んじまったのか」
アスランが少し沈んだ表情でいった。
彼の顔を見たのはつい先ほどのことだ。この反応は当然だろう。
「いえ、その時はあなたたちを連れて逃げ出しました」
「二人分の身体を運んで? どうやって? ひとりで? いやもうひとりいたが……」
「シュヴォさん……で良かったですよね? そのもうひとりについてはもうわかりません。アルメディウス様は歴史学者ではありましたが、日記をつけるような人ではありませんでしたので。大カルディナ史には必要なことしか記載はありませんでした」
「必要なこと?」
「そうです。例えば、あなたたちが宝石になったというような」
通常であればにわかに信じ難い台詞をセザールは平然と述べた。
「――俺たちは宝石になってどこかへ運ばれたということか」
冷静に俺はそう返した。
石になるという事前情報があったので、自身が宝石に変化するということに対し驚きはあまりなかった。
「ええ。私の――アルメディウス様の屋敷に。それから十年後です、私の親愛なるその祖先が亡くなったのは」
子孫のこの様子から察するとアルメディウスは、不自然な死に方をしたわけではなさそうだ。
「これはその当時の文献とされるものです」
セザールは俺に若干分厚い本を手渡してきた。
「おい、これ。カルディナのことじゃないか?」
アスランが、俺がたまたま開いたページを指で示して尋ねてくる。
「それっぽいな。しかし、この年表、侵略国家? 海上都市オリンポロスを滅ぼしたのがカルディナ……?」
「オリンポロスはアルメディウス様とあなた方が出会った街です。そして、お気づきの通り、この古文書は間違っている。そして、この手の古文書は世界中に存在します」
俺の困惑に注釈を入れるかのように、セザールはいった。
「……偽書が溢れているということか。というより、大カルディナの王が……ハンザハル?」
「シュヴォ、そんなことができるはずがない」
アスランが俺が考えていたものと同意見を述べる。
「しかし、定説です、少なくとも大カルディナ史以外では……それより、預言者ハンザハルをご存じで?」
自重気味に、セザールが尋ねてきた。
「まるでハンザハルを知っているような口ぶりだな」
「ええ、もちろん。彼はあなた方と同じリーパーなんですか? であるとすると彼の復活という話は本当のことだったのか……」
顎に手をやりながら、細身の青年は自問自答をする。
ハンザハルがリーパーというのは、確かに現状を鑑みるとあり得ない話ではない。
「大変言いにくいのですが……」
そこで、セザールがぼそりと断りを入れてきた。
「ハンザハルが処刑?」
俺は彼がその後続けたかすれ声の節々から、その言葉を導き出した。
「待て、なんであいつが?」
アスランが目を丸くする。
「……少し先に広場があり、そこで処刑は行われます。日付は今日……」
セザールの言葉が終わる前に俺とアスランは路地裏から大通りへと躍り出た。
広場は人でごった返していた。
「ハンザハル?」
アスランが疑問の声をあげる。
正面のかなり先にあるお立ち台のような場所に、初老の男がいた。いや、首から頭だけが木製の板の先に出ていたという方がより正確だろう。
「何だあの木の道具? 顔だけしかわからない。それより、あれはハンザハル……か? シュヴォ」
人ごみをかき分けながら、俺にそう確認してくるアスラン。
俺は返答に窮した。ハンザハルは少年のはずで老人ではない。だが、輪郭や鼻の特徴などは彼にそっくりであるような気はする。
「通してください、アッシュフォードの家の者です」
セザールが俺たちの前に立ってそう群衆に声をかけた。すると、彼らは率先して道をあけるようになった。
「何だ、あれ? 上に刃が付いているぞ」
天まで届きそうな木製の支柱は先ほど見た通りだった。だが、近づくと、不気味なものがその上部にあることに気がついた。そこには鈍く光る鉄の大きな刃が取り付けられていたのだ。
「御神台です。特別な時にしか公開されません。我々には名称さえ秘匿されている。これを見ずに人生を終える者は多数います」
訥々とした囁きが俺の耳に入ってくる。
「あの刃は首を落とすための……どうにか止める方法はないのか?」
「不可能ですよ、シュヴォさん。自分でいうのは何ですが、アッシュフォード家は名家です。とはいえ、法に逆らうことなど……ですので、定刻になれば……」
そうは言いつつも、セザールは群衆にまた道をひらくよう声をかけた。
彼が道を造ってくれたおかげでまもなくハンザハルと思われる男が拘束されている場の手前へとたどり着いた。
「ハンザハルだよな? 何があったんだ!」
目先に張られたロープを手に持ちながら、アスランが叫ぶ。
「おまえは……そうか、みんな石になった。ナナウも。だが、いずれかの時代では……」
そのロープで仕切られた先にいるハンザハルが、俺たちへと語りかけてきた。少年だった彼はもういない。その声だけでもそれはわかった。
「宝石になるんだ!」
俺は力の限り叫んだ。
この言葉に近くにいた処刑執行人らしき男がピクリと反応する。だが、何を言っているのかわからないはずだ。俺にはその確信があった。
「その後戻ればいい……何をすればいい? 何でもする」
ハンザハルは既に初老の域に達してる。ということは、俺たちより、現状の認識はできているはずだ。宝石化の手法を知っている可能性は高い。今自らしないということは、自らでは実行不可能なのだろう。であれば、俺が手助けをすれば良いだけだ。
「宝石? 戻る条件……ああそれは」
ハンザハルがしゃがれた声で説明を始める。
が、その矢先のことだった。
「……定刻前だが執行する」
ロープを切ろうとしてだろう。処刑人が斧を振りあげる。
「お、おい、まだ……ハンザハル! 早くいえ」
俺は鼓動より早く言葉を述べた。
「ナナウ。預言者ハンザハル……」
セザールがポツリと声を零す。
「ああ、やはり。その条件は……」
ハンザハルの囁くような声が耳に入ってくる。
そこで刃が落ちてきた。ゴロリとした音だけが俺の耳に届いた。
あっけない。何が起こったかもわからないほど、自然にその首は落ちた。
ちょうどそのタイミングで、観衆からは喝采にも似た声が湧きあがる。
「こんな死に方をするような……」
俺はそう言いつつ顔を背けた。ゆえに首を切り取られたハンザハルがどのような顔をしていたかは不明だ。
「……残念です。ですが、ナナウは必ず私があなたの元に」
セザールは勇気づけるかのようにいう。
「ナナウ? まさかナナウのことか?」
俺がそう尋ねると、セザールはコクリと頷いた。
私の家にと彼は俺たちを誘う。次の瞬間には颯爽と前へと進み始めた。
そして、俺とアスランが彼の後に続こうとした時のことだった。人ごみが目の前を覆った。何が楽しいのやら、楽器で音楽を鳴らしながら、その場で踊り狂っている。
「逸れたら面倒だな」
アスランの声色はかなり濁っていた。俺とは違いハンザハルの最期を完全に見届けたからなのだろうか、と俺は何となく思った。
「シュヴォ、アスラン!」
その時、聞き慣れた女の声が背後から聞こえた。
「ナナウ?」
振り返った先にいた女に向け尋ねた。
俺の知る彼女とは少し違い、多少いろんなところが成長していた。だが、その顔には間違いなくナナウの面影はあった。
「ナナウ……ようやく。といってもそんなに時間が経った感じはしないな」
先ほどいた路地裏へと入り難を逃れた後、アスランがいった。
「あら? 私にとっては、凄く長かったのだけれど」
ナナウが腰に手を当てながらいう。
「しかし、いったい何が?」
俺とアスランは口を揃えて訊いた。
「……あなたたちは死の危機に瀕した。それだけは間違いない」
ナナウがいう。
その後、宝石化する条件は俺たちが死を直感することであると付け加えた。
「……でも、ハンザハルは死んだ」
説明を聞いても何となく消化不良だったが、俺たちの宝石になる能力のようなものの発動条件は理解した。だが、ハンザハルの死はそのケースは当てはまらない。
「……本当に死ぬ条件を見つけ出したのかもしれない。彼にとってそれは幸せなことだったのかも」
ナナウが見たこともない大人びた表情を見せる。
「……おまえ、何歳になったんだ? それだけ成長して」
彼女の仕草を見て、思わずその質問が口をついた。
「何歳でもいいでしょ」ナナウがいう「そのかわりといっては何だけど、リーパーは他にもいるわ」
「まあ、ハンザハルもそうだとしたら、それはそうだろうな」
アスランが少し遠い目をする。
「預言者ハンザハル……やはり歴史が改竄されたということですね。ナナウ、こちらを」
突如として通りから現れたセザールがそう述べた。彼の手には大型の本があった。その風体からすると大カルディナ史であることは間違いなかった。
「元々違ったんだから改竄っていうのは……」
ナナウは大カルディナ史を何事もないかのように受け取った。この様子から察するに彼女と彼の間には知見があるということなのだろう。
「カルディナ史、あの爺さんから……受け継がれたものか……」
「……そうよ、シュヴォ。たった三百年しか経ってないのにもかかわらず、修正しなければならない箇所は多すぎるけれどね。けれど、これは真実の歴史書。そして、私たちで真実の歴史を書き込むもの」
ナナウが大カルディナ史を天に掲げいった。
次にニコリと笑う。彼女の頬に路地裏に差し込んできた日の光が当たる。透き通るような白い肌がさらに美しく際立ち、それはあたかもこれから進む先の輝く未来を映し出してくれるかのようだった。
だが、俺はこの時知らなかった。宝石になるという本当の意味を。そして、この跳躍した三百年という時が、知らない世界、想像を絶する時代、数奇な運命を辿る人々と出会う旅の始まりであることを。
深遠のリビジョニスト 零 @bjc
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